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2016年09月16日

カテゴリ「サブカルチャー」

 先月、映画「シン・ゴジラ」を観てあまりの面白さに感心し、記事にも書いた。
 一部引用してみよう。
-----(8月14日記事「虚構の中にはせめて希望を」より)--------------- 
 ゴジラは、60年前の初代から「核」であり、「放射能」であり、「アメリカの生んだ奇形生物」であり、台風のように、火山のように、地震のように、津波のように、そして原発事故のように、日本に突然現れ、破壊の限りを尽くす怪物だった。
 作中のゴジラと悪戦苦闘する日本の官僚や政治家は、一人一人の無力さが非常にリアルなのだが、タカ派もハト派も、保身に長けた調整派も、組織に馴染めない変わり者も、「最後は日本のため、国民のために尽くす」という一線は崩さない。
 その一点において、非常にファンタジックな作品であるとも言える。
 残念ながら、現実の政治家や官僚が、実際の緊急事態にその一線を守ってくれそうもないことは、3.11後の日本の大前提になってしまっているのが、なんとも悲しい。
 そうした悲惨な現状を踏まえてなお、せめて虚構の中だけでも「リアルに映る希望」を語れるところが、90年代に一度「エヴァ」で破滅を吐き出し尽くした庵野監督の成熟度なのではないかと思う。
-----(以下略)----------------
 あとで調べてみると、同様の観方をするレビューはけっこう多かった。

 その一方で、正反対の観方をしているレビューもあった。
 作中で政治家や官僚、自衛隊等が無批判に称揚されていて、新手の国策映画ではないか?
 これはサブカルチャーの政治利用ではないか?
 と言うようなレビューだ。
 なるほど、そんな観方もあるのかと思った。
 確かにこの夏街中で、自衛隊のポスターに今回のゴジラが使用されているのを見かけたときは、少し違和感を持った覚えがある。
 
 少し考えて、しかしそれは映画の客の理解力をバカにし過ぎていないかと思った。
 気になったのでネットでシン・ゴジラにまつわるやり取りを流し読みしていると、どうやらそうでもないらしいと分かってきた。
 私のように今回のゴジラから「一回捻った官僚批判」を読み取るためには、3.11への国の対応に、かなり批判的な感覚を持っている必要がある。
 私にとってそれは議論するまでもない自明のことなのだが、世の中には一定数のそうではない人もいる。
 福島原発の現状を「アンダーコントロールだ」と言われれば、素直に信じられる人々がそれにあたる。
 そうした人々にとって、同じ映画「シン・ゴジラ」は全く正反対の内容に観える可能性は、確かにある。
 サブカルの政治利用につながる可能性も、ないとは言えない。

 果たして制作意図はどちらにあったのか?
 多様に読み取れる作りで議論を百出させるのは、ある意味、庵野監督持ち前の「上手さ」ではないかとも思う。
 映画「シン・ゴジラ」、まだまだ語られそうだ。
 
 というわけで、カテゴリ「サブカルチャー」開幕である。
 サブカルをネタにあれこれ与太話を繰り広げ、たまにはプラモやフィギュアの絵描きなりの作例もアップ。
 さてどこまで風呂敷を広げられるか?
 ぼちぼち行きますが、乞うご期待!
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2016年09月17日

プラモ再起動

 私は80年代初頭の「ガンプラ・ブーム」直撃世代なので、小学生の頃からプラモはたくさん作ってきた。
 当時のプラモ、とくに小学生が手を出しやすい低価格帯のものは、色は成型色一色のみ。
 組み立てには接着剤が必要で、カッコよく仕上げるためにはパーツの合わせ目を丁寧にペーパーで消し、塗料で彩色する必要があった。
 今思い返してみると、小学生にとってはかなり難易度の高い作業である。
 当然、そんなに上手くはいかない。
 色むらだらけ、はみ出しだらけになる。
 それでも「付属の接着剤でとりあえず組み上げただけ」の状態よりは、下手くそでもいいから色を塗ってあった方がはるかに見映えはした。
 市販されているプラモのレベルがまだまだ発展途上だったからこそ、子供でも蛮勇をふるって色を塗ったり、簡単な改造を施したりできたのだ。
 模型誌の作例も、とくに実在しないアニメメカなどを「リアル」に仕上げる技術は、まだまだ発展途上にあった。
 雑誌に載っているカッコいい作例が、(実際には難しいのだが)小学生にも「がんばったら手が届きそう」に見えた。
 模型誌の作例が、素人にはおよそ手が届きそうにないプロの技術の領域に入っていったのは、確か80年代半ばくらいからではなかったかと記憶している。
 そのあたりから、読者とプロモデラーの間に距離ができ始めた。
 雑誌に載っている作例が、自分が造るときの「見本」の範囲を超えた。
 工芸品のような緻密な仕上げの作例を、ただ仰ぎ見るほかなくなっていった。
 
 私は中高生くらいまでよくプラモを作っていたが、大学に進学して美術系の実習が多くなると、造形意欲はそちらで満たされるようになった。
 並行して学生演劇の舞台美術もやっていて、それには子供時代からのプラモ経験が大変役立ったのだが、プラモ制作自体からは遠ざかるようになった。
 あともう一つ、大学時代の同級生に本物のモデラーがいたことも大きい。
 彼の技術を目の当たりにして、模型製作とはこんなに緻密なものなのかと驚愕し、ラフで大雑把な性格を持つ絵描きにはとうていムリだと見切りがついたのだ。
 それでも、ラフな造り、塗りでも許容される怪獣モノなどにはたまに手を出したが、メカモノをきっちり仕上げる意欲は湧かなくなった。
 おそらく当時造ったであろう怪獣ガラモンが、これ。

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 90年代半ば以降はメカモノのプラモ自体のレベルが上がり過ぎて、買っても「ランナーから外して組み立てるだけ」以上のことがやりにくくなった。
 それで充分カッコいいし、よく動く。
 下手に色を塗ると「素組み」より汚くなったり、可動部で剥げたりしてかえってカッコ悪くなる。
 いつの間にかキャラクターモデルは「造って塗るもの」から「組み立て式可動フィギュア」になっていき、誰が組んでも一定水準のものが手に入る時代になったのだ。
 それでもたまに新しいガンプラに手を出してしまうこともあり、そんな時には最新技術に感心し、それなりに素組みを楽しむのだが、完成してしまうとなんとも言えない虚しさに襲われる。

 確かにカッコいい。
 よく動く。
 でも、誰が造ってもこうなんだよな……
 わざわざ金を払って、わざわざ時間を割いて俺が造らんでもいいよな……

 言葉にするとそんな気分に襲われ、ちょっとふさぎ込んでしまうのだ。
 そんな感じで、昨今のキャラクターモデルの進化を横目で眺めつつ、あまり近寄らないように過ごす期間が長く続いた。

 ところが一年ほど前、ふとしたはずみで古いプラモに手を出した。
 ガンプラ初期のプラモは「旧キット」と呼ばれながら、今でも生産、販売されているのだ。
 値段は昔のままで、びっくりするほど安い。
 量販店でたまたま見かけて衝動買いし、一気に組み立てた。
 これがまた、楽しいのだ。
 とくに塗るのが楽しい。
 子供の頃にはなかった絵描きとしての技量が今の私にはあるので、筆塗りでもかなりのことができるようになっている。
 旧キットを素組みで筆塗り。
 それだけでこんなにかっこよく仕上げられるのかと、我ながら惚れ惚れしてしまった。

 流行りの緻密な仕上げとは違うけど、これはこれでごっつええやん!
 この塗りは最近他ではなかなか見かけへんで!

 絵描きとしてのプラモ作りにハマってしまったのだ。
 
 以来、たまに古いプラモを買ってきては、時間のある時にごそごそ造り続けている。
 そんな折に出会ったのが、映画「シン・ゴジラ」だったのだ。
 
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2016年09月18日

「シン・ゴジラ」リペイント1

 絵描きなりの模型製作手順として、まずは感情移入。

 今回のゴジラは、段階的に形態変化をする。
 初登場のシーンでは海上、海中で動き回る巨大な「尻尾」だけだった。
 作品内の設定では、この段階はまだ全く正体不明である。
 尻尾であることはもちろん、巨大生物であるかどうかすら確定していない。
 イメージ的には、クラーケンやリバイアサンなど伝説上の怪物や、ネッシーなどのUMA目撃情報程度の描き方で、もちろん演出上、そのように作ってあるのだろう。
 ここまでが「第一形態」にあたる。

 次に、初上陸したときの「第二形態」が登場する。
 画面の中ではじめて巨大生物の全体像が現れるのだが、ここで一旦「肩透かし」がある。
 この形態では直立することができず、芋虫のようにもがきながら蠕動する姿なのだ。
 これはおそらく、打ち上げられたラブカやリュウグウノツカイなどの深海生物の姿がイメージソースになっているのではないだろうか。
 私たちの中の「ゴジラ」のイメージとは程遠い、巨大ではあるけれども、哀れで、滑稽ですらある姿である。
 第一形態の時にあった「正体不明の不気味さ」は消し飛び、「デカいことはデカいけど、これだったら何とかなるんじゃないか?」という、ある種の侮りが、作中の登場人物や、映画の観客の中に芽生える。
 この形態は、ソフトビニールフィギュアで発売されている。




 続いて第三形態である。
 第二形態の「打ち上げられてもがき苦しむ巨大深海生物」が、突如後ろ足で直立する。
「ウゲ! 進化するんかい!」
 という驚きが、作中登場人物と観客の中に不安の種を植え付ける。
 この形態のまま、巨大生物は多大な被害を残しながらも海へ帰り、一旦は事態が収束する。
 巨大生物は姿を消したものの、「どうやら進化するらしい」という不安の種は、作中登場人物と観客の中で育ち続ける。
 この形態もソフビフィギュアで発売されている。



 
 そしてしばらくの「溜め」の後、ついに登場したのが今回の「シン・ゴジラ」の形態だ。
 のどかな海辺の風景の中を、静かな悪夢のように、それはそそり立っている。
 私たちの持つ「ゴジラ」のイメージを、さらに恐ろしく凶悪にパワーアップした姿である。
 この形態で都市部を動き回られるだけでも十分に絶望的なのだが、作中ではさらにもう一段奥の「真の絶望」が用意されているところが凄まじい。
 私が一番感情移入できるのは、最後の「力の解放の姿」ではなく、それ以前の「マグマのような破壊の力を溜め込んだ姿」だ。
 フィギュアの塗り直しも、その段階のイメージを元に進める。
 
 候補として挙げられるソフビフィギュアは以下の二つ。


●ムービーモンスターシリーズ ゴジラ2016(バンダイ)
 手ごろなサイズ、値段で、映画の3Dデータも使用しているであろう形状は完璧。
 ただ、手彩色の箇所が少ないので「完成品」としての満足感は少し足りないかもしれない。
 amazonでは何故か高めの値段が付いているが、今なら量販店等で2000円程度の定価で購入可能だろう。
 自分で彩色するための素材としては、コスパが高い。
 彩色には多少個体差があるので、完成品としてならネット購入より店頭で納得するものを選んだ方がいい。


●ゴジラ 怪獣王シリーズ ゴジラ2016(バンダイ)
 やや尻尾が短く感じられるが、かなり大きく迫力があるので、さほど気にならない。
 自分で彩色せず「完成品」として買うなら、このモデルが満足感があると思う。
 こちらもamazonでは高めの値段になっているが、4000円程度が定価のようだ。


 あくまで「自分で塗る」ことが目的の私は、もちろん2000円の方を購入。
 80〜90年代であれば1000円程度のプラモで出ていたと思うのだが、残念ながら今は2010年代。
 自分で造って塗る模型の時代はとうに過ぎ、やや高めの彩色済み完成品フィギュアをコレクションする時代だ。
(つづく)
posted by 九郎 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2016年09月19日

「シン・ゴジラ」リペイント2

まずはフィギュアの現況確認。

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 高さ16センチほどで、正面から見る細身だが、長大な尻尾が再現されているので、側面から見るとかなりボリュームがある。
 前回の記事でも述べた通り、形状自体は素晴らしい。
 劇中のあのゴジラそのものだ。
 にもかかわらず、このフィギュアの第一印象は「おもちゃっぽい」だ。
 正真正銘のソフビおもちゃに対して「おもちゃっぽい」などと文句をつけるのは言いがかりも甚だしいのだが、形状の素晴らしさに対して、「色」でかなり損をしていると思う。
 成型色は黒に近いグレーで、胸周辺や尻尾の先端に少々オレンジレッドでスミ入れがしてあり、顔や背びれ、手足に必要最小限の彩色がしてある。
 値段から考えると仕方がないとは言え、この手彩色が少なすぎるのだ。
 オレンジレッドのスミ入れを増やすだけでも劇中のイメージに大幅に近づきそうなので、製品+αの簡単仕上げならそれでも十分だろう。

 私の場合は、黒っぽい成型色のソフビのツヤが、どう見てもソフビにしか見えない半端な光沢なのが気になって仕方がない。
 フィギュアに手を出したそもそもの動機が「このシン・ゴジラを心行くまで塗ってみたい」というものだったので、やはりここは全面塗り替えを敢行することにする。
 腕や股関節のパーツのつなぎ目も少し気になる。
 プラモならエポキシパテ等で埋めただろうけれども、ブランクが長いのでソフビの扱いがよくわからない。
 あまりこだわりすぎても完成しなくなるので、今回は塗装のみでどこまでできるかに限定する。
 塗装後、下手に可動させて剥げないよう、手足や尻尾のパーツ接合部分は瞬間接着剤で固定ポーズにする。

 リペイントにあたって注意が必要なのは、ソフビ素材に通常のプラモ用塗料は使えないことだ。
 塗料の種類によっては「いつまでたっても乾かないベタベタした物体」になり果ててしまうそうだ。
 今回は、最初にソフビ専用塗料「Vカラー」のブライトレッドを、缶スプレータイプのもので全体に吹き付けてみた。

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 買ったままの状態だと黒っぽい成型色が災いしてモールドが浅く感じられていたのだが、こうしてみるとあらためて形状の良さがわかってくる。

 Vカラーの塗膜の上からは、通常のプラモ用塗料も使えるようだ。
 私は最近、模型を塗るのに絵画用のアクリルガッシュを使うのがお気に入りだ。
 ここからは、ガッシュのドライブラシ塗装に入る。

 基本イメージは「映画の忠実な再現」というよりは、以前の記事で掲載したスケッチの雰囲気を元にする。
 今回の映画で印象的だった「抑えきれないマグマ」のような質感を強調した塗りにしたいのだ。

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(つづく)
posted by 九郎 at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2016年09月20日

「シン・ゴジラ」リペイント3

 以前のイメージスケッチは、映画を観た直後の興奮そのままに、資料無しで一気に描き上げた。
 今回は少しコールダウンして、一応映画の資料も参照しながら進める。
 先月発売されていた雑誌の中に、映画の代表的なシーンや、雛形模型などが掲載されているものがあった。


●フィギュア王 No.222 (ワールドムック 1121)

 全体にブライトレッドのVカラースプレーを吹いたフィギュアに、アクリルガッシュの黒をドライブラシでのせていく。
 やや薄めた少量の黒を、かすれるくらいにしながら筆でこすりつけていくと、凹んだ箇所のレッドはそのままで、凸部分だけに黒が着色されていく。
 ガッシュは乾くと完全なつや消しになる。

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 レッドを強調したいので、映画の資料より意識的に多めに残す。

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 一通り黒がのったら下塗り完了。
 ここまではあまり考えずにとにかく手を動かす。

 ここからはスピードダウンして、黒の上から何段階かのグレーをちまちまとのせていく。
 足元を中心に、土ぼこりが被るであろう下半身には茶色やオリーブ系の色味も重ねていく。
 顔や手足などの先端部には、面相筆で細かな描き込みを入れる。
 模型製作というよりは、ゴジラ型のキャンバスに自分のイメージのゴジラの絵を描いていく感じだ。

 生ョ範義が存命だったら、今回のゴジラをどんな風に描いたか?
 やっぱり体表からちらちら見える「マグマ」を強調したのではないか?
 などなど想像しながら、あちこち塗り続ける。

 そうそう、おれはこういう塗りがやりたかったのだ……

 以上のような着色を施すと、こんな風になった。

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 最近の模型誌の作例は、怪獣モノでももっと緻密な仕上げが主流だ。
 私がよくプラモを作っていた80年代は、怪獣と言えばこんな感じのラフな塗りが多かったので、当時を知る人には懐かしく感じてもらえるかもしれない。

 ここから気が向いたときに、またちまちまと塗り重ねていくのが楽しいのだが、今回の「シン・ゴジラ」リペイント、一旦はこれで完成。
posted by 九郎 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする