2006年01月28日

カテゴリ「沖縄」

 少しばかりの縁あって、沖縄には何度か行った。
 出身者でも在住者でも無く、さほどの回数足を運んだわけでも無いが、一時期の私は沖縄のことを深く知る人達と親しく接し、色々な話を聞かせてもらった。だからはじめて訪れた時にも、懐かしい場所に帰ってきたような既視感があった。
 那覇周辺のほんの狭い範囲だったが、憑かれたように歩き回り、隅々を視て廻った。

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 沖縄本島を訪れた旅行者が必ず通る表の顔「国際通り」のお土産屋には、色とりどりの「オキナワ」が陳列されている。それは旅行者の好むオキナワの顔で、もう少し言うと「旅行者が好むだろうと沖縄の人が思っているオキナワ」で、やっぱり当の旅行者にとっても楽しいオキナワだ。
 我々ヤマトンチューから見れば、外人向けにヒノマルとかフジヤマとかサムライとかヨコヅナとかゲイシャガールとかが並べてある店先みたいなものだけれど、それはそれで楽しいし、縁日好きにはたまらない。
 しかし日本好きのガイジンさんが、日本人にとっては何気ない日常の風景を、素朴な視線で再評価してくれるように、ウチナー好きのヤマトンチューから見た沖縄の日常風景の面白さというものも確かにある。 国際通りから路地に入り、少しばかり歩いてみれば、沖縄の人がごく普通だと思っている「不思議の世界」が、すぐそこに広がっている。
 わずかな時間しか留まらないガイジンとしての私は、そこを訪れるたびにあまりの面白さに足の疲れも忘れ、ほっつきまわり、見聞きし、写真を撮り、細々とメモした。
 そんなオキナワの断片集。

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posted by 九郎 at 22:59| 沖縄 | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

公園の片隅

 那覇都心部の表通りから少し入ると、人通りは急に少なくなる。
 所々に公園があって、本土とは違う南国風の大木が何本も生えている。公園の単なる植樹にしては、思わずゾクッとするほど凄みのある樹木がそこここに生えている。本土なら神社の神木クラスのオーラをもった樹木が、ここでは普通に並んでいる。
 少し黄味がかった白色の低い石垣が、植物や水場を包み込んでいる。樹木に近付くために石垣の中に入ってみると、足元にさりげなく小さな看板が立てられている。

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 何らかのモニュメントも祠の類も何も無い、単に樹木が生えているだけの空間。その石垣で囲まれたささやかな区画の看板から、色々とニュアンスが読み取れる。
 まず、これは「拝み」を禁止する看板ではないこと。
 それなりの頻度で「拝み」が行われているらしいこと。
 連絡先は公的機関になっていること。
 私は、ようやくそこが沖縄の人々の祈りの場「御嶽(うたき)」の一つではないかと気付く。もしかしたら元々御嶽だった場所が、近年になって公園整備されただけなのかもしれない。周りの樹木を「神木クラス」と感じたのも当然のこと、実際神木だったのだろう。
 御嶽は元々、周囲の自然以外は「なんにもない祈りの場」だったのだけれど、時代が下った現代では、祠や香炉を備えた所も多い。公園整備でそうした具体的な宗教色は出しにくかったのだろうか、かえって「なんにもない」元の形に戻っている。

 深山幽谷の中の特別な場所ではなく、都市部のどこにでもある普通の公園で、このような風景に出会う。沖縄では当たり前のことなのかもしれないが、ガイジンである私には、たまらなく不思議なことなのだ。
 看板から視線を上げると、その凄みのある樹木「ガジュマル」が、奇怪な姿で生い茂っている…

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posted by 九郎 at 14:01| 沖縄 | 更新情報をチェックする

ガジュマル

 内地の人間には異国情緒たっぷりに映るけれども、ガジュマルは沖縄ではありふれた樹木だ。公園や学校にも普通にあるし、民家の庭先や森の中、神域、墓地など、ようするにどこにでも生えている。
 住宅地の屋根の間からこんもりした緑が見えるとき、それを目印にほんの少し空き地の藪を(ハブに注意しつつ)分け入ってみると、そこには異世界が広がっている。

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 この見事なガジュマルはとくに有名な巨木というわけでは無い。ここで紹介している他のガジュマルもそうだが、沖縄では「その辺にある樹」だ。しかしガイジンの私は、別の感じ方をしてしまう。
 思いがけずガジュマルの大木に出くわした時の静かな驚きをどのように表現したらよいだろうか?
 例えば東南アジアの森の中で、いきなり象に出くわしたら同じように感じるかもしれない。
 例えばエレベーターのドアが開いて、中にいきなりジャイアント馬場が立っていたら、同じように感じるかもしれない。
 なんだかよくわからない表現になってしまうが、そんな感じだ。
 樹木というより「巨大生物」という表現がよく似合う。

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 異様な姿を特徴付けるものに「気根」がある。ガジュマルは四方八方野放図に枝を伸ばすだけでなく、その枝から茶色の毛の房のような気根を下ろす。だらりと垂れ下がった気根は、地面に到達すると年月をかけて太く成長し、それ自体が幹の一部となる。幹からかなり離れて成長した気根のせいで、アーチ状になった樹もよくある。普通、樹は下から上に成長し、私たちはそうした樹の姿を見慣れている。ガジュマルは逆に上から下へ垂れ下がる形状が混入している。異様に見える原因の一つだろう。
 ゆっくりゆっくり、一歩また一歩と、外の世界に歩き出すように、ガジュマルは成長していく。そのように育つので、立地や日照条件により、一本一本の姿は全く違うものになって行く。それは個性と呼ぶほかない。沖縄ではこの樹にキジムナーという妖怪が住むと言われている。赤い髪の子供の姿をした精霊の伝説も、現地でガジュマルに対面してみると、単なる迷信と笑えなくなる。

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 沖縄の亜熱帯の気候は、ガジュマルをはじめ多くの植物をぐんぐん育てる。石垣などの人間の建造物とも合体し、奇々怪々でどこかユーモラスな風景を作っていく…
posted by 九郎 at 18:51| 沖縄 | 更新情報をチェックする

石敢當

 沖縄には石垣がたくさんある。鉄筋コンクリートのビルが林立する都市部ではさすがに少ないが、建物の低い住宅地ではまだまだ残っている。毎年台風が何度も通り過ぎる沖縄では、石垣は家屋を保護する役割があった。琉球石灰岩を一見無造作に積んだような、見るからに頑丈そうな石垣は、沖縄の風景の特徴の一つだ。
 石造りの路地をぶらついていると、壁の所々に不思議な文字が刻んである。

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 「なんだこれ?」と注意してみると、いくらでも見つかる。普通は文字を刻んだ石板だが、プラスチック製など、他の素材のものもある。
 これは石敢當(イシガントゥ)という魔除けの御守りだ。T字路やY字路の突端など、道筋や視線が直接ぶつかる所には、たいてい設置してある。

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 なんでも「魔物は直進する性質がある」からだそうで、気の流れに沿って家屋に直進してくる目に見えない「魔」の力を、無力化する役割があるらしい。おびただしい数の石敢當を観察していると、この御守りがいかに根付いているかがよくわかる。
 とはいえ、沖縄の人はみんなこうした考えを持っているのかというと、もちろんそんなことは無い。迷信嫌いの沖縄人も多いし、古くからの習慣として続けているだけの人が大半だろう。
 しかし私の考えでは、石敢當は何の根拠もない単なる迷信とは言えないと思う。
 敢えて合理的に解釈してみることも出来そうだ。
 石敢當の設置してある場所を観察してみると、いかにも接触事故などが起りそうな所が多い。そうした場所に御守りを付け、常に注意を払う習慣が人々に根付いているならば、未然に防いで来た事故もたくさんあったのではないだろうか?

 私は各土地に根ざした習慣にはそれなりの敬意を払いたい。でも通りがかったY字路のビルの一階に、写真のような名前の居酒屋を見つけると、ネタなのか真面目にやってるのか微妙な感じで、ちょっと対応に困ったりする(笑)

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 ガイジンとしては驚くべきことに、石敢當はキャラクターグッズやお土産品にもなっている。国際通りでは、店先に御守りとして小型のものが並んでいるし、「石敢當Tシャツ」もある。おなじく沖縄の代表的な魔除けキャラであるシーサーと合体して、石敢當シーサーなるものも売っていたりする…
posted by 九郎 at 22:13| 沖縄 | 更新情報をチェックする

2006年01月30日

シーサー

 だいたい2000年前後くらいからだろうか、本土でも沖縄カルチャーの知名度は飛躍的に高まった。私が「沖縄に詳しい人」に親しく接し始めた90年代中頃では、人と話していても「ゴーヤーチャンプルー? それ何語?」という感じだった。最近ではスーパーでも普通にゴーヤーや泡盛が並んでいるし、沖縄の愛すべきキャラクター、シーサーもすっかりメジャーになった。

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 シーサーは本土の狛犬に似ているが、狛犬と違って必ずしも阿吽一対ではなく、単独のものも多い。魔除け、特に火災除けに霊験があるらしく、だから家の屋根の上によく生息している。材質は石、焼物、漆喰など様々で、樹脂製のお土産品も含めて、現代でも新たなデザインに進化を続けている。国際通りに行けば、さほど高くない価格でカッコいいのが手に入る。
 私が気に入っているのは瓦屋根の上に乗っている漆喰製のものと、石像だ。特に石像は、比較的古くて素朴な形、愛嬌たっぷりのブツが、村々に残っている。
 ↓例えばこんなの。

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 前に沖縄に行ったとき、斜面にある墓地の近くを歩いていると、道端に大き目のスイカぐらいの岩が嵌りこんだ様になっていて、つまづきそうになった。危ないなと思いながら岩を眺めて見ると、目鼻のようなくぼみがあり、どことなく顔みたいにも見える。「これ、もしかしてシーサーか?」と周囲を調べてみると、付近に同じような感じの岩が、二つ転がっていた。そのあたりに村の守り神のシーサーがあるということを、事前に知っていたので気がついたが、知らなければ絶対に見逃していただろう。
 少し離れて観察してみると、その可愛らしい守り神たちは斜面の墓地の一番上でデンと頑張っていて、南の方を凛々しくキッと睨みつけていた。

 数年後、懐かしくなってそこを訪れてみると、道端に綺麗に整備された囲いと由来を示す看板が設置してあって、あのシーサー達はその中にちょこんと収められていた。
 価値が再評価されたのはわかるけれども、なんかちょっと犬小屋に入れられているようで、気の毒な感じもした…

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posted by 九郎 at 22:56| 沖縄 | 更新情報をチェックする