高野山に触れたら、空海についても書いておかなければ。
以前、このブログでも何かの折りに、「弘法大師空海双六」というものをアップしたことがあったと思う。そのカラー版が出てきたので、この機会に紹介しておこう。
(クリックすると画像が大きくなります)
表題の「縁日画報」というのは、私が2001年頃から断続的に少部数発行していたミニコミ紙で、もちろん当ブログ「縁日草子」の母体になった。
双六は日付によると2003年の作品で、もう一巡り昔になってしまったか。
前回記事の高野山に関する文章も、この号に掲載されていた。
同じ号で空海と密教についても雑文を書いている。
今読んでも「悪くない」と思った部分を抜粋しておこう。
【密教について】
真理や法は本来形や言葉では表せない。しかし人は五感を含めた身体で、形や言葉によって真理や法をとらえるしかない。密教では真理への入り口として身体を活用する。様々な儀式を行い、仏像仏画や曼荼羅を作成し、目で見て耳で聞き、鼻でかぎ、触り、味わう表現を重視する。仏像は仏そのものではないけれども、仏を感得するための舞台装置として機能する。高野山や東寺は絢爛たる色と形のテーマパークである。
【金胎両部曼荼羅について】
胎蔵曼荼羅は大日如来を中心に、全宇宙の様々な仏菩薩や神々、怪物までを包含した「宇宙大の大風呂敷」である。
金剛界曼荼羅は大風呂敷の雑多な中身を整理整頓するための学習プログラムである。
【即身成仏について】
身口意の三密は「ポーズとセリフと役作り」に喩えられる。仏を表す印を結び、仏を表す真言を唱え、心にありありと仏の姿を観想することで、密教僧は仏を演じきる。参拝者と演者である僧の間で、そこに仏が確かに実在するという感覚が生まれることが即身成仏で、弘法大師は千両役者。
【各地の空海伝説について】
度重なる災害、困窮する民衆、誰も成功しない土木工事。そこに颯爽と登場する、数々の逸話に彩られたスーパースター、弘法大師空海。スターは堂々と仏を演じきり、「大丈夫、必ず工事は成功する」と、仏の権威をもって断言する。
うちひしがれていた民衆は奮起し、空海は唐から持ち帰った最新技術を提供する。各地に残る土木工事の伝説は、空海と民衆の力強く美しい合作である。
2015年05月17日
2015年05月25日
再掲;曼荼羅なめんなよ
もう3年前の記事になるが、カテゴリ・マンダラ関連で再掲載しておきたい。
NHK大河ドラマで「平清盛」を放映していた時の記事である。
-----------------------------
「清盛の血曼荼羅』、極彩色をデジタル復元」という見出しの報道を見かけた。
金剛峯寺所蔵の重要文化財で、平清盛が寄進したと伝えられ、おまけに清盛が絵の具に自分の頭の血を混ぜたという伝説まで残っている縦4.2メートル、横3.9メートルの両界曼荼羅図だ。
私も何かの展示で観た記憶があるが、かなり退色して不鮮明になっていたと思う。
それがこの度デジタル復元されたという。
歴史のある建造物や絵画、彫刻を、制作当時の色で再現するという試みは、これまでにも多くなされていて、このニュース自体はとても素晴らしいと思うのだが、ついでにどうでもいいことまで思い出してしまったので、一応記事にしておく。
度々あげつらって申し訳ないのだが、NHK大河「平清盛」のことだ。
2012年4月放映の「第十五回 嵐の中の一門」だったと記憶しているのだが、今回復元ニュースが届いた「血曼荼羅」が、題材になっていた。
清盛伝説の中でも有名なエピソードなので、ドラマでもぜひとも使いたかったのはよくわかるのだが、その描写がなんとも酷かった。
まず、曼荼羅の制作風景がありえない。
ドラマの中では清盛に制作を依頼された絵仏師が、平家の屋敷内で、たった一人で描いているようにしか見えなかった。
しかし、大寺院に寄進する約4メートル四方の巨大な曼荼羅を、絵描き一人がホイホイ出かけて行って、納期内で描くというようなことが可能かどうか、少し考えればわかりそうなものだ。
それなりの人数の、専門資料や画材を完備したチームがなければ制作できるはずがないではないか。
平家の屋敷内での制作したという伝承もあるようだけれども、さすがに「絵師一人」はあり得ない。
ドラマ中では一人の仏師が、けっこう短期間で曼荼羅を描き上げたかのように描写されているのである。
私も神仏絵描きのハシクレとして、いつの日か自分なりの大曼荼羅を描いてみたいという夢は持っているが、一人の人間が大曼荼羅を描くということが、いかに困難なことかはよくわかっている。
その困難をものともせず、CGでコツコツと胎蔵界曼荼羅を描きつづけている人もいて、私は心から賞賛している。
電気仕掛けの胎蔵界曼荼羅を描いてみるぶろぐ
これだけでも「曼荼羅なめんなよ!」と突っ込みたくなるところなのだが、まだある。
ドラマの中で、仏師が完成間際の曼荼羅を前に、発注者の清盛に「仕上げの一筆」をいれるように勧め、清盛もうなずいて、「弟の供養のため」に胎蔵曼荼羅の真ん中の大日如来の顔に筆を入れようとするシーンがあったのだ。
仏師が曼荼羅の中心部分に、発注者とは言えただのド素人の筆を入れさせるなんて、そんなん絶対に
あ・り・え・へ・ん!
確かに「平家物語」には清盛が自ら筆をとったと読める記述があるが、そっち方面のお話しにするならもっと中世的なおどろおどろしい血まみれ呪術方向に振り切るべきだ。
しかもその後、曼荼羅の前で清盛が父・忠盛に殴られ、頭から血を流して呻きながら曼荼羅まで這って行き、したたる血で仏様に彩色し、その様子を母・宗子が「うんうん」と嬉しそうにうなずきながら見守るシーンがあった。
たぶんドラマを観ていない人には↑こう書いても何のことか意味がわからないと思うが、ご安心あれ。
実際に観ていても理解不能です!
というか私の場合は、なんだか
一昔前のダウンタウンのコント
を観ているような気がしてきて、あまりに不条理な暴力とシュールさにちょっと失笑してしまった……
有名な血曼荼羅のエピソードを使いたいが、あまりにぶっ飛んでるのでちょっと現実味を持たせたい。
だから専門の仏師は登場させて、清盛に仕上げだけさせたことにする。
ドラマの中の「真っ直ぐ」な清盛のイメージは崩したくない。
だから「自分で血を混ぜた」のではなく、「事故で血が混ざってしまった」ことにする。
あれもこれもと欲張った結果、こういう中途半端で支離滅裂な脚本になってしまったのではないだろうか。
このドラマの脚本家が史実にかなり無頓着なのはよく分かっていたが、これはもう、史実云々のレベルではないような気がするのである。
今回はたまたま、曼荼羅という私が特に関心のある分野だったので目についたのだが、他にもこのレベルの「ありえなさ」がいくらでもあって、単に私が見逃してしまっているだけなのではないかという疑念も湧いてくる。
当のドラマの方は父・忠盛の死後、清盛の成長とともに多少マシにはなってきている。
部分的に光る所もあるドラマなので、今回記事にした「血曼荼羅」事件以降、根本的な不信感は抱えつつも、なんとか我慢して観ている。
とくに、役者さん達はそれぞれに糞脚本(←ああ、書いてしまった!)の範囲内で、全力投球しているように見える。
何かと批判されがちな主演・松山ケンイチだが、よく考えると脚本の内容を最大限に熱演した結果があれであるとも思われる。
どうしようもない譜面はどう演奏しても名演にはなりようがないのだから、ちょっと気の毒だ。
しかしこのドラマ、史実考証のスタッフとして名前が出てしまっている人は、頭を抱えているのではないだろうか……
NHK大河ドラマで「平清盛」を放映していた時の記事である。
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「清盛の血曼荼羅』、極彩色をデジタル復元」という見出しの報道を見かけた。
金剛峯寺所蔵の重要文化財で、平清盛が寄進したと伝えられ、おまけに清盛が絵の具に自分の頭の血を混ぜたという伝説まで残っている縦4.2メートル、横3.9メートルの両界曼荼羅図だ。
私も何かの展示で観た記憶があるが、かなり退色して不鮮明になっていたと思う。
それがこの度デジタル復元されたという。
歴史のある建造物や絵画、彫刻を、制作当時の色で再現するという試みは、これまでにも多くなされていて、このニュース自体はとても素晴らしいと思うのだが、ついでにどうでもいいことまで思い出してしまったので、一応記事にしておく。
度々あげつらって申し訳ないのだが、NHK大河「平清盛」のことだ。
2012年4月放映の「第十五回 嵐の中の一門」だったと記憶しているのだが、今回復元ニュースが届いた「血曼荼羅」が、題材になっていた。
清盛伝説の中でも有名なエピソードなので、ドラマでもぜひとも使いたかったのはよくわかるのだが、その描写がなんとも酷かった。
まず、曼荼羅の制作風景がありえない。
ドラマの中では清盛に制作を依頼された絵仏師が、平家の屋敷内で、たった一人で描いているようにしか見えなかった。
しかし、大寺院に寄進する約4メートル四方の巨大な曼荼羅を、絵描き一人がホイホイ出かけて行って、納期内で描くというようなことが可能かどうか、少し考えればわかりそうなものだ。
それなりの人数の、専門資料や画材を完備したチームがなければ制作できるはずがないではないか。
平家の屋敷内での制作したという伝承もあるようだけれども、さすがに「絵師一人」はあり得ない。
ドラマ中では一人の仏師が、けっこう短期間で曼荼羅を描き上げたかのように描写されているのである。
私も神仏絵描きのハシクレとして、いつの日か自分なりの大曼荼羅を描いてみたいという夢は持っているが、一人の人間が大曼荼羅を描くということが、いかに困難なことかはよくわかっている。
その困難をものともせず、CGでコツコツと胎蔵界曼荼羅を描きつづけている人もいて、私は心から賞賛している。
電気仕掛けの胎蔵界曼荼羅を描いてみるぶろぐ
これだけでも「曼荼羅なめんなよ!」と突っ込みたくなるところなのだが、まだある。
ドラマの中で、仏師が完成間際の曼荼羅を前に、発注者の清盛に「仕上げの一筆」をいれるように勧め、清盛もうなずいて、「弟の供養のため」に胎蔵曼荼羅の真ん中の大日如来の顔に筆を入れようとするシーンがあったのだ。
仏師が曼荼羅の中心部分に、発注者とは言えただのド素人の筆を入れさせるなんて、そんなん絶対に
あ・り・え・へ・ん!
確かに「平家物語」には清盛が自ら筆をとったと読める記述があるが、そっち方面のお話しにするならもっと中世的なおどろおどろしい血まみれ呪術方向に振り切るべきだ。
しかもその後、曼荼羅の前で清盛が父・忠盛に殴られ、頭から血を流して呻きながら曼荼羅まで這って行き、したたる血で仏様に彩色し、その様子を母・宗子が「うんうん」と嬉しそうにうなずきながら見守るシーンがあった。
たぶんドラマを観ていない人には↑こう書いても何のことか意味がわからないと思うが、ご安心あれ。
実際に観ていても理解不能です!
というか私の場合は、なんだか
一昔前のダウンタウンのコント
を観ているような気がしてきて、あまりに不条理な暴力とシュールさにちょっと失笑してしまった……
有名な血曼荼羅のエピソードを使いたいが、あまりにぶっ飛んでるのでちょっと現実味を持たせたい。
だから専門の仏師は登場させて、清盛に仕上げだけさせたことにする。
ドラマの中の「真っ直ぐ」な清盛のイメージは崩したくない。
だから「自分で血を混ぜた」のではなく、「事故で血が混ざってしまった」ことにする。
あれもこれもと欲張った結果、こういう中途半端で支離滅裂な脚本になってしまったのではないだろうか。
このドラマの脚本家が史実にかなり無頓着なのはよく分かっていたが、これはもう、史実云々のレベルではないような気がするのである。
今回はたまたま、曼荼羅という私が特に関心のある分野だったので目についたのだが、他にもこのレベルの「ありえなさ」がいくらでもあって、単に私が見逃してしまっているだけなのではないかという疑念も湧いてくる。
当のドラマの方は父・忠盛の死後、清盛の成長とともに多少マシにはなってきている。
部分的に光る所もあるドラマなので、今回記事にした「血曼荼羅」事件以降、根本的な不信感は抱えつつも、なんとか我慢して観ている。
とくに、役者さん達はそれぞれに糞脚本(←ああ、書いてしまった!)の範囲内で、全力投球しているように見える。
何かと批判されがちな主演・松山ケンイチだが、よく考えると脚本の内容を最大限に熱演した結果があれであるとも思われる。
どうしようもない譜面はどう演奏しても名演にはなりようがないのだから、ちょっと気の毒だ。
しかしこのドラマ、史実考証のスタッフとして名前が出てしまっている人は、頭を抱えているのではないだろうか……
2015年05月28日
マンダラ 何を観たいか描きたいか
自分で描くならどんなマンダラにしたいか?
この自問の答えは、すなわち「自分はどんなマンダラが観たいか?」という願望とイコールになる。
せっかくアナログで描くなら、ある程度の大きさは欲しい。
マンダラと相対した時、自分の視界がマンダラで占められて、視覚情報が「実体験」となるには、少なくとも100号キャンバスくらいの大きさが必要だ。
絵の観賞を「実体験」とするためには作品は大きいほど良いが、諸条件により自ずと限界はある。
日本の両界曼荼羅には4メートル四方ほどもある作例も存在するが、個人で描き、個人で所蔵し、個人で観賞することを前提とするなら、あまりに大きなサイズは現実的ではない。
たとえば六畳間くらいの部屋を想定すると、作品を立てて適当な観賞距離をとれるサイズはやはり100号キャンバスあたりが上限になってくるだろう。
F100のサイズはおよそ162cm×130cm。
私のフェイバリットである「伝真言院曼荼羅」が縦183.6cm、横164.2cmなので、一回り小さいサイズにあたる。
描写密度の点でも、間延びさせずに描き込むにはこのくらいが適当だ。
画材はアクリル絵具になるだろう。
アナログ画材の中では、私がもっとも使い込んでおり、耐久性もある。
伝統的な手法に従えば、日本画の画材を使うことになるだろうけれども、「私」が「今生で」描き切ることを前提とするなら、あまり使ったことのない画材を一から学び直すのは現実的ではない。
そもそも日本密教の曼荼羅図像を、そのまま忠実に模写できるような技術的、性格的な適性は、私には無い。
果たして何が正解なのか? という問題もある。
たとえば日本の両界曼荼羅は「伝真言院曼荼羅」を出発点としていて、後代になるほどサイズは大きく、描写は細密になっていくけれども、私の感じる「作品の生命力」という点では右肩下がりになっているように思う。
もっと言うなら、たとえば日本の胎蔵曼荼羅は必ずしも「大日経」の記述通りにはなっていないし、比較的記述に沿っていると思われるチベットの胎蔵曼荼羅は、日本のものと印象が全く違う。
せっかく自分で描くなら、自分で納得した世界を再現したい。
あくまで「絵画としての納得」であり、「教義上の正確さ」ではない。
胎蔵曼荼羅なら胎蔵曼荼羅を、その構造や思想はベースとしてがっちり押さえながら、やや抽象表現も交えてキャンバスの上で構成する。
仏尊のイメージは、私の好きな古い曼荼羅図の「素朴でラフな表現」を、自分なりに消化したものとしたい。
もしかなうなら、描き上げたマンダラを前に、照明を落として灯明を点し、心ゆくまでぼんやり眺めたい。
このカテゴリの目標は、そのあたりになるだろう。
この自問の答えは、すなわち「自分はどんなマンダラが観たいか?」という願望とイコールになる。
せっかくアナログで描くなら、ある程度の大きさは欲しい。
マンダラと相対した時、自分の視界がマンダラで占められて、視覚情報が「実体験」となるには、少なくとも100号キャンバスくらいの大きさが必要だ。
絵の観賞を「実体験」とするためには作品は大きいほど良いが、諸条件により自ずと限界はある。
日本の両界曼荼羅には4メートル四方ほどもある作例も存在するが、個人で描き、個人で所蔵し、個人で観賞することを前提とするなら、あまりに大きなサイズは現実的ではない。
たとえば六畳間くらいの部屋を想定すると、作品を立てて適当な観賞距離をとれるサイズはやはり100号キャンバスあたりが上限になってくるだろう。
F100のサイズはおよそ162cm×130cm。
私のフェイバリットである「伝真言院曼荼羅」が縦183.6cm、横164.2cmなので、一回り小さいサイズにあたる。
描写密度の点でも、間延びさせずに描き込むにはこのくらいが適当だ。
画材はアクリル絵具になるだろう。
アナログ画材の中では、私がもっとも使い込んでおり、耐久性もある。
伝統的な手法に従えば、日本画の画材を使うことになるだろうけれども、「私」が「今生で」描き切ることを前提とするなら、あまり使ったことのない画材を一から学び直すのは現実的ではない。
そもそも日本密教の曼荼羅図像を、そのまま忠実に模写できるような技術的、性格的な適性は、私には無い。
果たして何が正解なのか? という問題もある。
たとえば日本の両界曼荼羅は「伝真言院曼荼羅」を出発点としていて、後代になるほどサイズは大きく、描写は細密になっていくけれども、私の感じる「作品の生命力」という点では右肩下がりになっているように思う。
もっと言うなら、たとえば日本の胎蔵曼荼羅は必ずしも「大日経」の記述通りにはなっていないし、比較的記述に沿っていると思われるチベットの胎蔵曼荼羅は、日本のものと印象が全く違う。
せっかく自分で描くなら、自分で納得した世界を再現したい。
あくまで「絵画としての納得」であり、「教義上の正確さ」ではない。
胎蔵曼荼羅なら胎蔵曼荼羅を、その構造や思想はベースとしてがっちり押さえながら、やや抽象表現も交えてキャンバスの上で構成する。
仏尊のイメージは、私の好きな古い曼荼羅図の「素朴でラフな表現」を、自分なりに消化したものとしたい。
もしかなうなら、描き上げたマンダラを前に、照明を落として灯明を点し、心ゆくまでぼんやり眺めたい。
このカテゴリの目標は、そのあたりになるだろう。
2015年05月29日
マンダラ・エチュード1
いずれ大きなサイズのマンダラに繋げていこうと、仏尊等の習作は描いてきた。
そのうちのいくつかは、このブログでも公開してきた。
アナログ作品について、未発表のものと合わせて紹介しておこう。
まず、胎蔵曼荼羅について。
図像覚書2 中台八葉院

胎蔵曼荼羅の中心部分、中台八葉院。今回の図像はそれぞれの仏尊を梵字で表現した種子曼荼羅(しゅじまんだら)のスタイルを下敷きにしている。
中心が大日如来を表現する阿字で、その上から時計回りに宝幢(ほうとう)如来、普賢菩薩、開敷華王(かいふけおう)如来、文殊菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩、天鼓雷音(てんくらいおん)如来、弥勒菩薩を表す梵字が、八枚の蓮弁に乗った形になっている。
図像覚書11 般若菩薩

胎蔵曼荼羅の中心部、中台八葉院の真下に位置する持明院に、左右に忿怒相の明王四体を従えて描かれる。優美な菩薩形だが、衣の肩の部分には甲冑が見えており、三眼六臂の姿は力強さも備えている。
胎蔵曼荼羅を前にする者は、この菩薩の姿を理想としてイメージするよう設定されているようだ。
もう二十年近く前になってしまったが、私が自分なりに仏画を描き始めた最初期の作品である。
当時はPCがまだまだ高価で、性能もさほどではなく、個人がデジタルで画像処理をするには敷居の高い時代だった。この一枚ももちろんアナログで、B4パネルにアクリル絵具で描いている。
下手なりに一生懸命描いている元の作品の雰囲気を壊さない程度に、少しだけ手直ししている。
中台八葉院については、十年ほど前にかなり大きなサイズのドローイングも試作したことがある。

約180cm×180cm、ロールのクラフト紙を継いで作った正方形の用紙に、缶スプレーやペンキ、マジックペンなどを使って、一息に描きあげた。
自分で描いてみたいサイズを体感し、それを目の前に吊って灯明を点してみるということをやってみたくて、とにかくガサッと完成させた一枚である。
そのうちのいくつかは、このブログでも公開してきた。
アナログ作品について、未発表のものと合わせて紹介しておこう。
まず、胎蔵曼荼羅について。
図像覚書2 中台八葉院

胎蔵曼荼羅の中心部分、中台八葉院。今回の図像はそれぞれの仏尊を梵字で表現した種子曼荼羅(しゅじまんだら)のスタイルを下敷きにしている。
中心が大日如来を表現する阿字で、その上から時計回りに宝幢(ほうとう)如来、普賢菩薩、開敷華王(かいふけおう)如来、文殊菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩、天鼓雷音(てんくらいおん)如来、弥勒菩薩を表す梵字が、八枚の蓮弁に乗った形になっている。
図像覚書11 般若菩薩

胎蔵曼荼羅の中心部、中台八葉院の真下に位置する持明院に、左右に忿怒相の明王四体を従えて描かれる。優美な菩薩形だが、衣の肩の部分には甲冑が見えており、三眼六臂の姿は力強さも備えている。
胎蔵曼荼羅を前にする者は、この菩薩の姿を理想としてイメージするよう設定されているようだ。
もう二十年近く前になってしまったが、私が自分なりに仏画を描き始めた最初期の作品である。
当時はPCがまだまだ高価で、性能もさほどではなく、個人がデジタルで画像処理をするには敷居の高い時代だった。この一枚ももちろんアナログで、B4パネルにアクリル絵具で描いている。
下手なりに一生懸命描いている元の作品の雰囲気を壊さない程度に、少しだけ手直ししている。
中台八葉院については、十年ほど前にかなり大きなサイズのドローイングも試作したことがある。

約180cm×180cm、ロールのクラフト紙を継いで作った正方形の用紙に、缶スプレーやペンキ、マジックペンなどを使って、一息に描きあげた。
自分で描いてみたいサイズを体感し、それを目の前に吊って灯明を点してみるということをやってみたくて、とにかくガサッと完成させた一枚である。
2015年05月31日
マンダラ・エチュード2
前回記事では、私が描きたいマンダラの中でも、もっとも優先度の高い胎蔵曼荼羅について、これまでに制作してきた習作を紹介した。
金剛界についても同様に、習作を紹介しておこう。
前回記事の180cm×180cmのドローイングと同時に制作したもので、画材もロールのクラフト紙、ペンキ、缶スプレー、マジックペンなど。
とにかくザッと描きあげて、目の前に吊ってみたいという目的だった。


制作にあたっては、私のフェイバリットの一つであるアルチ寺院の壁画に描かれるちょっと変わった金剛界曼荼羅を意識している。
こちらも前回の中台八葉ドローイングと同様、金剛界曼荼羅から中心になる五智如来の構造を抽出した「抜粋マンダラ」である。
五智如来の理解には、以下の参考文献に負うところが大きい。
●「理趣経」松長有慶(中公文庫)
名著中の名著ではないだろうか。
理趣経の解説を本筋としながら、チベットまで視野にいれた密教の思想を、極めて平易な語り口で紹介してある。
私が宗教関連の本を読み始めた極初期にこの本と出会えていたことは、今から考えると本当に幸運なことだったと思う。
密教について、曼荼羅について、まず最初に何を読むべきかとと問われれば、一秒も迷わずこの本を推す。
仏教の入門書とかムック本は毎月のように刊行されていて、高名な学者や僧が編者や監修に名を連ねている場合も多いが、明らかに名前を貸しているだけで、内容がナイヨーなどうでもいい紙束をよく見かける。
この本はそういうのとは全く違い、書くべき人が全力投球で書き上げた、入門編にして奥の院みたいな一冊なのである。
金剛界についても同様に、習作を紹介しておこう。
前回記事の180cm×180cmのドローイングと同時に制作したもので、画材もロールのクラフト紙、ペンキ、缶スプレー、マジックペンなど。
とにかくザッと描きあげて、目の前に吊ってみたいという目的だった。


制作にあたっては、私のフェイバリットの一つであるアルチ寺院の壁画に描かれるちょっと変わった金剛界曼荼羅を意識している。
こちらも前回の中台八葉ドローイングと同様、金剛界曼荼羅から中心になる五智如来の構造を抽出した「抜粋マンダラ」である。
五智如来の理解には、以下の参考文献に負うところが大きい。
●「理趣経」松長有慶(中公文庫)
名著中の名著ではないだろうか。
理趣経の解説を本筋としながら、チベットまで視野にいれた密教の思想を、極めて平易な語り口で紹介してある。
私が宗教関連の本を読み始めた極初期にこの本と出会えていたことは、今から考えると本当に幸運なことだったと思う。
密教について、曼荼羅について、まず最初に何を読むべきかとと問われれば、一秒も迷わずこの本を推す。
仏教の入門書とかムック本は毎月のように刊行されていて、高名な学者や僧が編者や監修に名を連ねている場合も多いが、明らかに名前を貸しているだけで、内容がナイヨーなどうでもいい紙束をよく見かける。
この本はそういうのとは全く違い、書くべき人が全力投球で書き上げた、入門編にして奥の院みたいな一冊なのである。