blogtitle001.jpg

2016年12月27日

ある夏の記憶:出口和明「大地の母」のこと

 砂時計の砂が落ちきる前のように、年の瀬の時間はあっという間にこぼれ落ちていく。
 今年の内に書きたいと思っていた記事はなるべく年内にともがくのだが、なかなか全部はアップできそうにない(苦笑)
 それでも一つ、また一つとねばる。

 今年、久々に読み返した小説作品がある。
 半年前の緊急入院の折、身動きの取れないベッドの中でいくつかの作品を再読した。
 そんな時、電子ブック端末は便利だ。
 長い長い大河小説も、かさ張らず手のひらサイズに収まってくれる。

 入院期間中から再読をはじめ、退院後もしばらく読みふけっていたのが、ある宗教小説だ。
 あまり有名ではないが、知る人ぞ知る伝説的なその作品、タイトルは「大地の母」という。
 近代日本の新宗教の中で最大級の影響を及ぼした教団「大本」の歴史、そしてそれを率いた「大化物」出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の前半生を描いた実録小説である。

 大本の事、出口王仁三郎のことについては、当ブログでもカテゴリ節分で、断片的に触れたことがある。

 小説「大地の母」の著者は、王仁三郎の実孫、出口和明(やすあき)さん。
 もう二十年近く前のある夏の日、実は私は出口和明さんご本人と、けっこう長い時間、ご自宅でお話をさせていただいたことがある。

 90年代後半、私はぼちぼち自分なりに宗教関係の本を読み始めていた。
 そんな中、書店で手に取った「大地の母」をきっかけに、王仁三郎関連の資料を渉猟し、史跡各地を独自に巡ったりしていた。
 大本や王仁三郎という素材が興味深かったことも大きいが、何よりも「大地の母」の小説としての面白さにハマりきっていた。
 その思いが高じて、作者である和明さんにどうしてもお伝えしておきたくなって、長文のファンレターを書きおくった。(90年代くらいまではけっこうあったことだが、和明さんはそれぞれの著書にご自宅の住所を掲載なさっていた)
 作家や作品への思いは、大きければ大きいほど気軽にファンレターなど書けなくなるものだ。
 私はそれまで、いくら作品を愛していても作家に手紙など書いたことは一度もなかったのだが、その時は心のハードルを飛び越えるだけの「熱」が、私の中にあったということだろう。
 すると思いがけず、和明さんご自身からの「一度亀岡に遊びに来てみないか?」と連絡をいただく幸運に恵まれた。
 私はすっかり感激し、手土産にしようと王仁三郎の肖像を描いて、一路京都に出発した。

 京都、亀岡の和明さん宅は、出口王仁三郎の晩年の居宅でもあり、通称を「熊野館」と呼ばれていた。
 快く迎えてくださった和明さんは、二時間ほど私のかなりつっこんだ質問にも厭な顔一つせず気さくに答えてくださり、その当時の最新研究の内容なども、惜しまず紹介してくださった。
 惚れ込んだ作家と直接言葉を交わせるという稀有な機会に恵まれた私には、もうそれだけで物凄い達成感があった。
 ああ、こんな幸運は自分の人生でもなかなか無いだろう。
 もうこれで十分だ。
 好意に甘えてこれ以上を求め、作家の貴重な時間を奪ってはいけない…… 
 そんな風に感じた私は、以後の数年間、直接熊野館を訪れることは遠慮した。
 当時の私はまだ若かったけれども、良い思い出を摩りきれさせずに心の中にしまいこむ程度の賢明さはもっていたのだ。

 出口王仁三郎に対する興味はその後も持続していて、あれこれ情報収集に努めてはいた。
 しかし、亀岡の熊野館に行くつもりはもうなかった。
 一つには、いくら王仁三郎に惹かれ、和明さんを敬愛するとは言え、大本や出口王仁三郎の教えを「信仰」する意思がまったく無かったことがある。 
 私は浄土真宗の僧侶の家に生まれ、結局自分では僧にならなかったけれども、子供の頃からの生活習慣としての真宗に、やはり馴染んでいた。
 大本の祝詞は好きでよく唱えるけれども、どこか付け焼き刃な感は否めない。
 子供の頃から繰り返してきた念仏和讃ほどのリアリティをもっては唱えられない。
 私には家の宗派を捨ててまで、王仁三郎の教えを「信仰」するほどの動機は無かったのだ。

 そして、もう一つ。
 私は正直、ちょっとビビっていたのだ。
 「大地の母」を始め、和明さんの一連の著作には、これでもかこれでもかというほど、大本や王仁三郎の強力な磁場、巨大な物語に、人生まるごと巻き込まれる人々の様が描かれていた。
 そしてその物語は、和明さんの存命時にはリアルタイムで和明さんを中心に轟々と渦を巻いていたのだ。
 私は自分の人生をそこに投ずるほどの動機がなかった。

 宗教学者の島田裕巳さんの著作に「日本の10大新宗教」という本がある。
 よく売れた本なので手に取った人も多いと思うが、その中に大本を扱った一章がある。
 それによると島田さんは「大地の母」を読み、そのあまりの面白さに驚愕しながら、「大本のことだけは研究すまい」と思ったのだそうだ。
 大本や王仁三郎を深く理解し、研究しようとするなら、外部からでは不可能。
 そう結論せざるを得なかったという島田さんの判断に、私も全く同意する。
 大本は怖いところ、生半可な覚悟で接近してはいけないという思いは、今も変わっていない。
 出口王仁三郎という人物はとんでもなく魅力的であるし、その教えも素晴らしい。
 縁ある人、魂がそれを求める人は、それを学ぶ価値がある。
 しかし、その磁場はあまりに強力で、ときに人の生き方まで大きく左右する。
 自分にその気がなくても奇妙な縁に導かれ、気がついてみると知らぬ間にその真っ只中にいたりするところが、また怖いのだ(苦笑)
 私はもっぱら、一人で関連書籍を調べる程度に留めることにしていた。

 それから数年後の2002年、私はふと思い立って再び亀岡に足を伸ばした。
 もしかしたら何か心に知らせてくるものがあったのかもしれない。
 私はその時、和明さんが大病と向き合っておられることを知った。
 近々、和明さんが講師を務める最後になるかもしれない研修会が開かれる聞き、とるものもとりあえず参加した。
 私は微力ながら和明さんを元気づけ、喜ぶ顔が見たい一心で、王仁三郎の「霊界物語」の冒頭部分を絵に描き、紙芝居仕立ての作品にしようと制作を開始した。
 しかしその作品が一応完成する直前に、和明さんは帰らぬ人となってしまった。
 私はその後も引き続き、大本や出口王仁三郎について調べ、描くことを断続的に続けることになった。
 その成果の一端は、別ブログで公開している。
 もしもあのとき間にあっていたとしたら、私はそれに満足して、「出口王仁三郎の世界の視覚化」の筆を置いていたかもしれない。
 間にあわなかったことが、その後も私に筆を取らせる原動力になっていると感じる。

 現地調査等で大本の地元である亀岡や綾部に足を運ぶうち、年の近い当時の「青年」の皆さんとはいくらか付き合いができた。
 和明さんの思い出を共有する仲間として友情を感じていたが、それでも私は信仰は持たない「部外者」の分はわきまえて、あまり深入りしないように遊ばせてもらう月日を過ごした。

 そして2010年、ちょっと衝撃的な一報があった。
 熊野館の焼失である。
 出口王仁三郎晩年の住まいにして、その孫で作家の出口和明さん宅でもあり、2002年に和明さんが昇天なさったあとは、ご家族が霊界物語研鑽の活動を続けてこられ、貴重な史料が蓄積される拠点であった熊野館。
 原因は漏電による失火で、多くの物品が失われはしたけれども、人的被害はなかったとのこと。
 焼失後、一週間ほど経った熊野館を、私は一目だけ見てきた。
 少し不謹慎な物言いになるかもしれないが、火事の現場を見た印象は、正直に言うと凄惨さよりもなにか森の木立の中の風景を見るような、爽やかな印象を受けた。
 その時は不思議に思ったが、よく考えてみれば、王仁三郎の人生自体が、「火」によって度々焼かれ、そこから不死鳥のように甦ることの繰り返しだったのだ。
 それは、鉄が火に焼かれ、打たれることによって、鋭利な刃物として完成する様にも似ている。
 現場を見て、私は自分のやるべきことを、そのまま続けるだけだと強く感じた。
 和明さんと長くお話したのと同じ、暑い夏の日のことだった。

 私は今でも、亀岡や綾部で知り合った皆さんとたまには連絡を取りながら、基本的には一人で研究や「絵解き」の制作を続けている。
 そして今年、何年かぶりで「大地の母」の世界を堪能した。
 やはり、とんでもなく面白い。
 私がこれまで楽しんだエンターテインメント作品の中でオールタイムベストを作るなら、必ず上位に食い込む作品である。

 実は出口和明さんの著作、現在かなりネット公開が進んでいる。
 興味のある人は、ご子息の出口恒さんのサイトを参照すると良いだろう。
 私が愛してやまない「大地の母」も、pdfファイルで無料配布されている。
 スマホ等のサイズの小さな液晶画面むけの編集で、ルビが入っていない点が難といえば難だが、日常的に本を読む習慣のある人は問題なく読めるだろう。
 個人で作成されているようなので一部編集の乱れも見受けられるが、ともかく読みはじめてみるには使い勝手が良いと思う。
 ただ、全十二巻の大長編なので、本来ならばあまり電子書籍むけの作品ではない。
 まずは無料のpdfでお試しの後、気に入ったら紙の本でじっくり読むのが良いと思う。



 とにかく、小説として無類に面白い名作中の名作。
 神仏与太話ブログ「縁日草子」が、最大級にお勧めする大河小説である。
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2017年01月10日

祭礼の夜9

 十日戎の喧騒を楽しみながら、そぞろ歩き。
 最近は世知辛くて、屋台は午後11時で終了するという。
 以前は深夜まで盛り上がっていたのだが、ご近所の苦情で数年前から早じまいになったとのこと。
 年に3日の縁日が、そんなに耐えがたいほど迷惑か?
 そう言えば除夜の鐘がうるさいからと、夜中に撞けなくなったお寺もあるとか。
 俺の感覚で言えば「嫌なら神社仏閣の近所に住むな!」でおしまいなのだが、そんな感覚が通じないのが今の世の中か。
 保育園が「迷惑施設」扱いになるとか、そんなことばかりがまかり通ると、どんどん住みづらい国になっていくと思うのだけれども、こんな感じ方は少数派なのだろうな。
 
 まあ、しょせん俺は昔から少数派なのである。
 そもそも弱視児童から出発してるし、偏屈者だし、絵描きだし。
 それでも普段はなるべく周りに合わせる努力はしてるが、せっかくの匿名ブログ。
 思うところは書いておきたいものである。

 十日戎の賑わいの中、今年も世間の風潮とは合わない本を一冊、ご紹介。


●「やくざと芸能界 」なべおさみ(講談社+α文庫)
●「やくざと芸能と 私の愛した日本人」なべおさみ(イースト・プレス)
 執筆開始の時点では、「役者なべおさみ自伝」というような体裁で書き起こされたのではないだろうか。
 やんちゃものの少年時代からアウトローの世界に半歩ほど足を踏み入れつつも、侠気ある面々に支えられ、諭されながら、やがて若者は「ヤクザ」ならぬ「役者」となった。
 負けん気で才気走った若者が身一つで飛び込んだ世界には、多くの不思議な縁、出会いが待っていた。
 芸能、文化、政治、アウトローなど、各界で伝説的な人物たちと面受の機会に恵まれたのは、昭和という時代背景もあるだろうし、著者自身の人徳のようなものもあるだろう。
 そうした出会いに彩られた自伝は単なる個人史の範囲を越え、やがて単行本版の帯にある「知られざる昭和裏面史」というレベルすら越えていく。
 日本の芸能史に深く分け入って書き進めるうちに、「文字に残されていない日本分化史」にまで拡大していくのである。
 それは史実として学問的に裏付けられる性質のものではないだろうけれども、著者が自身の人生の中で練り上げた「神話」であるだけに、説得力とリアリティを持っている。
 細かな固有名詞や事象の当否は分からないけれども、日本の芸能・アウトロー史を概観する「物語」としては、十分首肯できるものになっていると思う。

 芸能とヤクザの世界の密な繋がりは、遠く中世以前まで遡る。
 共通の階層に属する者たちが、凄まじい貧困の中、互いに支え合いながら、したたかに生き延びてきたと解するのが妥当なのだ。
 注目に値するのは江戸時代の為政者の狡猾な知恵だ。
 芸能者やヤクザ者にも一定の居場所と稼業を認め、庶民の生活のガス抜きや治安維持の補完機能として利用してきたことが、ともかく表面上は長く「太平の世」を保てたことの最大要因だったのではないかと思う。
 近代までの日本のヤクザも、江戸時代から続く性格を引き継いでおり、「反社会勢力」であった歴史は一度もない。
 基本的には時の権力による統治を裏面から補完するものであって、尊皇の念篤く、お上には逆らわない存在だったのだ。
  
 芸能やヤクザの世界に対する素朴な憧憬は、誰しも心の中に持っている。
 普通は遠目に眺めるだけで、真っ当な職を得て堅気に生きるものだし、それは絶対的に正しい。
 華やかに見える世界でも、実際に足を踏み入れてしまえば失うものの方が多いのだ。
 しかし、人は正しいか正しくないかだけで生きられるほど単純ではなく、どうしても一定数の「はみ出し者」は生じてくる。
 生まれながらの社会的階層、経済状態が要因としては最も大きいし、時には各個人の資質により、どうしようもなく堅気の世界からはみ出す人は出てくるものだ。
 大切なのは、そうした面々を、社会がどのように包摂するかということだ。

 この本の初出は2014年。
 十年遅ければこうした本は出版することすら困難な時代になってしまうかもしれない。
 一読の価値あり。
posted by 九郎 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする

2020年01月19日

第七回 文学フリマ大阪 2019.9.08

 4月の告知以来、報告がたいへんたいへん遅くなりましたが、昨9月8日、文学フリマ大阪に参加してきました。
 文フリ参加は実に五年ぶり。
 前回は2015年で、知り合いの卓に間借りでした。
 わが「縁日屋」初のフルスペック単独参加の模様を紹介してみたいと思います。

 参加に向けて制作したが、2001〜2011年にかけてごく少部数発行していた「縁日画報」1〜19号(+α)の縮刷合本。
 熊野・葛城・沖縄遍路をはじめ、様々な神仏物語、関西サブカル事情を蒐集・披露したミニコミ紙を完全集成で、160ページの極厚ボリュームに、当時の私が各地で見聞きした、神仏祝祭見聞録が、滴るような濃縮具合で満載です!

bunfree2019-002.jpg


bunfree2019-003.jpg


 他にも既刊本やポストカード、Tシャツ、ブースのにぎやかしのためのお面なども持ち込みました。

bunfree2019-001.jpg


bunfree2019-004.jpg


 メインの「超合本縮刷版 縁日画報」は、予備知識なしから、見本誌コーナーで興味を持っていただけた模様。
 表紙デザインで視線を掴めたようで、強気の定価1000円にも関わらず、持ち込んだ分は完売しました。
 最終的には諸経費さっ引いて、ほんのちょっと小遣い程度ですが黒字!
 おかげさまで当日以降も何件かお問合せをいただいております。
 残念ながら通販対応はできませんが、また次の機会の文フリや、各種フリマで出品したいです。
 出店の際は告知します!

 反省点としては、よく出店している普通のフリマの装備をそのまま持ち込んだので、全体にサイズオーバー、キャパオーバー。
 文フリは冊子とポストカードに特化すべきですね。
 TシャツやA4ポスターは並べられないし、机に敷く布も90cm45cm、高さ70cmにジャストサイズのを用意すべし。



 今回の新刊「縁日画報」には、この十年ほどの近況報告的なマンガを描きました。

bunfree2019-05.jpg


 これまでTwitterやブログなど、ネットで家族ネタを出すのは抵抗がありました。
 なんせ半端者なので、巻き込むと悪いなと思ったり。
 ただこの夏、下の子が十歳になって、少し心境の変化がありました。
 子供が小っちゃい時のネタというのは、もう本人も覚えていないので、私が何らかの形にしなければ消えていってしまうかなと。
 なので、またぼちぼち気が向いたときに子供ネタも紹介していきます!
posted by 九郎 at 18:24| Comment(0) | 縁日の風景 | 更新情報をチェックする