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2006年01月09日

記憶の底

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 古い記憶を探ってみる。
 幼い頃の思い込みや記憶違い、あるいは何らかの理由で改変された記憶があるかもしれないが、なんとなく今の自分の元になったのではないかと思える原風景がある。
 父方の祖父は浄土真宗の僧侶だった。祖父母宅は寺ではなかったが、法事のおりの集会所を兼ねていて「おみど」(漢字で書くと「御御堂」か?)と呼ばれる広い座敷があった。むしろ「おみど」が主で、居住スペースが従であったかもしれない。
 通りに面した表門を入ると正面に「おみど」の入り口がある。障子を開けて入ると、畳敷きの広い座敷があり、奥には一段上がって仏具が並べられた祭壇があった。ちょうど劇場の舞台と客席の構成に似ていた。「舞台ソデ」にあたる板敷きを抜けると、そこが「楽屋」である居住スペースになっていた。
 子供の頃、盆暮れに祖父母宅に里帰りした時は、私達家族はこの「おみど」に寝泊りし、朝夕には「おつとめ」として勤行が行われた。祭壇にはいくつもの燭台やお灯明を模した豆電球があって、勤行の際にはそれらが点灯された。
 真っ暗闇だった祭壇スペースが、蝋燭や豆球のオレンジ色の弱い光に照らし出される。金色の仏壇仏具がキラキラと輝いて、様々な形態がぼうっと浮び上がる。私はその中の燭台の一種が気になって仕方がなかった。耳の尖った亀の上に鶴が乗っていて、その鶴が蝋燭の台を咥えている燭台。他の仏具も子供にとっては不可解な形の物ばかりだったが、この燭台のことはとくに印象に残っている。
 蝋燭の灯りは、通常の天井からの蛍光灯の照明とは全く異なる。物を横又は下から照らし、ゆらゆら揺れる弱い光。物の影は暗く長く、しかも生き物のように揺れ動く。
 非日常の照明。
 仏具の金色は怪しく輝き、もうすぐ始まる勤行の声を待っている・・・
posted by 九郎 at 21:54| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月10日

記憶の底2

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 お灯明の準備が整い、一同が集まると勤行が始まる。
 大人たちは勤行用の冊子を開き、子供たちはオールひらがなの折本を開く。真宗開祖の親鸞作の讃歌「正信念仏偈」を唱和する。哀調を帯びたメロディがついている。民族音楽として聴くと、アジア的な音階が心地よい。
 続いてこちらも親鸞作の「念仏和讃」を唱和する。こちらは一応日本語なので、子供心にもなんとなく意味がとれる所がある。本文の横には節回しを表現した棒線がついていて、はじめての人でも唱和している内に唱え方がマスター出来るようになっている。
 念仏「南無阿弥陀仏」の部分は、「なむあみだぶつ」ではなく「な〜もあ〜みだぁあんぶ〜」という感じになる。何度も繰り返して発声するのも民俗音楽的。
 子供の頃は積極的に喜んで参加していた訳ではなかったが、縁者一同で声を合わせて唱和するのはそれはそれで楽しかった。

 (画像は「浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典」より部分的に筆写し、画像処理したもの)

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posted by 九郎 at 22:49| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

記憶の底3

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 例えばイヌ科の動物は、ボスに率いられ群をなして走ることに本能的な喜びを感じるという。イヌゾリはそうした性質を巧みに利用して、人や荷物を運搬している。イヌゾリの犬達は無理に働かされているのではなく、むしろ群としての任務を楽しんでいる。
 イヌと同じく、人間にもそういう所があるのかもしれない。同族で声を合わせて唄うことには、なんとも言えない楽しさがあった。
 念仏和讃のゆったりと哀調を帯びたメロディは、子供だった私の魂の底に刻まれた。今でもふとした瞬間に、幼い頃から徐々に作り上げられた和讃のイメージが蘇ってくる。暗い闇夜の海を、のたうつ波に揉まれながら小さな舟が漂っているイメージ・・・
 このイメージがどこから出てきたのか、記憶は定かでは無い。親鸞は表現として「海」の喩えをよく使っているのでそこから来たのかもしれないし、「補陀洛渡海船」のことをどこかで聞きかじったせいかもしれない。あるいは単純に、メロディが「波」っぽかったというだけかもしれない。

 私が浄土真宗の勤行に親しみを感じるのには、「子供の頃から唱えてきたから」という以上の理由はないだろう。それが「御題目」であれ「君が代」であれ、「インターナショナル」であったとしても、同じように幼い頃耳にしていれば親しみを感じただろう。
 自分の記憶の底に根ざした懐かしいメロディを大切にしつつも、割と機械的な刷り込みで感情が生まれてくる人間の習性の部分も忘れずにいたい。無所属で自分なりに色々な神仏のことを調べてみて、そう思う。

【関連記事】音遊び「念仏和讃」
posted by 九郎 at 00:42| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月16日

記憶の底4

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 母方の祖父は大工だった。
 木彫りを趣味でやっていて、それは片手間というにはあまりに膨大な情熱を注いでいた。作業場から道具、細かな彫刻刀の類など、ほとんど全てを自作。祖父宅の玄関を入ると、数えきれないほどの作品群、仏像や天狗や龍などが、所狭しと並べられていた。中にはまるで七福神に仲間入りしそうな雰囲気のサンタクロースもいた。
 祖父はよく山に入り、気に入った形の木材(根っこや木の瘤も含む)を拾ってきては、それに細工を施したりしていた。切り出されてきたアヤシイ形の珍木が、祖父の手によって更に得体の知れない妖怪に変貌していた。
 幼い頃の私は、そんな製作現場を眺めるのが好きで、祖父の操るノミや彫刻刀が様々な形を刻んでいくのを、いつまでも飽きずに観察していた。
 ある日祖父の彫刻群を色々観察していると、小箱に何かが収納されているのを見つけた。開けてみると、そこには数センチ程の大きさの小さな手、手、手、また手。様々な表情に指をくねらせた小さな手が、ぎっしり詰まっていた・・・
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posted by 九郎 at 00:47| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

記憶の底5

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 祖父は彫刻の資料として各種の文献も集めていた。おそらく「原色日本の美術」だと思うのだが、様々な仏尊が掲載されている大判の図鑑のようなものもあった。
 私はそれをパラパラめくっては、一人興奮していた。特に形相凄まじい「明王」シリーズにハマった。仏様にも色んなキャラクターがいて、色んな姿をしていることを知った。当時は(今も?)「仮面ライダー」や「ウルトラマン」の全盛期で、「○人ライダー」や「ウルトラ兄弟」という概念も出来上がっていたのだが、幼い私にとっては仏尊図鑑も怪獣怪人図鑑も全く区別は無かった。宇宙のどこかで戦っているヒーローの一種として、明王の姿に目を輝かせていた。
 今から考えると、あながち間違った捉え方でも無かったりして・・・
posted by 九郎 at 00:15| 原風景 | 更新情報をチェックする