幼い頃の奇妙な記憶には、どこか怪異なトーンが混入している。
前回紹介した「電車ごっこ」の通園風景の中、記憶に刻まれた、忘れられない怖い思い出がある。
二、三人の大人に引率された幼児の集団が、川沿いの土手から降りて集落にさしかかる。幼稚園の近くなので、他の通園グループも集まってきている。
園児の弟か妹だろうか、小さな子供を抱いた母親が行列を見送っている。抱かれた子供は「おやつのカール」をしゃぶりながら(まだ噛めない)、お兄さんお姉さんたちの通園風景を熱心に眺めている。
幼児の私を含む「電車ごっこ」の列が、その母子横を通りすぎようとした時、突然悲鳴が上がった。
「ヒキツケ! ヒキツケや! 誰か梅酒持ってきて!」
異様な光景だった。
それまで「おやつのカール」をしゃぶっていた小さな子供が、母親の腕の中で痙攣している。母親は必死の形相で叫んでいる。
どうやら子供が「ヒキツケ」を起こしたので、気付けに梅酒を持ってきてくれと叫んでいるらしい。そのような民間療法があったのだろうか?
幼児の私は恐怖に凍りつき、その光景は記憶の底に焼き付けられる。
私の中で「おやつのカール」と「梅酒」は、「ヒキツケ」の不吉なイメージと結びついた。その後、小学校の高学年ぐらいになるまで、私は「おやつのカール」を食べることをひそかに恐れていた。カールおじさんの登場するほのぼのとしたあのテレビCMも、どこか不気味な思いで眺めていた。
梅酒についてもあまりよい印象はなく、大人になってからも自分から進んで飲む気は起きなかった。しかし、どうやら自分の忌避衝動の源泉が幼時の思い込みにあるらしいことを自覚してからは、特に嫌うこともなくなった。
一つ、大人になったかもしれない(笑)
2006年12月10日
2006年12月16日
奇妙な記憶3
幼児の頃の私は、昼間は主に母方の祖父母の家で過ごしていた。
母方の祖父は大工で、趣味で木彫をよくやっており、祖父母宅の玄関スペースには膨大な作品群が常設展示してあった。仏像や天狗、竜などポピュラーな題材も多かったが、それ以外の独自の作品もあった。
まだまだ自然豊かな地域だったので、祖父はよく外に出かけては、気に入った木材などを拾ってきて、それに細工を施したりしていた。切り出してきた怪しい形状の珍木や木の瘤の類が、祖父の手によって更に得体の知れない妖怪に変身していった。
幼児だった私は、そんな制作現場を眺めるのが好きで、祖父の操るノミが様々な形を削りだしていく様子を、ずっと飽きずに観察していた。
私にとっての祖父は、山に入っては色々な面白いものを持ち帰り、それを自在に操って怪しい妖怪達に改造できる「凄い人」だった。
そして私は、いつか自分も同じことをするのだと心に決めていた。
2006年12月17日
奇妙な記憶4
祖父母宅は、古墳のような小山と、小川の流れに挟まれた小さな村にあった。小山の麓には道が三本、横に平行に通っており、各所で何本か、縦につながっていた。
一番上段の水平移動道の片端、山に向かって右手に祖父母宅があり、反対側の左端には「観音さん」の御堂があった。その御堂から石段をおりると公園があり、山手に登ると村の墓場があった。
小山の麓を流れている小川には欄干のない小さな橋が架かっていて、それを渡ってしばらく田んぼ道を歩くとバス道があった。それを更に超えるとまた川沿いの土手があって、通園に使っていたのはその土手の上の道だった。
そうしたごく狭い範囲が、幼い頃の私の世界だった。
小さな世界ではあったけれども、祖父母宅周辺は十分に田舎で、幼児の遊びのネタが尽きることは無かった。
2006年12月25日
山の向こうへ1
幼児の頃、私は昼間の時間帯を祖父母の家で過ごしていた。当時気になって仕方がなかったのが、祖父母宅の裏に控える、古墳のような小山のことだった。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
ある時期から、そんなことを考えるようになっていた。
山の周囲のことはよく知っていた。いつも遊んでいたし、子供なので大人の通らない「隙間」も通路として利用できた。だからある意味では周囲の大人たち以上に、場所と場所のつながりについて、詳しく知っていたと言える。
しかし小山そのものは、子供が勝手に登ることは禁じられていたので、幼い私の中では巨大な空白地帯として、好奇心を刺激されていた。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
時間の経過とともに、子供の空想は着々と蓄積されていく。祖父の作った木彫りの妖怪たちも、その空想の格好の材料となった。蓄積された空想は噴出口を求めてマグマのようにエネルギーをためこんで行く。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
「山の向こうには何があるのだろう?」
ある日、幼い私は決然として裏山に登り始めたのだった…
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
ある時期から、そんなことを考えるようになっていた。
山の周囲のことはよく知っていた。いつも遊んでいたし、子供なので大人の通らない「隙間」も通路として利用できた。だからある意味では周囲の大人たち以上に、場所と場所のつながりについて、詳しく知っていたと言える。
しかし小山そのものは、子供が勝手に登ることは禁じられていたので、幼い私の中では巨大な空白地帯として、好奇心を刺激されていた。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
時間の経過とともに、子供の空想は着々と蓄積されていく。祖父の作った木彫りの妖怪たちも、その空想の格好の材料となった。蓄積された空想は噴出口を求めてマグマのようにエネルギーをためこんで行く。
「山をどんどん登って行くと、どうなるのだろう?」
「山の向こうには何があるのだろう?」
ある日、幼い私は決然として裏山に登り始めたのだった…
2006年12月26日
山の向こうへ2
祖父母宅のあった地域は、広々とした平野に位置していた。あちこちに溜池や小山が散在しており、幼児の私が登り始めた裏山も、そんな中の一つだった。
岩が多く、樹木はまばらで、植物相はさほど深くない。その裏山も、子供が登れないことは無かったが、幼児であれば安全とは言いがたい。
それでも私は登らなければならなかった。その時をおいて「山の向こう」に辿り着くことはないと確信しきっていた。今となっては自分自身にも意味不明の、幼児特有の頑固さでそう思い定めていた。
家の裏に迫った岩と岩の隙間の、子供の目には道らしく見える所を「ここが入り口か」と勝手に判断して、私は登り始めた。潅木の枝の下をくぐり、草のにおいをかぎながら、どんどん先へと進んでいく。木や草や岩のトンネルを抜ける道行きは、最初は少し怖かったが、すぐに面白さの方が上回った。
登れば登るほどトンネルは延びていくようで、また少し怖くなり、後悔し始めていたが、もはや後には引けない。怖いのと同時に、この状況をドキドキしながら面白がっている自分もいて、とことん進まなければ気がすまなくなっていた。
それからどれぐらい登ったことだろう、時間にして見れば十数分、あるいはほんの数分のことだったかもしれないが、幼児にとっての主観的な時間経過はとてつもなく長かった。
茂みのトンネルを抜け、視界が急に開けてきた。
岩が多く、樹木はまばらで、植物相はさほど深くない。その裏山も、子供が登れないことは無かったが、幼児であれば安全とは言いがたい。
それでも私は登らなければならなかった。その時をおいて「山の向こう」に辿り着くことはないと確信しきっていた。今となっては自分自身にも意味不明の、幼児特有の頑固さでそう思い定めていた。
家の裏に迫った岩と岩の隙間の、子供の目には道らしく見える所を「ここが入り口か」と勝手に判断して、私は登り始めた。潅木の枝の下をくぐり、草のにおいをかぎながら、どんどん先へと進んでいく。木や草や岩のトンネルを抜ける道行きは、最初は少し怖かったが、すぐに面白さの方が上回った。
登れば登るほどトンネルは延びていくようで、また少し怖くなり、後悔し始めていたが、もはや後には引けない。怖いのと同時に、この状況をドキドキしながら面白がっている自分もいて、とことん進まなければ気がすまなくなっていた。
それからどれぐらい登ったことだろう、時間にして見れば十数分、あるいはほんの数分のことだったかもしれないが、幼児にとっての主観的な時間経過はとてつもなく長かった。
茂みのトンネルを抜け、視界が急に開けてきた。