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2008年01月26日

啖呵の声

 子供の頃、よく母親に連れられて市場に行った。
 最近のスーパーとは違って、一つの建物の中に様々なお店が軒を連ね、店員さんが張りあげる啖呵の声が響き渡る空間だ。
 いくつかのフレーズが今でも頭に残っている。

ヘイラッシャーアァイ、ヘイマイド
ヘイラッシャーアァイ、サアコウテ

サア!コウテコウテコウテコウテ!(拍手とともに)
  リズミカルで耳に残るメロディ。よく真似して遊んだ。
 人ごみでも良く通る声は「塩辛声」と言うのだろうか。ああいう声も、日常的には中々聴けなくなった。

 啖呵の声と言えば、なんと言っても縁日の風景。
 子供の頃住んでいた家のすぐ近くには神社があって、折々の縁日には夜店が出た。
 私は神社の鳥居近くの、斜めに大きく傾いて生えた松の木に登って、夜店の風景を眺めるのが好きだった。
 張り出した枝に腰掛けると、雲の上から下界を眺めているようで気分が盛り上がった。
 裸電球に照らされた赤い暖簾が幻想的で、テキ屋のあんちゃんの啖呵が夢のように響いていた。

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posted by 九郎 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

オモチャの色、ホンモノの色

 ほとんど就学前から、プラモデルを作ってきた。

 最初にハマったのはイマイの「ロボダッチ」シリーズだったと記憶している。
 当時よくTVコマーシャルで「♪人間だったら友達だけど〜、ロボットだからロボダッチ♪」という歌が流れていて、子供達の購買意欲をそそっていた。



 上掲の商品はおそらく復刻されたものだと思うが、私の記憶の中の「ロボダッチ」とほぼ一致している。
 このシリーズはアニメ等のキャラクターを玩具で再現したものではなく、プラモデルだけで展開されたものだったはずだ。
 安い値段のロボット単体のプラモだけでなく、そうしたロボットたちを活動させるための、少し高価な情景モデルまで揃っており、「世界観」を提供する商品展開になっていた。
 各キャラクターの性格付けや物語は、プラモデルの箱の横面や組み立て解説書に断片的に記されているのだが、シリーズを集めて情報が蓄積されてくると、けっこう壮大な作品世界が顕れてくる。
 子供時代の私はプラモデルを集めているのと同時に、実はそうした物語の断片を集めて、より大きな物語が頭の中に出来上がることを喜んでいたはずだ。
 こうした商品の特性は、後のヒット商品「ビックリマン・シール」の、一枚一枚の断片的神話情報をつなぎ合わせると壮大な神話体系が浮かび上がってくる構造にも共通するだろう。

 ここまで書いてふと気付いたが、当ブログ「縁日草子」も、様々な神仏の断片的な物語を図像とともに記録して、そこから立ち上ってくる「より大きな物語」を楽しむという点では、子供の頃ハマっていた玩具のシリーズと同じだ。「三つ子の魂百まで」とはこのことか(笑)

 プラモデルを組み立てていると、子供心にはまるで自分が本当にロボットを作っているように感じられた。「組み立て解説書」のことを「設計図」と読び、熱中していた。
 メカものの模型にとっては「まるでホンモノを組み立てているような感覚」は強い訴求力を持っているらしく、最近よくある大人向けの「週刊〜」のシリーズでもよく使われている売り文句だ。
 「ロボダッチ」は、プラモデルの成型色に2〜3色は使われていて、細かな色分けのためのシールもついていたので、解説書通りに組み立てれば、ほぼ箱絵と同じ仕上がりになった。
 魅力的な箱絵と、微妙に違った色や形になることもあり、それが不満でなんとか同じ色に出来ないかと試してみたが、サインペンやクレパス、水彩絵具ではプラモにうまく着色できないことはすぐに学習した。
 「プラモは買ったままの色で満足するしかない」
 そんな風に思っていた時期がけっこう長く続いた。

 子供の頃の私のプラモ制作の技術が上がって、それまで「はめ込み式」一辺倒だったのが、接着剤を使うものも作れるようになってきた。
 今のプラモデルはかなり精巧なものでも「はめ込み式」が主流になってきているが、当時は模型の箱の中に接着剤の包みが付属していた。平行四辺形の包みの尖った先端を切って部品に接着剤を塗るのだが、切るときに失敗すると、大量の接着剤がこぼれてしまうという、なんとも使いにくい代物だった。

 接着剤付きプラモで最初にハマったのは「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズだった。一番小さいスケールのものが一箱百円だったので、子供のお小遣いでもコレクションしやすかった。



 ちょっと調べてみると、当時の百円シリーズが今でも二百円で入手できることに驚いた(笑)

 その頃、行きつけのプラモ屋さんの一画で、模型用塗料というものが存在することを知った。当時は水性アクリル塗料の出始めた頃で、その種類なら部屋をシンナー臭くせずに使用でき、スポンサーである親の理解も得やすかった。
 一生懸命塗ってもムラだらけ、はみ出しだらけになってしまったが、自分の力で「箱のカッコいい絵と同じ色にできる」という満足感は、何者にもかえがたかった。

 最近、荷物整理をしていてガラモンとともに、ヤマト関連のプラモも発見した。

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 いつ作ったものなのかは憶えていないが、塗装技術から判断すると小学生当時のものではなくて、中高生ぐらいの時に作ったものだろうか。
 箱の全幅15cm、模型の全長10cmの小品ながら、模型そのものの出来が素晴らしいことがわかる。
 「ロボダッチ」は子供の頃の私の意識の中でも完全に「オモチャ」だった。成長とともに私は模型にも「ホンモノっぽさ」を求めるようになっており、その志向と「ヤマト」の模型シリーズはぴたりと一致していたのだ。

 それからほどなく空前の「ガンプラ・ブーム」が始まった。
 様々な関連本が出版され、中でも私が子供心に衝撃を受けたのが模型雑誌ホビージャパンの別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」だった。

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 表紙に大写しになったガンダムの色合いを見て、すぐに「ホンモノの色だ」と思った。それまで赤や青や黄色の原色で塗り分けていた自慢のガンダム模型コレクションが、とたんにちゃちな「オモチャの色」に見えてきた。

 この色使いは一体どうやってるんだろう?
 子供の私はプラモ制作を通して、徐々に色の「彩度」という概念の門をくぐろうとしていたのだった。
posted by 九郎 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

灰色の世界

 今の子供達の娯楽の王様が何になるのか、詳しくは知らない。やはりゲームが王道なのだろうか。
 漫画、アニメ、特撮、ゲーム、全て私の子供時代には出揃っていたのだが、今と昔でランクが大きく変動したのが「プラモ」だろう。

 私と同じくらいの世代の、特に男子の間では、娯楽の王様の位置は「ガンプラ」が占めていたはずだ。「ガンプラ」は言わずと知れた「ガンダムプラモ」の略。当時の男の子連中はこぞって欲しがり、プラモ屋の仕入れ日には早朝から長蛇の列ができ、開店と同時に激しい争奪戦が繰り広げられた。
 子供向けの月刊漫画誌で「コロコロ」を追撃していた「ボンボン」ではプラモ制作をテーマにした「プラモ狂四郎」が連載され、毎号カラー特集でガンプラの作例&技術解説が掲載されていた。

 私はすぐにガンプラに夢中になり、設計図(組立解説書)に従って組み立て、塗料で色を塗り分けた。
 当時のプラモはプラスティックの成型色がせいぜい一色か二色程度しか無かった。「世界で一番売れたプラモデル」として記録に残っている「1/144ガンダム」の場合、組んだだけでは真っ白だった。
 だからどんなに塗りむらだらけ、はみ出しだらけであろうと、とにかく塗った方がはるかにカッコ良くなるので、子供たちはみんな小瓶の塗料を何色も買い込んで悪戦苦闘していた。
 図工が得意だった私は、同世代の中ではごく少数の「ガンダムの顔をはみ出さずに塗り分けられる」内の一人で、けっこう尊敬を集めたりした。

 当時はブームの真っ最中だったので、専用の「ガンダムカラー」なるものまで発売されていた。「ガンダム世代」の中では低年齢層に属する私はシンナーを使用する模型塗料は親から止められていたので、水性塗料を混色して設定の色を再現することに努めていた。
 ほとんどの色は再現できていたのだが、ガンダムのライフルやランドセルに使用される「ミディアムブルー」と言う色が、どうしても作れなくて壁にぶち当たった時期があった。

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 青味がかったグレーであることはわかるのだが、実際に「黒+白+青」で混ぜてみると「ちょっと違う」感じになってしまうのだ。
 限られた小遣いで買い集めた塗料を空費し、途中からはスポンサー(親)から支給される水彩絵具での実験に切り替え、私の試行錯誤は続いた。
 たまたまパレット上の赤が混じってしまった時に似た色ができ、ようやく私はミディアムブルーと言う色を「わずかに紫がかった青味のグレー」と認識できたのだった。

 そうこうしているうちに、当時の私は身のまわりの色を全て「赤・青・黄・黒・白」の五色で分析して観る習慣がついてしまっていた。通常は中学美術で習うはずの色彩の仕組み(色相環・明度・彩度など)のを独自に研究・開発し、世の中の「色の秘密」を理解した気分になって興奮していた。
 分析結果によれば、この世に「絵具のような鮮やかな色」は極めて少なく、ほとんどのものが「灰色の混じった色」であることがわかった。
 灰色を基本としてそれに色彩を混ぜてできる「この世の色」と、オモチャなどの人工物に見られる灰色の割合の少ない鮮やかな色。
 オモチャの色、ホンモノの色という二つの色のカテゴリが、私の中で出来上がっていたのだった。

 そして前回紹介した「HOW TO BUILD GUNDAM」との出会いにより、「オモチャであるプラモにホンモノの色を塗る」という発想に至る事になった。
 こうして少年時代の私は、色を使うことによってオモチャの世界で「現実感」を再現する、二つの別の世界を交錯させることの面白さを知りつつあったのだ。


●「HOW TO BUILD GUNDAM &2復刻版」(ホビージャパン)
 ガンダムの三十周年記念があちこちで盛り上がる中、伝説のガンプラ解説本も復刻されるようです。
 今読むとたぶん物凄く技術レベルが低く見えることでしょう。しかし、新しいジャンルが切り開かれつつある「熱」が、この本には充満しています。この一冊が現代の1/1ガンダム建立の原動力になったことは間違いありません!
 同世代の皆さんはこの際「買い」でしょう!
posted by 九郎 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

盆踊りは巡る

 盆踊りが終盤を迎えている。
 今年は近所で三ヶ所ほど回れた。

 明治時代のとある地方の資料を読むと、当時は村々で少しずつ日程をずらして夏祭りが行われ、夏の間はずっと近隣どこかしらで櫓が囲まれていたという。
 踊り好きの老若男女は夜毎繰り出しては夜を徹して舞い踊り、下ろしたての下駄の歯が日程の一巡する頃には磨り減って無くなっていたという。
 電気が通わず、娯楽の少ない時代の盆踊りは、現代とは比べ物にならないほどの祝祭空間だったのだろう。

 もう十年以上前になるが、そうした昔ながらの盆踊りの雰囲気が残っているのではないかと思わせる風景に出会ったことがある。
 大和や熊野の山々の更に奥、奈良県十津川村の「武蔵」という小さな山村で行われた「大踊り」だ。
 今は使われていない小さな小さな学校校庭の会場、両手に扇を持ち、「廻らない」不思議な踊り。
 昔描いたスケッチに少し着色してアップしておこう。

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 修行と称してよく熊野の山奥を歩き回った私とは言え、本来縁もゆかりも無い土地の盆踊りなのに、なぜか子供の頃のことを懐かしく思い出してしまう、夢のような体験だった。

 私が子供の頃を過ごした地では、小山のふもとの観音堂の石段を降りたところにある公園で、毎年盆踊りが行われていた。
 祖父母の家を出発して暗い夜道を抜け、夜の公園を訪れてみると、昼間の様子とはまったく違う、子供にとっては「異世界」が現れていた。
 高く組まれた櫓を中心に提灯が明るく揺れて、浴衣の人々が太鼓の音に合わせて踊っている。
 子供の私は陶然としながらその風景を眺めている。
 そして踊りの輪の内側に、小さな子供達の一段が楽しげに駆け回っているのをみつけ、たまらなくなって自分もその中に加わる。
 中に一人、少し年齢の高い踊り上手な子がいて、私の目にはとてもカッコよく映った。
 見知らぬその「お兄ちゃん」のあとを追い、手振りを真似ながら時を忘れて踊り、巡った……


 毎年の盆踊りの時、輪の中に小さな子供たちが混じって楽しそうにしているのを見ると、色々な記憶が巡ってくる。
posted by 九郎 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする

2011年10月23日

子供時代の妄想

 ふとした瞬間に、とくに脈絡もなく、子どもの頃考えていたことが蘇ってくることがある。
 中には大人になってから考えるとかなりおかしなものもあるが、子供だった当時はけっこう真剣に考えていたりする。

 小学生の頃、近所の池によく網や釣竿を持って出かけた。
 春から夏にかけては獲物が色々いたので、低学年ころから飽きずに何度となく行った。
 ザリガニなどをすくっていると、よく網の中に↓こんなものが紛れ込んでいた。

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 記憶だけで描いているので実物とは少し違っているかもしれないが、横幅3センチほどの黒くてかたい謎の物体だった。
 よく見ると、池の水面にいくつもプカプカ浮いていた。
 小学生低学年ごろの私は、形状から妄想してこの物体を「蝙蝠の卵」だと思っていた。
 夜になるとこの卵がかえって、空を飛びまわる蝙蝠になるのだと思っていた。
 その証拠に、夕方ごろ以降の池の周りでは、よく蝙蝠を見かけるじゃないか……


 今から考えれば、なんらかの水草の種だったんだろうなと想像はつく。
 試しに何度かネット検索してみれば、さほど労せず正解に辿りつけるだろう。

 ただ、なんとなくお手軽に正解を知ってしまいたくない気分が今はある。
 ン十年前の幼い妄想を、もうしばらく味わっていたいような。
 
posted by 九郎 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 原風景 | 更新情報をチェックする