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2014年06月06日

減量覚書

 一年あまり前から少しずつ減量を続けている。現在、スタート体重から−11s。

 二週間ほど前に酷い胃腸炎をやってしまい、それから三日間、完全に絶食状態だった時には、一気に2sほど体重が落ちてしまったが、これは体調の回復とともに、すぐに戻った。
 胃腸内が完全に空っぽになったことによる体重減なので、普通にものが食べられるようになれば当然戻る。
 絶食期間中は、スポーツドリンクだけで過ごしていた。
 医者にも「しばらく食べずにスポーツドリンクで水分補給を」と言われており、それを実行していた。
 普段なるべく医者には行かないが、一旦受診したら指示はそのまま聞くように心がけている。
 そもそも胃腸がどんよりして食欲自体が湧かないので、スポーツドリンクだけでもとくに空腹に苦しむことはなかった。
 こう言うときは体の声に耳を傾けて、自然に空腹感が出てくるまでは食べないのがベストなのだ。

 体が弱ると味覚が鋭敏になる。
 水道水は塩素系の味がきつく感じて飲めなくなり、それもあってスポーツドリンクばかり飲んでいたのだが、こちらはこちらで物凄く甘く感じた。
 普段はジュース等よりずっと薄味に感じるスポーツドリンクだが、実際にはかなり糖分が含まれている。
 絶食期間中もその糖分がエネルギー源になっていたようで、スポーツドリンクを飲んでいる限りはフラフラになるということはなかった。
 ものを食べていないので油断して歯磨きを怠ると、てきめんに歯がしみてくるのも、そうした糖分のせいだろう。
 スポーツドリンクは、以前は好きでよく飲んでいたのだが、減量の手法として緩めの糖質制限をはじめてからは甘さが気になってあまり飲まなくなっていた。
 胃腸系の病気療養中にはなるほど便利だったが、ダイエットには向かない飲み物だとあらためて思った。
 スポーツの後に飲むと、せっかく消費したエネルギーが速やかに補給されてしまって、肝心の脂肪の燃焼まで届かなくなりそうだ。

 引き続き緩めの糖質制限をやっているのだが、とくに「耐えている」という意識はなく、食習慣として完全に定着した。
 体重の減少はかなり緩やかになってきているので、あと2sほど落ちて高校生の頃の体重になった時点で止まると思う。
 要するに、余分な体脂肪が蓄積される前の状態に戻るということだろう。
 人体のエネルギー消費には優先順位があり、まず食事で摂取された糖が使われ、脂肪が燃焼されるのはその後だ。
 食事内容に糖質が多いと、日常生活では消費しきれないので脂肪に変わる。
 炭水化物を中心にした一般的な食事内容では、かなり激しい運動をしていても摂取した糖が消費しつくされず、脂肪の燃焼まではなかなか届かない。
 ところが摂取カロリーが同じでしっかり量は食べていても、糖質を削減した食事内容であれば、脂肪の燃焼まで届きやすくなるので、激しい運動をしなくても痩せやすくなる。
 これが糖質制限の基本原理で、「我慢が少なく、効果が大きい」と評判になる要因だ。
 ゆっくり期間をとったダイエットであれば、「糖質0」というような極端な食事制限は必要なく、緩め制限で十分効果がある。
 自分で試してみて分かったが、普段のご飯やパン等をごくごく軽めにして、おかずを多目に食べるというだけで、着実に体重は減っていく。
 このくらいの制限であれば、付き合いで飲食したり、家族と同じメニューを食べながらでも、少し気を付ければ無理なく実行可能だ。

 肥満度の指標として一般的なものに、BMI標準体重計算がある。
 身長と体重だけからもっともらしい値を弾き出すものなので、体質の個人差などは全く関係なく、まあ参考程度にとどめるべきだと思うが、一応計算してみる。
 減量前の私は「標準」の上限ぎりぎりいっぱいの25前後だった。
 数字だけみればさほど減量の必要もなかったのだが、体質的には典型的な「かくれ肥満」タイプだったのではないかと思う。
 血筋で言えば、年齢的に糖尿にも気を付けなければならないはずなので、減量はしておくにこしたことはない。
 現在のBMI値は20前後で、一応「痩せぎみ、増量しましょう」という評価になっている。
 これも真に受けないで、痩せすぎにならないよう、カロリーはきちんととりながら、今後も緩めの糖質制限は続けていこうと思っている。
posted by 九郎 at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2014年06月09日

炭水化物帝国

 ここ数ヵ月、糖尿病治療としての糖質制限を提唱している江部康二先生のブログを、巡回先に加えている。
 糖尿という病気を通して人体の仕組みと食の関係を解き明かしてくれる、きわめて知的刺激に満ちたブログで、そこで掲げられている以下の基本法則には、個人的にはもう疑問の余地がないと思っている。

<血糖値を上昇させるのは糖質のみ→糖尿病改善・予防にはカロリー制限より糖質制限>

 この二日ほどの記事がまた面白かった。
 6日の記事には、香川県の小4の1割強、肝機能や脂質異常という報道が紹介されており、7日の記事ではそのお隣の徳島県が、糖尿病の都道府県別ランキングのワーストだったという報道が紹介されている。
 香川県はそのなも高き「うどん県」であり、徳島県は鳴門金時や和三盆糖など甘い物好きで知られている県民性が、糖質過多を生んでいるのではないかという考察がなされている。

 私は四国在住ではないのでその考察の当否については分からないけれども、記事を読んですぐ思ったのは、関西一円、とくに阪神間は炭水化物過剰に間違いないなということだ。


 度々書いてきたが、緩めの糖質制限をやっている。
 私の場合は「糖質0」という糖尿病治療レベルではなく、ダイエットのための緩めのレベルなので、炭水化物も控えめの量なら食べる。
 だから日常生活で完全に食べられないメニューというものは少ないのだが、一度の食事で「ダブル炭水化物」にならないようには気を付けている。
 避けているものを具体的に挙げるなら、「麺類+ご飯」の定食や、「丼+麺類小鉢」のセット、ジャガイモたっぷりのカレーライス、おでんや肉じゃがをおかずにご飯を食べる、ハンバーガーショップでサイドメニューにポテトをつける等だ。
 要するに、一度の食事で二種の炭水化物の食べあわせをしないようにしているのだ。

 麺類にご飯を追加したものは、関東でもラーメンライス等で存在はするのだろうけれども、なんといっても本場は関西だ。
 とくに阪神間では、うどんにおにぎりやいなり寿司を追加するのはごく当たり前だし、ほかにも他所の人の想像を絶する多重炭水化物メニューが多数存在する。
 例えば「関西人はお好み焼きをおかずにご飯を食べる」という事実はけっこう知られてきたが、そんなものはほんの序の口。
 焼きそば+ご飯の定食や、もっと極端に焼きそばとご飯を鉄板の上で一緒に炒めた「そばめし」、焼きそばをお好み焼きで挟み込んだ「モダン焼き」というものもある。
 更に更に驚愕すべきは、モダン焼きにご飯と味噌汁をつけた「モダン定食」なるトリプル炭水化物メニューも、悪い冗談ではなく実在する。
 二十代の頃の私は、小柄でさほど太っていなかったにも関わらずけっこうな大食い、早食いだったのだが、さすがに当時の私でも「モダン定食」を食べたあとは腹がパンパンになって、身動きするのが億劫だった覚えがある(笑)
 まさに関西は「炭水化物帝国」なのである。

 私は地域の食文化それ自体は大切だと思っている。
 香川県のうどんや、関西の粉もん等の炭水化物メニューは、それ単体ではずっと残ってほしい。
 しかし、うどんも粉もんも、その発祥の時代は今よりずっと食料事情が悪かったはずで、乏しい穀類でうまく腹を満たすためのものだったはずだ。
 現状のように炭水化物を二倍三倍とドカ食いするようになったのは、せいぜい戦後数十年のことで、それが結果として多くの人の健康を損ねているならば、何らかの対策は必要になってくるだろう。
 少なくとも、酒やタバコ程度には「摂りすぎに注意しましょう」という提案はあってしかるべきではないだろうか。
posted by 九郎 at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2014年06月18日

ご飯への愛ゆえに、我は糖質制限す

 この一年あまりの減量を通じて得たものの中で一番大きかったことは、食に対する意識の変化、とりわけ炭水化物に対する新しい認識だったのではないかと思う。
 現在日本で推奨されている健康食の内容は、おおよそ「炭水化物を中心にした、カロリー控えめ、低脂質な食事」という風に要約することができるだろう。
 とくに、生活習慣病の代表格である2型糖尿病治療では、スタンダードなのは食事療法と投薬であり、その食事内容として推奨されているのが上記のような「糖質中心」のものになっている。
 ところが、こうした食事内容はきわめて効果が疑わしい。
 そうとうな我慢と無理を重ねて「粗食」に耐え、一生懸命運動に汗をながしても血糖値は大して下がらず、結局投薬だのみになってしまいがちだ。
 減量前の私がまさにそうだったのだが、そもそも食の好みが「炭水化物を中心とした低カロリー低脂質」で、さほど分量も食べていないにも関わらず、体重の微増傾向がずっと長く続いた結果、糖尿病予備軍のようになってしまっている場合も多いのではないかと思う。
 これは、一般に推奨されている「炭水化物中心の食事こそが健康食」という大前提自体に問題があるのではないかと考えるのが、ごく自然な論理の流れになる。

 肥満や成人病の「主犯」は、カロリーや脂質ではなく、糖質なのではないか?
 糖質をとりすぎて病的な状態になったら、その原因に対して制限を行うのがもっとも効果的ではないか?
 まだ病的状態にない場合でも、主食である炭水化物を含めた「糖質」の摂取割合は、もっと低く抑えるべきではないか?

 そのような発想で、投薬になるべく頼らない糖尿病治療や、我慢の少ない減量法としての「糖質制限」が、今話題になっている。
 私自身もこの一年あまり、無理なく可能なごく緩めの制限(糖質1/3〜1/2程度カット)を実践してきて、体重がもっとも重いときより12キロほど減り、二十才前後の状態に戻すことができた。
 やってみれば効果が速やかにあらわれて疑問の余地がないので、今後ますます糖質制限という考え方は広まっていくだろう。


 私は昔から糖質が大好きだった。
 好きな食べ物第一位はおにぎりだったし、ご飯と、それによく合う簡単なおかずがあれば食事に関して満足で、おやつに美味しい和菓子でも少量あれば、もうなんの文句もなかった。
 今でも、そうした食の好みは変わっていない。
 しかし、私も含めてそうした「糖質大好き人間」の中には、かなりの割合で無自覚な糖質摂取が毒になる体質の者がいる。
 別に美食や過食に溺れているわけではなく、一般に言われている「健康食」に近い分量の糖質摂取であっても、成人病やその予備軍になってしまう層が少なからず存在する。
 これは体質の問題であって、当人が性格的に食事に関してだらしないかどうかなどということとは、一切関係がない。
 摂取した糖質を体脂肪として蓄積しやすい体質というのは、例えば江戸時代の農民として生まれたならば、飢餓に強い優れた資質にだったかもしれない。
 しかし残念ながら現代は、人類史上でも空前絶後の「糖質過多時代」である。
 長く続いた飢餓の時代から受け継がれた優れた資質は、裏返って毒となる。
 人は時代や場所を選んで生まれることはできないので、今を生きるには知恵をもたなければならない。

 私は糖質が大好きだからこそ、普段の摂取量を減らしてでも、病気にならずに末永く糖質と付き合う道を選ぶことにした。
 病気になってしまえば、「糖質ゼロ」レベルの制限を行わざるを得ない。
 緩めの制限で間に合ううちにはじめておけば、それだけ我慢が少なくてすむ。
 私にとっての糖質制限は、大好きな炭水化物や甘いものと、これからも無理なく付き合うための手段なのだ。

 

 糖質制限に関心のある人は、まずはドクター江部のブログをのぞいてみよう。
posted by 九郎 at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2014年07月11日

ようきたな まあすわれや

 もう二十年ほど前になってしまうが、学生の頃、学校のトイレに記事タイトルの落書きがあった。
 男子トイレの大便用個室に入ると、ちょうど目の前に書いてあったのだ。

「ようきたな まあすわれや」

 その落書きを見た私は、いつも「ふ〜」とため息をつきながら便座に腰を下ろしていた。

 あれから遥かに時は流れた。
 今日、出先でたまたま入ったトイレの個室で、全く同じ落書きを見つけてしまった。
 記憶は一気によみがえる。
 私も二十年前と全く同じく、「ふ〜」とため息をつきながら、便座に腰を下ろした。
 腰の痛みにちょっと気を使いながら座る姿勢だけが、違っていた……



 久々の記事がこんなネタか。
posted by 九郎 at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2014年07月12日

よみがえれ指先の記憶力

 秋口にちょっと試験を受けなければならなくなった。
 筆記試験なんていったい何年ぶりだろうか?
 けっこうなボリュームのテキスト二冊分を学習して、レポート提出と筆記試験が課されている。
 学習とレポートの分量自体は大したものではない。
 このブログを運営するに当たっては、分量的にも内容的にも、もっともっと歯応えのある読書や作文をこなしてきている。
 ブログ運営のような「積極的な学習意欲」からのものではない「義務的な試験勉強」であるところがネックだが、まあレポート提出はなんとかなるだろう。
 自分でいうのもなんだが、絵描きの中ではちょっとは勉強できる方だ。

 問題は持ち込み不可の筆記試験だ。

 元々、学生時代から暗記物は大の苦手だった。
 記憶力云々以前に、「丸暗記」という行為自体に拒否感があったのだ。
 若い頃ですらそのざまであったので、記憶力の衰えまくった今、筆記試験には不安を感じる。
 長年ワープロやPCを使ってきたせいで、漢字が読めはするが全く書けなくなってきている問題もある。

 勉強するなら時間的に多少余裕のある夏の間しかない。
 だから一念発起して、ノートとシャーペン、ボールペンで手書きの勉強を開始した。
 まずはテキストの目次や、章別の表題、見出し語をそのまま書き写すことから。
 試験当日、もちろん手書きで受験しなければならない。
 論述問題で「他人様が判読できる字で、資料無しで書き上げる」のに備えて、鍛え直さなければならない。

 よみがえれ、指先の記憶力!
posted by 九郎 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする