2018年05月27日

分岐点1983(80年代リアルロボットブーム覚書)その1

 この2年ほど、昔のガンプラをもう一回作りながら、80年代前半の「リアルロボットブーム」について、あれこれ考え続けてきた。
 私はまさに「直撃世代」で、小中学校をその渦中にどっぷりつかって過ごしてきた。
 幸か不幸か、ハマりやすい対象年齢であるローティーンの期間に、ちょうどぶち当たっていたのだ。
 過去記事でまとめた年表でまとめた通り、私はリアルロボットアニメの質量ともに最盛期は、1983年あたりだったのではないかと考えている。
 そして、日本のサブカルの一つの「分岐点」もまた、そのあたりにあったのではないかと思うようになった。

 前後1年も含めた82〜84年の三年間の流れを、前出の年表から抽出し、更に加筆してふり返ってみよう。
(★はリアルロボットアニメ作品そのもの、●は関連事項、〇はサブカル時代背景)

【前史】
 79年放映されたTVアニメ「機動戦士ガンダム」は、80年に入って視聴率不振により打ち切られた。
 しかし熱心なファンの応援もあって放送終了後にバンダイから異例のプラモデル発売
 81年には劇場版が公開され、作品、プラモデル共に社会現象レベルのブームが勃発する。
 同時期のTVアニメ作品「伝説巨神イデオン」「太陽の牙ダグラム」もヒット。
 ガンプラブームの余波を受け、それぞれアオシマ、タカラから発売されたプラモデルもヒット。

【82年】
★劇場版完結編「機動戦士ガンダムV めぐりあい宇宙」公開
★TVアニメ「戦闘メカ ザブングル」放映開始
★TVアニメ「超時空要塞マクロス」放映開始
★劇場版「THE IDEON 接触篇 A CONTACT」
 新作映画「THE IDEON 発動篇 Be INVOKED」同時公開

●コミックボンボン誌上でガンプラマンガ「プラモ狂四郎」(やまと虹一)連載開始。
 以後「ボンボン」誌は実質「低年齢向け模型誌」になり、当時の人気モデラーが毎号ハイレベルな作例を発表する場になる。
●ホビージャパン別冊「HOW TO BUILD GUNDAM 2」刊行
●「ガンダム」作中のメカがプラモで出尽くし、ブームが継続中にも関わらず「弾切れ」となる。
●「ザブングル」のプラモデルがバンダイから順次発売されるも、ガンプラほどのブームにはならず。
●「マクロス」のプラモデルはイマイ、アリイから発売し、ヒット。

〇マンガ「AKIRA」「風の谷のナウシカ」連載開始
〇映画「ブレードランナー」公開

【83年】
★TVアニメ「聖戦士ダンバイン」放映開始
★TVアニメ「装甲騎兵ボトムズ」放映開始
★TVアニメ「超時空世紀オーガス」放映開始
★TVアニメ「機甲創世記モスピーダ」放映開始
★TVアニメ「銀河漂流バイファム」放映開始
★劇場版「ザブングルグラフィティ」
    「ドキュメント 太陽の牙ダグラム」
    「チョロQダグラム」同時上映

●ガンプラ、アニメ作中に登場しないバリエーションメカ展開である「MSV」シリーズ販売開始。
 社会現象と呼べるほどのガンプラブームは既に収束していたものの、好調に新製品の発売が続く。
●バンダイから「ダンバイン」「バイファム」、そして「ボトムズ」「オーガス」「モスピーダ」のプラモデルもそれぞれ他社から順次発売。

〇劇場版「宇宙戦艦ヤマト 完結編」公開
〇角川劇場アニメ第1作「幻魔大戦」公開
〇劇場版「うる星やつら オンリー・ユー」公開
〇マンガ「北斗の拳」連載開始
〇映画「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」公開
〇任天堂「ファミリーコンピュータ」発売
〇ビデオ機器の普及、進む

【84年】
★TVアニメ「重戦機エルガイム」放映開始
★TVアニメ「機甲界ガリアン」放映開始
★TVアニメ「巨神ゴーグ」放映開始
★TVアニメ「超時空騎団サザンクロス」放映開始
★劇場版「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」公開、主題歌と共にヒット。

●バンダイから「エルガイム」、そして「ガリアン」「ゴーグ」「サザンクロス」「劇場版マクロス」のプラモデルも、それぞれ他社から発売。
●好調だったガンプラMSVシリーズ、「弾切れ」により失速、新製品の発売終了。
●コミックボンボン別冊「スーパーモデリング」刊行
●月刊模型誌「モデルグラフィックス」創刊

〇劇場版「風の谷のナウシカ」公開
〇劇場版「うる星やつら ビューティフル・ドリーマー」公開
〇マンガ「ドラゴンボール」連載開始

【その後の流れ】
 85年には(ファンにとってもスポンサーにとっても)待望のガンダム続編、TVアニメ「機動戦士ゼータガンダム」が放映され、バンダイからプラモデルも発売されるが、かつてほどのブームにはならず。
 86年には更なる続編「機動戦士ガンダム ダブルゼータ」放映されるが、TVシリーズとしてはこれでいったん終了となる。
 80年代後半に入るとリアルロボットアニメのTVシリーズが切れ目なく放映される流れは収束、85年のファミコンソフト「スーパーマリオブラザーズ」の爆発的ブームと共に、プラモブームも収束していくことになる。
(続く)

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2018年05月28日

分岐点1983(80年代リアルロボットブーム覚書)その2

 前回記事でもまとめたように、81〜82年のガンダム劇場版三部作大ヒット、同時進行の空前絶後のガンプラブームから、リアルロボット路線のアニメが奔流のようにTV画面に溢れるようになった。
 作品数としては翌83年がピークで、84年には減少に転じ、85年には待望のガンダム続編である「ゼータ」が放映されるが、その後は収束に向かっている。
 このように作品数の推移だけ書き出してみると、当時の熱気を知らない人には、以下のように判断されてしまうかもしれない。

「ガンダムブームに便乗して似たような作品が粗製乱造され、わずか数年で需要を食い尽くした」

 しかし、当時のブームを体感した世代なら周知のことだけれども、短期間にこれだけの作品数が制作されたにも関わらず、決して「粗製」ではなかった。
 ガンダム後のどの作品も、単なる模造品ではなく、新規のアイデアを盛り込んでいた。
 リアルロボットが「リアル」であるためには、綿密なSF考証や独自の世界観の構築が不可欠だったのだ。

 たとえば「イデオン」は、異星文化との接触を描いた堂々たるSFであった。
 たとえば「ダグラム」は、よりリアルなミリタリー色を強調したストーリー、デザインであった。
 たとえば「ザブングル」は、建設重機をドッカンドッカンぶつけ合うような痛快なアクションであった。
 たとえば「マクロス」は、徹底したSF考証とアイドル要素を盛り込み、変形メカの至宝であるバルキリーを生み出した。
 たとえば「ダンバイン」は、異世界ファンタジーや生物的なメカデザインをTVアニメに導入したパイオニアであった。
 たとえば「ボトムズ」は、リアルロボットデザインの一つの極北であるスコープドッグを生み出した骨太な作品であった。
 たとえば「バイファム」は、少年少女の宇宙漂流を描いた上質の児童文学作品のようであった。
 たとえば「エルガイム」は、永野護という異能を世に出し、後のメカデザインに決定的な影響を残した。
 他の作品もそれぞれに特徴があり、世界観があり、新機軸のメカデザインがあった。

 ただ、決して「粗製」ではなかったとはいえ、やはり「乱造」であったということは言えるかもしれない。
 これだけ作品が重複して放映されていると、かなりのファンでも全て追いきれるものではなかったし、ましてプラモのシリーズをコンプリートすることなど、とてもできるものではなかった。
 当時のプラモは今のもののようにサクサク「パチ組み」できるものではなく、完成させるまでに非常に手間のかかる代物だった。
 パーツを切り出し、接着剤で溶着、合わせ目を丁寧に消すことを繰り返しつつ、塗装も全て自分でやらなければならなかった。
 コアなプラモファンにとってはそれが「たまらなく楽しい」のだが、普通に考えるとかなり「めんどくさい」ホビーだったのだ。
 時間的にも経済的にも、熱心なファンですら作り切れないほどのプラモの大量供給に加え、83年のファミコン発売、85年のスーパーマリオ大ヒットである。
 コアなファン以外の一般層が、より手軽に楽しめるゲームに流れるのは止めようがなかっただろう。
 最初のガンプラブームは小学生から大学生くらいまでの膨大な数の一般ファンがこぞってプラモ屋に殺到したことで成立した。
 劇場版ガンダム三部作の完結、登場メカの「弾切れ」を受け、そうしたマニア以外のファンの熱は一段落してしまった。
 83年以降のリアルロボットプラモブームは「外堀」を埋められた条件下にあったのだ。

 そして「内堀」の中では供給過多が起こっていた。

 興味はあっても作品を追いきれない。
 プラモが作り切れない。
 そんなもどかしさを持つファンは多数いたはずだ。

 ファンがじっくり作品を味わい、余裕をもってプラモを楽しめるのは、1年にせいぜい2作品、ぎりぎり3作品くらいまでだろう。
(実際、81〜82年のガンプラブーム最盛期は、そのようなペース配分だった)
 83〜84年の作品数はどう見ても異常で、せっかくの素晴らしい「素材」を味わう余裕が無いままに放映期間が過ぎ、プラモの新規発売が終了してしまうもったいなさがあった。
 需要は細分化され、どの作品のプラモも「売れていないわけではないが、大ヒットまではいかない」という感じだったと記憶している。
 スポンサー側がもう少し抑制的であれば、限られた「内堀」の枠内で同士討ちのような競争をせずに済み、「ポストガンダム」のプラモ文化を安定的に育てられた可能性もあったかもしれない。
 しかしそれはあくまで現時点から逆算した結果論である。
 需要の見込めるところに金も人も殺到するのは無理のないことだ。
 これだけ多様な「世界観」や「メカデザイン」のストックが、後世に残されたことをまずは肯定すべきなのだろう。

 ピークにあたる83年作品については、近年それだけのテーマで一冊の特集本が刊行されたこともあった。


●1983年のロボットアニメ (双葉社MOOK)

 83年作品では、個人的に「機甲創世記モスピーダ」が好きだった。
 タツノコアニメとして「新造人間キャシャーン」の系譜を継いだようなシリアスなSF作品で、破壊された世界を旅するチームの描写が、味わい深かった。
 OPとEDの曲も素晴らしくて、今でもよくカラオケで歌っている(笑)
 それだけ好きだったのだが、プラモの方は他のシリーズを手がけていたので「モスピーダ」まで手が回らず、心残りがずっとあった。
 プラモの発売元がバンダイであれば、ガンプラほどではないにしても当時の旧キットの再販機会は見込める。
 しかしバンダイ以外のメーカーの場合、今現在プラモの再販機会は極端に少なく、通常は当時品をある程度のプレミア覚悟で探すほかない。

 ところがあれから35年経った今年、青島から「モスピーダ」のプラモの再販があったので、本当に驚き、嬉しかった。
 次の再販機会があるのかどうかわからないので、往年のファンはとりあえず確保をお勧めしたい。







(続く)

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2018年05月29日

分岐点1983(80年代リアルロボットブーム覚書)その3

 リアルロボットアニメの作品数がピークにあった1983年、当時の私の各作品やプラモデルへの関りは、以下のような感じだった。

★TVアニメ「聖戦士ダンバイン」
 全話ではないが作品は観ており、異世界ファンタジーの世界観や生物的メカデザインに惹かれた。
 ファンの間では「世界観を壊す」という理由で不評だった後半主役メカ「ビルバイン」のデザインも、私にとってはものすごくカッコよく見え、大好きだった。
 いくつかプラモデルも買ったが、このシリーズは作品世界を忠実に再現した凄まじくカッコいい箱絵のレベルに、プラモ本体がついていけていないという悲劇があった。
 せっかくの生物的デザインがあまり活かされていない出来に、やや不満が残った。
 
★TVアニメ「装甲騎兵ボトムズ」
 残念ながら放映エリアから外れており、アニメ自体は視聴できなかった。
 プラモデルに興味はあったが、小サイズのものをいくつか買うにとどまった。
 私がこの作品の世界観の真価を知るのは、数年後、小説による外伝作品「青の騎士ベルゼルガ物語」を読んでからである。

★TVアニメ「超時空世紀オーガス」
 確か放映時間帯の関係で視聴できなかったはずで、プラモデルも買わなかった。

★TVアニメ「銀河漂流バイファム」
 普段ロボットアニメなど観ない友人も多数ハマったりしていた。
 もしかしたらファーストガンダム以降、もっとも「ロボットアニメファン以外」を呼び込めた作品かもしれない。
 プラモデルの出来も良いという噂は聞いていたが、私自身は他のシリーズ優先で手が回らず、作品を楽しむにとどまった。

★TVアニメ「機甲創世記モスピーダ」
 前回記事でも紹介した通り、作品自体でいうと、この年私が一番好きだったのが「モスピーダ」かもしれない。
 しかし同じくプラモまで手が回らず、小サイズのものをいくつか買うにとどまった。

 リアルタイムで放映している作品を楽しみながらも、プラモの方には「興味はあれどもハマり切れない」という傾向は、翌84年も続いた。
 ではその期間、私を含めたプラモファンの一番人気のシリーズが何だったのかというと、やはり「ガンダム」だった。
 82年に劇場版が完結し、作中に登場したメカがその年のうちに「弾切れ」になったにもかかわらず、83〜84年になってもガンプラの新製品は、供給が続いていた。
 アニメに登場したMSの、プラモ独自のバリエーション展開、通称「MSVシリーズ」である。

 MSの派生デザインは、大河原邦男自身の手により、最初のガンプラブーム(81〜82年)の時期から特集本の企画等で、いくつか発表されていた。
 その一種の「知的遊戯」に、当時の人気若手モデラーユニット「ストリームベース」の面々が食いつき、作例を発表していった。


●「HOW TO BUILD GUNDAM 1&2」

 アニメ作画の制約を受けない、ゴツゴツと機械的なデザインのカッコよさは、まさに衝撃的だった。
 82年に入り、アニメ登場の人気メカのプラモ発売が一巡してしまったことに寂しさを感じていたファンは、その新しい「遊び」に救いを求め、熱狂した。
 なにしろ元になる映像作品が存在しない、メタフィクション的な世界観である。
 発表されたハイレベルな派生デザインだけに留まらない広がりが、そこにはあった。
 あまり難しい改造が出来ない小学生でも、自分好みに流用パーツをベタベタ貼り付け、好きな色に塗ってしまえば、「僕の考えたMS」が出来てしまう。
 既に二年続いたガンプラブームに、小学生モデラーの技量もそうした遊びが可能な程度には底上げされていたのだ。
 マンガ「プラモ狂四郎」がまさにそうした遊び方を啓蒙する作品であったし、何よりも、大河原邦男の描くファーストガンダムのシンプルなMSデザインには、素朴な改造ごっこ受け止められる「包容力」が、十分にあった。
 狂四郎の活躍や、毎号掲載される時宜を得た改造作例が盛り上がりに拍車をかけ、ついに83年、バンダイもアニメ未登場のMSVシリーズ発売開始に踏み切った。

 ファンにとってもメーカーにとっても、「ガンダムの後も、やっぱりガンダム」だったのだ。
 
 可能性としては、他のリアルロボット路線の作品がプラモデルの主軸を担い、以後もバトンリレー形式に交代していく流れもありえたはずだ。
 しかし現実には、83年の分岐点にあたり、プラモファン主導で選ばれた方向性は「ガンダムの継続」で、私もそんな流れを後押しした多くの小学生ファンの中の一人だった。
 この分岐は85年の続編アニメ「機動戦士ゼータガンダム」制作の遠因となり、最終的にガンダムは「終わらない(あるいは終われない)」代替不能のシリーズとなり、現在に至る。

 こうした「時代の雰囲気」は、ガンダム20周年を記念して1999年に刊行された以下の本に、詳細に記録されている。


●「ガンプラ・ジェネレーション」五十嵐浩司・編(講談社)
 懐かしい作例や、「プラモ狂四郎」の後日譚読み切りマンガ、当時の関係者の証言がいっぱいに詰まった一冊である。
 資料としてもとても価値が高いと思うのだが、ほんの少しだけ、「偽史」と呼ぶべき内容も含まれていたりする……
(続く)
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2018年05月30日

分岐点1983(80年代リアルロボットブーム覚書)その4

 前回記事で紹介した「ガンプラジェネレーション」収録の読み切りマンガ「プラモ狂四郎1999」作中で、登場人物が往年のブームを振り返りつつ言ったセリフがあった。

「なんだか連邦MSVよりジオン軍MSVの方が人気があったみたいだったネ」

 このセリフ、往年のコアなMSVファン(たとえば1999年時点で上掲本を手に取ってしまう私のようなファン)にとっては、一種の「定説」として素直に受け入れられた。
 実際、83〜84年にかけて全34種発売されたMSVプラモのうち、連邦系は9種にとどまり、後は全てジオン系、とりわけザクの派生デザインはそれだけで半数近くを占めていた。
 シリーズ内でいくつも買い集めるようなファンが「ジオンの方が人気」と受け止めるのも無理はなく、とくに高校生から大学生あたりのミリタリー趣味から入ったファンや、雑誌に作例を発表するような人気モデラーの多くは、本質的には「ジオン贔屓」「ザク好き」だったはずだ。
 当時子供だった私たちは、なんだかんだ言っても「主役」のガンダムが好きだったのだが、尊敬するモデラーの皆さんのそうした「気分」はなんとなく察し、ちょっと背伸びして受け入れていた。
 99年時点でのマンガのセリフは、素朴に「往年のファンの気分」を反映したもので、とくに他意は無かったに違いない。

 ところがつい先頃、そうした「気分」を真っ向から否定する本が刊行された。


●「MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための『ガンプラ革命』」あさのまさひこ(太田出版)
 ガンプラブームの期間を含む80〜84年の顛末を、送り手側の主要な関係者の事跡を軸に、主な消費者たる小中学生、高校生の視点と対照しながら時系列で追ったドキュメント。
 カラーページでは当時の主要な雑誌記事や、MSVガンプラ全34種の箱絵と商品写真もラインナップ。

 著者あさのまさひこは65年生まれ。
 MSVブームの時期を高校生として過ごし、その直後にモデラー、編集者として活躍することになる。
 私の記憶の中では、85年あたりにモデルグラフィックス誌で発表していたゼータガンダム関連のセンスのいい作例や、当時流行していたアイドルとからめたお遊び設定が印象に残っている。
 創刊当時のモデルグラフィックス誌の異様な面白さについては、また機会を改めて語ってみたいが、今思うとあさのまさひこは、高校生の頃身に付けた「MSV的な楽しみ方」を、自分なりに作例や記事の中で再現していたのかもしれない。
 熱心な高校生ファンから直接「送り手側」にまわったという経歴は、MSVブームを「気分」として語るだけでなく、客観的な事実関係として調べ、記述できる点で、たぶんこの人しかいないという著者である。

 読んでみると当時の様々な記憶がよみがえり、疑問が解消される一冊だった。

・なぜ小田雅弘を始めとするストリームベースの面々は、老舗模型誌HJから、「たかが低年齢向けマンガ誌」ボンボンに主戦場を移したのか?
・なぜMSVプラモ第一作1/14406Rは、小田作例によく似ていたのか?
・なぜMSVプラモは、ザクで始まりガンダムで終わったのか?

 子供の頃、なんとなく不思議に思っていたことが、まさか三十五年の時を経てすっきり納得できるとは思わなかった。
 初代ガンダムザクのプラモを担当した設計者のインタビューには、ちょっと感動してしまった。
 この人こそが、現在のガンプラ文化の「生みの親」ではないだろうか!
 旧キットのザクが、足首固定にも関わらず「一歩踏み出しポーズ」がけっこうきまるのは、計算の上でのことだったとは!

 様々な驚きと感動のあるドキュメントだったが、その中の一つに「ジオン系人気の否定」があった。
 確かにジオン系(特にザクの派生)MSVプラモは点数が多く、年長のファン層の受けは良かったのだが、一点ごとの売り上げでは圧倒的に連邦系、とくにガンダムのバリエーションが上回っていたという事実確認である。
 一年戦争の設定上、MS開発に遅れを取った連邦側には、派生型を試行錯誤する時間はなかったはずで、論理的に考えればバリエーションは出せない。
 しかし、プラモの主たる顧客である低年齢ファン層(小中学生)の人気は、やはりガンダムだったのだ。
 ブームを加速させたマンガ「プラモ狂四郎」の主人公・狂四郎が作るのも、ほとんどガンダムばかりで、それは作中でネタにされるほどだった。
 シリーズ継続のためにはそうした当時の小学生ファンのニーズにじわじわ合さざるを得ず、MSVにおける「主役機」であるフルアーマーガンダムを生み出す必要があったのだ。
 こうしてMSVシリーズは、年長ファンを唸らせる緻密な考証と造形の06RザクUから始まり、最後はシリーズを買い支えてくれた年少ファンへのサプライズギフトのような「狂四郎ガンダム」で幕を閉じたのだった。

 広く一般人気のガンダム、ファンの中での一番人気のザクが両輪となって、ブームを加速する――

 考えてみればこれは、アニメの初代ガンダムの人気の構図と相似形である。

(続く)
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2018年05月31日

分岐点1983(80年代リアルロボットブーム覚書)その5

 この「分岐点1983」の章、書きはじめたきっかけは、実は前回記事で紹介した一冊の本を読んだことだった。


●「MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための『ガンプラ革命』」あさのまさひこ(太田出版)

 本書には、以下のような重要な指摘があった。

 81〜84年のガンプラ〜MSVブーム当時、圧倒的に売れていたのはジオンではなく連邦、ザクではなくガンダムだった――

 往年のファンの間で長らく共有されてきた「ジオン系MSの方が人気」という定説を、180度ひっくり返す「史実」の指摘は、たしか本書が初出ではないはずだ。
 あとがきでもふれてある、同じ著者による2008年のモデルグラフィックス誌の記事「ザ・コンプリート・ワークス・オブMSV」が最初であったと記憶している。
 当時の私は模型誌から完全に離れていたが、なぜかその記事だけは目にとまって(失礼ながら立ち読みで済ませたけれども)、目を見開かされた覚えがある。
 その記事が今回、大幅にボリュームを増し、一冊の読み応えのある書籍の形で残ったのは、本当に価値のあることだと思う。

 表題「MSVジェネレーション」は、たぶん問題の「偽史」を端的に表現したセリフを含む「プラモ狂四郎1999」、またそれを収録した「ガンプラ・ジェネレーション」へのアンサーの意も含んでいるのではないだろうか。


●「ガンプラジェネレーション」五十嵐浩司・編(講談社)

 ブーム当時高校生だったという著者の感性は、どちらかと言えば年長ファン層に属していたのではないかと思う。
 年長ファンにとってのMSVは、様々な意味での「革新」だっただろう。
 バックボーンにアニメ作品を持たないプラモ主導、ユーザー主導のシリーズであり、MSの「リアル」をもう一段階押し進めるシリーズとして捉えていたはずで、それはサブタイトル「ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのためのガンプラ革命」にも表れている。
 そうした路線の象徴、シリーズ第一作である「1/144 MS-06R ザクU」誕生前後の記述には、さすがに力がこもっている。
(そもそも本書、極太の帯は1/14406Rの伝説の箱絵だし、表紙カバーは素組み状態の06Rの写真だ!)

 私はと言えば、ブーム当時はまだ「子供」だったので、もう少し無邪気に、「ガンダムの続き」としてMSVを楽しんでいた。
 私を含む年少者のファン層は、どちらかと言えば保守的な需要傾向を持っていた。
 ジオン系MSVはカッコよくてもちろん好きだったが、やっぱりフルアーマーガンダムやパーフェクトガンダムに熱狂していた。
 そしてそうした好みが、尊敬するモデラーや年長ファンの皆さんの「革命の志」とは、少々ズレていることも認識していて、ちょっと「恥ずかしさ」も感じていた。
 ガンダム好きは子供っぽい趣味だと、自分自身で思っていた。
 しかし、年少者はそれで良かったのだ。
 年長者の「革命の志」はそれはそれとして、素朴な保守たる「やっぱりガンダムが好き」という年少者の層こそが、そのムーブメントを「買い支えて」いたのだ。

 アニメ「機動戦士ガンダム」の物語は、スペースノイド(宇宙移民)とアースノイド(旧来の地球人)の対立を基本構造に持っていた。

・搾取からの解放と、母星たる地球環境の保全を掲げる宇宙移民。
・地球を汚染し、資源を使い果たしながらも、なお地球に固執する旧来の人類。

・独立戦争を仕掛けたジオン側の戦力の象徴たるザク。
・急進的な改革(を表看板とした軍事独裁政権)に「待った」をかける戦力の象徴たるガンダム。

・ミリタリー感覚を導入した、純然たるリアルロボットのザク。
・旧来のスーパーロボット、ヒーロー要素を残したガンダム。

・アニメやプラモデルに「革新」を求めた年長ファン
・意外と「保守」的な需要傾向を持つ年少ファン

・作品自体やプラモデルの「質」を担保していたザク。
・ただし、ビジネスを成立させていたのは、あくまで主役機ガンダム。
 
 様々な要素の対立が、危ういバランスでリンクし、シンクロしながら、81〜82年のガンプラブーム、83〜84年のMSVブームを駆動していったのであって、どちらか一つの要素だけではあのブームは成立しなかったのではないか。

 今回「史実」を確認して、様々な疑問と共に、子供時代の自分が感じていた恥ずかしさが解消されたことを、当時の年少ファン層からのアンサーとして書き留めておきたい。

*     *     *
 
 思い返してみればMSVブームの終焉は、私の子ども時代の終焉と重なっていたように思う。
 ガンプラに浸り切った小学生時代は、本当に楽しい日々だった。
 その後、特に深い考えもなく進学した私立中高一貫の超スパルタ受験校では、周りにプラモファンなど一人もいなかった。
 作品鑑賞中心のアニメファンならそれなりにいたが、制作にスキルと時間が必要なプラモ趣味と、詰め込みスパルタ教育の相性は、決定的に悪かったのだろう。
 まず小学校高学年段階でプラモにうつつを抜かしているような子供は、中学受験には不向きである(笑)

 MSVの発売が終った頃の私の感情を今あらためて表現するなら、こんな感じになる。
 
 あんなにみんなで楽しく遊んでいたのに、いつの間にか日が暮れて、気が付いたら周りに誰もいなくなっていた――

 MSVの後を受けた「ゼータ」の頃には、私は二歳下の弟だけをプラモ仲間に、迷走気味(当時の私たちにはそう見えた)のMSデザインやストーリーに葛藤しながら、「後の祭り」を楽しんだ。
 その後はなんとなくアニメやプラモは一旦卒業した。
 プラモにハマりすぎていたせいで、ファミコンブームに乗り遅れ、結局その後の人生で一度もゲーム機を所持しなかった。
 小説やマンガを読み耽り、絵や文章を自分でも描いてみたくなった。
 4年間、子供なりに腕を磨き、考え続けた「プラモ修行」の日々は、その後私が生きていく上での基礎体力、教養になってくれたのだと思う。

(「分岐点1983」の章、了)

追記:「MSVジェネレーション」読んだら、猛烈に06R作りたくなってきた!


●1/144 MSV MS-06Rザク2

 現在制作中!!!

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