2009年の記事から加筆再掲
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以前荷物整理をしていたら、むか〜し作ったプラモデルが出てきた。
日本のTV特撮番組の先駆け「ウルトラQ」の怪獣「ガラモン」だ。
全高12cm弱で、固定ポーズ。
放映当時のレトロ玩具ではなく、80年代になってから発売されたバンダイのThe特撮collectionシリーズなので、造りはリアルな感じだ。
最近のプラモデルははめ込み式がほとんどだが、当時のものは自分で丁寧に接着剤を塗って組み上げなければならなかった。ガラモンの上半身一帯を覆う突起物は、一つ一つ全て別パーツ!
かなりの難行苦行だった覚えがあるが、それでも「ちょっと少な目」な感じがする。今記事を書いていて「プラモ二個買って、刺二倍にしたらちょうどだな」と思いながら作っていたことを思い出した。
そう言えば発売当時、「箱を開けた瞬間に作る気をなくすプラモ」という噂もあったような……
定価は数百円だったはずで、私は結構気に入っているのだが、前述のごとくの組みにくさの上、元になった着ぐるみにもあまり似ておらず、評判は悪いようだ。
プレミア価格で手を出すほどのものではない。
最近のフィギュアは塗装済みが主流だが、この頃のプラモはまだ成型色のままで、色は自分で塗らなければならなかった。
このガラモンは、確かミルクチョコみたいな茶色の成型色一色だった。
塗装にあたっては、最初に全体をつや消しブラックのスプレーを吹き、乾燥後に少しずつドライブラシで色味を入れていったはずだ。
ドライブラシというのは、毛を短く切った古い筆に少量の塗料をつけ、半ば乾燥させながらこするように着色していく技法で、小さな凸凹をより大きく見せる効果がある。
つや消し黒からスタートするのは、いわゆる「黒立ち上げ」と呼ばれる技法と同じ発想だ。
小サイズの模型でも立体感が強調されてリアルな感じが出しやすいという効果がある。
今だったら、手足にもう少しだけ色味を加えるだろう。
前の記事のシン・ゴジラも同じ塗り方の応用だ。
最深層にオレンジレッドを使っているのだけが違いで、その上からは同じように「黒立ち上げ」っぽく重ねている。
私の世代はガンプラブーム直撃なので、こうした技術を普通に子供時代に修得している人がけっこういて、「石を投げればモデラーにあたる」状態だ。
戦闘民族サイヤ人ならぬ、プラモ民族ガンプラ世代なのだ。
私などは下級戦士に過ぎないが、今現在模型やフィギュアの商品開発をしている人の中には、おそらく私たちの世代のプラモ・エリート、スーパーサイヤ人みたいな人ががたくさんいるのだろう。
エリートの皆さんの活躍で、わざわざ工作技術を駆使したり塗ったりしなくても、代金さえ払えば誰でも質の良い模型が手に入るようになった。
しかし「造る技術」が要らなくなったこの状況では、我々ガンプラ世代のような特殊民族は、二度と生まれないことだろう……
こんなところも、己の戦闘力の向上にしか関心を持たず、結局滅びてしまったサイヤ人そっくりだ。
2016年09月22日
2016年09月24日
加筆再掲;おもちゃの色、本物の色
ほとんど就学前から、プラモデルを作ってきた。
最初にハマったのはイマイの「ロボダッチ」シリーズだったと記憶している。
当時よくTVコマーシャルで「♪人間だったら友達だけど〜、ロボットだからロボダッチ♪」という歌が流れていて、子供達の購買意欲をそそっていた。
●青島文化教材社 ロボダッチシリーズNo.07 ロボダッチDXセット Vol.2
上掲の商品はおそらく復刻されたものだと思うが、私の記憶の中の「ロボダッチ」とほぼ一致している。
このシリーズはアニメ等のキャラクターを玩具で再現したものではなく、プラモデル先行で展開されたもので、コミカライズは後からだったはずだ。
安い値段のロボット単体のプラモだけでなく、そうしたロボットたちを活動させるための、少し高価な情景モデルまで揃っており、「世界観」を提供する商品展開になっていた。
各キャラクターの性格付けや物語は、プラモデルの箱の横面や組み立て解説書に断片的に記されているのだが、シリーズを集めて情報が蓄積されてくると、けっこう壮大な作品世界が顕れてくる。
子供時代の私はプラモデルを集めているのと同時に、実はそうした物語の断片を集めて、より大きな物語が頭の中に出来上がることを喜んでいたはずだ。
こうした商品の特性は、後のヒット商品「ビックリマン・シール」の、一枚一枚の断片的神話情報をつなぎ合わせると壮大な神話体系が浮かび上がってくる構造にも共通するだろう。
このあたりの考察は、以下の本に詳しい。
●「物語消費論改」大塚英志(アスキー新書)
当ブログ「縁日草子」も、様々な神仏の断片的な物語を図像とともに記録して、そこから立ち上ってくる「より大きな物語」を楽しむという点では、子供の頃ハマっていた玩具のシリーズと同じだ。「三つ子の魂百まで」とはこのことか(笑)
プラモデルを組み立てていると、子供心にはまるで自分が本当にロボットを作っているように感じられた。「組み立て解説書」のことを「設計図」と読び、熱中していた。
メカものの模型にとっては「まるでホンモノを組み立てているような感覚」は強い訴求力を持っているらしく、最近よくある大人向けの「週刊〜」のシリーズでもよく使われている売り文句だ。
「ロボダッチ」は、プラモデルの成型色に2〜3色は使われていて、細かな色分けのためのシールもついていたので、解説書通りに組み立てれば、ほぼ箱絵と同じ仕上がりになった。
魅力的な箱絵と、微妙に違った色や形になることもあり、それが不満でなんとか同じ色に出来ないかと試してみたが、サインペンやクレパス、水彩絵具ではプラモにうまく着色できないことはすぐに学習した。
「プラモは買ったままの色で満足するしかない」
そんな風に思っていた時期がけっこう長く続いた。
子供の頃の私のプラモ制作の技術が上がって、それまで「はめ込み式」一辺倒だったのが、接着剤を使うものも作れるようになってきた。
今のプラモデルはかなり精巧なものでも「はめ込み式」が主流になってきているが、当時は模型の箱の中に接着剤の包みが付属していた。
平行四辺形の包みの尖った先端を切って部品に接着剤を塗るのだが、切るときに失敗すると、大量の接着剤がこぼれてしまうという、なんとも使いにくい代物だった。
接着剤付きプラモで最初にハマったのは「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズだった。一番小さいスケールのものが一箱百円だったので、子供のお小遣いでもコレクションしやすかった。
近年ヤマトはリメイクされて、最新技術のプラモと同時に、70年代のものも再版されている。
小サイズのものは、さすがに「一箱100円」ではなくなっていた(笑)
その頃、行きつけのプラモ屋さんの一画で、模型用塗料というものが存在することを知った。
当時は水性アクリル塗料の出始めた頃で、その種類なら部屋をシンナー臭くせずに使用でき、スポンサーである親の理解も得やすかった。
一生懸命塗ってもムラだらけ、はみ出しだらけになってしまったが、自分の力で「箱のカッコいい絵と同じ色にできる」という満足感は、何者にもかえがたかった。
最近、荷物整理をしていてガラモンとともに、ヤマト関連のプラモも発見した。
いつ作ったものなのかは憶えていないが、塗装技術から判断すると小学生当時のものではなくて、中学生ぐらいの時に作ったものだろうか。
箱の全幅15cm、模型の全長10cmの小品ながら、模型そのものの出来が素晴らしいことがわかる。
一生懸命きれいに塗っているのがほほえましい。
今だったらもっと「汚す」。
「ロボダッチ」は子供の頃の私の意識の中でも完全に「オモチャ」だった。
成長とともに私は模型にも「ホンモノっぽさ」を求めるようになっており、その志向と「ヤマト」の模型シリーズはぴたりと一致していたのだ。
それからほどなく空前の「ガンプラ・ブーム」が始まった。
様々な関連本が出版され、中でも私が子供心に衝撃を受けたのが模型雑誌ホビージャパンの別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」だった。
表紙に大写しになったガンダムの色合いを見て、すぐに「ホンモノの色だ」と思った。それまで赤や青や黄色の原色で塗り分けていた自慢のガンダム模型コレクションが、とたんにちゃちな「オモチャの色」に見えてきた。
この色使いは一体どうやってるんだろう?
子供の私はプラモ制作を通して、徐々に色の「彩度」という概念の門をくぐろうとしていたのだった。
●「HOW TO BUILD GUNDAM &2復刻版」(ホビージャパン)
ガンダムの三十周年記念があちこちで盛り上がっていた2009年、この伝説のガンプラ解説本も復刻された。
今読むと、技術レベルは大したことはない。
しかし、新しいジャンルが切り開かれつつある「熱」がこの本には充満していて、それは技術を補って余りあるのだ。
この一冊が、現在の模型、フィギュア文化の原点になったことは間違いない。
最初にハマったのはイマイの「ロボダッチ」シリーズだったと記憶している。
当時よくTVコマーシャルで「♪人間だったら友達だけど〜、ロボットだからロボダッチ♪」という歌が流れていて、子供達の購買意欲をそそっていた。
●青島文化教材社 ロボダッチシリーズNo.07 ロボダッチDXセット Vol.2
上掲の商品はおそらく復刻されたものだと思うが、私の記憶の中の「ロボダッチ」とほぼ一致している。
このシリーズはアニメ等のキャラクターを玩具で再現したものではなく、プラモデル先行で展開されたもので、コミカライズは後からだったはずだ。
安い値段のロボット単体のプラモだけでなく、そうしたロボットたちを活動させるための、少し高価な情景モデルまで揃っており、「世界観」を提供する商品展開になっていた。
各キャラクターの性格付けや物語は、プラモデルの箱の横面や組み立て解説書に断片的に記されているのだが、シリーズを集めて情報が蓄積されてくると、けっこう壮大な作品世界が顕れてくる。
子供時代の私はプラモデルを集めているのと同時に、実はそうした物語の断片を集めて、より大きな物語が頭の中に出来上がることを喜んでいたはずだ。
こうした商品の特性は、後のヒット商品「ビックリマン・シール」の、一枚一枚の断片的神話情報をつなぎ合わせると壮大な神話体系が浮かび上がってくる構造にも共通するだろう。
このあたりの考察は、以下の本に詳しい。
●「物語消費論改」大塚英志(アスキー新書)
当ブログ「縁日草子」も、様々な神仏の断片的な物語を図像とともに記録して、そこから立ち上ってくる「より大きな物語」を楽しむという点では、子供の頃ハマっていた玩具のシリーズと同じだ。「三つ子の魂百まで」とはこのことか(笑)
プラモデルを組み立てていると、子供心にはまるで自分が本当にロボットを作っているように感じられた。「組み立て解説書」のことを「設計図」と読び、熱中していた。
メカものの模型にとっては「まるでホンモノを組み立てているような感覚」は強い訴求力を持っているらしく、最近よくある大人向けの「週刊〜」のシリーズでもよく使われている売り文句だ。
「ロボダッチ」は、プラモデルの成型色に2〜3色は使われていて、細かな色分けのためのシールもついていたので、解説書通りに組み立てれば、ほぼ箱絵と同じ仕上がりになった。
魅力的な箱絵と、微妙に違った色や形になることもあり、それが不満でなんとか同じ色に出来ないかと試してみたが、サインペンやクレパス、水彩絵具ではプラモにうまく着色できないことはすぐに学習した。
「プラモは買ったままの色で満足するしかない」
そんな風に思っていた時期がけっこう長く続いた。
子供の頃の私のプラモ制作の技術が上がって、それまで「はめ込み式」一辺倒だったのが、接着剤を使うものも作れるようになってきた。
今のプラモデルはかなり精巧なものでも「はめ込み式」が主流になってきているが、当時は模型の箱の中に接着剤の包みが付属していた。
平行四辺形の包みの尖った先端を切って部品に接着剤を塗るのだが、切るときに失敗すると、大量の接着剤がこぼれてしまうという、なんとも使いにくい代物だった。
接着剤付きプラモで最初にハマったのは「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズだった。一番小さいスケールのものが一箱百円だったので、子供のお小遣いでもコレクションしやすかった。
近年ヤマトはリメイクされて、最新技術のプラモと同時に、70年代のものも再版されている。
小サイズのものは、さすがに「一箱100円」ではなくなっていた(笑)
その頃、行きつけのプラモ屋さんの一画で、模型用塗料というものが存在することを知った。
当時は水性アクリル塗料の出始めた頃で、その種類なら部屋をシンナー臭くせずに使用でき、スポンサーである親の理解も得やすかった。
一生懸命塗ってもムラだらけ、はみ出しだらけになってしまったが、自分の力で「箱のカッコいい絵と同じ色にできる」という満足感は、何者にもかえがたかった。
最近、荷物整理をしていてガラモンとともに、ヤマト関連のプラモも発見した。
いつ作ったものなのかは憶えていないが、塗装技術から判断すると小学生当時のものではなくて、中学生ぐらいの時に作ったものだろうか。
箱の全幅15cm、模型の全長10cmの小品ながら、模型そのものの出来が素晴らしいことがわかる。
一生懸命きれいに塗っているのがほほえましい。
今だったらもっと「汚す」。
「ロボダッチ」は子供の頃の私の意識の中でも完全に「オモチャ」だった。
成長とともに私は模型にも「ホンモノっぽさ」を求めるようになっており、その志向と「ヤマト」の模型シリーズはぴたりと一致していたのだ。
それからほどなく空前の「ガンプラ・ブーム」が始まった。
様々な関連本が出版され、中でも私が子供心に衝撃を受けたのが模型雑誌ホビージャパンの別冊「HOW TO BUILD GUNDAM」だった。
表紙に大写しになったガンダムの色合いを見て、すぐに「ホンモノの色だ」と思った。それまで赤や青や黄色の原色で塗り分けていた自慢のガンダム模型コレクションが、とたんにちゃちな「オモチャの色」に見えてきた。
この色使いは一体どうやってるんだろう?
子供の私はプラモ制作を通して、徐々に色の「彩度」という概念の門をくぐろうとしていたのだった。
●「HOW TO BUILD GUNDAM &2復刻版」(ホビージャパン)
ガンダムの三十周年記念があちこちで盛り上がっていた2009年、この伝説のガンプラ解説本も復刻された。
今読むと、技術レベルは大したことはない。
しかし、新しいジャンルが切り開かれつつある「熱」がこの本には充満していて、それは技術を補って余りあるのだ。
この一冊が、現在の模型、フィギュア文化の原点になったことは間違いない。
2016年09月26日
加筆再掲;灰色の世界
今の子供達の娯楽の王様は、やはりゲームになるのだろうか。
漫画、アニメ、特撮、ゲーム、全て私の子供時代には出揃っていたが、今と昔でランクが大きく変動したのが「プラモ」だろう。
私と同じくらいの世代の、特に男子の間では、娯楽の王様の位置は「ガンプラ」が占めていたはずだ。
「ガンプラ」は言わずと知れた「ガンダムプラモ」の略。当時の男の子連中はこぞって欲しがり、プラモ屋の仕入れ日には早朝から長蛇の列ができ、開店と同時に激しい争奪戦が繰り広げられた。
子供向けの月刊漫画誌で、一番人気の「コロコロ」を追撃していたのが「ボンボン」だ。
ボンボンはホビー色を前面に押し出していて、プラモ制作をテーマにした「プラモ狂四郎」が連載され、毎号カラー特集でガンプラの作例&技術解説が掲載されていた。
私はすぐにガンプラに夢中になり、設計図(組立解説書)に従って組み立て、塗料で色を塗り分けた。
当時のプラモ、とくに小学生が手を出しやすい値段帯のものは、プラスティックの成型色がせいぜい一色か二色程度しか無かった。
「世界で一番売れたプラモデル」として記録に残っている1/144ガンダムでも、接着剤で組んだだけでは「真っ白」だったのだ。
だからどんなに塗りむらだらけ、はみ出しだらけであろうと、とにかく塗った方がはるかにカッコ良くなるので、子供たちはみんな小瓶の塗料を何色も買い込んで悪戦苦闘していた。
図工が得意だった私は、同世代の中ではごく少数の「ガンダムの顔をはみ出さずに塗り分けられる」内の一人で、けっこう尊敬を集めたりした。
当時はブームの真っ最中だったので、専用の「ガンダムカラー」なるものまで発売されていた。
「ガンダム世代」の中では低年齢層に属していた私は、シンナーを使用する模型塗料は親から止められていたので、水性塗料を混色して設定の色を再現することに努めていた。
ほとんどの色は再現できていたのだが、ガンダムのライフルやランドセルに使用される「ミディアムブルー」と言う色が、どうしても作れなくて壁にぶち当たった時期があった。
青味がかったグレーであることはわかるのだが、実際に「黒+白+青」で混ぜてみると「ちょっと違う」感じになってしまうのだ。
限られた小遣いで買い集めた塗料を空費し、途中からはスポンサー(親)から現物支給される水彩絵具での実験に切り替え、私の試行錯誤は続いた。
たまたまパレット上の赤が混じってしまった時に似た色ができ、ようやく私はミディアムブルーと言う色を「わずかに紫がかった青味のグレー」と認識できたのだった。
そうこうしているうちに、当時の私は身のまわりの色を全て「赤・青・黄・黒・白」の五色で分析して観る習慣がついてしまっていた。
全ての色は(理論上は)その5色からの混色で再現可能なはずなのだ。
通常は中学美術で習うはずの色彩の仕組み(色相環・明度・彩度など)のを独自に研究・開発し、世の中の「色の秘密」を理解した気分になって興奮していた。
分析結果によれば、この世に「絵具のような鮮やかな色」は極めて少なく、ほとんどのものが「灰色の混じった色」であることがわかった。
灰色を基本としてそれに色彩を混ぜてできる「この世の色」と、オモチャなどの人工物に見られる灰色の割合の少ない鮮やかな色。
オモチャの色、ホンモノの色という二つの色のカテゴリが、私の中で出来上がっていたのだった。
そして前回紹介した「HOW TO BUILD GUNDAM」との出会いにより、「オモチャであるプラモにホンモノの色を塗る」という発想に至る事になった。
こうして少年時代の私は、色を使うことによってオモチャの世界で「現実感」を再現する、二つの別の世界を交錯させることの面白さを知りつつあったのだ。
たかが子供の遊びであるプラモから、私はたくさんのことを学んだ。
立体感覚、色彩理論、造形素材に対する知識、ツールの使い方。
そして現実と虚構の狭間に遊ぶ不思議さ、面白さ、危うさ。
全て今につながっている。
漫画、アニメ、特撮、ゲーム、全て私の子供時代には出揃っていたが、今と昔でランクが大きく変動したのが「プラモ」だろう。
私と同じくらいの世代の、特に男子の間では、娯楽の王様の位置は「ガンプラ」が占めていたはずだ。
「ガンプラ」は言わずと知れた「ガンダムプラモ」の略。当時の男の子連中はこぞって欲しがり、プラモ屋の仕入れ日には早朝から長蛇の列ができ、開店と同時に激しい争奪戦が繰り広げられた。
子供向けの月刊漫画誌で、一番人気の「コロコロ」を追撃していたのが「ボンボン」だ。
ボンボンはホビー色を前面に押し出していて、プラモ制作をテーマにした「プラモ狂四郎」が連載され、毎号カラー特集でガンプラの作例&技術解説が掲載されていた。
私はすぐにガンプラに夢中になり、設計図(組立解説書)に従って組み立て、塗料で色を塗り分けた。
当時のプラモ、とくに小学生が手を出しやすい値段帯のものは、プラスティックの成型色がせいぜい一色か二色程度しか無かった。
「世界で一番売れたプラモデル」として記録に残っている1/144ガンダムでも、接着剤で組んだだけでは「真っ白」だったのだ。
だからどんなに塗りむらだらけ、はみ出しだらけであろうと、とにかく塗った方がはるかにカッコ良くなるので、子供たちはみんな小瓶の塗料を何色も買い込んで悪戦苦闘していた。
図工が得意だった私は、同世代の中ではごく少数の「ガンダムの顔をはみ出さずに塗り分けられる」内の一人で、けっこう尊敬を集めたりした。
当時はブームの真っ最中だったので、専用の「ガンダムカラー」なるものまで発売されていた。
「ガンダム世代」の中では低年齢層に属していた私は、シンナーを使用する模型塗料は親から止められていたので、水性塗料を混色して設定の色を再現することに努めていた。
ほとんどの色は再現できていたのだが、ガンダムのライフルやランドセルに使用される「ミディアムブルー」と言う色が、どうしても作れなくて壁にぶち当たった時期があった。
青味がかったグレーであることはわかるのだが、実際に「黒+白+青」で混ぜてみると「ちょっと違う」感じになってしまうのだ。
限られた小遣いで買い集めた塗料を空費し、途中からはスポンサー(親)から現物支給される水彩絵具での実験に切り替え、私の試行錯誤は続いた。
たまたまパレット上の赤が混じってしまった時に似た色ができ、ようやく私はミディアムブルーと言う色を「わずかに紫がかった青味のグレー」と認識できたのだった。
そうこうしているうちに、当時の私は身のまわりの色を全て「赤・青・黄・黒・白」の五色で分析して観る習慣がついてしまっていた。
全ての色は(理論上は)その5色からの混色で再現可能なはずなのだ。
通常は中学美術で習うはずの色彩の仕組み(色相環・明度・彩度など)のを独自に研究・開発し、世の中の「色の秘密」を理解した気分になって興奮していた。
分析結果によれば、この世に「絵具のような鮮やかな色」は極めて少なく、ほとんどのものが「灰色の混じった色」であることがわかった。
灰色を基本としてそれに色彩を混ぜてできる「この世の色」と、オモチャなどの人工物に見られる灰色の割合の少ない鮮やかな色。
オモチャの色、ホンモノの色という二つの色のカテゴリが、私の中で出来上がっていたのだった。
そして前回紹介した「HOW TO BUILD GUNDAM」との出会いにより、「オモチャであるプラモにホンモノの色を塗る」という発想に至る事になった。
こうして少年時代の私は、色を使うことによってオモチャの世界で「現実感」を再現する、二つの別の世界を交錯させることの面白さを知りつつあったのだ。
たかが子供の遊びであるプラモから、私はたくさんのことを学んだ。
立体感覚、色彩理論、造形素材に対する知識、ツールの使い方。
そして現実と虚構の狭間に遊ぶ不思議さ、面白さ、危うさ。
全て今につながっている。
2016年09月28日
加筆再掲;表現・再現・修復
ものをつくる、絵を描くと言う行為にも様々な種類がある。
実在のものを「再現」しようとする場合。
存在しないものを「表現」しようとする場合。
そしてそうした作品を「修復」しようとする場合など。
例えば「神像・仏像」というものを考えるとき、お釈迦様は一応実在の人物とされているが、約2500年前に実在したお釈迦様の容姿は、おそらく現存するどの釈迦如来像とも全く似ていないだろう。
釈迦如来像は「悟りを開き、輪廻の輪から解放された人物」という、ある意味でファンタジーの設定を、いったん「まこと」であると信じ、そこから逆算して容姿を「まことらしく」思索した上で表現したものだ。
その他様々な仏菩薩の尊像は、この世に物質的に実在したことはない神仏を、「あるとすればこのような姿であろう」と仮定したり、あるいは仏道修行の途上に感得した姿を形に定着させたものだ。
だから多くの仏像は、作られた当初はこの世のものならぬ鮮やかな原色で彩られている。
くすんだ灰色の現実世界を超越した、神仏の世界を表現するための極彩色だ。
有名な興福寺の阿修羅像も、元は華麗な赤の体色で、まるで現代インドの宗教画のような雰囲気の武神であったことがわかっている。
いったん表現された神仏像は、時間経過とともにそれ自体が神仏の宿る聖なるモノ、または神仏そのものとして受け止められるようになる。
表現された「像」が、「実物」になるのだ。
信仰の対象となった神仏像は、極力「現状維持」の努力が払われる。
大きな破損は原状復帰が行われるが、それ以外の経年変化、色の古び・退色は、変化したその状態が尊重される。
修復と言うなら色も元の鮮やかな色に戻すべきではないかという考え方もあるが、例えば先に挙げた阿修羅像クラスになると、破損の修復以外の「塗りなおし」などは誰も望まない。
あくまで「永遠の少年」を思わせる現在の外観の保存が望まれるのであって、造られた当時の生々しい武神として再現されることはないだろう。
古い仏像の修復ポイントには、わざわざ「古びた色」を塗って周囲に馴染ませる。
これは、プラモデル制作時に行う「ウエザリング」等の塗装表現と、質的には同種のテクニックだ。
信仰の対象としての像を修復する際、ある意味で上っ面だけの「嘘」の表現を施さなければならないというのは、考えてみれば不思議なことだ。
もう一歩踏み込むと「修復」と言う行為は、決して「完全に元の状態に戻すこと」を意味しない。
もちろん一般参拝者が見て「元通りだ」と感じられなければならないのは当然なのだが、実際の作業は違う。
後の世の修復家が見て、どこからどこまでが元の作品で、どこからどこまでが後世の修復なのかはっきり分かる修復で、しかも素人目には「元通り」であるということを両立させなければならないのだ。
仏像や芸術作品の「修復」について関心のある人は、下記の二冊をお勧めしておく。
●「仏像は語る」西村公朝(新潮文庫)
●「岡本太郎『明日の神話』修復960日間の記録」吉村絵美留(青春出版社)
サブカルチャーの世界でも、仏像というモチーフは人気だ。
有名どころの仏像はほとんど全て、一度はガシャポンや食玩のフィギュアになっている。
固定ポーズの再現フィギュアだけでなく、全身の関節がフル可動するアクションフィギュアまで発売されていて、人気のジャンルになっている。
●リボルテックタケヤ003 阿修羅 ノンスケール
ABS&PVC製 塗装済み アクションフィギュア
こうした「仏像フィギュア」は、果たして「玩具」か「仏像」か?
私は、それは持ち主の意識次第だと思う。
そもそも「フィギュア」という呼称が新しいだけで、仏像の量産モデル自体は大寺院のおひざ元の土産物屋などで、かなり昔から売られていたし、鋳造の豆仏はアジアで広く流通している。
玩具だと思えば玩具、仏像だと思えば仏像。
結局、そこ以外に分かれ目はないのではないだろうか?
実在のものを「再現」しようとする場合。
存在しないものを「表現」しようとする場合。
そしてそうした作品を「修復」しようとする場合など。
例えば「神像・仏像」というものを考えるとき、お釈迦様は一応実在の人物とされているが、約2500年前に実在したお釈迦様の容姿は、おそらく現存するどの釈迦如来像とも全く似ていないだろう。
釈迦如来像は「悟りを開き、輪廻の輪から解放された人物」という、ある意味でファンタジーの設定を、いったん「まこと」であると信じ、そこから逆算して容姿を「まことらしく」思索した上で表現したものだ。
その他様々な仏菩薩の尊像は、この世に物質的に実在したことはない神仏を、「あるとすればこのような姿であろう」と仮定したり、あるいは仏道修行の途上に感得した姿を形に定着させたものだ。
だから多くの仏像は、作られた当初はこの世のものならぬ鮮やかな原色で彩られている。
くすんだ灰色の現実世界を超越した、神仏の世界を表現するための極彩色だ。
有名な興福寺の阿修羅像も、元は華麗な赤の体色で、まるで現代インドの宗教画のような雰囲気の武神であったことがわかっている。
いったん表現された神仏像は、時間経過とともにそれ自体が神仏の宿る聖なるモノ、または神仏そのものとして受け止められるようになる。
表現された「像」が、「実物」になるのだ。
信仰の対象となった神仏像は、極力「現状維持」の努力が払われる。
大きな破損は原状復帰が行われるが、それ以外の経年変化、色の古び・退色は、変化したその状態が尊重される。
修復と言うなら色も元の鮮やかな色に戻すべきではないかという考え方もあるが、例えば先に挙げた阿修羅像クラスになると、破損の修復以外の「塗りなおし」などは誰も望まない。
あくまで「永遠の少年」を思わせる現在の外観の保存が望まれるのであって、造られた当時の生々しい武神として再現されることはないだろう。
古い仏像の修復ポイントには、わざわざ「古びた色」を塗って周囲に馴染ませる。
これは、プラモデル制作時に行う「ウエザリング」等の塗装表現と、質的には同種のテクニックだ。
信仰の対象としての像を修復する際、ある意味で上っ面だけの「嘘」の表現を施さなければならないというのは、考えてみれば不思議なことだ。
もう一歩踏み込むと「修復」と言う行為は、決して「完全に元の状態に戻すこと」を意味しない。
もちろん一般参拝者が見て「元通りだ」と感じられなければならないのは当然なのだが、実際の作業は違う。
後の世の修復家が見て、どこからどこまでが元の作品で、どこからどこまでが後世の修復なのかはっきり分かる修復で、しかも素人目には「元通り」であるということを両立させなければならないのだ。
仏像や芸術作品の「修復」について関心のある人は、下記の二冊をお勧めしておく。
●「仏像は語る」西村公朝(新潮文庫)
●「岡本太郎『明日の神話』修復960日間の記録」吉村絵美留(青春出版社)
サブカルチャーの世界でも、仏像というモチーフは人気だ。
有名どころの仏像はほとんど全て、一度はガシャポンや食玩のフィギュアになっている。
固定ポーズの再現フィギュアだけでなく、全身の関節がフル可動するアクションフィギュアまで発売されていて、人気のジャンルになっている。
●リボルテックタケヤ003 阿修羅 ノンスケール
ABS&PVC製 塗装済み アクションフィギュア
こうした「仏像フィギュア」は、果たして「玩具」か「仏像」か?
私は、それは持ち主の意識次第だと思う。
そもそも「フィギュア」という呼称が新しいだけで、仏像の量産モデル自体は大寺院のおひざ元の土産物屋などで、かなり昔から売られていたし、鋳造の豆仏はアジアで広く流通している。
玩具だと思えば玩具、仏像だと思えば仏像。
結局、そこ以外に分かれ目はないのではないだろうか?
2016年09月30日
加筆再掲;1/1ガンダム建立
2009年7月、以下のような記事を投稿した。
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機動戦士ガンダム:「台場に立つ」18メートルの雄姿現す
ここ一週間ほど、ネットでもかなり盛り上がっている1/1ガンダムの話題です。残念ながら手足を動かすことは出来ない「立像」だそうですが、細部まで造りこまれた姿には、往年のガンダム世代に限らず感動しているそうです。
屋外の公園スペースで、木立から頭一つ抜け出した大きさの超リアルな「実物大」ガンダムが立っていたら、感動しない方がおかしいですね(笑)
私自身は観に行けそうに無いのが残念ですが、近場にいる皆さんは今すぐダッシュでしょう!
「ガンダム 台場」で検索すると、実見してきたブロガーの皆さんの熱い記事がたくさんヒットします。
制作費はおそらく数億円はかかっており、しかも期間限定の無料公開ということですが、経済効果を考えれば余裕で回収できるんじゃないでしょうか。
すぐに思いつく経済効果としては、このガンダムの足元で、現行の精巧なプラモデルを販売すれば、数百円〜数千円のモデルから一万円を超えるものまで飛ぶように売れることでしょう。
お客さんは単にプラモデルを買っただけでなく、払ったお金に替えがたい「この立像を体感できた感動」を形にして持ち帰るわけです。
今回は期間限定ということですが、このガンダムを使い捨てにできるわけがありませんので、今後の展開も次々に開けていくことでしょう。
このガンダム立像が正式公開前からこれだけ盛り上り、経済的にも成功するであろうことが予想されるポイントは、ひとえに「本気で造っている事」に尽きるでしょう。
単に「大きなロボットを置いておけば子供が喜ぶだろう」というような安易な発想でなく、作り手の「真剣さ」「熱さ」が報道写真だけでもビシビシ伝わってくることが素晴らしいです。
ここからやや強引に「神仏与太話」である当ブログ的な話題に繋げますと、故・西村公朝師の作品に「仏像は語る」と言う名著があります。
この本の中に「新しいお寺を建立するとき、お堂か御本尊かどちらを先に造るか」という話題があります。〈新潮文庫版18P〜)
実際にお寺を建立する場面に数々関わってこられた西村師は、「最初に御本尊を造るべし」と勧めておられます。
お堂やお坊さんが寝起きする建物は、当面は仮設でよろしい。
まずは御本尊をしっかり建て、後は勧進しだいで必要に応じて立替えるのが筋であろうとされています。
今回のガンダム立像、なにやらこうしたお寺の建立話のような経緯を辿りそうな予感もしてきます。今後の動向に注目です。
中身あってのハコモノ。
お堂の建設話が先行では順序が違ってしまいます。
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その一か月後の2009年8月の記事からも再掲。
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この8月中に家電量販店のおもちゃコーナーを通りかかったときに、かの1/1ガンダムのデザインをそのまま縮小した1/144ガンダムのプラモデルを見つけてしまいました。
●HG1/144 RX-78-2 GUNDAM Ver.G30th (バンダイ)
価格が安かったので即買い。実物を見に行けなかった心を慰めました。
時間が無くてまだ作っておらず、箱を開けて眺めただけなのですが、それだけでもメーカー側の「本気」がうかがえる代物です。80年代のガンプラブームを過ごした元・少年は、是非手に取ってみてください。
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これらの記事を書いてから7年あまり経過した現在、件の1/1ガンダムはバンダイのおひざ元、静岡などを経由したのち、再び東京に帰還。
2012年にオープンしたガンダムフロント東京に近くのオープンスペースに、多少の改修を受けて展示されているそうだ。
2010年発売の1/144RGガンダムに合わせた改修で、より密度を増している模様。
2009年のガンダム30周年イベントが好評を受けて常設会場に進化した形で、まさに「本尊先行の寺院建立」と同じ経過をたどっている。
この1/1ガンダムは、果たして「模型」か「実物」か?
アニメ作品の登場メカであるガンダムは、当然ながら「実物」は存在しない。
このガンダム立像は縮尺が1/1であるというだけで、あくまで再現模型だ。
しかし、このレベルで細部にわたって外観が再現されるた全高18メートルの像を目の前にし、実際仰ぎ見てみると、それは確かな「体験」となる。
ああ、ついに自分は本物のガンダムを見てしまったと、観る者に思わせてしまう説得力がある。
奈良の大仏もそうだが、「大きさ」にはそれだけで力がある。
大きさに加えて表現の「密度」があれば、その効果は最大になるのだ。
そろそろ40周年も見えてきたガンダム文化だが、私たちの世代がお布施を払えているうちは、まず安泰だろう。
ただ、例えば「ドラえもん文化」などと比べると、先行きそれほど明るいとも言えなさそうだ。
読者・視聴者が常に新陳代謝され、F先生亡き今も万全の構えで続くドラえもんと比べると、ガンダムはどうしても先細り感が否めない。
もちろん今でもガンダム好き、プラモ好きの子供はいるのだろう。
小中学生あたりを対象にした新作アニメや商品展開があり、そこそこのセールスがあるのは知っている。
けれども、私の身の回りではあまりガンプラ趣味の子供は見かけない。
新作プラモは子供が手を出すには価格が高すぎ、パーツ点数が多すぎる。
そもそも「近所のプラモ屋」というものがもうほとんど残っていない。
この間まで地上波放送されていた「ガンダムユニコーン RE:0096」も、まあ毎週楽しみに観てはいたけど、どう考えても子供向けの内容ではなかった。
おっさんが30数年前を回顧し、懐かしさでプラモを手に取る「古いアルバムめくり」みたいな感じだった。
実際、日曜朝にアニメを見てから家電量販店に立ち寄ると、ガンプラコーナーにおっさん連中がいっぱいうろついていた。
まさにおっさんホイホイ。
そしてやっぱり子供は全然いない(笑)
低年齢層への普及にはアニメやプラモより、ガンダムをネタにしたゲームの方が貢献しているのかもしれない。
このあたりの危機感は、ガンダムの生みの親である富野由悠季監督が誰よりも強く持っていて、もう長年、必死でもがき続けているようにも見える。
昔から一貫して、ガンダムやアニメの現状に不機嫌で耳に心地よくない言葉を吐き続ける富野監督。
何年かに一回は本を買い、不愉快な言葉にじっくり付き合いたくもなるのだ。
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機動戦士ガンダム:「台場に立つ」18メートルの雄姿現す
ここ一週間ほど、ネットでもかなり盛り上がっている1/1ガンダムの話題です。残念ながら手足を動かすことは出来ない「立像」だそうですが、細部まで造りこまれた姿には、往年のガンダム世代に限らず感動しているそうです。
屋外の公園スペースで、木立から頭一つ抜け出した大きさの超リアルな「実物大」ガンダムが立っていたら、感動しない方がおかしいですね(笑)
私自身は観に行けそうに無いのが残念ですが、近場にいる皆さんは今すぐダッシュでしょう!
「ガンダム 台場」で検索すると、実見してきたブロガーの皆さんの熱い記事がたくさんヒットします。
制作費はおそらく数億円はかかっており、しかも期間限定の無料公開ということですが、経済効果を考えれば余裕で回収できるんじゃないでしょうか。
すぐに思いつく経済効果としては、このガンダムの足元で、現行の精巧なプラモデルを販売すれば、数百円〜数千円のモデルから一万円を超えるものまで飛ぶように売れることでしょう。
お客さんは単にプラモデルを買っただけでなく、払ったお金に替えがたい「この立像を体感できた感動」を形にして持ち帰るわけです。
今回は期間限定ということですが、このガンダムを使い捨てにできるわけがありませんので、今後の展開も次々に開けていくことでしょう。
このガンダム立像が正式公開前からこれだけ盛り上り、経済的にも成功するであろうことが予想されるポイントは、ひとえに「本気で造っている事」に尽きるでしょう。
単に「大きなロボットを置いておけば子供が喜ぶだろう」というような安易な発想でなく、作り手の「真剣さ」「熱さ」が報道写真だけでもビシビシ伝わってくることが素晴らしいです。
ここからやや強引に「神仏与太話」である当ブログ的な話題に繋げますと、故・西村公朝師の作品に「仏像は語る」と言う名著があります。
この本の中に「新しいお寺を建立するとき、お堂か御本尊かどちらを先に造るか」という話題があります。〈新潮文庫版18P〜)
実際にお寺を建立する場面に数々関わってこられた西村師は、「最初に御本尊を造るべし」と勧めておられます。
お堂やお坊さんが寝起きする建物は、当面は仮設でよろしい。
まずは御本尊をしっかり建て、後は勧進しだいで必要に応じて立替えるのが筋であろうとされています。
今回のガンダム立像、なにやらこうしたお寺の建立話のような経緯を辿りそうな予感もしてきます。今後の動向に注目です。
中身あってのハコモノ。
お堂の建設話が先行では順序が違ってしまいます。
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その一か月後の2009年8月の記事からも再掲。
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この8月中に家電量販店のおもちゃコーナーを通りかかったときに、かの1/1ガンダムのデザインをそのまま縮小した1/144ガンダムのプラモデルを見つけてしまいました。
●HG1/144 RX-78-2 GUNDAM Ver.G30th (バンダイ)
価格が安かったので即買い。実物を見に行けなかった心を慰めました。
時間が無くてまだ作っておらず、箱を開けて眺めただけなのですが、それだけでもメーカー側の「本気」がうかがえる代物です。80年代のガンプラブームを過ごした元・少年は、是非手に取ってみてください。
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これらの記事を書いてから7年あまり経過した現在、件の1/1ガンダムはバンダイのおひざ元、静岡などを経由したのち、再び東京に帰還。
2012年にオープンしたガンダムフロント東京に近くのオープンスペースに、多少の改修を受けて展示されているそうだ。
2010年発売の1/144RGガンダムに合わせた改修で、より密度を増している模様。
2009年のガンダム30周年イベントが好評を受けて常設会場に進化した形で、まさに「本尊先行の寺院建立」と同じ経過をたどっている。
この1/1ガンダムは、果たして「模型」か「実物」か?
アニメ作品の登場メカであるガンダムは、当然ながら「実物」は存在しない。
このガンダム立像は縮尺が1/1であるというだけで、あくまで再現模型だ。
しかし、このレベルで細部にわたって外観が再現されるた全高18メートルの像を目の前にし、実際仰ぎ見てみると、それは確かな「体験」となる。
ああ、ついに自分は本物のガンダムを見てしまったと、観る者に思わせてしまう説得力がある。
奈良の大仏もそうだが、「大きさ」にはそれだけで力がある。
大きさに加えて表現の「密度」があれば、その効果は最大になるのだ。
そろそろ40周年も見えてきたガンダム文化だが、私たちの世代がお布施を払えているうちは、まず安泰だろう。
ただ、例えば「ドラえもん文化」などと比べると、先行きそれほど明るいとも言えなさそうだ。
読者・視聴者が常に新陳代謝され、F先生亡き今も万全の構えで続くドラえもんと比べると、ガンダムはどうしても先細り感が否めない。
もちろん今でもガンダム好き、プラモ好きの子供はいるのだろう。
小中学生あたりを対象にした新作アニメや商品展開があり、そこそこのセールスがあるのは知っている。
けれども、私の身の回りではあまりガンプラ趣味の子供は見かけない。
新作プラモは子供が手を出すには価格が高すぎ、パーツ点数が多すぎる。
そもそも「近所のプラモ屋」というものがもうほとんど残っていない。
この間まで地上波放送されていた「ガンダムユニコーン RE:0096」も、まあ毎週楽しみに観てはいたけど、どう考えても子供向けの内容ではなかった。
おっさんが30数年前を回顧し、懐かしさでプラモを手に取る「古いアルバムめくり」みたいな感じだった。
実際、日曜朝にアニメを見てから家電量販店に立ち寄ると、ガンプラコーナーにおっさん連中がいっぱいうろついていた。
まさにおっさんホイホイ。
そしてやっぱり子供は全然いない(笑)
低年齢層への普及にはアニメやプラモより、ガンダムをネタにしたゲームの方が貢献しているのかもしれない。
このあたりの危機感は、ガンダムの生みの親である富野由悠季監督が誰よりも強く持っていて、もう長年、必死でもがき続けているようにも見える。
昔から一貫して、ガンダムやアニメの現状に不機嫌で耳に心地よくない言葉を吐き続ける富野監督。
何年かに一回は本を買い、不愉快な言葉にじっくり付き合いたくもなるのだ。