2016年02月03日

はぐれ鬼の行く末

 節分の今日、元有名プロ野球選手が覚醒剤の所持で逮捕されたニュースが流れた。
 甲子園球児の頃から大スターで、その素質は誰もが認め、期待する選手だった。
 もちろんプロでも立派な成績を残したが、あまりに高い期待値から比べると少々物足りないままに引退していった、そんな「天才」だった。
 品行方正な優等生ではなく、美味いものを派手に飲み食いし、綺麗な嫁さんをもらって億ションを即金で買い、ヤクザや芸能人とも遊ぶという豪傑タイプだった。
 プロとしてのキャリアはほぼ「平成」であったにもかかわらず、ある意味非常に「昭和」を感じさせるキャラクターで、ちょっと時代がずれている感もあった。
 数年前に刊行された自伝によれば、先祖をたどると鬼の伝承にも行き当たるそうで、代々体には恵まれた血筋だったようだ。
 そんなこんなも含めて、もっと別の時代に生まれていれば、相応しい活躍の場や居場所が見つけられた人ではないかと思うのだ。

 この逮捕に至るまでに、おそらく親しい人々からは何度となく諭されてきたことだろうけれども、体格や素質に比べ、いつまでも幼さの抜けきらない不安定な精神面が災いしたのかもしれない。
 せめてもう少し早く生まれ、覚醒剤御法度を堅持する昔気質のヤクザの親分が健在の内に世に出ていれば、また違った顛末になっていたかもしれない。
 いずれにしろ、この逮捕を機会として薬物とは絶縁し、立ち直ってほしい。

 節分の夜、そんな感想を持った。
posted by 九郎 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 節分 | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

憎むな! 殺すな! 赦しましょう!

 今日は節分。
 季節の変わり目ごとにあれこれ物思うことの多い当ブログ、節分についても開設当初からカテゴリを設け、語り続けてきた。
 これまでにも紹介してきた通り、日本には「鬼」に代表される異物を、完全に殲滅はしない文化がある。
 鬼やモノノケに一旦は門をくぐらせ、適度に暴れさせた後で通り過ぎてもらう形式の行事は数多い。
 対抗措置として何かするとしてもせいぜい豆をまく程度で、むしろ歓待するケースも多くある。
 そんな伝統を反映してか、子供向けのシンプルな勧善懲悪TV番組などでも、あまり殺伐とせず牧歌的な雰囲気の作品の人気は高い。

 すぐに思いつくのは「アンパンマン」だ。
 バイキンマンは毎回アンパンマンにパンチで追い払われるが、決して滅ぼされはしない。
 アンパンマンの役割は乱れた秩序を正すことで、「悪」を滅ぼすことではない。
 そもそもアンパンマンの世界では、おいしい食べ物は全て無償でふるまわれている。
 にも関わらず、奪い取り、必要以上に貪ろうとするからバイキンマンは追い払われるのであって、バイキンマンの存在自体は排除されていないのだ。

 同様の雰囲気を持つ作品で、私が子供の頃好きだったのが「ヤッターマン」だった。
 毎週毎週やられながら、それでも懲りずにイカサマ商売を思いつき、メカを開発するドロンボー三人組は、子供心にとても楽しげに感じられた。
 ボヤッキーは紛れもない天才ではなかっただろうか?
 もし毎週のノルマを免除され、じっくり腰を据えてメカを開発したら、ヤッターマンにボロ勝ちできたんじゃないかと今でも思う。
 しかしそうした地道な努力とは無縁の山っ気が、またドロンボーを魅力的に見せるのだ。
 
 バイキンマンもドロンボーも、美しいけれども退屈な世界の中に、一時のお祭り騒ぎを巻き起こしながら、毎回滅ぼされることなく追い払われる。
 善も悪も、ほど良いところで共存できる形に収めるところに、日本の文化の懐の深さがある。
 悪に見えるものを単純に「根絶」「殲滅」するのはシンプルで分かりやすいけれども、まずは一度立ち止まった方が良い。
 自分を「善」だとか「正義」の位置におくことには、ためらいがあるくらいが良い。

 戦後日本のサブカルチャーの中で、伝統ともつながる懐の深さが感じられる例は、「月光仮面」あたりまでさかのぼれるかもしれない。
 以前投稿した「月光仮面」に関する記事を再録して、今年の節分の夜語りの締めとしよう。

再掲「正義の味方」(2008年04月16日)
 2008年4月6日、川内康範さんがお亡くなりになった。
 その一年ほど「川内康範」という名を聞けば、主にワイドショーなどで森進一と「おふくろさん」の歌詞でもめていた人、というイメージが強かっただろう。
 作詞家として「骨まで愛して」等のヒット曲も手がけているが、私にとっての川内康範さんは、やはり「まんが日本昔ばなし」の作者であり、「レインボーマン」の作者であった。
 記憶に残る番組作りに長けた先生で、あの懐かしい名曲「ぼうや よいこだ ねんなしな……」は、今でも耳にするだけで暖かい気分に浸れるし、「インドの山奥で〜」ではじまる「レインボーマン」の主題歌も鮮烈だった。
 私が幼い頃にTVヒーロー「レインボーマン」を視聴したのは、本放送ではなく、なんどか繰り返された夕方の再放送だったはずだ。
 主題歌は「インドの山奥で 修行をして」の後、このように続く

   ダイバダッタの魂宿し
   空にかけたる虹の夢……

 子供の頃は何の気なしに歌っていたが、ある程度の年齢になって多少仏教の知識が入ってくると、私の頭には「?」が浮かんだ。

 ダイバダッタ?
 ダイバダッタって、あのダイバダッタ?
 
 ダイバダッタと言えば、一般に釈尊の弟子の一人で、破門にされた言わば「悪役」とされている。なぜ主人公はわざわざ悪役に弟子入りしたのだろうか?
 調べてみると、どうやら釈尊の破門を受けたダイバダッタが、二千年以上にわたる贖罪の修行を積んで、戦争を終らせるための超能力を得たという裏設定があったようだ。
 レインボーマンと戦うのは、その名も高き「死ね死ね団」。
 第二次大戦中、日本軍に酷い目にあった外国人が、日本人を滅ぼすために結成した秘密結社であると設定されている。 
 まず、設定が素晴らしすぎるのだ。

 川内康範さんと言えば、政治的にも右派のご意見番として名高く、薬害肝炎問題で福田首相と直談判におよび、解決を促したエピソードで知られる。
 単なる「右翼」の一言で済ませるにはあまりに懐の深い人物であったことは、数々の作品を見れば一目瞭然だ。
 昨今のネット右翼や、ただただアメリカの顔色をうかがうだけの売国保守などとは、スケールが全く違うのである。
 私は絵描きで、「思想」と呼べるほどのものは持たない性分としての左翼であるけれども、このような人物に敬意を払うことには一瞬のためらいもない。

 川内康範さんの実家はお寺で、幼少の頃から仏教には親しんできたと言う。
 幾多の作品の端々に、そうした匂いは表れている。
 代表作「月光仮面」は、薬師三尊の脇仏・月光菩薩に由来するそうだ。「月光仮面」のあまりに有名な主題歌には「正義の味方」という言葉が出てくるが、これも氏の造語。
 この世に完全なる「正義」は神仏以外にあり得ない。
 月光仮面はあくまで人間なのだから、絶対的な正義ではなく「正義の味方」に過ぎない。どこまでも「脇役」でしかない。
 これが氏の「月光仮面」に対する位置づけだったと言う。
 日本におけるヒーローの元祖である「月光仮面」の番組のキャッチコピーは、あまりに平和的なものだった。

「憎むな! 殺すな! 赦しましょう!」

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 川内康範さんについては、以下の本にディープなインタビューが掲載されている。

●「篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝」竹熊健太郎 (河出文庫)
posted by 九郎 at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 節分 | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

これはカテゴリ「節分」案件かも

 ヒアリのことである。
 先月頃からこの外来有毒昆虫が話題にのぼっており、私が住んでいる地域も生息が確認された。
 これから夏休みに入って屋外レジャーの機会が増えそうな時期でもあり、注意喚起されている。
 報道の初期段階から「ああ、これは今まで確認されていなかっただけで、かなり前から入って来てたのだろうな」と思っていたら、その後港町を中心に日本各地で発見され、予想通りの展開になってきた。
 蜂の毒とも似ているらしく、過去に蜂に刺されたことがある人はアレルギーを起こすケースもあるそうで、要注意とのこと。
 ちょっと思い当たるのでギクリとする。
 実は私、小学生の頃、アシナガバチに刺されて全身ジンマシンででこぼこになったことがあるのだ(笑)
 そう言えば同じ頃、2歳下の弟もアリにちんこ噛まれて腫れていたことがあったような……
 おまえも気ぃつけや。

 なんとも恐ろしい感じがするけれども、こういうことはあまり過剰反応しない方が良い。
 ドラッグストアやホームセンターの店先には、ここぞとばかりにアリ駆除剤が平積みされているけれども、ここは一つ冷静に。
 これも既に報道などで解説されているが、ヒアリの最大の天敵は、日本の在来アリであるそうなのだ。
 おそらくかなり以前から日本に入り込んでいたであろうヒアリ。
 その生息域の拡大を、在来アリがこれまで食い止めて来たのではないかとも考えられるのだ。
 報道に煽られ、身の回りのアリの巣を根こそぎ駆除したりすると、かえってその「空白地帯」にヒアリが侵入してしまうこともあり得る。
 
 当ブログで言えば、カテゴリ節分あたりで書いてきたお話の数々に、よく似た構図が見て取れると思う。

 一応ヒアリという有毒生物の知識は得ながら、あまり過剰反応せずに「やり過ごす」のが、今のところはほど良い対応ではないだろうか。
posted by 九郎 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 節分 | 更新情報をチェックする