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2017年08月08日

「終末後」のサブカル1

 70年代、終末ブームの世相の影響を受けながら、また逆にそうした世相を醸成する要素の一つとして、サブカルチャーの世界でも「世界の終末」を描く作品が数多く制作された。
 少年マンガも例外ではなく、アニメや特撮等のTV番組と連動するヒット作にも、終末感をベースにしたものが多くあった。

 終末サブカルチャー

 そうしたサブカルチャーの動向にリアリティを与えていたのは、他ならぬ現実世界の諸課題だった。
 東西冷戦、歯止めなく拡散する核兵器、公害の惨禍等は、若者が生真面目に考えれば考えるほど「人間はもうお終まいだ」という絶望感に結びつきやすかった。
 終末ブーム自体は、間欠泉のように時代を超えて吹き出すもので、歴史上いくらでも繰り返されている。
 20世紀末のそれに特色があったとすれば、天変地異による「神様まかせ」の滅亡ではなく、科学技術の発達による「人為的な滅亡」が、空想ではなく実際に可能になったという点だ。
21世紀を待たずにこの世は終わる……
 70年代の空気を体感した少年少女で、目前に迫った終末を真に受けるというほどではなくとも、「そういうこともありそうだ」と思っていた割合は、かなり多かったのではないだろうか。
 実を言えば私も、そんな子供の中の一人だった。

 漠然としたものであるにせよ、そうした「終末感」はいずれかの時点で克服されなければならない。
 現実世界に存在する危機、社会不安が解消されればそれが一番の特効薬だ。
 しかしそうした「大きな課題」というものは、実際には社会全体が長い時間をかけて一つ一つ解決していく他ない。
 若者の眼には「遅すぎる」と映るそのペースは、終末感をより深めることにもなっただろう。
 現実の社会の遅々とした歩みに堪え、矛盾に堪え、平凡な日常を淡々とこなすためのある種の「鈍さ」こそが、終末感克服の鍵になる。

 70年代当時から、世に溢れる「終末予言」の類に対する、常識的な批判はもちろんあった。
 ノストラダムスの予言とされているものは、かなり恣意的な解釈によるものが多いことはかなり早期から指摘されていたが、そうした批判はあまり広まらなかった。
 身もふたもない言い方をすれば、批判対象である予言本の類より「おはなしとしての面白さ」で劣っていたのだ。
 現に存在する危機や不安を解消することなく、そのリアクションとしての終末感だけを打ち消すことは困難で、そこに終末思想をベースにしたカルトの生まれる土壌があった。

 現実からは一旦切り離し、あくまでサブカルチャーの範囲内でのことだが、作り手と受け手の間では、いくつかのパターンの「終末」の克服の仕方はあった。
 一つは、終末を描く作品がブームに乗って乱造されることで陳腐化し、読む方が食傷してしまうというパターンである。
 滅びの物語が商業ペースで数限りなく繰り返されることで、マンネリギャグのような感覚まで至ってしまえば、それはそれで克服の一つの形だった。

 もう一つは、カタストロフ自体は不可避であると仮定し、「その先」を描くことで希望を見出そうとするパターンだ。
 これは既に70年代には何人かの先進的な作者が試行し始めており、80年代に本格化した。
 80年代サブカルチャーの主流は、「終末後の世界」を描くことにあったと言っても良いだろう。

 そしてもう一つ、サブカルチャーの作品内で「本気で終末を回避する」ことを目指すパターンもあった。

 80年代、今でいうところの「中二病」真っ盛りであった私が、同時代で体感してきた「終末後のサブカル」について、覚書にしておきたいと思う。
(続く)
posted by 九郎 at 20:58| Comment(0) | サブカルチャー | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

「終末後」のサブカル2

 70年代以降、作品テーマが「終末」から「終末後」へと移行する先進的な例としては、やはり永井豪の一連の作品を挙げなければならない。

 永井豪の出世作とされているのが68年〜72年まで連載された「ハレンチ学園」だ。
 掲載誌は当時新興の週刊少年ジャンプで、この作品のヒットにより、雑誌の人気も定着している。
 当時の少年誌としては「過激」なエロ描写を導入したギャグ作品で、永井豪は「先鋭的なギャグ漫画家」、「週刊少年ジャンプの立役者」として、まずは地歩を築いたのだ。
 今の眼で見るとなんということもないエロ描写も、表現の開拓時代には激しい批判にさらされた。
 各地の教育委員会やPTAから目の敵にされ、焚書に近い扱いも受けたという。
 そうした「魔女狩り」にも似たヒステリックな排斥運動は作品にも反映され、作中の「ハレンチ大戦争編」では、排斥側とレギュラーキャラが激しい殺し合いを演じるまでにエスカレートした。
 他愛のないギャグで始まった作品が、一種の「終末」を描く展開へと暴走したのだ。

 ヒット作「ハレンチ学園」に続くのが、73年から週刊少年マガジン連載、日本マンガ史上最大級の問題作「デビルマン」である。
 ギャグ作家としての実績を足掛かりに、この時期からの永井豪は本来志向していたSF作品に傾斜していく。
 テーマがシリアスになり、作画密度が濃くなっていくにつれ、作品で描かれる「終末感」は、さらに強烈に研ぎ澄まされていった。
 前作「ハレンチ学園」でのエロ描写に続き、「デビルマン」ではアメコミ調の筋肉描写、血がしぶき肉が引き裂かれる激しいバイオレンス描写が導入された。
 永井豪は、少年誌における性と暴力の表現の開拓者であったのだ。
 連載時の「デビルマン」は、必ずしも大ヒットした作品とは言えなかったが、後のエンタメ作品に与えた影響は計り知れない。
 現代から近未来を舞台にしながら、神や悪魔や妖怪、科学技術と呪術が混在する「伝奇SF」の世界観は、以後エンタメの一大ジャンルとして成長することになる。

 完膚なきまでに世界を滅亡させた「デビルマン」完結直後、その破滅の風景を引き継ぐように執筆開始されたのが「バイオレンスジャック」だった。
 73年から週刊少年マガジンで連載が開始されたこの作品は、巨大地震で破壊され、隔絶され、戦国時代さながらの無法地帯と化した関東を舞台とする。
 弱肉強食の荒野に忽然と現れた謎の巨人・バイオレンスジャックと、怪異な鎧を身にまとう魔王・スラムキング、そして懸命のサバイバルを続ける孤児集団の少年リーダー・逞馬竜を軸に、野望と絶望、希望渦巻く物語は展開されていく。
 今でこそ「近未来の破壊された無法地帯」という舞台設定は描き尽された感があるが、「バイオレンスジャック」は世界的に見てもかなり発表時期が早かった。
 74年に週刊連載終了後、月刊少年マガジンで77年〜78年まで連載された本作は、続く80年代、奔流のように描かれるようになった「終末後」という作品テーマの嚆矢となったのである。

 70年代の永井豪は、まさに神か悪魔が取り憑いているとしか思えないような「全盛期」にあった。
 当ブログで触れてきた「ハレンチ学園」「デビルマン」「マジンガーZ」「バイオレンスジャック」以外にも、「オモライくん」「キューティーハニー」「手天童子」「凄ノ王」等々、ここにはとても書ききれないほど、マンガ史に残る傑作の数々を集中的に執筆している。

 怒涛の70年代を通過した後の83年、永井豪は「バイオレンスジャック」の掲載誌を青年誌「週刊漫画ゴラク」に移し、再開させた。
 読者の間口の広さと引き換えに表現に制約の多い少年誌を離脱し、性と暴力の描写を存分に叩き込める場を得て、作品世界はビッグバンのような膨張を遂げた。
 永井豪の作品世界の80年代時点での集大成、最長編の大河ドラマとして、90年まで描き続けられることになった。
 それは、バイオレンスアクションであり、SFであり、神話であり、作者の内宇宙を反映したメタフィクションであり、破滅に終わった「デビルマン」への、長大な鎮魂歌でもあったのだ。

 バイオレンスジャックの世界には、「終末後」というテーマでは避けて通れない、注目すべきいくつかの「暗示」があった。

世界が破壊されても、それで全てが終るわけではない。
 カタストロフの後も、なお生き延びる人はある。
 壊れた世界には、虚飾を排した解放感はある。
 しかしそこは、むき出しの本能、むき出しの暴力が支配する阿修羅の世界である。
 それでも人は、その世界で強く生き抜かなければならない。
(続く)
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2017年08月14日

「終末後」のサブカル3

 世の滅亡を描いたサブカルチャー作品は70年代に最盛期を迎えた。
 数限りない「終末」の物語が紡がれ、80年代に入ってからは、その元祖とも言いえる67年作「幻魔大戦」が、角川アニメ第一作として劇場公開された。

●劇場版アニメ「幻魔大戦」
 83年公開。キャラクターデザインは大友克洋。

 TVコマーシャルでは毎日のように「ハルマゲドン接近!」という宣伝文句が繰り返され、この言葉が日本の日常に定着するきっかけとなった。
 しかしこの頃になると、「終末」の物語自体は既に飽和状態になりつつあった。

 既に70年代から、一部の先進的な作家はカタストロフ後のサバイバルを描き始めていたが、そうしたテーマが本格的なブームになったのは80年代に入ってからのことだ。
 無法地帯の荒野を、武装集団が改造車やバイクで疾駆する「終末後のイメージ」を創出したのが、79年、81年、85年に順次公開された豪映画「マッドマックス」シリーズで、とくに第二作は後のサブカルチャーに多大な影響を与えた。

 日本でその直接の影響下にありながら、「一子相伝の最強拳法」という独自のアイデアを加えて描かれたのが、マンガ「北斗の拳」である。

●「北斗の拳」武論尊/原哲夫
 83〜88年、週刊少年ジャンプ

 サブタイトルに「世紀末救世主伝説」とある通り、終末後の混迷に再び秩序をもたらすヒーロー像、それまでの少年マンガとは一線を画すリアルなバイオレンス描写が鮮烈だった。

 少年誌における「北斗の拳」と同時期、雑誌連載マンガで「終末後」を描いた代表例が、以下の二作品である。

●「AKIRA」大友克洋
 82〜90年、週刊ヤングマガジン
 88年、劇場版公開

●「風の谷のナウシカ」宮崎駿
 82〜94年、アニメージュ連載
 84年、劇場版公開

 バイオレンス描写の「北斗の拳」、細密な未来都市風景を描いた「AKIRA」、「〜ナウシカ」の生物的デザインは、その後のビジュアル表現に多大な影響を及ぼし、一変させたと言っても過言ではない。
 80年代に描き起こされたこの三作以降、雑誌連載マンガは飛躍的に作画密度を増していくことになる。

 青年誌連載の「AKIRA」、アニメ誌連載の「〜ナウシカ」と比較すると、少年誌連載でTVアニメにもなった「北斗の拳」は、読者の数や年齢層だけで考えれば、影響が最も大きかったことだろう。
 原作/作画ともに、主人公の「世紀末救世主」ケンシロウの生き様に仮託しながら、真摯に「終末後のサバイバル」を描き切った。
 中でも一人のヒーローだけに救済を背負わせることの矛盾・危険がきちんと描かれていることは特筆される。
 北斗神拳の長兄、世紀末覇者ラオウとの「史上最大の兄弟喧嘩」を第一部とするなら、それ以降の「引き伸ばし」は蛇足であったと感じる読者は多数派だろう。
 しかし、第二部ではケンシロウを慕っていた少年少女バットとリンの成長が描かれ、「主役交代」も試みられたふしがある。
 その「ポスト救世主」への試行は、読者アンケートという枷のある大ヒットマンガの中では必ずしも成功しなかったようだが、物語のラストではバットとリンは完全にケンシロウから巣立ち、自らの人生を強く歩むようになる。
 どう取り繕っても「暴力のヒーロー」であるケンシロウは、最後には一人旅立ち、暴力の荒野で野垂れ死にする道を選ぶ。
 人気商売の週刊少年誌連載を、このようなヒーローの葬り方まで到達させたことには、作者コンビの作家的良心を強く感じるのである。

 そして、79年〜80年に放映され、TVアニメの世界でリアルロボット革命を起こした「機動戦士ガンダム」も、設定上は「終末後」を思わせる作品だった。
 ジオン軍による「コロニー落とし」戦術は、オープニングでさらりと語られ、本編で直接触れられることは無かったが、数十億人単位の人間が死に、地球規模の環境破壊も起こっており、まさにカタストロフであった。
 その後の作中で描かれた戦闘は全て、大規模な破壊に恐怖したジオン、連邦の両陣営が、互いに条件闘争するための「小競り合い」であったと言って良い。
 
 幾多の作品で描かれた「終末後」のイメージは、年若い読者が陥りがちな「破滅願望」「リセット願望」に対し、特効薬と言えないまでも、一定の歯止めをもたらしたのではないだろうか。
 どんな形でカタストロフが起ころうと、それで全人類が「綺麗に終われる」「楽になれる」わけではなく、むしろ今よりはるかに過酷な弱肉強食のサバイバル世界が待っているのだ。
「それでも今の退屈な世の中よりはマシ」
 そんな受け止め方はあるにせよ、「決して楽には死ねない」というイメージは、刻印されたのだ。

 80年代サブカルチャーの「終末克服法」では、もう一つ興味深い方向性があった。
 それは「終末」自体を壮大なネタとして、お祭騒ぎに転化してしまおうというもので、代表例として「聖飢魔U」の活動があった。

●聖飢魔U
 82年結成、85年デビュー。99年解散。

 地獄から世界征服の使命を帯びて地球デビューした本物の悪魔であり、ヘビメタバンドの姿を借りた宗教団体であると自己規定し、アルバムを「教典」、ファンを「信者」と呼ぶ活動スタイルで人気を博し、89年末にはNHK紅白歌合戦にまで登場してしまった。
 リーダーであるデーモン閣下の、虚実の狭間を変幻自在に遊ぶ知性がもたらした影響もまた大きい。
 聖飢魔Uが演じたのは、「終末思想を持つ危険なカルト教団」の相対化に他ならず、お笑いを交えた表現の形をとりながらも、実はかなりシリアスなテーマを含んでいたのである。
(続く)
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2017年08月16日

「終末後」のサブカル4

 70年代前後の雑誌連載マンガは質的に一つのピークをむかえており、後の作品に多大な影響を及ぼしたものは数多い。
 終末ブームの世相も背景にしながら、この時期の作品には幾多の「世界滅亡」が描かれ、主人公の死や破滅が描かれる作品が多数あったことについて、以前一度記事にした。

 青年はサブカルチャーに一度死ぬ

 記事中では一旦破滅や死を迎えた物語が、直接的、間接的に続く作品の中で「再生」が描かれる例として、「幻魔大戦」に対する「新幻魔大戦」、「デビルマン」に対する「バイオレンスジャック」、「あしたのジョー」に対する「おれは鉄兵」、「カムイ伝」に対する「外伝」「第二部」を紹介した。

 同時代にカタストロフ後の再生が描かれたケースには、「はだしのゲン」も含まれるかもしれない。

●「はだしのゲン」中沢啓治
72年、原形となった自伝的短編「おれは見た」週刊少年ジャンプ掲載。(作者33歳)
73〜74年、週刊少年ジャンプ(作者34歳〜35歳)
75〜76年、市民(作者36〜37歳)
77〜80年、文化評論(作者38〜41歳)
82〜85年、教育評論(作者43〜46歳)

 70年代は、マンガを含めた日本の戦後サブカルチャーの「青年期」にあたっていたのかもしれない。
 その時代には、読者側の年齢層からも、「青年の完全燃焼の死」の物語が求められる傾向があった。
 そこから80年代に入るとサブカルチャーのテーマや表現も成熟に向かい、混沌の中で強くサバイバルする「終末後」が、盛んに描かれるようになっていった。

 70年代から80年代ごろにかけては、書店の本の回転は今よりずっと緩やかだった。
 出版点数自体が少なかったので、最寄りの駅前にある「街の本屋さん」(これ自体が今はもう少なくなってしまった)に行けば、マンガや小説のヒット作は5〜10年前のものでもけっこう揃っていた。
 エンタメ文庫の隣にはがっちり岩波文庫も並んでいて、古典の世界への扉も用意されていた。
 出版点数が増え、書店の本の回転が速くなって、現在の感覚に近くなったのは、90年代以降だったと記憶している。

 私が「親に買ってもらった本を読む」という段階を脱し、自分で作品を探し始めたのが80年代に入ってからだったが、「あしたのジョー」も「デビルマン」も、まだ書店の本棚で現役作品だった。
 藤子不二雄でSF的な幼児の頃からSFセンスが磨かれ、「天才バカボン」から「がきデカ」、それ以降へ続くギャグマンガの進化もトレースすることができた。
 かなり長いマンガでもせいぜい十巻程度、二十巻を超えることはあまりなかったので、並べて置きやすかったという事情もあるだろう。
 週刊連載マンガの人気作品が数十巻のレベルに長編化するのは90年代以降のことで、80年代のとくに前半は、過去の人気作品と現在進行中の作品は書店の本棚で同居していたのだ。
 当時はまだマンガ本にビニールはかかっておらず、子供の立ち読みに寛容な時代だったので、様々な作品に親しむことができた。
 立ち読みだけで済まされる本も多かっただろうけれども、結果的にはマンガ好き、本好きな子が増えた。
 幼いころからメディアミックスで育った世代は、マンガやアニメのノベライズ作品で小説の面白さに目覚めるケースも多かった。
 TV番組の再放送や、映画のTV放映も頻繁にあったので、有名どころの作品はみんな一度は観ていた。
 そのような環境にあったので、80年代の少年の中にはかなりの「目利き」が育っていた。
 私が中高生の頃の友人の中にもそんな目利きが一人いて、間口の広い週刊少年マンガ誌の作品世界から一歩進み、大友克洋や平井和正等のコアなSFへと興味を開いてくれたのである。
(続く)
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2017年08月19日

「終末後」のサブカル5

 ここまで、70年代に描かれた幾多の「終末の物語」の後を受け、80年代ブームになった「終末後」のサブカルチャー作品について、私自身の当時の記憶と体感を元に書いてきた。
 そんな流れの中、愚直に「終末」テーマを追求し続ける作家もいた。
 週刊少年マンガ誌における同テーマの嚆矢となった「幻魔大戦」の原作者、平井和正である。
 元々はSF作家としてデビューした平井和正は、60年代の「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
 石森章太郎とのコンビで執筆された「幻魔大戦」は、年代的に「エイトマン」終了後の次なる意欲作にあたっていたのではないだろうか。

●マンガ「幻魔大戦」平井和正/石森章太郎
 67年、週刊少年マガジン連載。

 宇宙規模の破壊者である「幻魔」と、地球の超能力集団の戦いを描いたこの作品は、そもそもその設定から「勝てるわけがない」物語であった。
 少年マンガの敵役は、通常は味方側の成長と共に、競うように強さを増していくものだ。
 物語にドライブがかかると「強さのインフレ」」と呼ばれる現象が起こり、結果的に「宇宙大の悪」と戦う羽目になってしまったりもするが、それはあくまで順を追った結果のことだ。
 たとえば「ドラゴンボール」で、連載開始当初の幼い悟空の前に、いきなりセルや魔人ブウが現れたらどうなるだろうか?
 いくらサイヤ人の子供でも、勝てるわけがないのである。
 本作「幻魔大戦」の設定は、今読み返すとそのくらいのレベルでメチャクチャなのだ。
 そんな圧倒的な戦況の中、主人公・東丈をはじめとする地球の超能力者集団は、内部抗争を繰り返しながらも成長し、幻魔の地球方面司令官シグを引っ張り出すまでに健闘する。
 シグによって月が落下してくる「終末イメージ」の中で、マンガ版はいったん終了する。
 はっきり地球が滅びた描写はないものの、他の解釈があり得ないほど彼我の戦力差は歴然としており、続いて執筆された「新幻魔大戦」では、一旦物語は仕切り直されている。

●マンガ「新幻魔大戦」平井和正/石森章太郎
 71〜74年、SFマガジン連載。

 そもそも勝てるわけがない強大過ぎる敵の設定は、「幻魔宇宙」のビッグバンを起こす起爆剤になった。
 一つの世界で勝てないなら、歴史改変によって無限のパラレルワールドを分岐させ、勝つまで戦ってしまえばいい。
 そんな発想のもとに描かれた新作は、物語を一旦大幅に巻き戻した。
 幻魔により一瞬で滅ぼされた世界の一人の少女が、時間跳躍能力により「勝てる地球」を作ろうとする壮大なスケールの作品に成長したのだ。
 ここでは最初の「幻魔大戦」の物語は、幻魔に勝利するために試作されたパラレルワールドの一つに組み込まれることになる。

 70年代の「ウルフガイシリーズ」のヒットでSF作家として成功した平井和正は、徐々に漫画原作には距離を置くようになる。
 原典になった70年代前後の二作以降、「幻魔大戦」は、平井和正の小説版、石森章太郎のマンガ版がそれぞれ別に展開されることになる。
 石森マンガ版は1979年〜1981年、雑誌「リュウ」に連載された。

 平井小説版「幻魔大戦」シリーズは、70年代末から80年代にかけて、以下のように続々と刊行されていった。
 
●小説「新幻魔大戦」
 78年、71〜74年マンガ版の原作を、小説作品として刊行。

●小説「真幻魔大戦」
 79〜84年、SFアドベンチャー。
 前述「新〜」の流れを引き継ぎ、67年マンガ版で滅びた地球が歴史改変され、79年時点、29歳の青年作家・東丈が真の救世主として覚醒するストーリーとして書き起こされた「はずである」。
 舞台は79年にとどまらず、日本の上代、超未来、超過去、宇宙の果てまで含めて壮大に展開され、様々な時空で同時多発的に勃発する「幻魔大戦」の真相が示されていったが、東丈自身は中盤で謎の失踪。
 その後も作品自体は長く続いたが、やや唐突に中断。

●小説「幻魔大戦」
 79〜83年、野生時代。
 当初は角川劇場版アニメ第一作の原作、67年マンガ版のノベライズとして書き起こされた。
 文庫四巻目からは独自展開に移行し、17歳の少年・東丈は地球最強の超能力戦士としてではなく、言葉によって人類の覚醒を促すカリスマの相を現し始める。
 宇宙規模の破壊エネルギーを退けるのに、いくら強力でも個人の超能力では無理がある。
 人類全体の「光」のエネルギーを結集する方向へ戦術はシフトされたのだ。
 しつこく「ドラゴンボール」でたとえるなら、個人のパワー頼みのスーパーサイヤ人やかめはめ波ではなく、「元気玉」作戦に切り替えたともいえる。
 しかし物語中盤で丈は謎の失踪を遂げ、以後は取り残された「弟子」たちの混迷が描かれる。

●劇場版アニメ「幻魔大戦」
 83年公開。キャラクターデザインは大友克洋。
 基本的には67年マンガ版をベースに、ラストは東丈の戦士としての覚醒、サイボーグ戦士ベガの犠牲により、幻魔は退けられるハッピーエンドに改変されている。
 原作にクレジットされているものの、平井和正自身はアニメに関与していない。

●小説「ハルマゲドン」(角川「野生時代」版の続編)
 84年頃執筆、87年刊行。
 東丈の失踪した67年時点の世界、割拠するカリスマとその教団の動向を描くが、三巻分で中断。

●シナリオノベル「ハルマゲドンの少女」(83〜84年)
 丈の姉・三千子がキーマンとなって、シリーズで描かれた様々な世界を緯糸で繋ぐ構成になっている。
 開始当初はシナリオ形式だったが、じわじわと小説形式に変化し、「幻魔大戦シリーズ」の80年代における最終章にまで成長した特異な作品である。
 ラスト近くでどのシリーズでも失踪していた東丈が再登場し、カリスマ的な救世主の在り方に否定的なイメージを暗示する。

●「あとがき小説ビューティフルドリーマー」
 85年、著者としては珍しい評論「高橋留美子の優しい世界」の、後半分を占める「あとがき」として執筆された。
 虚実錯綜する私小説のような作品で、「幻魔大戦シリーズ」全体のあとがきとも読める。
 平井和正は節目節目にこうした虚実の狭間の物語を挟みながら、作家としての相を変化させていく傾向がある。

 数ある平井作品の中でも「幻魔大戦シリーズ」、とくに角川小説版は毀誉褒貶が激しい。
 派手な超能力アクション小説が突然、カルト教団の動向を描く展開にシフトしたのだから、これは仕方がない。
 著者が一時期、あるカリスマに傾倒していたことは知られていたので、「宗教にかぶれた変節作家」というレッテルも貼られがちだった。
 しかし事実関係を確認すると、平井和正は「教団」に入信したことは一度もなく、数か月間「あるカリスマ」と対話を続け、ゴーストライターをつとめた後、「決別」したということだ。
 80年代にハイペースで幻魔大戦シリーズを執筆していた時期は「決別後」にあたり、むしろカリスマ的指導者やカルト教団の危険性を警告する内容になっている。
 先に紹介した「あとがき小説ビューティフルドリーマー」は、「あるカリスマ」の強い魅力と共に、魔的な部分も記述された「決別の書」という一面もあるのだ。

 たかが小説、たかがサブカルチャーとは言え、平井和正という不世出のSF作家が、自身の経験も踏まえながら、文字通り命を削るペースで「終末」と取り組んだのが「幻魔大戦」である。
 当初は「真の救世主」を、リアルに、まともに描くことを企図していたようだが、ベストセラー小説の中で「それ」をやってしまうことの危険に、途中で気付いてしまったのかもしれない。
 大衆が強いカリスマ、強いヒーロー、救世主を求める心理自体が、独裁者や偽救世主を呼び寄せ、ハルマゲドンを誘発する。
 そうした「終末感」は、危機的な世相を根っこに持ちながら、サブカルチャーによって強く増幅される。
 平井和正は作家的な潜在意識を「言霊」と表現するが、少なくとも幻魔大戦の言霊は、物語を「救世主ストーリー」として描くことにブレーキをかけた。

「それを求める者は滅ぶ」

 そんな暗示を残して80年代の幻魔大戦は終結し、まるで作中のカルト教団が現実化したような事件の勃発する90年代へと、日本は突入していったのだった。

 最初のマンガ版が執筆されてからちょうど50年にあたる現在、「禁断の」角川小説版は、kindle合本で刊行されている。



(「終末後」のサブカルの章、了)
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