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2006年01月18日

記憶の底6

 祖父母は子沢山で、私の母は六人兄弟、姉妹の長女だった。祖父宅は子供の成長とともに増改築が繰り返された。なにせ祖父とその息子二人(私の母の弟)が大工であったから、かなり頻繁に家は改造されていったらしい。このあたりは、大工の家の特殊事情だろう。私の母など、家具は「買うもの」ではなく「頼んでおけばしばらくすると出来上がってくるもの」だと思っていたそうだ。
 他人の注文を請けた「お仕事」としての増改築でなく、あくまで自宅改造の気楽さ、長女の子供である私が生まれる頃には、祖父宅はかなり複雑怪奇な造りになっていた。もともと敷地が小山のふもとの斜面地だったせいか、各部屋で床の高さが違っており、構造が分かりにくかった。母の妹のカレシ(後の私の叔父)は「はじめて来た時は忍者屋敷かと思った」そうだ。
 私の家族は別の家に住んでいたが、私が小学校に入ると身内で「子供部屋」を増築してくれた。ここでも身内的なお気楽増築が行われ、窓のある壁面にそのまま子供部屋を付け、結果として居間と子供部屋が「窓でつながっている」という状態になった。
 もちろん子供部屋の入り口ドアは別に存在したのだが、居間から一旦屋外に迂回しなければドアに到達できないため、私はもっぱら窓から子供部屋へ出入りしていた。居間側には丸椅子、子供部屋側には二段ベッドを配置して、楽に上り下りできるようにした。
(文章ではわかりにくいと思うので、↓図を参照)
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 このような原風景を抱えているせいか、今でも地方の旅館などで、無理な増改築をしてフクザツなことになってしまっている建物に入ると、妙な懐かしさを感じてしまう。
posted by 九郎 at 00:31| 原風景 | 更新情報をチェックする

記憶の底7

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 幼い頃、毎晩怖くて怖くてしかたがなかったことがある。それは眠る時、顔を横にして枕に耳を埋めること・・・
 枕に耳をつけて目を閉じると、ザッザッザッという音が規則正しく聞こえてくる。おそらく耳のあたりの脈拍が、枕のソバガラで増幅された音だったと思うのだが、幼児の私にとっては不可解で無気味きわまりない音だった。真っ暗な寝床で体内音に耳を澄ませていると、頭の中でその音に触発された妄想が湧き起こってきた。

 薄暗い山道を、白い棺桶を担いで進む、数人の黒い影・・・

 私はかなり長い間その謎のイメージに怯え、怖くて中々眠れなかった。枕に耳をつけて眠ると、そのまま自分も棺桶に入れられて山奥に運ばれてしまい、二度と目が覚めなくなるような気がした。

 何がきっかけでそんな突飛な空想を始めたのか記憶は定かではないが、「もしかしたら」と思い当たることもある。
 妄想の中のイメージと直接重なる経験では無いのだが、母方の曾祖母の思い出がそれだ。次回、そのことを書いてみたい。
posted by 九郎 at 23:02| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月24日

記憶の底8

 母方の祖父は大工、祖父宅はフクザツな造りの「忍者屋敷」だった。
 私が幼い頃にはまだ曾祖母、ひいおばあちゃんが存命で、祖父宅から斜面を下った家(これもフクザツな造り)の、奥の方の一室で96才まで寝起きしていた。私が生まれた時には「わたしが抱いたら長生きするで」と言ったそうだ。幼児の私がフクザツな家を探検し、たまたま奥の部屋に入っていくと、ひいおばあちゃんはニィと笑いながら駄菓子をくれたりしたのを覚えている。
 やがてひいおばあちゃんの容態が悪くなった。私は小さかったので現場には連れて行かれなかったが、孫達(つまり私の叔父叔母)は様子を見てきては悲しげに話し合っていた。
「おばあちゃん顔が黄色ぉなって…」
「言葉もファファ何を言うとるかわからんように…」
 傍らで会話を聞いている私の頭の中では、好き勝手な空想が繰り広げられている。想像の中、ひいおばあちゃんの顔の「黄色」は「金色」に置き換えられ、白い布団の中に金色のひいおばあちゃんが横たわり、だんだん言葉も通じなくなる情景が浮んでくる。大人達の言う「仏様になる」という言葉は、そういう意味なのかと一人で勝手に納得していた。

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 当時、私達幼児は仏壇のことを「まんまんちゃん」と呼んでいたのだが、「まんまんちゃん」の金箔や、仏像・仏画の金色から連想したのかもしれない。

 そして私の記憶は唐突に葬儀のシーンに切り替わる…
posted by 九郎 at 23:38| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年01月27日

記憶の底9

 家の周りには大勢の黒い服を着た大人達が集まっている。拡声器で何かガァガァ言っている声が聞こえてくる。
 亡くなったひいおばあちゃんの曾孫、私と弟と従兄弟の三人には、それぞれ色紙で飾り付けられたカサ、ミノ、ツエが持たされている。従兄弟はツエをつきながら、ふざけて老人の真似をしている。私もカサを被って見せながら「ツエの方が面白そうやな」などと考えている…

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 このあたりになると現実と空想の境目がかなり怪しくなってくる。どこまでが本当にあったことなのか分からなくなってくる。何しろ田舎で、わりと近年まで土葬が残っていた土地のことだから、幼児にカサ、ミノ、ツエを持たせるような、何らかの葬送の風習があったのかもしれない。ただ単に幼児らしい思い込みで、他の行事の記憶が混入していたり、空想を現実の記憶として捉えているだけなのかもしれない。
 「記憶の底」で書いてきたことは全般にそうなのだが、おそらく現実か空想かということよりも「このように記憶している」ということが私にとって重要なのだ。夢か現かウソかマコトか分からないけれども、このような原風景を抱えていることが、今の私の趣味嗜好や人格の元になっていると感じる。
posted by 九郎 at 07:47| 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年12月09日

奇妙な記憶1

 ふと幼い頃を思い出す。
 脳裏に蘇る情景の中には、かなり奇妙な代物も存在する。
長らく記憶の表層に上ってこなかったのに、一度思い出してみると「あれは本当にあったことなのか?」と、気になって仕方がなくなってくる。
 そんないくつかの記憶がある。

 幼児の頃、幼稚園への通園風景だ。
 地区の児童を何人か、引率の大人が二人ほどついて、園に送り届けている。
 幼児集団の引率は難しい。一人一人が我侭な王子様、お姫様で、まだ群れの秩序が身に付いていない。「みんなと一緒に歩く」ということがけっこう難しかったりするので、しばしば阿鼻叫喚の修羅場になる。
 そこで、秘密兵器が登場する。
 縄跳びの縄をいくつも編んで、持ち手の部分をたくさん出して作った引率器具だ。
 持ち手の部分に幼児を一人ずつつかまらせて、ちょうど「電車ごっこ」のような雰囲気で引っ張って行くわけだ。うまく子供たちをおだてながら、楽しい雰囲気で騙し騙し園に送り届ける。

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 思い出してみると、なんとも珍妙な風景だ。どこまで本当にあったことなのかは、私自身にも定かではない。
 しかし、川沿いの土手を、ロープで繋がりながらみんなと並んで行進した風景は、夢のように淡く記憶の底に残っている。
 土手から見下ろす稲刈りを終えた田んぼには、ビニールシートが風にパタパタなびいている、そんな細部の情景まで含めて…

 それからはるかに時は流れて、私は自分の記憶の中の「電車ごっこ」の通園とよく似た形式の通園風景を、TV画面の中に発見して「アッ!」と叫ぶことになった。
 それは1997年、ある事件が元で緊張感に包まれた、神戸の街の通園風景の1コマだった。
 奇妙な記憶と不気味な事件の、偶然の一致。
posted by 九郎 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする