2016年05月14日

「絵画」だけではくくりきれない画風の謎

 今週、また「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」に行ってきた。
 三回目の鑑賞だが、まだまだ発見があったので、いくつか書き留めておこうと思う。

 まずは恒例、ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 2階展示室を鑑賞していて、ふと気付いた。
 女性の顔アップ「地上より永遠に3」という1987年の作品で、リキテックス使用が多いカラー作品の中では珍しく、パステルが使われている。
 これまで二回の鑑賞ではただ「ほう、パステルか!」と思っていただけなのだが、あるシリーズ作品のことを思い出した。
 今回は展示されていない、平井和正「幻魔大戦」の徳間ハードカバー版の箱絵が、制作時期も絵柄も非常に近いのだ。
 ということは!
 私が大好きだったあの箱絵シリーズも、パステルで描かれているのか?
 好きで眺め続けて二十数年、今やっと使用画材の謎が解けたかもしれない。
 昔から他の生ョイラストに比べると色合いが柔らかいとは感じていた。
 もしかしたら、速乾性のリキテックスではなく、油彩で、画面上で混色しながら描いているのかと想像していた。
 パステルというのは完全に盲点だった。
 一般にパステル画というと夢のように淡い絵柄のイメージが強いと多いと思うが、意外とがっちりした写実表現もできる画材だ。
 木炭デッサンに色をつける場合は、よくコンテパステルと組み合わせる。
 広い面積に手早く色をのせられ、画面上でこすって混色すると油彩っぽい色合いになる。
 油絵のエスキースとして木炭とパステルでざっとスケッチする絵描きはけっこう多い。
 私も二十歳前後の学生時代、木炭とコンテパステルの写実デッサンは好きで、よく描いていた。
 ただ、定着スプレーで色合いが変わってしまったり、印刷では出にくかったり、画面の耐久性が低いので保存には向かなかったりと、少々扱いの難しい画材ではある。
 今回の展示作品も、ちょっと剥落しているように見える箇所もあった。
 パステル系画材の使い方を一応心得た人間が見ても、言われるまでそれと気付かない作品に仕上げてしまう所は、さすがのイラスト魔神である。

 もう一つ。
 一階展示室のSFアドベンチャー誌の表紙絵シリーズの中の、「ブラディ・メアリー」という作品を見ていて、中央の女性の背後にガンダムの頭のシルエットが重なっているのに気付いた。
 1987年という制作時期とアンテナの形状から、映画「逆襲のシャア」のνガンダムだろうと思う。
 そう言えば「逆シャア」の予告ポスターは生ョ範義が描いていた。
 この表紙絵も、なんらかの予告的な絵だったのだろうか。
 昔のことなので、当時の事実関係のことはあまり覚えていない。
 映画「逆シャア」の予告ポスターを見たときは、「あれ? 意外と大河原邦男の絵と似てる?」と思ったことは覚えている。
 ガンダムのメカニックデザインの大河原邦男は、ポスターカラーと定規や面相筆を使ったデザイン系のテクニックで独特のイラストを描いていた。
 生ョ範義の画風は重厚な絵画調のイメージが強いが、メカニック表現という分野に限定すれば、絵画というよりデザイン系のテクニックに近いのかもしれない。
 一旦そこに気づくと、生ョイラストの、とくにメカニック表現が含まれた厚塗りの部分は、芸大で学んだ油彩というよりは、デザイン系のポスターカラーのテクニックが導入されているのは間違いないと思えてくる。
 どのあたりのタイミングでそうしたデザイン系のテクニックを身に付けたのか、まだまだ興味は尽きない。

 会期末まであと二週間。
 見取り稽古の内容をよく反芻しながら、もう一回ぐらいは行きたい。
posted by 九郎 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする

2016年05月22日

いかにして生頼範義となったか

 継続して記事にしてきた「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」、いよいよ会期の残りは一週間。
 なんとか時間を見つけて最後にもう一度、行っておきたい。

 まずは恒例、ネット検索対応、召喚の儀。

 生頼範義 生頼範義 生頼範義
 生頼範義 生頼範義 生頼範義

 おおらい のりよし おおらい のりよし
 おおらい のりよし おおらい のりよし

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 生頼範義が私たちの知るあの画風を練り上げるまでに、どのような道筋を辿ってきたのか?
 油彩による写実表現だけではなく、ペンキ絵やポスターカラーによるデザイン系の技術もどこかで導入しているのではないかと、展示を繰り返し見ながら、あれこれ想像してきた。

 生頼範義のプロフィールについては、手持ちの資料のなかでは以下の図録がもっとも詳しい。

●「生ョ範義U 記憶の回廊 1966-1984」
 昨年みやざきアートセンターで開催の展示の図録である。
 生頼範義のイラスト世界の前半部分をカバーした極厚の一冊で、今ならまだプレミア価格はついておらず、定価に近い値付けになっているようだ。

 19歳で東京芸大油画科に入学とあるので、入学前の十代の頃から写実デッサンについては高いレベルの技術を身に付けていたことは間違いない。
 同級生の間でも「上手い」「ミケランジェロのような絵を描く」と評判だったようだ。
 指導教官は小磯良平で、ご子息のオーライタローさんによると「あまりそりがあったようにも思えない」そうだ。
 たしかに絵柄から受ける印象は全く違うけれども、技術面で見ると「必要最小限の手数と塗り重ねで、筆タッチを活かして写実の最大効果をあげる」という点では、共通点も見える気がする。

 そう言えば、私の学生時代の絵画の指導教官の一人が、小磯良平門下の先生だったことなど、ふと思い出す。
 先生の作品はけっこう好きだったのだが、指導はあまり合わなかったっけ……
 その節はお世話になりました。

 その後の生頼範義は、22歳で芸大を中退。
 当人は「学校で習うことはもうない」「学費が続かなかった」と、おそらくどちらも本当の事情を、近い人には語っている。
 中退後は4年間に5回引っ越したり、二度放浪の旅に出て消息不明になったりしたことがあるそうなので、なんとなくそうしたボヘミアンな生活を経てみたい、人生の一時期だったのではないかとも感じる。
 25歳で油絵個展を開いているが、当時の絵を見ると、必ずしも「写実」は志向していなかったようで、私たちの知る生頼範義の画風とは全く違う。
 ちょっとモジリアーニ風の、おそらくじっくり制作時間をかけ、塗り重ねた人物像だ。
 この個展での「絵は一枚も売れなかったが、気に入ってくれた人もいる」という体験は、「イラストレーター生頼範義」の形成には意外と重要だったのではないかと思う。
 絵描きの多くは、よほど幸運に恵まれた例外を除き、若い頃に「描きたい絵では金にならない」という壁と向き合う。
 それは技術的な巧拙、表現のレベルとは関係なく、誰もが一度はぶつかる壁だ。
 自分の表現と、経済の折り合いをどうつけるかということは、その後の絵描きの作品そのものにも影響を与えるのだ。

 27歳で結婚、本格的にイラストの仕事を開始。
 それまでは大工見習いなどの肉体労働を含めて様々な仕事を遍歴したという。
 その中に、映画館の看板描きや、デザイン事務所でのアルバイトなども含まれているのではないかというのが私の想像だ。
 写実の技術を持っていると、そうした職種には対応しやすい。
 ただ、表現としての絵画とはまた違う意識が必要だ。
 若き日の生頼範義の画風から考えると、「自分の絵ではそういうことはしないでおこう」と思っていたことばかりしなければならなかったことだろう。
 そこで意識を切り替え、デザイン系の画材の扱いを吸収し、イラスト仕事に徹したことが、私たちの知る生頼画風の誕生に繋がったのだと思う。

「生活者としての絵描きは
 肉体労働者にほかならぬ。」

 そんな言葉を、生頼範義自身が残している。

【2017年11月13日追記】
 一週間ほど前からこの記事のアクセスが急に伸びてます。
 twitterかなにかで紹介していただいたのかもしれませんが、アクセス解析ではそこまでわかりません。
 よろしければ、どなたかコメント欄でリンク元をお知らせいただけるとありがたいです。
 関連記事はカテゴリ生頼範義にまとめてありますので、そちらもどうぞ。
posted by 九郎 at 22:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする

2016年06月10日

生活者としての絵描き

 5月末、会期末の土日は避け、最後にもう一度「生ョ範義展 The Illustraor in 明石」を観に行った。
 これで計四回。
 一回ごとに反芻し、考え尽くしたタイミングでもう一度観に行き、新たなテーマを持ち帰るという感じで、充実した会期を過ごせたと思う。
 しかしもう終了してしまったので、また何か新しく気付いても確かめにいけない。
 寂しさも感じるけれども、巡回展のパッケージは整っているようなので、いつかまた機会はあろう。

 一階展示室のSFアドベンチャー誌表紙絵シリーズ、「フランチェスカ・ダ・リミニ」という作品の背景装飾にエイリアンクイーンを見つけてニヤリとする。
 前回も「ブラディ・メアリー」という作品を見ていて、中央の女性の背後にνガンダムの頭のシルエットが重なっているのに気付いた。
 このシリーズ、他にもこうした遊びは色々ありそうだ。

 あくまで私の主観による区分になるが、多くの作品を制作年を意識して観賞していくと、とくにリキテックスによるカラーイラストの画風は、だいたい三期くらいに分かれるのではないかと感じる。

1、60年代デビューから70年代末あたり
 先行する探偵/冒険小説などの挿絵、デザイン系の手法を用い、自身の油彩や写実の技術をイラストに応用した技術の形成期。
2、80年代
 印刷を前提とした商業イラスト技術研鑽が、ピークに向かう時期。
3、90年代以降
 イラスト的なくっきりした色の使い分けを徐々に抑え、絵画的な表現にじわじわ回帰していく時期。

 生ョ範義関連の前回記事で、以下のような言葉を引用した。

「生活者としての絵描きは 肉体労働者にほかならぬ。」

 これは1980年(当時45才)刊行の最初の画集「生ョ範義イラストレーション」に収録された、生ョ範義自身の文章のタイトルである。
 タイトルがすでに刺激的だが、中身もかなり率直かつ強烈な文章が並んでいる。
 少し引用すると、以下の通り。

「私はおよそ二十五年の間、真正なる画家になろうと努めながら、いまだに半可通な絵描きにとどまる者であり、生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない言葉で呼ばれて、うしろめたさと恥ずかしさを覚える者である。」
「私は肉体労働者であり、作業の全工程を手仕事で進めたい。定規、コンパス、筆、ペン、鉛筆とできるだけ単純、ありきたりな道具を使い、制作中に機械による丸写しや、無機質な絵肌を作ることを好まない。一貫して、眼と手によって画面を支配したい。」
「生活者たる私は、依頼された作品を制作するに当り、主題の事物の裏に展開し得るだろう別な世界に思いを巡らすことなど決してしたくない。」

 学生時代に図書館で画集を開き、この文章を読んだ私は、敬愛する絵描きの孤高の魂に触れた気がして、強く印象に残った。
 プロフィールによると生ョ範義は子供の頃から小説なども書いていたそうなので、絵だけでなくもっと文章も読んでみたいのだが、この一文以外に発表されたものはなさそうだ。
 その代わり何度も再録されているので、生ョ範義の画集を求めると、掲載されていることが多い。
 今回の展覧会の図録にも再録されているので、手元にある人は是非開いてみてほしい。

 この一文が発表されてからほどなく、生ョ範義は「畢生の大作」を描き上げている。
 油彩による600号の超大作「破壊される人間」である。
 超多忙なイラスト仕事の合間を縫いながら、十年かけて描かれたというこの作品、残念ながら私はまだ実見していない。
 あまりにも巨大であるため現在所蔵されている施設から動かせず、ここ数年の生ョ範義展でも展示は検討されながら、果たせていないそうだ。
 だからサムネイル程度の画像と、今回の展示会場で流されていた紹介映像でしか見ていないのだが、それでも伝わってくる圧倒的なパワーがある。
 是非とも一度、前に立ってみたい作品だ。
 現在の所蔵は九州の川内歴史資料館。
 作品の主題とあわせて考えると、思うところはある。

 この作品が制作されたのは70年代。
 先に紹介した「生活者としての絵描き」の一文のような、苛烈なイラストレーターとしての研鑽を積んでいる時期だ。
 おそらく、「破壊される人間」と他のイラスト仕事は、車の両輪のような関係だったのではないかと思う。
 両方あったからこそ、両方描けたのだ。
 そして、イラストの技術の真髄を極めた80年代後半以降、生ョ範義は徐々にイラストと絵画の融合を試行しているようにも見える。
 超大作「破壊される人間」と主題に共通性を持ちながら、イラストとしても成立している大作「サンサーラ」や「我々の所産」を見ると、とくに強くそう感じる。

 生ョ範義のアトリエには、まだまだ未完成、未発表の、イラスト以外の作品が数多くあるという。
 イラストレーターとしての偉業の背後に、広大な画家としての領域が広がっているのだ。
 公開される日を待ちたい。

(生ョ範義展関連記事、ひとまずおしまい)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする

2016年12月03日

生ョ範義展V THE LAST ODYSSEY

 九州のみやざきアートセンターで、本日から「生ョ範義展V THE LAST ODYSSEY」開催とのこと。
 
 私は高校生の頃からの生ョファンで、このブログ「縁日草子」でもカテゴリ生頼範義を設けてかなり語ってきた。
 今年春には近場で展示があったので入り浸った。
 当時の感想は上掲のカテゴリでしつこく書き続けたので、ご一読を。

 甲斐性がなくて今回の展示には行けそうもないのだが、図録だけは何とか手に入れたいと思っている。


 遠く離れた地で、敬愛するイラスト魔神の大規模な展示が行われていると思うだけでソワソワしてしまうのだけれども……
 
posted by 九郎 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

イラスト魔導全書、降臨!

 この12月から1月にかけて、九州のみやざきアートセンターで、わが敬愛するイラスト魔神・生頼範義の第三回展覧会が開催されていた。
 生ョ範義展V THE LAST ODYSSEY
 残念ながら私は甲斐性がなくて九州まで行けなかったのだが、刊行された図録二冊はamazonで無事入手。
 前回第二回展覧会の図録と合わせると、生ョ範義の全キャリアをフォローする構成になっている。
 もちろん全作品が網羅されているわけではないが、現時点では「生ョ範義全集」的な位置付けのシリーズになっている。
 今ならまだ定価販売が続いているようなので、ファンは要チェックである。
 在庫切れ表示になることがよくあるが、しばらく待つと補充される状態にはあるようだ。


●「生ョ範義U 記憶の回廊 1966-1984」
●「生ョ範義V THE LAST ODYSSEY 1985‐2015」
●「生ョ範義 拾遺集」

 これとは別に第一回展覧会の図録もある。


●「生頼範義 The illustrator」

 こちらも非常に素晴らしいのだが、残念ながら再販されておらず、古書価格がかなり高くなってしまっている。
 この一冊目が欠けていても上掲三冊で一組の構成になっているようなので、当面は無理してまで入手する必要は無いと思う。

 全集ほどのボリュームでなくとも、とりあえず何か一冊オーライ画集を手元に置きたいということであれば、以下の本あたりが手頃なのではないかと思う。


●「生頼範義 緑色の宇宙」(玄光社MOOK illustration別冊)


 今回の展示には行けなかったのだが、昨年春に近場で展覧会があり、何度も通ってオーライワールドを堪能する体験が持てたのは幸いだった。
 自分の持てる能力を全開にして観て考えて、レポートを連発した。

時は来た!! 生ョ範義展 The Illustraor in明石
難読の壁
ほら、あの凄い絵を描いたのが
イラストの真髄
百戦が錬磨した画風
ペンキ絵の究極
「絵画」だけではくくりきれない画風の謎
いかにして生頼範義となったか
生活者としての絵描き

 今回手にした図録をめくりながら、また色々感じ、考えてみたいと思う。
posted by 九郎 at 11:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 生頼範義 | 更新情報をチェックする