一年あまりで13キロ近く減量した。
大雑把に言えば、減量前の体重から二割減ということになる。
さらに大雑把にたとえれば、2リットルペットボトル6本以上の体積を、体からはずしたことになる。
イメージとしては、おしりから両腿にかけて1本ずつ、腹回りから3本ほど、その他から合計1本あまりのボトルを、それぞれボコボコ取り外した感じだろうか。
急激に落としたわけではなく、月に1キロほどのペースでじわじわ減量してきたので、体感として何かが劇的に変わったということはない。
変化は非常にスローペースで、普段ずっと顔を合わせている皆さんには、減量していること自体に気づかれなかったくらいだ。
ただ、さすがに気づかされる変化もある。
普段リュックで背負っている荷物が、以前ほどには担げなくなってきたのだ。
こと荷物を担ぐという行為に限って言えば、単純に体重が重い方が有利である。
筋力云々以前に、カウンターウエイトとしての体重があれば、バランスでそれなりに荷物は担げてしまう。
体重を失えばその分、筋力で持たなければならなくなるので、同じ荷重でも重く感じ、疲労する。
たぶん歩く姿勢などを改良すれば、多少軽く担ぐこともできるのだろうけれども、まだ新しい身体バランスをつかみきれていない。
これだけゆったりペースで減量しても、身体バランスの変化に対応できていないのだから、やはりあまり急激な減量はやめておいてよかったと思う。
体調を崩すか、どこかの関節を痛めた可能性が高い。
せいぜい月に1〜2キロくらいの減量ペースが適当なのだろう。
無理して腰痛を悪化させてはいけないので、普段使いのリュックを二回りほど小さくした。
容量で言えば30リットルを17リットルに変更したのだ。
以前のリュックが、普段使いにしてはデカすぎだったということもある。
今にして思えば、体重のおかげで下手に荷物が担げてしまっていたせいで、骨格や筋力の許容量を超えた荷重が、支点である腰に日常的に掛かってしまっていたのだろう。
私の腰痛の根本原因は、どうやらそのあたりにあったのではないか。
普段担ぐ荷物はなるべく減らし、腰を養生しつつ、新しい身体バランスを模索する。
いつかまた、ふらりと遍路の旅に出かける日のために。

2014年07月16日
2014年09月03日
体調管理覚書2014 9月
9月に入った。
このところ、とくに朝晩はめっきり涼しい。
さすがにこのまま秋突入とはいかず、あと何度か暑さが戻ってくると思うが、夜間の冷え込みには要注意だ。
長い付き合いの腰痛と腹痛は、夜油断して冷えてしまったときによく発症することがわかっている。
重症になると、ぎっくり腰や胃腸炎になって、数日間身動きとれなくなる場合もある。
こうしてブログに注意点を書き留めておくことが、予防に有効なのだ。
緩めの糖質制限による減量は一段落。
-13キロで体重減はストップし、1〜2キロ戻ったり減ったりという感じだ。
腹回りに多少脂肪が残っているが、痩せすぎも良くない。
だいたい20才頃の体重なので、このあたりが私の適正体重ということなのかもしれない。
食習慣として定着した緩めの糖質制限と、一日一度は体重計に乗ることは、今後も続ける。
私の場合、遺伝的には糖尿病と脳血管系の疾患に注意が必要なはずで、どちらも糖質制限が予防に有効である可能性が高い。
詳しくは、糖尿病治療が専門の江部康二先生のブログや著作が参考になる。
ドクター江部の糖尿病徒然日記
●「炭水化物の食べすぎで早死にしてはいけません: 生活習慣病を予防&改善する糖質制限食31のポイント」 江部康二
糖質制限については、ここ一年ほどで非常に話題になり、もちろん賛否がある。
私はこれまでにも度々書いてきた通り、「健康法は縁のもの」だと思っている。各自が自分の体質、体調とよく相談しながら、自己責任で「生き方」として選択するものだ。
私の場合、糖質制限は体質に合っていたようで、約一年で10キロあまりの減量に成功し、ついでに長年悩まされてきた花粉症も克服することができた。
自分の体感と、ドクター江部のブログや著作の論理性により、個人的には「糖質制限」という発想に、大筋で誤りはないと判断している。
大器晩成という言葉がある。
私は全く「大器」ではないけれども、「晩成」は目指しているので、体調には一応注意する。
食いたいものを食い、やりたいことをやって太く短く生きるというのにも憧れはあるけれども、とりあえず今生ではぼちぼち行くのだ(笑)
減量が一段落したので、「身体との対話」の次のテーマを探している。
腰痛、肩凝り、腹痛があるので、このかたい体をほぐす方法を探してみようか……
このところ、とくに朝晩はめっきり涼しい。
さすがにこのまま秋突入とはいかず、あと何度か暑さが戻ってくると思うが、夜間の冷え込みには要注意だ。
長い付き合いの腰痛と腹痛は、夜油断して冷えてしまったときによく発症することがわかっている。
重症になると、ぎっくり腰や胃腸炎になって、数日間身動きとれなくなる場合もある。
こうしてブログに注意点を書き留めておくことが、予防に有効なのだ。
緩めの糖質制限による減量は一段落。
-13キロで体重減はストップし、1〜2キロ戻ったり減ったりという感じだ。
腹回りに多少脂肪が残っているが、痩せすぎも良くない。
だいたい20才頃の体重なので、このあたりが私の適正体重ということなのかもしれない。
食習慣として定着した緩めの糖質制限と、一日一度は体重計に乗ることは、今後も続ける。
私の場合、遺伝的には糖尿病と脳血管系の疾患に注意が必要なはずで、どちらも糖質制限が予防に有効である可能性が高い。
詳しくは、糖尿病治療が専門の江部康二先生のブログや著作が参考になる。
ドクター江部の糖尿病徒然日記
●「炭水化物の食べすぎで早死にしてはいけません: 生活習慣病を予防&改善する糖質制限食31のポイント」 江部康二
糖質制限については、ここ一年ほどで非常に話題になり、もちろん賛否がある。
私はこれまでにも度々書いてきた通り、「健康法は縁のもの」だと思っている。各自が自分の体質、体調とよく相談しながら、自己責任で「生き方」として選択するものだ。
私の場合、糖質制限は体質に合っていたようで、約一年で10キロあまりの減量に成功し、ついでに長年悩まされてきた花粉症も克服することができた。
自分の体感と、ドクター江部のブログや著作の論理性により、個人的には「糖質制限」という発想に、大筋で誤りはないと判断している。
大器晩成という言葉がある。
私は全く「大器」ではないけれども、「晩成」は目指しているので、体調には一応注意する。
食いたいものを食い、やりたいことをやって太く短く生きるというのにも憧れはあるけれども、とりあえず今生ではぼちぼち行くのだ(笑)
減量が一段落したので、「身体との対話」の次のテーマを探している。
腰痛、肩凝り、腹痛があるので、このかたい体をほぐす方法を探してみようか……
2014年10月04日
10月の体調管理
季節の変わり目である。
夜冷えやすい時期なので、腰痛に注意。腰を冷やすとぎっくり腰の危険あり。
9月に入ってからのバタバタが一段落しつつある。疲れがたまっているはずなので、胃腸炎にも要注意。
どちらも長い付き合いの持病だが、今年は当たり年で胃腸炎はすでに2回、軽めのぎっくり腰を一回やってしまっている。気を付けなければならない。
体重はー12キロ地点で安定。
どうやらこのあたりが私の適正体重であるらしい。BMI値で言えば、「標準」の上限ギリギリいっぱいの25から、20を切るあたりまで落としたことになる。
摂取した炭水化物を脂肪としてためやすい生来の体質が変わったわけではない。
飢餓には強いが、飽食の時代には毒になる体質なので、引き続き緩めの糖質制限は続けて体重管理。
好きなご飯や甘いものもたまには楽しみながら、普段はなるべく糖質は避ける。
そろそろ筆記試験が近づいてきた。
夏の間にレポート提出は済ませ、こちらは問題なくパス。9月中は忙しかったので試験勉強は一時中断していたが、もう一度「手書き学習」で復習して試験に備えなければならない。
まあ、体調を崩さない程度に「ほどほど」を心がけて。
この「ほどほど」というのが、性格的に難しい。やるなら徹底的に、やらないならノータッチでという方向性で、これまで生きてきたのだ(笑)
夜冷えやすい時期なので、腰痛に注意。腰を冷やすとぎっくり腰の危険あり。
9月に入ってからのバタバタが一段落しつつある。疲れがたまっているはずなので、胃腸炎にも要注意。
どちらも長い付き合いの持病だが、今年は当たり年で胃腸炎はすでに2回、軽めのぎっくり腰を一回やってしまっている。気を付けなければならない。
体重はー12キロ地点で安定。
どうやらこのあたりが私の適正体重であるらしい。BMI値で言えば、「標準」の上限ギリギリいっぱいの25から、20を切るあたりまで落としたことになる。
摂取した炭水化物を脂肪としてためやすい生来の体質が変わったわけではない。
飢餓には強いが、飽食の時代には毒になる体質なので、引き続き緩めの糖質制限は続けて体重管理。
好きなご飯や甘いものもたまには楽しみながら、普段はなるべく糖質は避ける。
そろそろ筆記試験が近づいてきた。
夏の間にレポート提出は済ませ、こちらは問題なくパス。9月中は忙しかったので試験勉強は一時中断していたが、もう一度「手書き学習」で復習して試験に備えなければならない。
まあ、体調を崩さない程度に「ほどほど」を心がけて。
この「ほどほど」というのが、性格的に難しい。やるなら徹底的に、やらないならノータッチでという方向性で、これまで生きてきたのだ(笑)
2014年11月01日
2014年11月の体調管理
秋の進行が早すぎる。もうすぐ冬の雰囲気。
例の秋口の試験、無事合格。
二科目あるうちの一科目は、正直出来が今一つだった。
試験開始とともに問題文に目を通して、想定していた出題とかなり違ったので冷や汗をかいた。
しかし私は元々劣等生出身。「綺麗に解答できなくても、しぶとく部分点を拾い集める」という、誤魔化しの技術には長けているのだ(笑)
論述問題であれば、テーマになった項目に対する暗記事項が足りなくても、関連する一般論を、明らかな間違いは書かずに目一杯記述すれば、0点にはなりにくいものだ。
入試のような「選別のための厳しい試験」ではなかったので、甘めの採点で助けてもらったのかもしれない。
出題傾向が想定とは違っていただけで、試験勉強自体はけっこう真面目にやっていた。
ボリュームのあるテキスト二冊を、一夏かけて手書きで要点の抜粋を行った。
その抜粋を母体にレポート提出をこなし、手書きの感覚を甦らせることで、PCに慣れきって書けなくなっていた漢字を思いだし、長文を書いてもびくともしない手に鍛え直した。
おかげでフィジカル面は全く問題なかった。
ともかく、この半年ほど心に引っ掛かっていた試験が済んで、一安心した。
緊張感が解けたところで要注意なのが、胃腸炎だ。
今後一週間ほどは、睡眠をよくとり、ものはよく噛むことを心がけなくてはならない。
体重はマイナス12キロ地点で安定。緩めの糖質制限で、増えもせず、減りもせず。
ちょっと気づいたのだが、本格的に減量を開始した去年も、夏の終りから秋にかけて、体重が停滞していた。
今年もちょうど同じ感じで来ている。
もしかしたらこの時期、食物の乏しい冬に向けて体脂肪を貯めやすくなる、野性的な仕組みが私の体に残存しているのかもしれない。
例の秋口の試験、無事合格。
二科目あるうちの一科目は、正直出来が今一つだった。
試験開始とともに問題文に目を通して、想定していた出題とかなり違ったので冷や汗をかいた。
しかし私は元々劣等生出身。「綺麗に解答できなくても、しぶとく部分点を拾い集める」という、誤魔化しの技術には長けているのだ(笑)
論述問題であれば、テーマになった項目に対する暗記事項が足りなくても、関連する一般論を、明らかな間違いは書かずに目一杯記述すれば、0点にはなりにくいものだ。
入試のような「選別のための厳しい試験」ではなかったので、甘めの採点で助けてもらったのかもしれない。
出題傾向が想定とは違っていただけで、試験勉強自体はけっこう真面目にやっていた。
ボリュームのあるテキスト二冊を、一夏かけて手書きで要点の抜粋を行った。
その抜粋を母体にレポート提出をこなし、手書きの感覚を甦らせることで、PCに慣れきって書けなくなっていた漢字を思いだし、長文を書いてもびくともしない手に鍛え直した。
おかげでフィジカル面は全く問題なかった。
ともかく、この半年ほど心に引っ掛かっていた試験が済んで、一安心した。
緊張感が解けたところで要注意なのが、胃腸炎だ。
今後一週間ほどは、睡眠をよくとり、ものはよく噛むことを心がけなくてはならない。
体重はマイナス12キロ地点で安定。緩めの糖質制限で、増えもせず、減りもせず。
ちょっと気づいたのだが、本格的に減量を開始した去年も、夏の終りから秋にかけて、体重が停滞していた。
今年もちょうど同じ感じで来ている。
もしかしたらこの時期、食物の乏しい冬に向けて体脂肪を貯めやすくなる、野性的な仕組みが私の体に残存しているのかもしれない。
2014年11月06日
身体は性格
一週間ほど前からノドの風邪を引いている。
少しマシにはなってきたが、なかなか快癒しない。
風邪引き当初、朝起きるとノドがガサガサになって声がでなくなっていた。
毎年冬になると乾燥でよくノドがやられるので、はじめはそのせいかとも思ったが、まだそこまでの季節ではない。
声がでなくなると、てきめんに「戦闘力」が落ちる。
普段から「チビなのに声はデカい」という身体条件を基本に仕事や日常生活をこなしているので、声が出ないとスカウターの数値が半減した感じがする。
ドラゴンボール風に考えるならむしろ、半減した状態が「素」で、気合いをいれて声を出したときだけ瞬間的に戦闘力がアップするということなのかもしれない。
素の状態だと悪者に「戦闘力は、ふん、たったこれだけか。ゴミが!」と判定される。
普段ならそこから不意打ちで戦闘力を上げて反撃するのだが、声が出ないとそれもままならないのでさっさと治さなければ(笑)
別にサイヤ人のように日常的に戦っているわけではないが、小柄で大人しそうな第一印象と、デカい声のギャップが私の「つかみ」なのだ。
声がデカいのは小中高と一応続けていた剣道のおかげだ。
今の私は基本的に軟弱な絵描きに過ぎないが、剣道で貯めたフィジカルの「貯金」がいくらかは残っていて、声もそのうちの一つ。
中高生の頃、対外試合などで、こちらがチビで大人しそうだと相手が侮っている雰囲気を感じると、逆に「しめた!」と思ったものだ。
試合開始とともに、腹の底からの気合いをかけて体当たりをぶちかまし、相手が意表を突かれて体勢を崩したところを、軽量級のスピードでたたみかけるのが私の唯一の勝ちパターンだった。
体格や地力では真面目に活動している他校の選手にはとても敵わないので、こういう奇襲戦法をとるしかなかったのだが、けっこう勝ちを拾うことはできた。
進学校の弱小剣道部の中で、団体戦で全敗を避けるための、一応勝てる可能性のあるメンバーの一人には数えてもらっていた。
考えてみると今使っている「つかみ」の手法も、当時の奇襲戦法と似たようなものだ。
剣道という競技は、竹刀という武具を介在させることで、体格差や体力差がわりと埋めやすい。
現代剣道は完全にスポーツ化されているが、スポーツ格闘技の中では珍しく「体重無差別」が実質的に機能していて、武術的要素も残っている。
私の使っていた奇襲戦法などはごく初歩的なごまかしの技術に過ぎないけれども、剣道愛好家の中には本当に強い「小さな達人」が数多く存在する。
私が教えを受けた先生方の中にもそうした「本物」がいて、今も鮮明に記憶に残っている。
小学生の頃通っていた教室に、当時七段(後に八段に昇進なさったようだ)の先生がいた。
小柄だったがダイナミックな動きの本格派で、私のように体の小さい児童が負けん気を出しているのを見ると、実に嬉しそうにあれこれ教えてくれた。
体当たりを最初に伝授してくれたのも、確かその先生だったと思う。
体重に加速をプラスし、相手を吹っ飛ばす見事な技を実演してくれて、その「見取り稽古」があったおかげで、私もいくらか使える体当たりを身に付けることができた。
もう一人、中高生の頃部活で教わった先生は、まさに物語の中に出てくるような「達人」だった。
当時もうおじいちゃんだったのだが、小柄で細身なのに物凄く強かった。
段位は八段で、私より大きく強かった先輩方も、まるで子供扱いだった。
歳が歳なので中高生のように激しく動き回ったりはしないのだが、好きなように攻めさせては、巧みに隙を見つけてポンポンと打ち込んでくる。
こちらの竹刀はすべて受け流され、打突部位にかすりもしない。
先生はその場からほとんど動いていないのに、散々動かされ振り回されて疲労困憊してしまう。
中高生の間で、私はたった一度だけ、その先生の籠手にきれいに打ち込めたことがあった。
ほんのまぐれだったのだが、その一本がどうやら触れてはいけない「本気スイッチ」を押してしまったようで、それまでゆったりしていた先生の動きが突然三倍くらいにスピードアップし、私は一瞬でボコボコに打ち倒されてしまった。
私も含め、小柄な人間はこういう負けず嫌いで大人げない一面を持っていることが多い(笑)
しかし、たとえ一瞬でも達人の「本気」を引き出せたことは、あまり真面目とは言えなかった私の剣道歴の中で、誇らしい思い出として記憶に残っている。
こうして思い返してみると、生まれつきのフィジカルや、それを土台に身に付けた技術が、性格や対人関係の作法にも強い影響を及ぼしている気がする。
心と身体はよく分けて論じられるけれども、私の体感では「身体は性格」と表現するのが適当なのだ。
少しマシにはなってきたが、なかなか快癒しない。
風邪引き当初、朝起きるとノドがガサガサになって声がでなくなっていた。
毎年冬になると乾燥でよくノドがやられるので、はじめはそのせいかとも思ったが、まだそこまでの季節ではない。
声がでなくなると、てきめんに「戦闘力」が落ちる。
普段から「チビなのに声はデカい」という身体条件を基本に仕事や日常生活をこなしているので、声が出ないとスカウターの数値が半減した感じがする。
ドラゴンボール風に考えるならむしろ、半減した状態が「素」で、気合いをいれて声を出したときだけ瞬間的に戦闘力がアップするということなのかもしれない。
素の状態だと悪者に「戦闘力は、ふん、たったこれだけか。ゴミが!」と判定される。
普段ならそこから不意打ちで戦闘力を上げて反撃するのだが、声が出ないとそれもままならないのでさっさと治さなければ(笑)
別にサイヤ人のように日常的に戦っているわけではないが、小柄で大人しそうな第一印象と、デカい声のギャップが私の「つかみ」なのだ。
声がデカいのは小中高と一応続けていた剣道のおかげだ。
今の私は基本的に軟弱な絵描きに過ぎないが、剣道で貯めたフィジカルの「貯金」がいくらかは残っていて、声もそのうちの一つ。
中高生の頃、対外試合などで、こちらがチビで大人しそうだと相手が侮っている雰囲気を感じると、逆に「しめた!」と思ったものだ。
試合開始とともに、腹の底からの気合いをかけて体当たりをぶちかまし、相手が意表を突かれて体勢を崩したところを、軽量級のスピードでたたみかけるのが私の唯一の勝ちパターンだった。
体格や地力では真面目に活動している他校の選手にはとても敵わないので、こういう奇襲戦法をとるしかなかったのだが、けっこう勝ちを拾うことはできた。
進学校の弱小剣道部の中で、団体戦で全敗を避けるための、一応勝てる可能性のあるメンバーの一人には数えてもらっていた。
考えてみると今使っている「つかみ」の手法も、当時の奇襲戦法と似たようなものだ。
剣道という競技は、竹刀という武具を介在させることで、体格差や体力差がわりと埋めやすい。
現代剣道は完全にスポーツ化されているが、スポーツ格闘技の中では珍しく「体重無差別」が実質的に機能していて、武術的要素も残っている。
私の使っていた奇襲戦法などはごく初歩的なごまかしの技術に過ぎないけれども、剣道愛好家の中には本当に強い「小さな達人」が数多く存在する。
私が教えを受けた先生方の中にもそうした「本物」がいて、今も鮮明に記憶に残っている。
小学生の頃通っていた教室に、当時七段(後に八段に昇進なさったようだ)の先生がいた。
小柄だったがダイナミックな動きの本格派で、私のように体の小さい児童が負けん気を出しているのを見ると、実に嬉しそうにあれこれ教えてくれた。
体当たりを最初に伝授してくれたのも、確かその先生だったと思う。
体重に加速をプラスし、相手を吹っ飛ばす見事な技を実演してくれて、その「見取り稽古」があったおかげで、私もいくらか使える体当たりを身に付けることができた。
もう一人、中高生の頃部活で教わった先生は、まさに物語の中に出てくるような「達人」だった。
当時もうおじいちゃんだったのだが、小柄で細身なのに物凄く強かった。
段位は八段で、私より大きく強かった先輩方も、まるで子供扱いだった。
歳が歳なので中高生のように激しく動き回ったりはしないのだが、好きなように攻めさせては、巧みに隙を見つけてポンポンと打ち込んでくる。
こちらの竹刀はすべて受け流され、打突部位にかすりもしない。
先生はその場からほとんど動いていないのに、散々動かされ振り回されて疲労困憊してしまう。
中高生の間で、私はたった一度だけ、その先生の籠手にきれいに打ち込めたことがあった。
ほんのまぐれだったのだが、その一本がどうやら触れてはいけない「本気スイッチ」を押してしまったようで、それまでゆったりしていた先生の動きが突然三倍くらいにスピードアップし、私は一瞬でボコボコに打ち倒されてしまった。
私も含め、小柄な人間はこういう負けず嫌いで大人げない一面を持っていることが多い(笑)
しかし、たとえ一瞬でも達人の「本気」を引き出せたことは、あまり真面目とは言えなかった私の剣道歴の中で、誇らしい思い出として記憶に残っている。
こうして思い返してみると、生まれつきのフィジカルや、それを土台に身に付けた技術が、性格や対人関係の作法にも強い影響を及ぼしている気がする。
心と身体はよく分けて論じられるけれども、私の体感では「身体は性格」と表現するのが適当なのだ。