先月、父が亡くなった。
うちは父方が祖父の代から真宗僧侶で、寺ではなかったが地域の門徒の公民館的な「教会」とか「道場」と呼ばれる寺院風の家屋の管理をする「衆徒」だった。
祖父の死後は父が得度し、法務を継いだ。
父の代にはその教会もなくなり、同じ地域の寺院の衆徒として、公務員と兼業で法務をやっていた。
このあたりの事情については、何度か記事にしてきた。
私の得度についてはさほど強くは勧められず、結局継がなかったのだが、仏教に対する興味はそれなりに持っていて、たとえばこのようなブログを続けている。
父はまた、若い頃から反権力で、社会的弱者側に立つ人でもあった。
そうした反骨精神とともに、継げるものは継いでいきたい。
家の宗派のことは、慌てることはなく、なんなら一生かけてゆっくり考えればいい。
別に考えなくてもいいが、家の宗派について考えることは、自分について考えることにつながると思っている。
せっかちで合理を好む父の遺志により、葬儀には旧知の所属寺院住職を呼び、参列は近親中心の簡素なものになった。
父方祖父母の時のように多人数を集めて三部経その他を全部やる葬儀も、私は実は嫌いではない。
普段会わない縁者と会い、普段読まないお経の節回しを体験できる良い機会だったと思う。
ただ、少子高齢化のこの御時世、もうそれをやるには人手と負担が過大に成りすぎた面は否めない。
うちは父方母方一同、形式ばらない庶民的な雰囲気で、内心の哀しみはともかく、葬儀や法事でもことさら湿っぽくせず、たまの親族の集まりとして「歓談」するのが常だった。
陽性で社交的だった父もずっとそのようにふるまっており、今回もみんな変わらずそうした。
生前の父の意向で、葬儀以降の法事のお勤めは、基本私がやることになった。
法事を家族でやるのは、昨今とくに珍しくはないらしい。
僧侶ではないので本格的なことはできないが、「こいつにやらせておけば、興味を持って調べ、できることはやるだろう。この際勉強せよ」という意図のはずで、実際そうしている。
父は当ブログの読者でもあった。
あらためて調べたことなど、ぼちぼち覚書にしていきたいと思う。
その後も身内の訃報が続き、日々『白骨の御文章』を口ずさむ春である。
【白骨章】
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、 まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず一生過すぎやすし。 いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。 われや先、人や先、今日ともしらず明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。 さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
2024年03月29日
2024年03月30日
出立の春2
うちは浄土真宗の「西」で、日常のお勤めでは『正信偈』とそれに続く念仏和讃、領解文、お経では『阿弥陀経』を唱えることが多かった。
一番よく読む『正信偈』は、仏説のお経ではなく、歴史の授業でも習う親鸞の主著『教行信証』中の漢詩で、信心のエッセンスがまとめられている。
読み方としては「草譜」「行譜」の二種があり、日常的にはシンプルな「草譜」、法事などでやや丁寧に唱える場合は後半がメロディアスな「行譜」を唱える。
続く念仏和讃は念仏の繰り返しと親鸞作の和讃の組み合わせで、こちらも独特のメロディがある。
唱え方には微妙な地域差や個人差があり、うちの唱え方もCD音源等とは少し違う。
録音再生技術の発達した今ですらけっこう「地域差、個人差」があるのだから、昔はもっとバラエティが豊かだった可能性はある。
うちの読み方は私限りになるかもしれないが、唱えられるうちは唱える。
もう一つよく唱えているのが、蓮如の作と伝えられる『領解文(りょうげもん)』だ。
以下に引用してみる。
「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけそうらえとたのみまうしてそうろう。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定とぞんじ、このうえの称名は、ご恩報謝とぞんじ、よろこびもうしそうろう。この御ことわり聴聞もうしわけそうろうこと、ご開山聖人ご出世のご恩、次第相承の善知識のあさからざるご勧化のご恩と、ありがたくぞんじそうろう。このうえはさだめおかせらるる御おきて、一期をかぎり、まもりもうすべくそうろう。」
今回調べてみると、領解文の読み方にもかなり幅があるようだ。
シンプルなお経のように一本調子で読んでいる音源もあるし、朗読や独白のように読んでいるケースもある。
うちでは文体が共通している御文章に近い感じで読まれていた。
2023年には西本願寺から『新しい領解文』というものが発表され、議論になった。
残念ながら父の意見を聞ける状態ではないまま亡くなり、また僧侶でない私がどうこう言える性質のものでも無いので、うちでは従来のまま唱えている。
仏説のお経の中では、日常勤行でよく読むのが『阿弥陀経』だ。
短めなので、熱心な門徒の皆さんには『正信偈』とともに暗唱している人も多い。
私は導師に唱和してとりあえず読める程度だ。
せっかちな性格だった父は読むのがかなり速く、ついていくのが精一杯だったことなど、今は懐かしい。
「こんな速く読むのは父ぐらいだろう」と思っていたら、大阪の北御堂に参拝した時、若いお坊さんがもっと速く読んでいて驚愕したことがある。
お経と言えば「聞いてもわけのわからないもの」の代名詞みたいになっているが、『阿弥陀経』に関して言えば、唱えていると少々内容がわかった気になれる。
漢字の字面のイメージを追っていると、釈尊が祇園精舎で舎利弗を代表とする綺羅星の如き弟子たちに、阿弥陀の浄土の絢爛たる様を詳細に語って聞かせているのが、おおよそは伝わってくるのだ。
僧侶が読むとリズム感があり、その感覚は補強される。
釈尊が語りかける舎利弗は「智慧第一」のシャーリプトラで、十大弟子の中でも天才肌の一番弟子と目され、他のお経でも聞き手としてよく登場する。
ただ、このお経は釈尊が舎利弗に一方的に語って聞かせる形で、問答形式ではない。
内容的にもただただ阿弥陀浄土のイメージの洪水を浴びせる感じで、せっかくの天才肌が聞き手でも、口をはさむ余地はない。
わざわざ「自力」に極めて優れた弟子に、それが全く通用しない説法をぶつけていることには、釈尊の何らかの意図があるのかもしれない。
お経の終盤で釈尊は「シャーリプトラよ、どう思うか?」と問いかけているが、弟子の返答はない。
一番よく読む『正信偈』は、仏説のお経ではなく、歴史の授業でも習う親鸞の主著『教行信証』中の漢詩で、信心のエッセンスがまとめられている。
読み方としては「草譜」「行譜」の二種があり、日常的にはシンプルな「草譜」、法事などでやや丁寧に唱える場合は後半がメロディアスな「行譜」を唱える。
続く念仏和讃は念仏の繰り返しと親鸞作の和讃の組み合わせで、こちらも独特のメロディがある。
唱え方には微妙な地域差や個人差があり、うちの唱え方もCD音源等とは少し違う。
録音再生技術の発達した今ですらけっこう「地域差、個人差」があるのだから、昔はもっとバラエティが豊かだった可能性はある。
うちの読み方は私限りになるかもしれないが、唱えられるうちは唱える。
もう一つよく唱えているのが、蓮如の作と伝えられる『領解文(りょうげもん)』だ。
以下に引用してみる。
「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけそうらえとたのみまうしてそうろう。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定とぞんじ、このうえの称名は、ご恩報謝とぞんじ、よろこびもうしそうろう。この御ことわり聴聞もうしわけそうろうこと、ご開山聖人ご出世のご恩、次第相承の善知識のあさからざるご勧化のご恩と、ありがたくぞんじそうろう。このうえはさだめおかせらるる御おきて、一期をかぎり、まもりもうすべくそうろう。」
今回調べてみると、領解文の読み方にもかなり幅があるようだ。
シンプルなお経のように一本調子で読んでいる音源もあるし、朗読や独白のように読んでいるケースもある。
うちでは文体が共通している御文章に近い感じで読まれていた。
2023年には西本願寺から『新しい領解文』というものが発表され、議論になった。
残念ながら父の意見を聞ける状態ではないまま亡くなり、また僧侶でない私がどうこう言える性質のものでも無いので、うちでは従来のまま唱えている。
仏説のお経の中では、日常勤行でよく読むのが『阿弥陀経』だ。
短めなので、熱心な門徒の皆さんには『正信偈』とともに暗唱している人も多い。
私は導師に唱和してとりあえず読める程度だ。
せっかちな性格だった父は読むのがかなり速く、ついていくのが精一杯だったことなど、今は懐かしい。
「こんな速く読むのは父ぐらいだろう」と思っていたら、大阪の北御堂に参拝した時、若いお坊さんがもっと速く読んでいて驚愕したことがある。
お経と言えば「聞いてもわけのわからないもの」の代名詞みたいになっているが、『阿弥陀経』に関して言えば、唱えていると少々内容がわかった気になれる。
漢字の字面のイメージを追っていると、釈尊が祇園精舎で舎利弗を代表とする綺羅星の如き弟子たちに、阿弥陀の浄土の絢爛たる様を詳細に語って聞かせているのが、おおよそは伝わってくるのだ。
僧侶が読むとリズム感があり、その感覚は補強される。
釈尊が語りかける舎利弗は「智慧第一」のシャーリプトラで、十大弟子の中でも天才肌の一番弟子と目され、他のお経でも聞き手としてよく登場する。
ただ、このお経は釈尊が舎利弗に一方的に語って聞かせる形で、問答形式ではない。
内容的にもただただ阿弥陀浄土のイメージの洪水を浴びせる感じで、せっかくの天才肌が聞き手でも、口をはさむ余地はない。
わざわざ「自力」に極めて優れた弟子に、それが全く通用しない説法をぶつけていることには、釈尊の何らかの意図があるのかもしれない。
お経の終盤で釈尊は「シャーリプトラよ、どう思うか?」と問いかけているが、弟子の返答はない。
2024年03月31日
出立の春3
亡くなるまでの半年、振り返ってみると父自身は「準備」を進めているような気配もあった。
見舞いに行くと、私がなんとか読める『正信偈』『領解文』『阿弥陀経』以外にも、「日常勤行聖典」(下掲画像右)の中からいくつか読んでおくよう指示があり、『白骨章』を指示された時は、さすがに私でもその意図に気づいた。
その他に指示された『讃仏偈』『重誓偈』は、その時は気づかなかったが、浄土三部経のうちの『無量寿経』からの引用だった。
どちらの偈文も、阿弥陀如来に成仏するはるか以前の法蔵菩薩が、師である世自在王仏に対して詠んだものだ。
法事を私に任せるにあたり、「無量寿経そのものを読むのは荷が重かろう」と、配慮してくれたのかもしれない。
そう言えば父は、一人の勤行ではよく『重誓偈』を唱えていた。
法蔵菩薩が世自在王仏に「四十八誓願」を立てた後、重ねて誓いの心を詠ったものだ。
私は父が唱えるのを隣室などで聞いているだけだったが、なんとなく耳に残っているので、比較的読めそうだ。
あらためて法事について調べる必要から、実家で「仏事勤行聖典」(画像左)を回収した。
普段使いの「日常勤行聖典」だと知りたい内容が足りず、「確かお葬式や法事の時に使う冊子が別にあったな」と、仏間を物色して見つけた。
参考に開いてみると、まず冊子冒頭、法事の始まりに唱えられる『三奉請』が目についた。
『三奉請(さんぶじょう)』
奉請弥陀如来入道場(ぶじょう みだにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
奉請釈迦如来入道場(ぶじょう しゃかにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
奉請十方如来入道場(ぶじょう じっぽうにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
字面を目で追いながら、法事で聞いたことがあるメロディの雰囲気が頭の中で蘇ってきた。
普段はあまり聞けない独特な(ちょっと雅楽ぽい)節で、子供の頃から気になっていたやつだ。
あらためて調べてみると、阿弥陀如来、釈迦如来、その他多くの仏をお迎えする法事のOPらしい。
そういうことだったのか。
今はCDでも動画サイトでも音源は数多く、あらためて調べたり練習するのに助かる。
このように、ぼちぼち内容と意義の理解を進めていきたいと思う。
見舞いに行くと、私がなんとか読める『正信偈』『領解文』『阿弥陀経』以外にも、「日常勤行聖典」(下掲画像右)の中からいくつか読んでおくよう指示があり、『白骨章』を指示された時は、さすがに私でもその意図に気づいた。
その他に指示された『讃仏偈』『重誓偈』は、その時は気づかなかったが、浄土三部経のうちの『無量寿経』からの引用だった。
どちらの偈文も、阿弥陀如来に成仏するはるか以前の法蔵菩薩が、師である世自在王仏に対して詠んだものだ。
法事を私に任せるにあたり、「無量寿経そのものを読むのは荷が重かろう」と、配慮してくれたのかもしれない。
そう言えば父は、一人の勤行ではよく『重誓偈』を唱えていた。
法蔵菩薩が世自在王仏に「四十八誓願」を立てた後、重ねて誓いの心を詠ったものだ。
私は父が唱えるのを隣室などで聞いているだけだったが、なんとなく耳に残っているので、比較的読めそうだ。
あらためて法事について調べる必要から、実家で「仏事勤行聖典」(画像左)を回収した。
普段使いの「日常勤行聖典」だと知りたい内容が足りず、「確かお葬式や法事の時に使う冊子が別にあったな」と、仏間を物色して見つけた。
参考に開いてみると、まず冊子冒頭、法事の始まりに唱えられる『三奉請』が目についた。
『三奉請(さんぶじょう)』
奉請弥陀如来入道場(ぶじょう みだにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
奉請釈迦如来入道場(ぶじょう しゃかにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
奉請十方如来入道場(ぶじょう じっぽうにょらい にゅうどうじょう)散華楽(さんげらく)
字面を目で追いながら、法事で聞いたことがあるメロディの雰囲気が頭の中で蘇ってきた。
普段はあまり聞けない独特な(ちょっと雅楽ぽい)節で、子供の頃から気になっていたやつだ。
あらためて調べてみると、阿弥陀如来、釈迦如来、その他多くの仏をお迎えする法事のOPらしい。
そういうことだったのか。
今はCDでも動画サイトでも音源は数多く、あらためて調べたり練習するのに助かる。
このように、ぼちぼち内容と意義の理解を進めていきたいと思う。
2024年04月14日
出立の春4
浄土真宗では『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の『浄土三部経』が重視されている。
仏説のお経で読むのはほぼこの三部に限られ、一般には宗派を問われない『般若心経』も、真宗では読まれない。
中でも日常的に読むのは比較的短い『阿弥陀経』だけで、『無量寿経』『観無量寿経』は、葬儀や法事の際に抜粋して読まれる。
熱心な門徒というわけではない私は、『無量寿経』『観無量寿経』は、勤行ではたぶん数回くらいしか読んだことがない。
三部経は文庫で読み易い現代語訳が各種出ており、「内容をちゃんと読みたい、知りたい」という場合はそれにあたるのが良い。
私が経典の類を文庫で探して読み漁っていた90年代当時は、岩波文庫ぐらいしか出ていなかったと記憶している。
日本の仏典は史上長らく漢訳本から読み下すことを基本にしてきたが、サンスクリット原典まで遡って完全に現代語訳にする流れは、この岩波文庫版から始まったものだろう。
私も若い頃、非常に興味深く読んだ。
浄土三部経 上: 無量寿経 (岩波文庫 青 306-1) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正
浄土三部経 下: 観無量寿経・阿弥陀経 (岩波文庫 青 306-2) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正
あれから三十年経って探してみると、文庫で読めるものも充実してきたようだ。三部経は角川ソフィア文庫で、無量寿経の詳しい解説はちくま学芸文庫で出ている。
全文現代語訳 浄土三部経 (角川ソフィア文庫) - 大角 修
無量寿経 (ちくま学芸文庫 ア 9-8) - 阿満 利麿
西本願寺からも文庫版が出ていて、字が大きくて助かる(笑)
浄土三部経 (文庫版) ―原文・現代語訳・佐々木惠精解説 - 浄土真宗本願寺派総合研究所 教学伝道研究室<聖典編纂担当>
お経も手にとってみると意外と面白く読めるのだが、なにぶん古代インドの世界観なので、とっつきがたいと感じることもあるかもしれない。
もう少し手に取りやすく、現代日本の感覚のフィルターを通したものとしては、西村公朝師の文庫本がある。
主に浄土三部経の内容を平易に絵解きした『極楽の観光案内』(新潮文庫)、仏教全般の宇宙観やビジュアルを絵解きした『ほとけの姿』(ちくま学芸文庫)などなど。
極楽の観光案内 (新潮文庫 に 14-2) - 西村 公朝
ほとけの姿 (ちくま学芸文庫) - 西村 公朝
ただ、この年になってみると、「内容を知る」のはもちろん大切だけれども、一周まわって従来の読経形式には「知る」以外の豊かな情報量があることもわかる。
読経はライブなのだ。
仏説のお経で読むのはほぼこの三部に限られ、一般には宗派を問われない『般若心経』も、真宗では読まれない。
中でも日常的に読むのは比較的短い『阿弥陀経』だけで、『無量寿経』『観無量寿経』は、葬儀や法事の際に抜粋して読まれる。
熱心な門徒というわけではない私は、『無量寿経』『観無量寿経』は、勤行ではたぶん数回くらいしか読んだことがない。
三部経は文庫で読み易い現代語訳が各種出ており、「内容をちゃんと読みたい、知りたい」という場合はそれにあたるのが良い。
私が経典の類を文庫で探して読み漁っていた90年代当時は、岩波文庫ぐらいしか出ていなかったと記憶している。
日本の仏典は史上長らく漢訳本から読み下すことを基本にしてきたが、サンスクリット原典まで遡って完全に現代語訳にする流れは、この岩波文庫版から始まったものだろう。
私も若い頃、非常に興味深く読んだ。
浄土三部経 上: 無量寿経 (岩波文庫 青 306-1) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正
浄土三部経 下: 観無量寿経・阿弥陀経 (岩波文庫 青 306-2) - 中村 元, 紀野 一義, 早島 鏡正
あれから三十年経って探してみると、文庫で読めるものも充実してきたようだ。三部経は角川ソフィア文庫で、無量寿経の詳しい解説はちくま学芸文庫で出ている。
全文現代語訳 浄土三部経 (角川ソフィア文庫) - 大角 修
無量寿経 (ちくま学芸文庫 ア 9-8) - 阿満 利麿
西本願寺からも文庫版が出ていて、字が大きくて助かる(笑)
浄土三部経 (文庫版) ―原文・現代語訳・佐々木惠精解説 - 浄土真宗本願寺派総合研究所 教学伝道研究室<聖典編纂担当>
お経も手にとってみると意外と面白く読めるのだが、なにぶん古代インドの世界観なので、とっつきがたいと感じることもあるかもしれない。
もう少し手に取りやすく、現代日本の感覚のフィルターを通したものとしては、西村公朝師の文庫本がある。
主に浄土三部経の内容を平易に絵解きした『極楽の観光案内』(新潮文庫)、仏教全般の宇宙観やビジュアルを絵解きした『ほとけの姿』(ちくま学芸文庫)などなど。
極楽の観光案内 (新潮文庫 に 14-2) - 西村 公朝
ほとけの姿 (ちくま学芸文庫) - 西村 公朝
ただ、この年になってみると、「内容を知る」のはもちろん大切だけれども、一周まわって従来の読経形式には「知る」以外の豊かな情報量があることもわかる。
読経はライブなのだ。
2024年04月20日
出立の春5
父の死後、法事のお勤めとともに、父の遺した手記の整理をしていた。
自分の経歴や仏教についての考えを書いたもので、いずれ冊子にまとめたいと希望していたという。
晩年は持病もあってPC操作が困難になり、結局完成はしていなかったのだが、それなりの分量のデータがあった。
未完の執筆分に、別に公開していたweb日記から抄出分を加えて補完すれば、一応完結した形になりそうに思えた。
不肖の長男であるが、手製本の同人誌なら作り慣れている。
せめてもの供養に、四十九日を目途として、身内で読める仮冊子にしようと思い立った。
その編集過程で「少し不思議」と思えることがあったので、覚書にしておく。
父の手記は、ある程度まではまとまったデータがあったが、私の使っていない編集ソフトのファイル形式だったので、開いて編集可能にするまでに多少手間取った。
その間に父が書いた他の原稿のデータをコピペしていて、この十年ほどやったことが無いような初歩的なミスで消してしまった。
「やれやれ、最初からやり直しか……」
少々うんざりしながら、同時進行でようやく開けた執筆分のデータを読んでみると、消してしまったあたりはもう父がまとめ済みの内容だった。
なんとなく、父に「そこはもうええから」と言われたような気がした。
父は元々執筆活動は好きで、文章力もあったのだが、徐々にPC操作が困難になる晩年の作なので、校正すべきと思える所は多々あった。
もう本人の意向は確かめられないものの、書いたからにはできるだけ読んでほしいと思っているはずなので、編集を通したら当然求められるであろう程度の修正は入れることにした。
未完の章のどこまでを収録すべきかということも迷った。
かなり力を入れて書いているが、途中までで出すべきではないと判断した章もあった。
その章の削除はプリントアウトする寸前まで迷っていたのだが、念のため父のPCを最後に確認してみると、たまたま開いたファイルに「〇章は削除」という指示が明記してあるものが見つかった。
ここでも「編集方針はそれで合っている」と、父に言われたような気がした。
晩年の父は「法事等は長男にまかせるように。見えないだろうけれども自分はその場にいるから」と言い残したという。
父は若い頃から組合の闘士で、せっかちで迷信嫌いの合理主義者で、霊現象やオカルトは完全否定していた。
そんな父の中で、僧侶としての阿弥陀の浄土や親鸞の言説への信心がどのように同居していたのか、あらためて聞いたことはなかった。
この半年ほどの間に言い遺されたこと、あったことは、今後も色々考えて行きたい。
真宗僧侶子弟の私は仏教その他に関心があり、経典の類を読み、資料を漁り、時にはこのブログで紹介している。
同時に絵描きなので、そのままの受け売りを「表現」として採用することはない。
自分の頭と手を通して身についたものだけ採用する。
現時点での私は、近代美術の徒として基本的に唯物論である。
ただ、絵描きであるので、感覚や認識の領域で様々な「不思議」が起こることは知っている。
その延長線上に自分なりの「浄土」や「還相回向」は見えてくるのかもしれない。
そんなことを考える春だった。
自分の経歴や仏教についての考えを書いたもので、いずれ冊子にまとめたいと希望していたという。
晩年は持病もあってPC操作が困難になり、結局完成はしていなかったのだが、それなりの分量のデータがあった。
未完の執筆分に、別に公開していたweb日記から抄出分を加えて補完すれば、一応完結した形になりそうに思えた。
不肖の長男であるが、手製本の同人誌なら作り慣れている。
せめてもの供養に、四十九日を目途として、身内で読める仮冊子にしようと思い立った。
その編集過程で「少し不思議」と思えることがあったので、覚書にしておく。
父の手記は、ある程度まではまとまったデータがあったが、私の使っていない編集ソフトのファイル形式だったので、開いて編集可能にするまでに多少手間取った。
その間に父が書いた他の原稿のデータをコピペしていて、この十年ほどやったことが無いような初歩的なミスで消してしまった。
「やれやれ、最初からやり直しか……」
少々うんざりしながら、同時進行でようやく開けた執筆分のデータを読んでみると、消してしまったあたりはもう父がまとめ済みの内容だった。
なんとなく、父に「そこはもうええから」と言われたような気がした。
父は元々執筆活動は好きで、文章力もあったのだが、徐々にPC操作が困難になる晩年の作なので、校正すべきと思える所は多々あった。
もう本人の意向は確かめられないものの、書いたからにはできるだけ読んでほしいと思っているはずなので、編集を通したら当然求められるであろう程度の修正は入れることにした。
未完の章のどこまでを収録すべきかということも迷った。
かなり力を入れて書いているが、途中までで出すべきではないと判断した章もあった。
その章の削除はプリントアウトする寸前まで迷っていたのだが、念のため父のPCを最後に確認してみると、たまたま開いたファイルに「〇章は削除」という指示が明記してあるものが見つかった。
ここでも「編集方針はそれで合っている」と、父に言われたような気がした。
晩年の父は「法事等は長男にまかせるように。見えないだろうけれども自分はその場にいるから」と言い残したという。
父は若い頃から組合の闘士で、せっかちで迷信嫌いの合理主義者で、霊現象やオカルトは完全否定していた。
そんな父の中で、僧侶としての阿弥陀の浄土や親鸞の言説への信心がどのように同居していたのか、あらためて聞いたことはなかった。
この半年ほどの間に言い遺されたこと、あったことは、今後も色々考えて行きたい。
真宗僧侶子弟の私は仏教その他に関心があり、経典の類を読み、資料を漁り、時にはこのブログで紹介している。
同時に絵描きなので、そのままの受け売りを「表現」として採用することはない。
自分の頭と手を通して身についたものだけ採用する。
現時点での私は、近代美術の徒として基本的に唯物論である。
ただ、絵描きであるので、感覚や認識の領域で様々な「不思議」が起こることは知っている。
その延長線上に自分なりの「浄土」や「還相回向」は見えてくるのかもしれない。
そんなことを考える春だった。
(「出立の春」了)