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2017年11月21日

黒い本棚1

 子どもはオカルトが好きだ。
 子どもだけでなく、大人も好きだ。
 みんなとは言わない。
 はっきり「オカルト嫌い」という層は一定数存在するが、「なんとなく興味がある」という程度のニーズは、常にそれを上回る。
 広く一般の「なんとなくの興味」が最も強く反映されるTVの世界では、今も昔も変わらずコンスタントにオカルト番組が放映されている。
 90年代半ば、カルト教団がテロ事件を起こした直後は、さすがにオカルト番組が放映されることは無くなっていたが、しばらく経つと「スピリチュアル」とか「都市伝説」等に衣替えして復活し、今に続いている。

 私が子供時代を過ごした70年代後半から80年代初頭にかけては、TVのオカルト番組の盛り上がりが一つのピークだったのではないかと思う。
 超能力、心霊現象、UMA(未確認生物)、UFO(未確認飛行物体)など、毎日のように取り上げられていた。
 私が幼児期を過ぎて番組内容を理解できるようになった頃は、微妙に「超能力ブーム」は収束しつつあった。
 スプーン曲げブーム直撃は、私たちの学年より少々上の「ちびまる子ちゃん」世代だろうけれども、他のテーマはまだまだ健在だった。
 UFO番組で、浮遊しながら降下してきた異星人が生きた牛の臓器をホース上の装置で吸引する再現映像にショックを受けて、夏の夜に窓を開けて寝るのが怖かった記憶がある。
 オカルト番組は夏に放映される機会が多かったのだ。
 夏と言えば「怪談」というのは定番中の定番。
 UFOも「怖さ」というジャンルの一つとして紹介されていたのだろう。
 TV番組やイベントでは、夏の定番の範疇になぜか「恐竜」まで含まれていたりするが、これは「怖さ」というより「縁日」「見世物小屋」というジャンルで解釈すれば納得できる。

 心霊系ではワイドショーの一コーナーで視聴者の恐怖体験を再現ドラマで紹介する「あなたの知らない世界」が人気で、これも夏休みになると連日放映されていた。
 わざわざ夏休みにまとめて放映するのは、完全に子供ウケをねらってのことだったのだろう。
 子供の頃視た心霊番組で今でも覚えているのは、「除霊」のシーンを再現ドラマではなく実際に収録した映像だ。
 年配の女性に「蛇の霊が憑いている」という触れ込みで、祭壇を前にしたお坊さん(?)が経文を唱えると、その女性が苦しみだす。
 両手を身体の前でつぼみのような形に合わせ、くねらせている姿を、「経文の力で蛇の霊が苦しんでいる」と解説されていたのだが、私は瞬間的に「あれっ? おかしいやん!」と違和感を持った。
 何分子供時代のことなので、さほど論理立てて判断できたわけではないが、今言葉を補って当時の違和感を表現すると、以下のようになる。
 もし女性に本当に蛇の霊が取り憑いて苦しんでいるなら、頭は頭として床に寝転がり、蛇のようにのたうつならまだわかる。
 わざわざ手で蛇の頭の形を作ってくねらせるのは、おかしいのではないか?
 これは演技をしているか、または女性本人が「蛇の霊に憑かれていると本気で思っている」かの、どちらかではないか?
 完全なフィクションではないにしても、心の中だけで起こっている「事実」があり得る?
 そんな印象を持ったのだ。
 この時の強い印象はずっと残っていて、私の「霊」に対する受け止め方に後々まで影響した。

 他にも、怖さは控えめで楽しめたのが、洞窟に潜入する冒険モノや、謎の生物を捜索する未確認生物モノだった。
 往年の「水曜スペシャル」では、世界各地の秘境や未確認生物を探索して回る「川口浩探検隊」シリーズが人気で、大好きだった私は毎回必ずチェックしていた。
 今振り返ると川口浩探検隊シリーズは、正しく「縁日」や「見世物小屋」の世界を継承したTV番組だった。
 予告やプロローグで煽りに煽り、もったいぶった構成で引っ張りに引っ張るのだが、肝心の「モノ」は最後まで見せないことが多かった。
 いきなり毒蛇が落下してきたリ、洞窟に白骨が散らばっている画面が頻出するのは、子供心にもちょっと疑問だったが、まだ「シコミ」という言葉は知らなかった。
(この探検隊は、けっこうアヤシイな……)
 はっきりそう認識したのは、たぶん小学校高学年の頃のことで、「猿人バーゴン」を探索に出かけた回のことだったはずだ。
 以下、当時の記憶をもとに端折って紹介してみよう。
 ジャングルの中で目撃された謎の猿人を捕獲するため、探検隊はいつもの如く長尺の冒険(前フリ)を経た後、ついにバーゴン(?)を捕獲する。
 ボロボロの服を着た蓬髪髭面の男が、奇声を上げながら探検隊を威嚇するが、到着したヘリに乗せられ飛び立っていく。
 静かな表情で見送る川口隊長。
 私はTV画面を呆然と見つめながら、心の中で叫んでいた。
(猿人ちゃうやん! 完全におっさんやん!)
 古生物マニアでもあった私にとって、「猿人」の概念はけっこう厳密だったのだ。
 翌日からはしばらく、友人や二つ下の弟と共に、やけくそ気味の「猿人バーゴンごっこ」に興じた覚えがある。
 小学校時代の何かの文集に猿人バーゴンネタを書いたような気もするが、どうせろくでもないアホな文章であろうから、実家で発掘などはしないでおく。
 と、ここまで書いて一応「猿人バーゴン」で検索をかけてみると、やはり当時の多くの子供の心に衝撃を与えた回であったらしい(笑)
 興味のある人は検索!

 個人的には「蛇の霊」と「猿人バーゴン」が記憶に残っているが、誰もがどこかの時点、何らかのきっかけで、オカルト番組の「仕掛け」に気付く瞬間があるのだと思う。
 私の場合は他にも、小学校の校門前に物を売りに来るおっさんや、縁日の店先、「当てもん」の類で小遣い銭を巻き上げられたりしながら、ウソとマコト、世の中の仕組みについて、色々学ぶところはあった。
 小学生時代の私の当てもん修行については、以前にも記事にしたことがある。

「当てもん」の達人1
「当てもん」の達人2
「当てもん」の達人3

 世の中には「虚実の狭間を読む楽しみ」というものがあり、オカルトやプロレスはその最たるものだ。
 それは、「完全なリアル」ではない。
 それは、「完全なフィクション」でもない。
 全肯定と全否定の間にグラデーションがあり、結論が出ないことに面白さがある。
 その面白さは、私の場合は徐々にTVよりも本の中に強く感じるようになって行った。
 子供時代を過ぎた80年代半ば、中高生になる頃には、オカルト的なテーマを扱う文章やマンガに心惹かれるようになった。
 今もそうだが、「怖い本」の多くは「黒」を基調としたデザインであることが多い。
 書店で黒い背表紙の並ぶ一画を探せば、そこにはたいてい怖い本が並んでいるものだ。
 ということで、私が80年代に通過してきたオカルトサブカルチャーの一部を、「黒い本棚」の章として紹介してみたい。
 しばしお付き合いを。
(続く)
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2017年11月27日

黒い本棚2

 一口に「怖い本」と言っても、そのジャンルは様々だ。
 現在なら怖さの種別にホラー、サスペンス、オカルトなど細かく嗜好が分かれたりすると思うが、80年代以前の時点では、そのあたりのジャンル分けはさほど明確ではなかったと記憶している。
 あと、これは「怖い本」に限らないが、虚実の匙加減で言えば、以下のような段階が考えられるだろう。

1、純然たるフィクション。
2、実際の出来事や体験を元にしながら、あくまでフィクションとして描かれた作品。
3、実録と称したフィクション。
4、実録の体裁で、一部フィクションも交えた作品。
5、純然たる実録。

 オカルトテーマを論じる時、この「匙加減」がけっこう問題になる。
 たとえばスプーン曲げなどの超能力ネタで言えば、ミスターマリックの「超魔術」は1〜2の「フィクション」の分類になるだろう。
 表現形態は超能力っぽく見える演目だが、演者自身も観客も完全に「トリックである」という前提で楽しんでいる。
 70年代のスプーン曲げブームの立役者であるユリ・ゲラーは、3で「トリックを超能力として客に見せた」ケースだ。
 その「売り方」をエンタメの範囲内として許容できるかどうかで、評価は分かれるだろう。
 日本におけるスプーン曲げの第一人者であるKさんの場合は、ちょっと微妙なものを含んでいる。
 私は一度だけ、とある機会に至近距離で「スプーン折り」を見、少々お話を聞かせていただいたことがある。
 その時の印象や、以下の本の詳細な取材を読んでみたところでは、おそらくKさんご自身としては、トリックでスプーン曲げをやってはいないと感じる。


●「職業欄はエスパー」森達也(角川文庫)

 少年時代の過酷なTV番組収録の中で、トリックを使ってしまったことがあるのは事実で、ご本人も認めているが、決してそれ「ばかり」ではなさそうだ。
 ただ、トリックでやっていないその現象には、「超能力」以外の解釈もあり得るはずで、このKさんのケースを、先の分類の「5、純然たる実録」と言い切るには、ややためらいがある。

 話を「怖い本」に戻すと、このジャンルには「3、実録と称したフィクション」がけっこう多い。
 一応実話を元にしていても、恐怖感を煽るためにかなり脚色し、ほとんどフィクションと化すことは多々ある。
 また、不出来なフィクションに手っ取り早くリアリティを付加する手段として「実録詐称」することもあるのだ。
 その場で楽しんだらお終いのエンタメであれば、こうした「詐称」も罪はない。
 しかし、霊感商法やカルト宗教の勧誘手段に使われると「悪質」ということになる。

 実話とフィクションの狭間を行き来しながら、それでも上質のエンタメとして成立しているオカルトマンガの嚆矢が、70年代前半、ほぼ同時に週刊連載された、つのだじろうの代表作二作だ。


●「うしろの百太郎」73〜76年、週刊少年マガジン
●「恐怖新聞」73〜76年、週刊少年チャンピオン

 私が内容を理解できる年齢に達した80年前後の時点でも、本屋の棚には現役で並んでいて、子どもたちを恐怖のどん底に叩き落し続けていた。
 主人公に強力な守護霊がついている「うしろの百太郎」の方は、いくら怖くても安心感があった。
 一方「恐怖新聞」は、主人公が「ポルターガイスト」に憑依され、最後まで除霊できないままに終わる救いのない展開で、本当に怖かった。
 先の分類では「2」にあたり、あくまでフィクションではあるけれども、作品に盛り込まれたオカルト情報・知識自体は出典のある「実録」で、作品にリアリティを持たせていた。
 このあたりの虚実の匙加減、リアルな描写は、同作者の直近のヒット作である「空手バカ一代」で体得したものかもしれない。

 実録を交え、リアルさを売りにしたフィクションには、常に「読者が真に受ける」というリスクが付きまとう。
 ましてや子供向けマンガのヒット作であり、作者のつのだじろうは霊や超能力が「実在する」というスタンスで描いている。
 当時もそれなりに批判はあったはずだが、今読み返してみると、非常に「節度」の感じられる描写になっていると思う。
 ブームだった「コックリさん」など、遊び半分で霊を扱うことや、金儲け目的のインチキ宗教に対してはかなり批判的に解説している。
 善悪の基準はオーソドックスな倫理で貫かれていて、決して逸脱することはない、ある意味「真っ当」な少年マンガである。
 この世の出来事全てが科学で解明できるわけではない以上、オカルトというジャンルの需要が尽きることはないし、一定割合でハマる人はハマる。
 筋の悪いものに最初に出会うのは良くないので、その点つのだ作品は、私が子供時代に出会った「オカルト」としては、非常にバランスのとれたフィクションだったと思うのだ。
(続く)
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2017年11月28日

黒い本棚3

 完全なる「作り話」であることを、作者も読者も了解した上で、それでも「怖い」と感じさせるのは、表現としてかなり高度だ。
 前回記事で紹介した、実録テイストの怖さを武器としたつのだじろう作品とは、また別種の恐怖創作技術が必要になってくる。
 マンガの世界で「虚構の恐怖」を描き続けた第一人者には、やはり楳図かずおが挙げられるだろう。
 ただ、私はたまたま「適齢期」に楳図マンガをほとんど読まずに通過してしまい、その魅力に気付いたのはずっと後になってからのことだった。
 それも、「わたしは慎吾」「14歳」などの一連のSF作品から入ったので、それ以前の「恐怖マンガ」に遡ったころには大人になってしまっていた。
 幼児が昆虫の足を引きちぎるような無邪気な残酷さを、そのまま「表現」にまで昇華したような楳図マンガの世界。
 その作風を、子供時代に体感できなかったのは少しもったいなかったと思う。

 そもそも私のマンガ原体験は、手塚治虫や藤子F不二雄のクールなSFから始まったので、怨念や理不尽が渦巻く恐怖マンガの世界には馴染みが無かったということもある。
 それでも子供なりの「怖いもの見たさ」はあったので、コロコロ等の雑誌にたまにのっていた恐怖マンガは、チラ見していた。
 そうした読み切り短編の中には、本当に怖くて今でも記憶に残っているものがある。
 今ネットで調べてみると、やはり当時の子供たちの間で、「伝説」として語りつがれているようだ。
 検索用に以下にメモしておくタイトルと作者名だけでも、「あ! それ知ってる!」と、あの頃の恐怖がよみがえってくる人は多いだろう。

●「蛙少年ガマのたたり」よしかわ進
●「地獄の招待状」槇村ただし

 私が恐怖マンガをがっつり読み始めたのは、たぶん中学生になってからのことだった。
 70年代から80年代にかけては、書店の本棚に並ぶマンガ本にはまだビニールがかけられておらず、子供はよく立ち読みしていた。
 お店の人にとっては迷惑だったと思うが、立ち読み体験から顧客が生まれる効果も確実にあり、ある程度は黙認してもらえた。
 そんな書店のマンガコーナーの一画に、背表紙が真っ黒のマンガが並んだ、文字通りの「黒い本棚」があった。
 怪奇・恐怖マンガばかりのシリーズを出版していた、これも伝説の「ひばり書房」の棚である。
 完全なフィクションの恐怖マンガで、当時の私がわりにリアルタイムで読み耽ったのが、日野日出志の作品だった。
 日野日出志は1946年、満州生れ。67年「COM」でデビューし、独特の強烈な画風、作風で、カルト的な人気を誇った。
 以下にいくつかの私が好きな作品と、現時点で比較的入手し易い版を紹介してみよう。

 私が最初に手に取ったのは、おそらく「地獄小僧」あたりだったはずだ。


●「地獄小僧」76年作。
 今から考えると、初期日野日出志作品の中ではかなりエンタメ寄りだったのだが、絵もストーリーも「らしさ」が存分に盛り込まれていた。
 一度見たら絶対に忘れられないあのキャラクターの造形に、私は完膚なきまでに叩きのめされた。
 いかにもマンガチックでシンプルな絵柄でありながら、モノクロ印刷の紙面から腐臭が漂い、血膿が滴り落ちてくるようだった。
 蒸せかえるような酸鼻に、何度もページから目を反らし、本を閉じながらも、ついつい続きを読んでしまう。
 そして、グロテスクの血肉の饗宴の果て、結晶した一かけらの抒情に呆然と立ち尽くす……
 そんなファーストコンタクトで日野日出志に魅入られて、中学生だった私は同じ「黒い本棚」に並ぶ過去の作品にも手を伸ばすようになった。
 とくに1970年前後の作品が凄まじかった。
 デビュー後の日野日出志が作風を確立するために身を削るような創作活動をしていた時期にあたり、多くの鬼気迫る短編が制作されていた。
 中でも特筆すべきは、以下の二作だ。


●「蔵六の奇病」70年、短編。
 初期の最高傑作。
 スタイルに悩み、迷いながら、何度も描き直し、約40ページに一年かけ、開眼したという。


●「地獄の子守唄」70年、短編。
 怪奇漫画家・日野日出志が主人公として登場するメタフィクション。
 もちろん「事実を描いた自伝」ではないが、冗談めかした語り口に「内的真実」が塗りこめられているであろうことは、その異様な迫力から伝わってきた。
 フィクションの仮面を被ることでだけ、吐露できる心情というものがあるのだ。
 同タイトルの短編集が日野日出志初の単行本として刊行されていて、収録作全てがいずれ劣らぬ傑作。
 音楽のジャンルではよく「ファースト盤がベスト盤」というケースが見られるが、それと似た雰囲気の漂う初単行本である。

 そして80年代初頭、ちょうど私がファーストコンタクトを果たした頃が、日野日出志の第二の作家的ピークにあたっていた。


●「地獄変」82年
 主人公は作者自身を投影したと思しき地獄絵師で、先に紹介した短編「地獄の子守唄」を元に、単行本一冊分の組曲として展開したような作品。
 狂気と怨念の濃度はそのままに、キャリアを積んだ分だけ筆致は磨き抜かれ、自身の「血」と真っ向から切り結んだ大作である。
 この作品も事実関係としての「自伝」ではあり得ないが、表現者が自分を極限まで追い込み、精神の深淵を覗き込んだ時だけに描ける「真実」がここにはある。
●「紅い蛇」83年
 前作「地獄変」完結後の余韻の中で、なおくすぶり続ける創作衝動を作品化したという、「家」がテーマの一冊。
 逃れられない家、逃れられない家族、永遠に循環し続ける悪夢。

 さんざん読み耽ったこれらの作品は、中学生当時ついに一冊も購入せず、行きつけだった本屋さんには大変申し訳ないのだが、全て立ち読みだった。(その代わり他の本はよく買っていた)
 正確に書けば、「買わなかった」というより「買えなかった」のだ。
 たまらなく心惹かれるくせに、自分の部屋の中に日野日出志のあの絵があるということ自体が「生理的にムリ!」という、二つの相反する感情が、当時の私の心の中で渦巻いていて、結局手元には置けなかった。
 後で聞くと、二つ年下の弟も同じような理由で何度も立ち読みしながら、ついに買えなかったそうだ。
 おそらく日野日出志には、こうした「読みたいけど買えなかった」ファンが膨大にいるはずだ。

 疎外された魂の怨念、呪詛。
 綺麗事では決して癒されない暗い感情。
 日野日出志の作品は、そんな部分を抱えた者にとって、まさに「地獄の子守唄」として響く。
 私が日野日出志の本を購入し、手元に置けるだけのキャパシティを手に入れたのは、愛蔵版が刊行され始めた90年代になってからのことだった。
(続く)
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2017年11月29日

黒い本棚4

 80年代も半ばになると、純然たるエンタメ作品に「恐怖」や「オカルト」の要素が盛り込まれることが一般化してきた。
 それまでにも「恐怖」や「怪奇」をテーマとした作品は多くあったが、あくまでそうしたジャンル内でのことだった。
 メジャー誌の王道バトルマンガで、真正面からオカルトを扱ったヒット作の代表が、荻野真「孔雀王」になるだろう。


●「孔雀王」85〜89年、週刊ヤングジャンプ連載。
 光と闇の壮大な最終決戦を、サイキックバトルの形式で描くという点では「幻魔大戦」「デビルマン」あたりから続く定番とも言えるが、主人公が密教僧で、敵役も全て何らかの秘教的修法を行使するという点に目新しさがあった。
 ただ、先行するエンタメ伝奇小説のジャンルでは既に同じ手法のヒット作はあり、とくに夢枕獏「魔獣狩り」シリーズとは設定に類似点があり、盗用問題に発展した経緯もあるという。
 それでもマンガで密教をやった例として嚆矢にあたることは確かで、雑誌デビュー作にして潜在的なニーズをよくとらえ、長編化した荻野真の功績は大きい。
 私も当時、読み切り形式の第一回からチェックしていて、「そうそう、こういうのが読みたかった!」と驚喜したのを覚えている。
 週刊連載マンガというものは、サブカルチャーの中でもとくに周縁部にあたる。
 山で言えば裾野、川で言えば下流の河口付近だ。
 密教、高野山、空海といったテーマの再評価は、70年代には既に始まっていたが、そうした機運がサブカルチャーの末端部分にまで行き渡ったのが80年代半ばであったということもできるだろう。
 一話完結方式の序盤を通過し、連載が軌道に乗ると、物語は主人公・孔雀の出征の秘密と絡めながら、壮大な長編として成長していく。
 週刊連載マンガ的な「後付け」「出たとこ勝負」「火事場のクソ力」で、設定にややノイズを生じながらも、そうした矛盾はかえって物語の推進力になっていく。
 密教だけでなく、世界各国の秘教的修法を貪婪に吞み込み、80年代オカルトほぼ全部盛り状態にまで風呂敷は広がっていく。
 連載中に絵も飛躍的に進化していく。
 極少数の、若く勢いのあるマンガ家だけに生じるマジックが、作品を加速していったのだ。
 そして、ハードな最終戦争を描きながら、最後は金胎両界曼荼羅の世界観にねじ伏せ、「破滅」で終わらせなかった力技は、見事という他なかった。
 マンガ家の素養、時代の空気、そしておそらく編集やスタッフの支援体制にも恵まれた、幸せな作品だったのではないかと思う。

 この「孔雀王」の影に隠れがちだが、ほぼ同時期に、よく似たテーマを扱った月刊少年誌掲載のマンガ作品もあった。
 決してどちらかがどちらかのパクリという意味ではなく、そうした作品が求められる機運があったのだ。


●菊池としを「蓮華伝説アスラ」85〜87年、マガジンSPECIAL連載。
 この作品、テーマが近似しているだけでなく、作者の年齢も近く、連載デビュー作であることも共通している。
 迫力のある絵で私はかなり好きだったのだが、展開はやや迷走気味で、「ちょっと噛み合ってなくてもったいないなあ」などと、生意気な感想を持っていたことを覚えている。
 結局雑誌連載分では完結せず、単行本の加筆ページで「真のラスト」が描かれるという流れだったはずだ。
 決してうまくまとまってはいなかったが、良いセンスを持った若いマンガ家が、思い入れを持って孤軍奮闘している印象があり、記憶に残る作品だった。
 作者は後に「霊言」で有名な新新宗教に入信し、作品の末尾には参考文献として教団刊行の書名が並ぶようになった。
 表現者がどんな信仰を持とうと、それ自体は批判すべきではない。
 ただ、この作者の場合、入信以降の作品は「結論ありき」の印象が強く、私の好みからは外れた。
 私はやっぱり悩み苦しみながら描き、少々破綻していても、描きながら何かをつかみ取るような作品が好きなのだ。


 最初の「孔雀王」が完結した後、別作品の連載をはさみながら、90年代に入って続編が開始された。


●「孔雀王 退魔聖伝」90〜92年、週刊ヤングジャンプ連載。

 時間軸としては一応、第一シリーズの後ということになっていたはずで、初期の雰囲気を再現するような短編連作退魔行の形でスタートした。
 物語は徐々に孔雀の属する裏高野と日本の太古の神々の戦いの構図へとシフトして行き、孔雀がスサノオの力を受け継ぐものとして再出発する所で突然連載は終了した。
 リアルタイムで読みながら奇異な印象を受ける中断だったが、これは打ち切りではなく、作者の意志によるものであったらしい。
 80年代の最初のシリーズは、当時のオカルトのフルコースのような贅沢さだったが、実は手薄な領域というのもあった。
 日本の神道、古神道がそうだ。
 90年代の「退魔聖伝」ではそれを補完しようと意図しながら、うまく接ぎ木できずに筆を置いたということらしい。
 今思うと、神仏習合は真言密教のようにすっきり整理された世界観を持たないので、作品の背景とするのは困難だったのだろうなと感じる。
 90年代初頭というのは、古神道関連の手頃な書籍もまだ出揃っていなかったのではないだろうか。
 古神道の波が来るのは、だいたい密教ブームが一段落した後で、密教的な概念を一度通過しないと、読む側の理解が追い付かないという面もあると思う。

 連載中断中、古神道を一つのモチーフとした「夜叉鴉」等の執筆をはさんだ後、2000年代に入ってようやく「退魔聖伝」の続きの連載が始まった。


●「孔雀王 曲神紀」06〜10年、週刊ヤングジャンプ、月刊ヤングジャンプ連載。

 当時の私は既にこのブログをスタートしており、期待感を込めてオリジナル画像付きの記事で紹介したが、このシリーズも「めでたく完結」とは行かなかったようだ。

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 そして現在、「孔雀王」は掲載誌を代え、何度も仕切り直しながら描き継がれている。


●「孔雀王ライジング」12年〜、月刊スピリッツ連載。
●「孔雀王 戦国転生」12年〜、戦国武将列伝、コミック乱連載。

 90年代以降の「孔雀王」は、決して80年代の最初のシリーズのようにうまくかみ合ってはいない。
 どんなに力のある表現者でも、若い頃描いてしまった一世一代の初期作を超えることは困難だ。
 しかし個人的に、何らかの形で90年代のおとしまえを付けようと足掻く身としては、同時進行で苦闘しているシリーズに対し、勝手に親近感を持ちながらつかず離れずで追い続けている。
 とくに「戦国転生」の、時空を超えて流浪し、素浪人のおっさんみたいになった孔雀が愛しい(笑)

 そんな孔雀との付き合いも、既に三十年を超えた。
 ここまで来たら最後まで見届けるとも!
(続く)
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2017年11月30日

黒い本棚5

 80年代日本のエンタメ、とくにオカルト的なテーマを含んだ作品には、「ネタ元」になったであろう著作や著者が垣間見えるケースが多々あった。
 当時少年だった私は、存分にサブカルを楽しむ年代にあり、同時に月刊雑誌「ムー」の愛読者でもあったので、オカルト分野で「表現者に影響を与えたネタ元」には気付きやすかったのだ。
 ここでは、そんな中から代表的な二人を紹介してみたい。

 一人目は高藤聡一郎(たかふじ そういちろう)である。
 手元の本のプロフィールによると、1948年、東京生まれ。都庁勤めの後、民族文化に興味を持って世界各国を放浪、台湾で中国仙道と出会い、修行を積んだとされる。
 帰国後、「気」のコントロールを中心にした仙道の実践法についての著書を多数出版するようになった。
 それまで「仙人」と言えば、中国や日本の古典だけに登場する存在であり、文学的な研究対象であった。
 高藤総一郎の特色は、現存する「仙人になるための修行法」について、自身の体験を元に現代的な解釈を加え、極めて平易に記述することができる点にあった。
 80年代には「ムー」誌上で仙道に関連する「気功」「奇門遁甲」等のテーマについての解説を次々に執筆し、順次書籍化されていった。
 後には「夢見」や「チベット」と言ったテーマにまで守備範囲を広げていく。
 あくまで在野の研究者、修行者であり、書籍も新書版等の手軽なものばかりだったが、内容はとにかく「リアル」に感じられた。
 私はあくまで「読み物」として楽しんでいたので、読み方としては他のサブカル作品とあまり変わらなかったが、実際に独習してみた人も多かったことだろう。
 80年代、オカルトテーマのエンタメ作家で、この作者の本を読んでいない人はいなかったのではないかというくらい、影響の広さが見て取れた。
 高藤聡一郎の語る仙道の世界観は、様々なフィクションに引用され、孫引きを繰り返された。
 今世間一般にも広く受け入れられている「気」「仙道」のイメージは、元を辿ればこの作者の世界観に由来すると言っても過言ではないと思う。
 私が今でも手元に残し、読み返すことがあるのは、以下の一冊。


●「秘法! 超能力仙道入門」(学研)
 今読み返すと「きれいに整理し過ぎ」という印象があり、もう少し道教文化の猥雑さの要素が欲しい気がするが、それでも十分に面白い。
 中国の仙道文化の概説から、個人的な「気」の修行法、そして最後には「道(タオ)」という概念まで行き着く内容は、一読の価値があると思う。

 高藤聡一郎の仙道解説が、果たしてどこまで「リアル」であるかについては、様々な意見があるだろう。
 その虚実も含め、私は「日本のカルロス・カスタネダ」だと思っている。


 もう一人は高橋信次である。
 先に紹介した高藤聡一郎は完全な「修行者」タイプであったが、こちらはGLAという新宗教の開祖だ。
 宗教・宗派にとらわれない「霊」の在り方、宇宙観の解説は、これも極めて平易で魅力的。
 そしてこちらの作者も、著書の多くが手に取りやすい新書版で刊行されていた。
 私が今も手元に残しているのは、以下の本。


●「悪霊T」(三宝出版)
 人々を悩ます憑霊との対話、説法の様はとてもリアルで迫力があり、読み応えがある。
 今現在の私の「霊」に対する捉え方とはかなり隔たりがあるのだが、読み返してみると「ああ、この人は百戦錬磨のカウンセラーだったのだな」と腑に落ちる気がするのである。
 
 この作者自身は70年代半ばに48歳で亡くなったのだが、その世界観は、80年代サブカルで広く引用・孫引きされていった。
 そしてあくまで「修行法」を紹介する修行者・高藤総一郎に対し、高橋信次の場合は「より良い生き方」を説く宗教者であったので、引用・孫引きはフィクションの分野に留まらなかった。
 現在の新新宗教、スピリチュアル界隈の言説にも、直接間接に高橋信次の影響が強く残っていると感じる。


 ここで紹介した二人は、自身の思想・世界観を非常に平易に面白く、しかも求めやすい形で提示できた修行者、宗教家だった。
 その言説の魅力は、多くのエンタメ表現者が作品のバックボーンとして使いたくなる水準にあった。
 言い換えれば、「思想のサブカル化」の達人であったのではないかと思う。
 本章「黒い本棚」でも紹介してきたように、70〜80年代はオカルトや宗教思想が爆発的にサブカルに変換され、消費されていった時代だった。
 そして次の段階として、そうしたオカルト・宗教をテーマとしたサブカル作品を享受して育った世代の中から、サブカルを起点として逆に宗教化して行く人物や集団が登場したのではないかと考えている。
 そのことについては、また章を改めて覚書にしたい。
(「黒の本棚」の章、了)
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