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2006年12月27日

山の向こうへ3

 そこは静かな木立の中だった。
 しんと白っぽく時間が止まり、足元の下草を踏む音が、カサカサと耳に響いてきた。一体ここはどこなのかと、魅入られたようにトコトコと前進する幼児の私。
 自分はついに「山の向こう」へ辿り着いたのか?
 そんな期待とともに歩を進めてみると、意外な風景が目の中に飛び込んできた。
 そこは墓地だった。観音さんの御堂の上にあり、私もよく遊びに行っていた村のお墓だったのだ。

 大人になった今考えてみれば、不思議なことは一つもない。私は祖父母の家から小山の反対側にある墓地まで、山頂を経由して辿り着いたに過ぎない。
 しかし子供心には、それは異様な出来事に感じられた。山はどこまでも続き、見知らぬ世界につながっているはずなのに、まっすぐ登った結果が自分の知っている場所になるのは不思議でならなかった。
 子供なりの理屈では、とても納得のいかない現象に思えたのだ。
 納得はいかなかったけれども、私は自分の身に超常現象が起こったような気がして興奮した。何かこの世の大切な秘密事項の一端に触れたつもりになり、大変満足だった。
 そして自分の「大冒険」を噛み締めながら、観音さんから帰るいつもの道を通って、祖父母宅へ急いだのだった。

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posted by 九郎 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2006年12月28日

山の向こうへ4

 このようにして、私はおそらく人生初の「入峰修行」を経験した。
今から考えるとあぶない話だ。山が小さかったから良かったものの、もし普通の山に勝手に入り込んでいたら、立派な神隠し事件になっていたかもしれない。しかし私は幸運にも無事生還し、それで味をしめてしまった。
 思い定めて山を登るときの酩酊感覚、登りきって新しい展望が開けたときの興奮は忘れがたく、以後の私は登山に関心を持ち続けることになる。
 登山部などに所属し、本格的に学ぶことは無かったが、中高生の頃の学校の裏山から始まり、近場の登山コース、果ては熊野の山々まで、時間を作っては歩き回るようになった。

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 大人になるに従って山の標高や日程はハードなものになっていったが、登る途中の興奮は幼い頃の「小さな冒険」とあまり変わっていないような気がする。
 山の向こうには何がある?
 その空想の答えも、まだ出ていない。

 今回、この「山の向こうへ」の稿を書くにあたって、私は祖父母宅周辺の様子をGoogle Earthの航空写真で確認してみた。あの懐かしい家はもう無いのだが、幼い頃の記憶とそれほど違わない、相変わらずの村の風景があった。
 記憶と違っているのは、昔よりお墓の部分が広がって、茂みが少なくなっている所ぐらいか。


 確かめてみれば、幼児の頃の「冒険」の舞台は、本当に小さな小さな、山と呼べるかどうかもわからない平野の「ふくらみ」に過ぎなかった…
posted by 九郎 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2007年06月09日

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 昔、家の周りは田んぼだらけだった。
 5月6月あたりには田んぼに水が入り、オタマジャクシやカブトエビ、ホウネンエビやタニシ、アメンボやイトトンボ等々、数限りない小さな生き物が田んぼの泥の中から湧き出してきた。
 泥の中に手を突っ込み、ニュルッとした感覚とともに掴み出して広げてみれば、半透明のザリガニの幼生や、名も知らない小さな水生生物がいくらでも居た。

 私は幼い頃から図鑑の類が大好きで、とくに生物の進化を扱った一冊がお気に入りだった。生命の始まりから原生動物、魚類、両生類、爬虫類……と続く奇抜な形の古生物の進化を、図鑑のページを繰りながら自分が追体験していくような感覚が面白くて、飽きずに何度も繰り返し読み耽った。図鑑の扉絵からページを繰り続け、最後に現代の地球に辿り着いたときには、満足感とともに50億年ぐらい一気に時間が流れてしまったような寂しさのようなものを感じていた。

 家の周囲の田んぼの風景は、図鑑で見た「おおむかしの地球」と、どこか重なって見えた。生物の進化の過程が、自分の家の近所の、手の届く小さな空間で繰り返されているような気がした。

 泥に手を突っ込む。
 泥に足を突っ込む。
 時には座り込んでみる。

 そのまま泥に埋もれてしまいたいような衝動を、今でも田んぼの近くを通りかかったとき、感じることがある。
posted by 九郎 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

トンネル抜けて

 縁日草子では、これまで断続的にカテゴリ原風景で、私の幼い頃の奇妙な記憶などを紹介してきた。

 そのうち記憶の底7では、私が幼児の頃に感じていた「枕に耳をつけて横向きに眠ることへの奇妙な恐怖」について書いた。
 最近それに関連して、思い出したことがあるのでメモしておく。

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posted by 九郎 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2008年01月03日

ヌートリア

 今年は子年ということで、ネズミに関する思い出話を一つ。

 ヌートリアと言う動物がいる。
 南米原産、尻尾まで含めると1mぐらいになるげっ歯類。つまり大ネズミだ。似たビジュアルの動物にカピバラもいるが、こちらは尻尾が目立たない。「尻尾の長いのがヌートリア、尻尾の目立たないのがカピバラ」と覚えておけばよい。
 この大ネズミ、日本各地で野生化している。大きな河川などで繁殖していて、山中の温泉につかりに来るニュース映像なども、たまに流れる。

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 なぜこのような大ネズミのお話をカテゴリ「原風景」で書いているのかと言うと、それは私の祖父の思い出に関わってくるからだ。
 大工であった私の祖父のお話は、このカテゴリで何度か書いてきた。祖父はまた、木彫好きであり、珍しい形の木の根っこなどを蒐集する趣味もあった。
 そんな祖父が近所の川沿い散歩していたある日のこと、繁殖していたヌートリアの死骸を見つけてしまったのだ。「怪しいもの好き」の血が騒いだのだろうか、祖父はどうしてもヌートリアの骨が欲しくなってしまったらしい。
 しかし死骸を家に持って帰ることはできない。死んだ大ネズミを持ち帰ったりしたら、祖母がどのような反応を示すか想像に難くなかったのだろう。
 下手をすれば連れ合いの生死にかかわる。

 よって、全ての犯行は、ひそかに河川敷で行われた。
 日々何食わぬ顔で、一人河川敷に散歩に出かけた祖父は、断続的に「ヌートリア白骨化ミッション」を完遂したのだ。
 大きな空き缶を用意した祖父は、まずヌートリアの頭部を煮立てたらしい。
 そしてきれいに肉をこそげ落とし、顎骨の部分を白骨化してから持ち帰った。
 見事なカーブを描く門歯のついた顎骨は、磨き上げられて紐がつけられ、ちょっとしたストラップのように仕立てられた。
 
 祖父の没後、ヌートリアの顎骨は、大工道具の一部とともに、「自作系」「怪しいもの好き」の血を継いだ私の手元にきた。
 その写真をアップしたいのだけれども、今ちょっとどこにしまったかわからない(苦笑)
 見つかったら紹介したい。

【2013年4月5日、遅すぎる追記】
 ヌートリアの顎骨を「見つかったら紹介したい」と書いたまま、すっかり忘れて5年以上放置してしまった。。。
 記事にコメントを頂いたこの機会に、ブツの写真をアップしておきます。

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 下の単三乾電池と大きさ比較してみてください。
 
posted by 九郎 at 17:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする