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2014年11月08日

思想は性分

 スポーツでどんな競技を好むかは、けっこう性格で分かれる。
 球技などのチームスポーツを好むのは協調性がある人が多いし、個人が基本の競技を好む人はやっぱり一匹狼タイプが多い気がする。
 格闘技の場合は、とくに観るだけでなく自分でもやってみようという時点で、闘争心が強く、個人主義の傾向があることは間違いない。
 そんな中でも、柔道やレスリングなどの組み技系を選ぶか、ボクシングや空手、剣道などの打撃系を選ぶかで、ちょっと気質が分かれてくる。
 組み技系を選ぶ方が、比較的温厚で人の話を聞ける場合が多く、打撃系を選ぶ人は完全に自他の間に一線を引いて、それ以上は接近もしないし、接近させもしないという傾向がある。
 剣道出身者である私も、確かにそういう性分だ。
 このように書くと、知らない人には打撃系格闘技を学ぶ人が、社会不適応の荒くれ者集団に思われてしまいそうだが、もちろんそんなことはない。
 道場や部活は上下間系の厳しい体育会系ノリの縦社会なので、そこに属する限りは一匹狼なりに集団と折り合いをつける能力は培われる。
 やんちゃ者でも道場でもまれてある程度の技量を身に付ければ、普通はそれを外で使おうという気は起こらなくなるものだ。
 格闘技術を学ぶことで闘争心を飼い慣らし、社会と折り合いをつける効果は確かにある。
 そう言えば先年、学校教育で「武道必修化」があった。
 現代のスポーツ競技としての柔道や剣道に、どれほど日本の武道の伝統や思想が反映されているかは甚だ疑問だが、投げたり投げられたり、叩いたり叩かれたりする経験に乏しい現代っ子には、人間の身体が「痛み」をどのように感じるかを知る、よい機会にはなるだろう。
(ただ、短期間の講習を受けただけの素人のような指導員が、けっこう怪我の多い柔道のような競技を本当に教えられるのかという問題はある)

 元々の性格が競技を選ばせるのか、競技の特性が性格を育てるのか、玉子が先か鶏が先かは難しいところだが、もう少し拡張してみると「主義主張」「思想」「政治的立場」なども、実は大層な理由ではなく単なる性格・性分で選んでいる場合が多々あると思う。
 例えば私は心情左翼を自認しているけれども、これは完全に性分によるものだ。
 そもそも組織など大嫌いなので、特定の党派には何の思い入れもない。
 幼い頃から生涯「小柄」で通してきたので、とにかく「なりのデカい奴が態度までデカい」というのが大嫌いだった。
 だから長じても「多数派である」とか「経済的に優位である」とか「軍事力で圧倒している」とかいう勢力には本能的な反発を覚える。
 それは理非曲直を超えた、脊髄反射的な反応である。
 自分で実行するのはなかなか難しいけれども「弱きをたすけ、強きをくじく」という心意気には憧れをもつし、反骨心をベースにした表現者には共感することが多い。
 私に限らず、これはもう左右にも関わらず、実は性分で立ち位置を選んでいるという人が大多数ではないだろうか。
 だからこそ「論理」や「根拠」というものが大切になってくる。
 思想がほぼ性分とイコールであるならば、そこはもう変えようがない。
 その暴走や誤りは、醒めた知性を磨くことでしかチェックできない。
 対話の道は、「思想なんてしょせんは性分」と、それぞれに自覚するしかないのだ。
posted by 九郎 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2014年11月22日

「いじめ」は本能

 いじめや差別、ヘイトスピーチなどが話題にのぼることが多くなった。
 こうした「異物排除」を基調とする行為は、ある意味で人間の本能に根差しているのではないかと思う。
 人間だけでなく、群れをつくる生物の世界でも(あくまで人間から見て)いじめや差別であるかのように映る行為は、よく見られる。
 身近な例では、メダカや金魚などの小魚を水槽の中で多数飼っていると、とくに小さな個体や弱い個体、特徴のある個体が、仲間からつつき回されて死んでしまうのを目撃したことがある人は多いだろう。
 また、自然や野生生物を紹介するTV番組でも、似た例を目にする機会は多い。
 群れを外敵から防衛するため、あるいは群れの内部の均衡を保つため、こうした行為は起こる。
 同様に、人間にも原始的な「本能」や「感情」として、いじめや差別を起こす仕組みが身体に組み込まれているのだろう。
 外敵や飢餓と常に隣り合わせであった原始社会では、こうした「異物排除」にもそれなりの必要性があったかもしれない。
 しかし、日常生活から一応そうした物理的な危険が遠ざけられた文明社会においては、いじめや差別が正当化される合理的な理由は存在しない。
 いじめや差別は、おそらく「本能」とか「感情」に根差しているので、それを根絶することは難しい。
 誰しも簡単なきっかけで加害者にまわるし、巡り合わせで被害者にもなる。
 もっともらしい理由は後付けでいくらでもつくが、本当は大した理由などなく、単に些細な差異が目につき、本能が刺激されたというだけにすぎない。
 異物排除の本能は、近似した個体が狭い空間に多数収容されたときによく発現する。
 学校の教室などはその好例だし、もっと言えば日本の社会がそうした傾向を持ちやすい。
 本能に根差した感情を発生段階から抑え込むことは不可能だが、自分の心にふと湧き出たいじめや差別を、理性で分析し、制御することはできるはずだ。
 学校教育の現場でもいじめに対する取り組みは本格化しつつあるが、いじめや差別を単純に「あってはならないもの」としてしまうと無理が生じるのではないだろうか。
 
 歴史的に見ると、こうした本能を統治する側が上手く利用したのが身分制や排外主義ではないかと思える。
 自分の身体の中にどうしようもなく存在する「本能」を、醒めた目で見つめる技術が、今求められている。
posted by 九郎 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2014年11月27日

固い身体を柔らかく 序章

 吸盤を買った。
 トイレのではない。
 健康グッズである。



 肩、腰、背中などの凝っている部分に貼って吸引し、血行を良くして凝りをほぐす効果がある(とされている)。
 整体治療で行われている吸引の簡易版で、「吸い玉」と呼ばれているものだ。
 5年ぐらい前まで、同じようなグッズを愛用していた。
 近所のスーパーのワゴンセールで二個セットのものを購入し、「揉む」「押す」などの圧迫刺激を基本としたマッサージとは別種の快感にハマっていたのだが、樹脂製なのでさほど耐久性がなく、確か2年ほどで破損してしまってそれきりになっていた。
 
 工作好きの絵描きなので、普段からどうしても細かな作業が多くなる。
 近年はPC操作に費やす時間も増えている。
 歩くことは大好きだがスポーツにはなんの興味もないので、体が固くなりがちで、昔から肩凝りにはよくなっていた。
 三十過ぎてからは腰痛も加わり、マッサージチェアなどを出先で見かけると、とりあえず座る習性を持つに至った。

 工作好きの絵描きなので、人体の構造、とくに骨格や筋肉の付き方には詳しい。
 自分で言うのもなんだが、手先が器用で鋭敏なので、素人ながら指圧マッサージには自信がある。
 自分の体でも手の届く範囲、腕や下肢などはよくマッサージしている。
 しかし、どうしても届かない箇所も多い。
 できることなら2時間くらいかけて、じっくり自分で自分の背中を揉みほぐしてみたい=されてみたいのだが、こればかりは永遠に叶わぬ夢である。
 
 今回購入した吸い玉は、大小6個組を2セットで全12個!
 2個だけでもあれだけの快感があったのだから、背中の全面に並べて貼ってを一気に吸引したら、一体どのようなめくるめく世界が広がるのだろうか?
 熱い期待とともにamazonの配送を待った。

 数日後、届いた包みを解いてみてギョッとした。
 色をよく確かめずに注文したので、よりによって「青」が届いてしまったのだ(笑)
 よくみるとamazonのリンク先には確かに「ブルー」と表記してある。

 ほんなら写真も青にしとけやコラ!

 。。。まあしかし、機能に変わりがあるわけではないと気を取り直し、とりあえず全部貼ってみる。

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 。。。俺、今、恐竜?
 。。。もしくは怒りに我を忘れる前の王蟲?

 見た目の異様さはともかく、そこにはやはり「めくるめく世界」があった!
 凝った背中があっちからもこっちからもぎゅんぎゅん吸われる!
 ためしに腕を回してみると、吸われ具合がぐるぐる変化する!
 これは効く!

 まだ未経験の皆さんには是非とも一度味わっていただきたいのだが、この健康グッズ、要注意な点が一つある。
 凝っていれば凝っているほど、血行が悪ければ悪いほど、吸引した箇所が赤黒く変色して痣のようになるのだ。
 要するに円形の巨大キスマークがあちこちに出現すると思ってもらえばよい。
 数年ぶりに吸引された私の背中、それはもう酷い状態になった。

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 いけない! 怒りで我を忘れている!

 さらに、私の場合は連日連夜の使用で新旧の痣が重なりまくり、背中一面百花繚乱。
 それはまるで、

 ジンメンの甲羅、悲しみのデスマスク(永井豪先生に捧ぐ)
 
 あるいは、

 蔵六の奇病(日野日出志先生に捧ぐ)

 もしくは、


 七色の人面瘡(人間椅子に捧ぐ)



 。。。。。。。。。。。。。。。


 はじめて見るとかなりショッキングな光景だが、心配ご無用!
 一週間もすれば痣は消えるし、連続使用で凝りがほぐれ、血行が良くなってくると、吸引しても変色しなくなってくるのだ。
 まあ旅行や健康診断、スポーツなど、人前で服を脱ぐ予定がある場合、その一週間くらい前からは使わない方が無難だろう。

 糖質制限による減量が一段落し、「身体との対話」の次のテーマとして「固い身体を柔らかく」ということを考えていたのだが、この度その華々しい(?)第一歩である。
posted by 九郎 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2014年11月29日

どないもこないも

 仕事場で細かい作業をしているとき、声をかけられた。
「九郎さん(仮名)、今日は眼鏡かけてどないしたんですか?」
 私は答える。
「どないもこないも老眼鏡デビューですわ!」

 弱視だったので幼児の頃から中学生にかけて、ずっと眼鏡をかけていた。
 訓練の甲斐もあって徐々に回復し、中二ぐらいで眼鏡をはずした。
 左右の視力のアンバランスは残しつつも、高校生の頃には裸眼で右1.5、左2.0ほどになり、むしろ眼はよく見える方になった。
 高校以降の知り合いにとって、私に対して全く「眼鏡をかける」というイメージは持っていなかったはずなので、冒頭で書いたようなシーンが出てくることになる。

 元は遠視だったこともあり、老眼になるのは早いだろうと、ずっと言われてきた。
 ここ数年、そろそろその兆候があらわれてきていた。
 文字の小さい昔の文庫本が読みにくくなった。
 漫画の文庫本も、ちょっと購入を躊躇うようになった。
 イラスト系の作業はもうほとんどCGに移行しているので不自由は感じなかったが、以前やっていたアナログのイラストパースやラフな図面作業は、もうしんどいだろうなと思うようになった。
 まだアナログで続けている切り絵やステンシルの切り抜きをするとき、焦点が合いづらくなったので、作業用のヘッドルーペを購入した。



 確かによく見えるのだが、装着するのがけっこう大層で、無精者にとってはちょっと扱いが面倒に感じていた。

 ついこの間、ふと気づいた。
「あ、そうか。老眼鏡かければええんや!」

 人生の中で既に眼鏡をかけていない年月の方が長くなっていたが、元々私は弱視児童出身である。
 元いた場所に戻るだけなので、眼鏡をかけることにはなんの抵抗もない。
 まずは100均で一番軽度の1.0度数をお試し購入。
 しばらく読書やkindle操作、細工をやるときにかけてみる。
 中々良い。
 楽にピントを合わせられるので、ある程度の時間作業を続けても、目が疲れない。 
 前に購入していたヘッドルーペより装着にも持ち運びにも便利だ。
 蔵書の文庫本が疲れず読めるのが一番ありがたい。

 こうなると、間に合わせの100均眼鏡ではなく、もう少しましなものが欲しくなった。
 そう言えば本屋のレジ近くに、読書用の眼鏡が置いてあったっけと、近場の数店をめぐって気に入ったデザインのものを買った。
 老眼鏡とは言わず、「リーディンググラス」とか「シニアグラス」という名前で売っていることも知った。
 
 別にええやん。
 カッコつけんでも老眼鏡で。。。

 度数と対象年齢層の表を見ると、とくに私の目の弱り具合が「早い」ということもないらしいことも知った。
 まあ、普通。
 さんざん目を酷使してきたわりには、けっこう今でも見えてる方だ。

 予定している「大器(?)晩成」のためにも、なるべく長く視力が残るよう、せいぜい気を付けていこうと思う。

 

 最近の平日の昼食は、糖質制限対応で、スーパーの弁当コーナーではなくお総菜コーナーで選んでいる。
 炭水化物を避けて二品ほど選び、仕事場の準備室で即席の味噌汁をつければかなり満足できる。
 好きでよく食べているのが焼き鳥の肝。
 ちょっと苦い肉を噛みながら、ふと思い出す。
 そう言えば子供の頃、目に良いからとよく母親が肝を買ってきていた。
posted by 九郎 at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする

2015年02月07日

体調管理で春を待つ

 立春を過ぎ、ほんの少しだけ日向が温かく感じられるようになった。
 早い梅にはポツポツとつぼみがふくらんでいる。

 でもまだ寒い。
 仕事場がまた、クソ寒い。

 出勤すると室温が5度くらいで、ろくな暖房もなく、ほぼ「屋外」だ。
 一応申し訳程度に灯油ストーブが置いてあるが、前世紀の遺物の感は免れない。
 ストーブの周囲数十センチしかあたたまらず、お湯が沸かせることが唯一の長所だ。

 仕事場は5階にあり、当然のごとくエレベーターなどないので、冬の間に何度か灯油タンクを持って上がらなければならない。
 タンクは満タンで20キロ弱。
 持てない重さではないが、この灯油タンクという代物は、片手で持ち上げるしかない形状をしている。
 ただでさえ腰痛持ち、おまけに10キロ以上減量したせいで、以前より重量物が担げなくなっている。
 担げない20キロを5階まで運ぶのはけっこうキツい。
 腰が冷えやすい季節、厳冬の仕事場、柔弱な絵描きには過重な肉体労働とくれば、ぎっくり腰に要注意である。
 直近では、去年の4月頭に軽くやってしまった。
 なるべく風呂にはゆっくり入り、寝る前のストレッチやマッサージを心がける。
 最近、昔参考資料として確保しておいたハタ・ヨーガの本を引っ張り出してきて、初歩の初歩から試し始めている。



 どこへ向かう、俺(笑)

 そろそろ私の「花粉センサー」が、微細な反応を示し始めている。
 去年は、減量のために実践した緩めの糖質制限が効を奏し、花粉症の症状が大幅に緩和された。
 目の痒みなどの症状があらわれてはいるのだが、日常生活に支障ない程度に収まって、「克服」と表現しても良いレベルだったのだ。
 今年大丈夫なら、(あくまで私個人の体質に対してではあるが)糖質制限が花粉症にも有効であることが実証されると思う。

 相変わらず緩めの等質制限は続けており、体重管理は順調である。
 さすがに正月はメニューの関係で糖質制限がやりにくく、2キロほど正月太りしてしまったが、1月中に1キロ減らしてなんとか持ち直した。
 冬はやはり摂取した糖質が体脂肪として蓄積されやすいらしい。
 野性動物であれば、食物に乏しい季節を乗り切るために望ましい体の仕組みだが、食い物に不自由無い現代ニッポンでは、それが裏返って毒となる。
 去年の経験では、これから春先にかけては蓄積した体脂肪が活用されやすくなる時期に入る(これも野性動物であれば当然の体の仕組み)ので、体重に関して言えば割りと楽観している。
posted by 九郎 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体との対話 | 更新情報をチェックする