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2006年09月27日

友ヶ島見聞録3

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 キャンプ場から三十分ほど軽い登山をすると、友ヶ島最高峰のタカノス山展望台に到着する。紀淡海峡の風景が広く展望できるので、地理条件の把握にぴったりだ。
 とくに早朝の展望は素晴らしく、国生み神話のイメージが豊かに広がってくる。

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 展望台のすぐ下には、友ヶ島最大の観光スポット・第三砲台跡がある。
 普通に旅行で訪れるなら、ここが一番の見所になるだろう。
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2006年09月28日

友ヶ島見聞録4

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 島中央部南側の南垂水公園にもキャンプ場がある。蛇ヶ池のほとりの池尻公園キャンプ場よりもはるかに面積が広く、ポンプ式の水場も多い。こちらも芝生が美しく、屋根付ベンチやキャンプファイアー用のサークルもある。売店のある野奈浦まで徒歩で約五分かかることだけがやや難だが、そもそもキャンプ場がそんなに便利である必要もない。

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 ここには友ヶ島不動も祀られていて、後述予定の葛城修験の拝所になっている。

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posted by 九郎 at 00:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 友ヶ島 | 更新情報をチェックする

2006年09月29日

友ヶ島見聞録5

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 南垂水公園には不動尊が祀られている。葛城の修験者はここに参拝後、葛城二十八宿の第一宿、虎島の序品窟へと向かう。私もそれにならって出発する。
 島東北部には、観光向きの見所は少ない。登ってすぐに第四砲台跡へと向かう分かれ道があるが、この第四砲台跡はほとんど保守されておらず、また第三砲台跡とも似た構造なので、個人的にはお勧めしない。
 観光施設等がない分、島の自然を生で感じることが出来るのは確かだ。
 山道をしばらく歩くと、左手にあたる北側の木々の間から神島が見えてくる。波間にギザギザした岩が見え、その上にこんもりした緑が盛り上がり、所々白骨のような朽木が突き出している。正面には意味ありげに、ぽつんと小さな鳥居が立っている。なんとも異様な眺めだ。

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 神話の中のアワシマ、スクナヒコナ、神功皇后、役行者、神剣など多くの物語が、この小さな島に蓄積されて怪しの気を放っている。

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posted by 九郎 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 友ヶ島 | 更新情報をチェックする

2006年09月30日

友ヶ島見聞録6

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 深蛇池から道を戻して、いよいよ虎島へ。
 要塞島だった当時、沖ノ島と虎島は石とコンクリートの通路で連結されていた。現在その通路は崩壊しており、通常は徒歩で虎島に渡ることは出来ない。大潮の時期の午後1時〜2時頃、潮が引いて渡り易くなるので、その時を狙うしかない。通路が出来る以前の時代も、そんな感じだったのだろう。

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posted by 九郎 at 01:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 友ヶ島 | 更新情報をチェックする

カテゴリ「友ヶ島」 結び

 ここまで、紀淡海峡にある無人島・友ヶ島のあれこれについて紹介してきた。
 文献で色々調べ、現地にも足を運んでみた。私はちゃんと先達についた修験者ではないので、全て個人的な感想に過ぎないが、彼らがなぜ山や自然の中に入るのか、自分なりに感じたこともある。
 私たちは普段、自分の都合を優先して計画を立て、生きている。特に都会の暮らしでは、エアコンで一年中気温が一定だし、「季節の食べ物」なんてスーパーの売り文句にしかすぎなくなっている。だいたい時間通りに公共交通機関は動いているし、いつでも誰とでも連絡がつく。あらかじめ頭で計画したら、それがそのまま実現しやすい環境にある。
 ところが山や自然の中に入ると、何一つ自分の思うようには物事が運ばないことに気付く。暗くなれば寝るしかないし、朝日とともに目を覚まし、移動したり食事の支度をしたり、ただ生きていくだけで一日が過ぎる。
 移動中、斜面に差しかかれば斜面にあわせ、岩場に出れば岩の都合にあわせなければならない。無事岩場を通り抜けるには、選択できるラインはせいぜい一本か二本くらいしかない。海辺で潮の干満にあわせなければ、一歩も動くことは出来なくなる。
 体力や技術とともに、自然条件にあわせきるための知識がなければならない。そこには「自分の都合」が入り込む余地は非常に少ない。
 昔の修験者たちは「自然の働き=神仏」と捉えたのだろう。日本の山・川・滝などには神仏の名を冠したものが数多い。山に分け入り、「自然=神仏」に同期し、あわせきる。あわせきっても大丈夫な自分を作り上げる。それが修験なのではないか?
 友ヶ島でそんなことを考えた。

 虎島・観念窟の断崖絶壁の上方には、石造りの役行者像がある。木の葉の衣を肩にまとい、海の彼方をじっと見つめる姿は、そうした修験者の理想形だったのかもしれない。

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posted by 九郎 at 14:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 友ヶ島 | 更新情報をチェックする