高校生の頃、私が受験の実技対策を本格的に開始したのも高二の、確か11月頃のことだったと思う。
季節は巡り、今年もそんな昔のことを思い出す時期になった。
高二から高三にかけて、大学受験の実技対策で近場の絵画教室に通って、鉛筆や木炭、水彩のデッサンを練習していた頃のことは、今でもかなり鮮明に覚えている。
このブログの読者に、受験を控えた中高生がいるのかどうか定かではないけれども、私の写実デッサンの修行過程をこのカテゴリ妄想絵画論でも覚書にしておく。
以前投稿した「デッサンと見取稽古」という一連の記事を、加筆再構成したものである。
一口に美術系受験と言っても、その在り方は様々だ。
難関芸大・美大の他にも、教育系の美術科などもあるし、各種専門学校もある。
建築や工業デザインなら理系的な扱いになってくる。
志望が絵画かデザインか、立体表現か工芸分野かでも対策はそれぞれ違う。
難関芸大・美大なら中学生くらいから対策を開始している生徒も数多い。
各自の学年、経済状態、その時点での実力により、選択すべき道は無限に分岐し、どれが正解ということはない。
根本的なことを言えば、「表現」の世界には経歴は必ずしも必要ではない。
ただ、人は生きていかなければならず、芸術を志す者もその例外ではない。
若い内に「表現」が評価され、それが換金されれば問題ないが、世間的な評価には「運や巡り合わせ次第」という側面が非常に強い。
ある程度評価されたところで、それが直ちに十分なゼニに結び付くかどうかというハードルが、またとてつもなく高い。
数少ない「ジャパニーズドリーム」への入り口であった雑誌掲載漫画の分野も、出口の見えない出版不況で、いまや若者が夢を託せる場ではなくなった。
日本で「画家」や「彫刻家」と呼ばれている先生方も、経済基盤は「作品」ではなく「指導」である場合が非常に多い。
己の表現の追求、そして世間的な評価というチャンスを粘り強くうかがうためにも、様々な形で食っていく方法は探らなければならない。
極端な話、日々の糧は堅い正業で得て、「表現」のための時間と自由を守り抜くという道も、当然ありなのだ
美術系志望という選択は、そういうことも含めて全部自分で考えて生きていくスタートラインに立つということだ。
そして「表現」そのものではなく、「食っていく」という側面に限定すれば、経歴はそれなりに力を発揮するし、とりわけ写実デッサンの技術は身に付けておくと換金されやすい「芸」となる。
音楽志望者の中ではピアノの弾ける人が「食っていきやすい」のと似ている。
どちらも「教えること」に対する需要が、いつの時代も一定数見込めるからだ。
私の場合は、教育学部の中等美術科を志望した。
当時通っていたのが進学に特化した私立中高一貫校だったので、高二の時点で校内では折り紙つきの劣等生であった私にも、国公立大入学の可能性は残されていた。
暗記が苦手で、範囲の決まった定期テストでは壊滅的な成績でも、実力テストでは力を発揮できるタイプだったのだ。
中高の五年間、それなりに苦労して留年・退学しないよう死守してきたその手札を、なんとか美術系の志望とリンクさせられないものかと、無い知恵を絞った結果である。
学科の成績が役に立ち、実技の配点もそれなりに高い。
入学後は平面、立体、デザイン、工芸など、広く浅くではあるけれども一通り指導を受けることができ、うまくいけば大卒の肩書を得て、教員免許も取ることができる。
高二の冬の時点の自分の「手札」と、その後一年間の「伸びしろ」を勘案し、活路はそこにしかないと判断したのだ。
「夢」と「手札」の冷静な計算が、「表現に生きる」ために必要だ。
たとえばゴッホのように「表現に死ぬ」なら計算は必要ないけれども、それは結果としてどうしようもなく押しやられる運命のようなものであって、他人に勧めたり勧められたりする道ではないのだ。
(つづく)