2014年01月15日

祭礼の夜5

 1月9〜11日にかけて、「十日戎」の祭礼があった。
 近所のゑびす神社では、結構盛大にお祭りが行われるので楽しみにしている。
 露店の立ち並んだ一画を夜中にそぞろ歩きし、気に行った店に飛び込んで一杯やるのは格別だ。
 今の住居に移ってから数年、毎年のように足を運び、「縁日の風景」についてあれこれ妄想している。

【過去記事】
祭礼の夜
祭礼の夜2
祭礼の夜3
祭礼の夜4

 ここ数年、一気に進んだ祭の露店からのヤクザ排除の影響も心配していたのだが、「ちょっと店が減ったかな?」というくらいで、風景に大きな変化は見られなかった。
 ただ、いわゆるテキ屋さん風のお店が多少減った分を、日本各地のB級グルメやエスニック料理の露店で埋めている印象はあった。
 私は個人的に「合法的なシノギくらいは問題にしない方が治安にとってはプラスである」と考えているので、テキ屋さんにはこれからも変わらず商売を続けて欲しいと思っている。

 縁日の風景は毎年変わらず繰り返されているように感じるけれども、そこには世相がじわりじわりと反映されて、ゆっくりではあるけれども変化していく。
 目立ちやすいところでは、籤引や射的の景品になっているオモチャやお面のキャラクターは、子供番組の切り替わりとともにガラッと入れ替わる。
 籤引のお店などは、昔から続く縁日の露店の胡散臭さを今に伝える大切なパートだ。
 幼い頃からこういう「ちょっとしたインチキ」に触れておくことは、子供の成長に是非とも必要なことだと思う。
 私も幼い頃から露店や駄菓子屋のおっちゃんおばちゃんたちと散々バトルを繰り広げてきたおかげで免疫がついて、神仏やオカルト、精神世界などに興味を持ちながらも、悪徳商法やカルト宗教にハマらずに済んできたような気がするのだ。

 今年はお面屋の店先で、仮面ライダーやプリキュアが並ぶ中に、「進撃の巨人」のお面を見かけて笑ってしまった。
 客層はどのへんに設定しているのだろうか?
 あの漫画、周りが「面白い、面白い」と言うのでものすごく期待して読んでみたら、まあ面白いのだけど、さほどでもなく感じて以来、続きを読んでいないなあ……
 何年かしてほとぼりが冷めたらもう一度再読してみよう。

 縁日の期間中、昼間通りかかったとき、ちょっと面白いおじさんを見かけた。

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 ボロボロのギターをかき鳴らしながら、なにごとか唱え続けているおじさん。
 最初は「流しかな? 今時珍しい……」と思っていたのだが、近づいてみるとどうやらキリスト教の布教をやっているようなのだ。
 佇まいといい、歌唱法やギターの構えといい、まるで中世の琵琶法師が蘇ったかのようだった。

 まるで宗教は違うのだが、こんなおじさんを飲み込んでもびくともしない、十日戎の猥雑さは今年も格別だった。
posted by 九郎 at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2014年08月24日

地蔵盆2014

 近所の公園で盆踊りがあった。
 都市部の真ん中だが、下町なのでまだこうした地域の行事は残っている。

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 大人も子どもも、一番盛り上がるのは「アンパンマン音頭」だったりする。
 やなせたかし先生はどこまでも偉大だ。
 私が子どもの頃、アンパンマン音頭はまだなかったのだが、アニメ作品発の盆踊りはけっこうたくさんあった。
 ドラえもん音頭やあられちゃん音頭、じゃりン子チエなんかもあった。
 あられちゃんやチエは作品が「現役」とは言いがたいので今かからないのはわかるが、ドラえもん音頭もないのはやはり代替わりのせいだろうか。

 年々盆踊りの開催場所も減ってきている。
 数年前に越してきたのだが、いくつかの地区で別の日に開催されていた盆踊りが、合同開催に変わったりしている。
 少子高齢化で集まる子どもや若者が減り、動ける大人の人手が決定的に不足してきているのだろう。
 都市部なのでお盆休みの期間はよけいに人が減ることもあるだろう。

 夜店の数も物凄く減った。
 こちらは例の「暴排」の風潮のせいだろう。
 怪しい夜店が減って、めっきり盆踊りの風景も寂しいものになった。
 あまり賛同はしてもらえないと思うが、当ブログは縁日の夜店を完全に「暴排」してしまうことには、一応反対の立場をとっている。

 ふと見上げた提灯には「地蔵尊」の文字。

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 よく見ると、提灯にはほとんどすべて書いてあった。
 そう言えば、8月24日は地蔵盆。
 この盆踊りは地蔵盆も兼ねているのだ。

 おじぞうさまは、当ブログでもずっと大切にしてきたテーマの一つだ。

 カテゴリ「地蔵」

 地蔵盆の絵も色々描いてきたが、自分で一番気に入っているのは、やはり最初期に描いた一枚。

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 地蔵盆の時期になると、まだまだ暑い中でもセミの声はめっきり減り、朝夕や日影にひんやりした風が吹きはじめる。
 そしてもうすぐ、セミの鳴き声がパタリとやんだ公園の静けさに、愕然とする日が来るのだ。

【真夏の夜の夢】(4分/mp3ファイル/7MB)ヘッドフォン推奨!
posted by 九郎 at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2014年12月27日

「突破者」を読む20年

 ここ数年、90年代によく読んでいた著者、著作を再び手にとる機会が増えている。
 一つには、2010年代今現在の世相が、90年代にかなり似ているのではないかという、個人的な感覚がある。
 もう一つは、90年代の若者であった私がかなり背伸びし、つま先立ちで読んでいた本の内容が、ようやく地に足のついた理解レベルに達してきたような気がすることもある。

 90年代当時、私が最も傾倒していた書き手の一人が、今回紹介する突破者・宮崎学である。
 ちょうど著作が文庫化されているのを書店で見かけ、再読した。


●「談合文化 日本を支えてきたもの」宮崎学 (祥伝社黄金文庫)
 「談合」という言葉からプラスイメージを感じる人は少ないだろう。
 ヤクザ紛いの悪徳土建業者が共謀し、公共事業の受注価格を不当に吊り上げて暴利を貪っている。
 排除されるべき前近代的な陋習であり、法的に規制して透明化、健全化することは絶対的に正しい。
 そんなイメージが一般的であろうし、かくいう私も何の疑問もなくそのように理解していた。
 そして実際に2000年代初頭から始まる小泉構造改革の一環として公共事業の抑制、談合行為の法規制が進み、一般競争入札が徹底されて十数年が過ぎた。
 その間、地方の土建業界では何が起こったか?
 全体に縮小した公共事業の受注を求めて中央のゼネコンの地方進出が激しくなり、過当競争でダンピングが横行するようになった。
 地方経済を下支えしてきた各地の土建業は疲弊し、それまで地元の一員として協力を惜しまなかった災害復旧にも支障を来すようになり、品質、安全性、職人の技術継承もいまや崩壊の危機にある。
 小泉改革の弱肉強食の負の側面が、もろに牙を剥いた形になっている。
 談合とは本当に排除すべきものだったのか?
 そもそも「談合」という言葉の語源が中世のムラの自治的な話し合いを指しており、土建業界の談合もその流れを汲んで、地元を構成する一員としての責任を果たすための互助的、自治的な機能を持っていたのではないか?
 官製談合のような明らかな汚職と、業界の自治的談合は分けて考えるべきだったのではないか?
 これからの地方再生には、そうした「談合文化」の復活にこそ活路が残されているのではないか?
 
 このように、報道などで無批判に流布される「定説」に対し、アウトローの立場から一時停止をかけ、その根本から実例を挙げて反証していく痛快さが、宮崎学の真骨頂だ。

 宮崎学は敗戦直後の昭和20年、京都伏見の解体屋稼業ヤクザの親分の家に生まれた。
 ちょうど私の親の世代に当たる。
 長じて早稲田大学に進学してからは学生運動に身を投じ、共産党のゲバルト部隊を率いる。
 その後、トップ屋などを遍歴し、京都に帰って解体業を継ぐようになる。
 ヤクザでありながら住民運動や組合活動にも手を貸す変わり種であったが、京都はもともと戦前からアウトローと左翼活動家の距離が近い土地柄でもあった。
 著者が世間的に最も注目を集めたのは、グリコ森永事件の最重要参考人「キツネ目の男」として容疑をかけられたことだろう。実際、あの有名な似顔絵は、宮崎学本人をモデルに描かれたという説もある。
  警察との徹底抗戦の結果、アリバイは崩されず逮捕には至らなかったのだが、稼業は大きなダメージを受け、後に倒産。
 バブル当時は地上げなども手掛け、96年、その特異な半生を綴った「突破者」で作家デビュー。
 私はその最初の一冊から熱狂的なファンになり、現在までに著作の9割以上は購読しているはずだ。
 以下に、私の思う宮崎学の主著を紹介しておこう。


●「突破者〈上下〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年」宮崎学(新潮文庫)
 作家は処女作に全てがある、とはよく言われることだが、宮崎学の場合もやはりこの一冊がもっとも面白い。
 「アウトロー作家」というよりは、本物のアウトローがシノギの一つとして作家活動をしているスタンスがなんとも痛快で、後に多くの著作で展開される問題意識の全てがこの一冊に濃縮されている。
 宮崎学の著作未読であれば、この作品からがお勧め。


●「突破者 外伝――私が生きた70年と戦後共同体」宮崎学(祥伝社)
 処女作「突破者」の世界を、20年近く経った今の年齢で改めて振りかえる一冊。
 最初の一冊は自伝でありながら血沸き肉躍る活劇だったが、最近作はまた違ったアプローチになってきている。
 出自である伏見の最下層社会に対する視線は限りなく優しく、民俗学の領域とも重なる。
 かなり落ち着いたトーンで、著者の同世代に対しては「まだやれることがあるだろう」と語り、下の世代に対しては「もっと自由に好き勝手をやれ」と呟くような、なんとなく「死に仕度」を思わせる雰囲気があるが、気のせいであってほしい。


●「近代の奈落」宮崎学(幻冬舎アウトロー文庫)
 明治以降の部落解放運動についてのルポ。
 取材の過程で自身のルーツとも向き合う。


●「近代ヤクザ肯定論 山口組の90年」宮崎学(ちくま文庫)
 紹介済み

 当ブログでは他にナニワのマルクス・青木雄二との対談本を紹介したことがある。

 年末年始の読書に、ガツンとした歯応えを求める人に捧げる。
posted by 九郎 at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2015年01月07日

あの時の返事

 昨日、かつて師と仰いだ人の訃報があった。
 ちょっとまだ心の整理がついておらず、何かの間違いであってほしいのだが、ともかく今の心情をなんらかの形で吐き出さずにはおれない。

 Nさんと交流があったのは90年代のこと。
 私が勝手に「弟子」を自認していただけなので、別に形式張った付き合いではなく、世間的には「事務所の社長と、古参のバイト」という関係だった。
 Nさんとは二十才以上年齢差はあったが、絵描きで演劇経験者、山好きなどの経歴に共通点があり、その他にも趣味嗜好、体格などで似たところがあった。
 私の方はなんとなく「都会でたまたま出会った同じ部族の出身者」というような気分があり、たぶんNさんも同じように感じていたのではないかと思う。
 変わり者を面白がって、色々連れ回してもらった。
 酒の席でNさんとの関係を聞かれ、冗談半分本気半分で「弟子です」と答えたことがある。
 Nさんは「なんの弟子なんや?」と笑っていた。
 酔った勢いで口走ってしまっただけの私は即答できず、「なんの弟子なんでしょうね?」と頭をかいた。

 技能的な面では景観イラストの描き方を教わったのが一番大きいけれども、Nさんから学んだものはもっと幅広い。
 地図・地形の読み方、都市計画、風水の考え方などを、私はバイトの仕事内容を通じて「門前の小僧」として聞きかじった。
 元々興味のあった沖縄熊野に関する仕事も多く、事務所の本棚に並ぶ書名をたよりに読書を進めたりした。
 事務所にはデカい泡盛の甕が鎮座していて、夕方頃からは一杯やりながら仕事をすることもけっこうあった。
 飲みながら芸能や民俗に関するあれこれを聞かせてもらうのが好きだった。
 事務所の仕事内容と重なりつつも、ちょっとずれたところで教わることが多かった。
 断続的にではあるけれども、Nさんのものの考え方や佇まいを、けっこうな期間「面受」できたことは、得難い経験だったと思う。
 そうした甘美な時間は、もちろんこの「縁日草子」の源流になっている。
 
 あれは確か、阪神大震災から一年後くらいのことだったと記憶しているが、Nさんに「一緒にボルネオに行かんか?」と聞かれたことがあった。
 今から考えると万難を排して付いていくべきだったと思うのだが、当時の私は震災その他で精神的に最も過敏になっていた時期で、海外の冒険旅行に出掛ける余裕がなかった。
 まだ若かった私は「また機会はあるやろ」と気楽に考えていたせいもあって断ってしまったのだが、Nさんにしてみれば時間的にも体力的にも、残り少ないキツい旅行のつもりでお伴に誘ってくれたはずだ。
 今になってみると、その心情がよくわかる。

 2000年代に入ってからはバイトを「卒業」し、Nさんと直接会う機会も少なくなった。
 もう五年ほど会っていないはずで、そろそろ顔を出しておこうかと思っていた矢先の訃報だった。
 もし今もう一度「なんの弟子なんや?」と聞かれたら、「ものの観方です」と答えたい。
 もし今もう一度旅に誘ってもらったら、二つ返事でついていきたい。
 しかし、その機会はもうない。

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posted by 九郎 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2015年01月11日

祭礼の夜6

 今年も十日戎が過ぎ行く。
 夜店で一杯やりながら、色々と神仏、民俗、芸能のことなど妄想するのが毎年の楽しみだ。
 しかし今年は昔師と仰いだ人の訃報があったばかり。
 どうしてもそのNさんのことを思い出してしまう。
 Nさんには、仕事上がりによく飲みに連れて行ってもらった。
 私がお供だと気兼ねがなく、けっこう怪しげな店にも入った。
 今でも覚えているのは、ビルの谷間の駐車場みたいなスペースに、小学校の運動会で使うようなテントを張った仮設店舗のことだ。
 ちょうど的屋の飲食スペースに似た感じなのだが、もう少し耐久性はあった。
 壁は一応ベニアが張ってあり、少なくとも数ヵ月レベルで経営しているであろう飲み屋だった。
 「怪しいなあ」と笑いながら中には入ると、折り畳み長机の椅子席と、ビールケースを重ねた上に古畳を敷いた座敷(?)席があった。
 店作りに使われている材料の一つ一つが、どこか「運動会」っぽかった。
 座敷(?)席は常連らしき客が占めていたので椅子席につき、壁にたくさん張り付けてあるメニューをたよりに飲み食いした。
 マグロの刺身を頼むと、カレー皿みたいな四角い皿に山盛りで出てきた。
 カレー皿「みたい」というか、多分カレー皿そのものだったのではないかと思うが、文字通り「山盛り」で確か500円くらいだった。
 ちょっと気になったのがメニューに混じって何ヵ所かある張り紙で、「刺身はなるべく早めにお召し上がりください」と、念を押してあるところがなんとも不気味だった。
 他のメニューも全部そんな調子で、とにかく安く、カレー皿に山盛りで、鮮度には少々不安を感じさせながらも、まあ普通に食べられた。
 泡盛好きのNさんにとっては、焼酎が不味かったのが難で、再度は行かなかったけれども記憶に残る店だった。
 一年ぐらい経ってからふと思い出して、仕事帰りに店のあったあたりを一人でぶらついてみたが、どうしても見つけられなかった。
 「なんらかの事情」で、そのあたりの駐車場のどれかに戻ったのかもしれない。
 「あの店もうなかったですよ」とNさんに話すと、「おまえも見に行ったんか」と笑っていた。

 飲み屋での与太話というのは、一種の「演芸」ではないかと思う。
 お店の雰囲気と飲んでいるメンバーが上手くハマると、なんとも言えない趣向が立ち上がってくる。
 Nさんの好みで沖縄酒場に行った時には、お店の人とのやり取りが本当に可笑しかった。
 よく、関西人同士の会話を他の地域の人が聴くと「漫才やってるみたい」と表現される。
 関西人のお笑い志向はちょっと極端だが、会話の雰囲気の「地方色」というものは、多分どんな地域にもある。
 沖縄出身で、沖縄から遠く離れたお店の人。
 沖縄出身ではないけれども、沖縄に物凄く詳しいNさん。
 その両者に泡盛という触媒が作用して、夢と現実が半分溶けたような何とも言えないオハナシの世界が立ち上がってくる。
 それを面白がっている私という聴き手がいることも少々プラスに作用して、夢と現の沖縄与太話は加速していく。
 「うらんだー」なんていう言葉がまだ現役で使われているのも、そうした酒の席で知って爆笑してしまった。

 魅力的な民俗の世界に、異国から来た友人としてふわりと入り込んでいくNさんの「芸」のようなものを、私は興味津々で見ていた。
posted by 九郎 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする