2011年07月31日

海賊と闇市

 海賊流行りだ。
 今の流行の牽引役は、映画で言えば「パイレーツ・オブ・カリビアン」のシリーズ、漫画で言えば「ワンピース」あたりだろうか。
 TVのスーパー戦隊シリーズも、ついに海賊になってしまった。
 
 このブログで少し前に、夏休みの工作セットで海賊船が作れるものを紹介したところ、けっこう検索で飛んできた人に読まれているようだ。(制作記事の方はもうしばらく待ってくださいね)

 男子は基本、海賊好きだ。
 私の年代で言えば、TVアニメで放映されたキャプテン・ハーロックの影響が強いが、各年代ごとに男子はどこかで「海賊的なもの」に心ひかれた経験を持っていると思う。

 私が最近、主に勉強している日本の戦国時代は、日本において「海賊」という存在が最も光り輝いた時代でもあった。
 地上権力がまだ海上勢力を完全には傘下に置ききっていない時代、瀬戸内海を暴れまわった海賊衆の多くは、本願寺の旗印の元に参集して、信長による中央集権体制の確立に反抗した。
 海の民が最も光り輝いた戦争「石山合戦」の終結後、海賊衆は解体され、国境を越えた交易を制限され、封じ込められていく。

 海賊は、陸地の上の法律に縛られない。
 国境に縛られない。
 独自の価値観と実力で、荒波を乗り越えて生き抜く。
 たとえフィクションであっても海賊が輝きを放つ時、世の中には「何事か」が起こり始めているのではないかと、ふと想像してしまう。



 最近「闇市」と、それがあった時代のことも気になっている。
 闇市という言葉は、如何にも字面が悪く、実態を知らない者にとっては何かいかがわしいもののような先入観を抱かせがちだ。
 しかし戦後日本の各地に出現した「闇市」は、国家が治安維持や物流を管理する能力を喪失した中で、庶民の生活の必要から自然発生的に生まれたものだ。
 人間は法律を守るために生きているわけではない。
 国民の生命・財産を守るべき国や法が、その力を失ってしまっている状態にあっては、闇市の存在はまったく「正しい」ものとなる。

 週刊SPA!連載の「新ナニワ金融道」が、「銭道立志編」というシリーズに突入し、ついに単行本になった。


●「新ナニワ金融道11」青木雄二プロダクション(SPA!コミックス)

 オリジナル「ナニ金」の青木雄二の死後、のこされた青木雄二プロダクションによって、いくつかの続編が制作されている。
 中でもこのSPA!版は、絵の再現度がけっこう高く、連載開始当初は「がんばってるな〜」という印象を持ってはいたのだが、やはりストーリーにどこか「ヌルさ」を感じてしまって、次第に読まなくなっていた。
 たとえるなら、栗田貫一のルパン三世を見ているような、よくできてはいるけれども、それだけに物悲しくなってきてしまう感覚があった。
 しかし、作中の帝国金融社長・金畑の若き日の姿を描くシリーズに突入してから、突然面白くなってきた。もしかしたらシナリオに誰か新しい人が参加したのかもしれない。
 金畑社長と言えば、旧「ナニワ金融道」でも抜群の存在感を示していた登場人物である。
 主人公である灰原が、甘さを克服して凄腕のマチ金屋として成長していく姿が旧作のストーリーの中心だったが、作中の帝国金融という会社にはその灰原を上回る猛者がゴロゴロしていた。
 上司である桑田、高山をはじめ、肩書だけのお気楽社員は一人も存在しない、社内事務の専門の人以外は「武闘派」で固めた集団だった。
 中でも社長の金畑は、実力で帝国金融に君臨する怪物だった。
 新作の最近の展開は、戦後の混乱期、貧しい暮らしに追い立てられるように、大阪砲兵工廠跡の鉄屑を巡って活躍するアパッチ族に身を投じて行く金畑少年が軸になっている。
 金畑少年と、その周囲や闇市経済の描写は手抜きがなく、極めてリアルだ。
 現在の大阪城公園、かつての石山合戦の舞台は、時代を超えてまた庶民が生きるためにギリギリの戦いを繰り広げる場所になっていたのだなと、感慨を新たにする。

 闇市の風景と言えば、漫画「はだしのゲン」も忘れられない。
 また、宮崎学「近代ヤクザ肯定論」も読みごたえがあった。




 国が当事者能力を失う時、海賊と闇市が復活する……
 
 とか妄想したくなってくる(笑)
 
 
 さて、またフリマにでも出店するか。
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2012年01月05日

『縁日草子』折り返し

 2005年末に『縁日草子』を始めてから、はや六年以上が過ぎた。
 時期によってムラはあるものの、平均すると月10回ほどのペースで更新するうちに、とくに宣伝も交流もしていない個人ブログとしては、それなりに読んでいただけるようになった。 
 このブログを開設する以前には『縁日画報』という、ごく小部数のミニコミを作っており、それが母体となって現在にいたっている。
 たまたま神仏に関する内容がが多かったので、そのお披露目だから「縁日」だろうと、とくに深く考えることもなくつけた名前だった。
 ところが名前というのは恐ろしいもので、名付けられることによってその後の方向性が決まってしまう。名前が呪力を持って、名前にふさわしい「体」を求めるようになる。
 神仏与太話とともに月日を過ごすうちに、タイトルに引きずられるように内容が広がって行った。
 神仏縁起を絵解きしたイラストがたまってくると、ポスター、ポストカード、Tシャツ類に姿を変えてフリーマーケットに出店するようになり、店構えも含めて本当に「縁日」をやることになってしまった。

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 そのうち御経や祭文、啖呵口上を音遊びとしてDTMで制作し始め、簡単な映像作品にまとめるようにもなった。
 その時その時の興味の赴くままに本を読み、山野を遍路しながら、絵も文章も音も映像も、あれもこれもとメディアの一貫性なく作品を作り続けてきた。

 それでも自分の中ではなんとなく「たった一つのこと」を続けているという気分があった。
 気分としては確かな手応えがあったのだが、それは自分でもうまく言葉に出来なかった。
 自分でもはっきりしないのだから、他人の目にはさぞ不可解に映っていたことだろうとは思う。
 ここ一年ほどのことだが、自分のやっているあれこれが実はやっぱり「たった一つのこと」だったのに、自身でようやく納得できてきた。
 その納得のキーワードになったのが、そもそもの発端になった「縁日」という言葉だった。
 神社仏閣の縁日風景、夜店に集まるテキ屋の面々。
 祭礼の日にだけ、どこからともなく現れて、次の朝には風のように跡型も無く消え去ってしまう、あの不思議な人々。
 その源流を歴史に遡ると、中世以前においては、遊行する芸能の民に行き着く。
 昔の芸能民は、現代の「芸能人」とは全く違って、芸術家であり、民間宗教者であり、学者であり、医者でもあり、また、ヤクザものでもあった。
 定住して農耕を行う常民とは異なる人生を送る彼らは、ある時は尊敬され、ある時は賤視された。 歓迎されることもあれば恐れられることもあった。
 彼らの活動範囲とごく近距離には山の民、海の民が存在し、広い意味では職人や商人も含まれた。
 祖父と父が僧を務め、私の家の宗派でもある浄土真宗には、戦国時代においてそうした人々の力を結集して織田信長と互角に渡り合った石山合戦という歴史も存在した。

 日本史の流れの中で、何箇所か特異点のように、民衆と宗教・芸能の力が結び付いた革命運動のようなものが起こることがある。
 中世の石山合戦がそうであったし、近現代においては、出口王仁三郎の主導した運動体が、そう言うものだったのではないかと理解している。
 ちょっと匿名ブログには書きづらいあれこれの縁もあり、どうやら自分の知りたかったこと、やりたかったことがそこらあたりにあって、これまで自覚のないままにじわじわとそこに近づきつつあったのだなと、納得出来てきたのだ。

 ブログ『縁日草子』、いまだ道半ばながら、そろそろ折り返し点は過ぎたようにも感じている。

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posted by 九郎 at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2012年01月11日

祭礼の夜

 1月10日は「十日戎」。
 9日の宵宮、10日の本宮、11日の残り福と、三夜続けて神社は賑わう。

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 とくにゑべっさんは商売の神様なので、縁起物や各種飲食、玩具、占いの露店が、所狭しと立ち並ぶ。
 今私の住んでいる地域にはけっこう大きな恵比寿神社があって、例年この祭礼は楽しみにしており、何度か記事にしたこともある。
【関連記事】
宵ゑびす
ゑびす縁起物
十日戎
ゑびす大黒
漂着神
お盆2010

 ちょうど一年前に書いた記事を、再録しておきたい。
---------(以下再録)-----------
 1月10日はゑびすの縁日。
 九日は宵ゑびす、十日が本ゑびす、十一日が残り福で、各地の恵比寿神社が一年のうちでもっともにぎわう時期だ。
 今夜は宵宮。
 近所に、十日恵比寿でけっこう盛り上がる神社がある。
 ちょっと出かけてきて、今帰ってきたところだ。
 商売繁盛の神様らしく、縁起物の出店が立ち並び、俗で猥雑な何とも言えない色彩を闇の中に浮かび上がらせている。
 他にも神社の周囲には所狭しと様々なテキ屋がひしめいて、そぞろ歩きの足取りも自然に浮き立ってくる。
 たまらず屋台にとびこんで、一杯ひっかける。
 サザエの壺焼きと日本酒。
 前から一回やってみたかったのだが、今までなんとなく他のお店や食べ物が優先されて、試してみずにいた。
 いや、なかなかいいものですね。
 各地の神社仏閣の縁日から、だんだんテキ屋さんの姿が消えつつある昨今だが、ここではまだまだ健在だ。やっぱり縁日の風景は、こうでなければ。
 サザエのスープをすすり、縁日模様を眺めながら、色々妄想する。

 えべっさん、ゑびす神は、日本神話のヒルコ、またはコトシロヌシであるとされる。
 ヒルコは蛭子、イザナギ・イザナミの長子でありながら、不完全な神であるとして流された漂泊の神。
 コトシロヌシは、出雲の大国主の息子で、国譲り神話で最後の決断を任された神。今ポピュラーな「釣りをするゑびす」の姿は、この神のものをベースにしている。
 二つの由来は全く系統が違うが、「追放された漂泊の神」という点では、何故か一致している。
 縁起物にはよく「恵比寿大黒」のコンビで登場しており、まるで友人かよく似た兄弟のような雰囲気だ。
 しかし大黒の淵源はインド神話の破壊神であり、同時に日本神話の大国主でもある。
 大黒が大国主であるとするならば、このコンビは「親子」ということになる。(大黒については、カテゴリ大黒で詳述)
 縁起物では、このコンビに加えて「おかめ」の面が加わる場合も多いが、この「おかめ」を女神の象徴ととらえるなら、「弁天」のイメージも重なってくる。
 そうなると、「恵比寿・大黒・おかめ」のトリオの縁起物は、もしかしたら三面大黒と近い神話的なイメージがあるのではないか?

 ゑびすの縁起物と言えば、すぐに笹や熊手、箕をベースにしたものが思い浮かぶ。
 笹や竹を素材にした工芸品と言えば、今の私がすぐに連想してしまうのが、山の民。
 ここにも「漂泊」のイメージ。

 ふと気づいてみれば、自分は今まさにテキ屋さんの店先で一杯飲んでいる。
 縁日が終われば、風のように消えていく「市」の真っただ中。
 徐々に縁日の風景からの排除が進む店先。
 ゑびす神は商売の神で、日本では商業が発達した中世の時点では、商人はいわゆる「良民」の部類からは外れた存在であったという。

 酔っ払いの妄想は一巡りして、何かが繋がりそうな予感に、ぶるっと身を震わせる。
 そんな宵宮。
---------(再録おわり)----------

 今年も夜中にちょっと参拝してきて、夜店の人混みを楽しんできた。
 テキ屋の出店状況がどうなっているか、少々心配していたのだが、若干減ったかなと言うぐらいでほとんど例年と変わらず、安心した。
 神社仏閣の祭礼からヤクザ排除が徐々に進行してきて既に久しく、とくに去年から今年にかけてかなりヒステリックな(と私には思える)風潮が総仕上げにかかろうとしている。
 私は年に何度かぐらいは、野暮なことは言わずに清濁合わせて皆で楽しむ機会があった方が良いと考えるし、そうした日本の文化伝統が今後もずっと残ってほしいと思っており、そのような記事をこれまで度々書いてきた。
 時代は押しとどめようもなく流れていくが、思ったことは書きとめておく。

 ヤクザの徹底的な排除は、本当に一般庶民にとって「得」なのだろうか?

 私はヤクザと個人的付き合いは無く、安易に賛美するつもりは無い。
 もちろん違法行為があれば厳しく取り締まれば良い。
 悪いものは悪いのだが、「悪」と言うものは、法律で決めてしまえばそれできれいさっぱり無くなってくれるのかと言えば、私の中の世間知は「否」と答える。
 人の世である限り、ある種のアウトローは一定の割合で存在せざるを得ない。
 そうであるならば、より穏健でマシな状態であってほしいと願う。
 祭礼の露店のような「合法的」な収益に一々目くじらを立てても、それはかえって「非合法」に追いやるだけではないのだろうか?
 過剰な除菌が免疫力の低下と病原体の強化を生んでしまう構図は、社会にも当てはまらないか?
 
 今、読んでおきたい一冊をご紹介して、ごく控えめな呟きを終える。


●「ヤクザと日本―近代の無頼」宮崎学(ちくま新書)
posted by 九郎 at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2012年06月25日

フリマで絵解き

 フリマ出店。
 日々のニュースに腹の立つことの多い中、部屋にこもっていないでたまには屋外で接客するのも、気分転換にはちょうどいい。

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 私の場合、出店している間に「自分は何をしているか」が、難しい。
 元々愛想もなく接客向きとは言い難い人間が、怪しげな神仏ネタのイラストやTシャツを前にして黙って座っていると、

「やだ何あの人怖い」

 という印象を与えがちである。
 無意味にお客さんを威嚇しないよう、店をやっている間は絵を描くことにしている。

 若い頃はカラースプレーで即興をやって投げ銭をもらうパフォーマンスをやっていたのだが、他のお店の密集したフリマのブースでそれをやると、数秒で通報され、以後出入り禁止になってしまうだろう。
 私もそこそこ年を食っているので、さすがにそこまでヴァカではない。
 客寄せにはなるべく大きな絵をその場で描くのが良いのだが、今まで適当な画材を見つけられずにいた。
 マジックペンでは細くて弱すぎるし、ペンキや墨なら面積が広くても対応できるが、お客さん向けに絵を立てて描いていると、どうしても流れてきてしまうし、乾きも遅い。

 今回投入した「新兵器」が、中々いい感じでハマってくれた。
 ホルベインから出ている「ソフトアートスポンジ」という画材だ。
 本来はパステル等の粉っぽい画材をこすりつけるためのものなのだが、コシの強いスポンジなので、液体を含ませて描画することもできる。
 様々な形状が用意されているが、私は以下のものに切り込みを入れ、棒に接着して「スポンジ筆」として使用してみた。



 普通の墨汁と朱を使って見たのだが、マジックと筆の中間のようなタッチで、描いた次の瞬間にはもう乾燥してくれるので、非常に即興パフォーマンス向けだ。
 工夫次第で用途は無限に広がりそうな画材だと思う。

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 おかげさまで、出店料+αの黒字。
 当日お立ち寄りいただいた皆さん、ありがとうございました。
posted by 九郎 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2012年10月11日

我が「縁日屋」は市を選ぶ

 この間の三連休の中日、フリマに出店してきた。
 最近、近場の出店が多かったのだが、久々の遠征。
 場所は京都府北部の綾部市。
 とあるお祭りの運営をやっている友人から、出店のお誘いをもらった。
 イベントの詳細はこちらで。
 土曜の夕方から「縁日屋」一式をかついで出発。綾部の合宿所みたいなところで一泊。早起きして準備をする。
 綾部は山間部の美しい所です。

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 お祭り自体は三連休まるごと開催されていたので、私が会場に到着したのは二日目の朝。
 既に会場には多数のお店が設営されていて、それぞれのテントでは朝食の炊煙が上がっていた。
 会場には数々のオブジェやTipi(北米インディアンのテント)、ゲル(モンゴルのテント)が設置されていた。
 雰囲気は、私が十数年前に衝撃を受けた海辺の祭に近い感じで、素晴らしい。
 出演したり出店したりしている皆さんの中にも、けっこうあの海辺のお祭りと共通している人たちがいたのではないだろうか。
 そう言えば今回ライブに出演していたHALKO(桑名晴子)さんも、あの海辺のお祭りの常連だった。

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 単なるイベントではなく、「お祭り」なのでちゃんと朝拝から始まる。

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 開場時間が近づくと、あちこちのテントから人がわらわらと出てきて、出店準備が始まる。
 エスニック料理や民族衣装、自然食品や雑貨等のお店や、環境問題や3.11を考えるスペースがひしめいていて、それ自体が会場の舞台装置になっている。
 ライブに出演するミュージシャンだけでなく、ギターやウクレレ、太鼓や各種民俗楽器を持ち込んでいる人がたくさんいる。あちこちで即興演奏が絶え間なく、ライブのステージと会場内、出演者と参加者がゆるく溶け合っている。
 ちょっと現代日本離れした風景は、アジアか日本の中世の市場のような印象がある。

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 各地のお祭りからテキ屋の皆さんが排除され、なんとなく面白味の薄れつつある昨今だが、こうした新しい形の、ちょっと変わった品やメニューが並ぶ仮設店舗を出せる皆さんが増えてきているのは、なんとも楽しいことだ。

 我が縁日屋も取り急ぎ、設営。
 かついで来れるだけのスペックだったので、いつものフル装備よりは、やや軽めの店構え。

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 会場には水遊びができる場所もあり、日が昇って気温が上がると、お店をやっている皆さんの子供たちが、はだかんぼで遊び始めたりしている。
 絵図に見る極楽の池の風景のようだ(笑)


 当日は残念ながら快晴とはいかず、午前中を中心に断続的に雨がぱらつき、かなり激しく降ったりもした。
 我が「縁日屋」はTシャツとポストカードが主力なので、雨には非常に弱い。
 降っている間は店を畳んでおく以外に手は無い。

 せっかく遠出してきたので、午前中は割りきってお祭り見物に専念したのだが、午後になっても中々すっきりしない。
 このままでは何をしに来たかわからないので、とにかく降ってきたらすぐに収納できる配置にして、いつもやっている客寄せの「絵解き」をはじめてしまうことにした。
 元々愛想もなく接客向きとは言い難い人間が、怪しげな神仏ネタのイラストやTシャツを前にして黙って座っていると「やだ何あの人怖い」という印象を与えがちなので、無意味にお客さんを威嚇しないよう、店をやっている間は絵を描くことにしているのだ。
 即興で仏画などを描いていると、近づいてくるのはそういうものに関心のある人か、好奇心の強い子供たちに限られてくるので、ブースに並べてある各種グッズにも興味をつなげやすい。
 
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 日本の中世から近世にかけて、各種曼荼羅の入った厨子を背負い、辻や市でその曼荼羅を広げて功徳を語り、札などを売ったりする「絵解き」と呼ばれる人々がいた。
 彼らは旅芸人であり、遊行乞食でもあった。
 我が「縁日屋」も、それで生計を立てていないアマチュアではあるけれども、そうした「絵解き」にあやかりたいと願っている。

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 我が「縁日屋」は、けっこう市を選ぶ。
 不用品などを売るごく普通のフリーマーケットでは、けっこう浮いてしまうので、「手作り市」やライブなどがあるイベントでの出店で、仏画やアジア雑貨等の好きな人がたくさん集まる場所でないと、そもそも関心を持ってもらえないのだ。
 その点、今回のお祭りは、行きかう皆さんに本当に恵まれた。
 皆さんなかなかのツワモノぞろいで、熱心に仏画を眺めた後、手を合わせて真言を唱えたり、けっこう突っ込んだ質問を受けたりした。
 御自身も仏画を描くという人がいて、情報交換できたりもした。

 子供たちがわらわら集まってきてくると、それにつられて大人も集まり易い雰囲気になるのでありがたい。
 今回は子供受けするように新兵器も投入した。
 上の「縁日屋」の写真にチラッと写っているが、北米インディアン風のヤタガラスの仮面、背中に「縁日屋」と大書した黒マント、それから下の写真のちょうちんだ。

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 百均で買ったちょうちんに絵付けをし、中にはこれも百均で入手したLEDランタンを仕込む。
 いい感じで安っぽい色とりどりの光が、我が「縁日屋」にはよく似合う。
 けっこうウケて、作り方を質問されたり、写真を撮ってもらったりした(笑)

 会場は暗くなってからの方が、いよいよ良い雰囲気になってくる。

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 このまま会場で夜を明かし、語ったり歌ったり踊ったりできたら最高なのだが、残念ながら都合があって午後八時過ぎには撤収しなければならなかった。

 雨のせいもあって、この日の収支はなんとかトントンくらい。
 天候ばかりは仕方がないので、いいお祭りに参加できたことに、まずは感謝しなければならない。
 
 このお祭りは今年が第一回。
 またの機会があれば、ぜひ参加してみたいと感じた。

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posted by 九郎 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする