古書店のワゴンセールなどで目にとまり、さほど緊急性はないけれども、安いので一応確保していた類の本がある。
いずれ読もうという気はあるのだが、日々の雑事や優先度の高い読書に阻まれて、なかなか手が出せないうちに十年二十年と経ってしまったりする。
しかし、そろそろ「いずれ読もう」という言葉の頭の、「いずれ」の部分が、残り少なくなってきた年齢である(笑)
二年ほど前から、なるべくそうした本に手を伸ばすよう心がけ、このカテゴリ積ん読崩しでも覚書にしてきた。
今回は以下の本。
●「至福千年」石川淳(岩波文庫)
【表紙紹介文の引用】
内外騒然たる幕末の江戸、千年会の首魁・加茂内記は非人乞食をあやつって一挙に世直しをと狙っていた。手段選ばぬ内記に敵対するのはマリヤ信仰の弘布者・松太夫。これら隠れキリシタンたちの秘術をつくした暗闘のうちに、さて地上楽園の夢のゆくえは――。不思議なエネルギーをはらむ長篇伝奇小説。(解説=澁澤龍彦)
上記紹介文にもある通り、聖と賎、隠れ信仰、世直し、神懸り等の私好みのテーマを扱っているが、語り口はあくまでアクション中心の通俗伝奇小説である。
奥付によると初出は昭和42年なので、アクション等のエンタメ要素だけを今の目で見ると、かなり簡素な印象を受ける。
この50年、エンタメ作品はアクション描写をひたすら進化、肥大化させ続けてきたのだなと感じる。
今同じ内容をメジャーな媒体で作品化しようとすれば、もっと長大な尺が必要になるはずだが、その分、アクションで装飾されたテーマの核心部分は散漫になってしまうかもしれない。
マンガや小説のエンタメ作品の長大化がそろそろ限界を迎えている現在、ほど良い描写密度を考えるのに良い作品だと思った。
2018年02月28日
2018年03月22日
洗脳トリックスター:苫米地英人
苫米地英人は「とまべち ひでと」と読む。
90年代、テロ事件を起こしたカルト教団信者の、脱会や脱洗脳の活動でその名が広く知られたと記憶している。
近年は書店のビジネスや自己啓発の棚に多数の著書が並んでいるので、そちらで名を知った人も多いかもしれない。
私自身はその手の本を読む習慣はないので、大半はスルーしてきた。
ビジネス書や自己啓発本の多くは、要するに「いかに現状を追認、あるいは盲従して最大利益を上げるか」に終始しているような気がして、私の好みからするとちょっとぬる過ぎるのだ。
ただ、少なくともこの著者のベクトルは、「体制批判」「持たざる者への利益誘導」に向いていると認識していて、本業(?)である「認知学者」としての著書の内容はとても興味深く、何冊か読んだ。
今回、未読も含めて手元にある本を一通り開いてみて、残しておくことにしたのは以下の二冊。
●「洗脳原論」(春秋社)
おそらく著者の最初の一般向け書籍。
古今の「催眠」「洗脳」の歴史、そしてカルト教団信者の「脱洗脳」について、初歩からかなり突っ込んだ内容まで概説している。
同じ著者の中から一冊選ぶとするなら、迷わずこの最初の著作をお勧めしたい。
●「スピリチュアリズム」(にんげん出版)
世の「スピリチュアル」的風潮に対する、徹底批判の一冊である。
超常現象や宗教的な世界観と、科学的知見の折り合いのつけ方として、納得できる記述になっている。
ただ、専門外の領域について「筆が滑っている」と思える箇所がいくつか目に付いた。
私が気付いたのは内容の本筋に関わる部分ではないけれども、「ノリで書き飛ばしてしまうこともある著者」ということには留意しながら読むのが良いと思う。
2000年以降、苫米地英人の本はたまに手に取っていた。
とくに日常意識から切り替わった「変性意識」についての解説は、宗教や呪術、創作の現場などで、私自身が見聞きしたり実体験したことと整合性を感じていた。
ただ、先の本の紹介でも書いた通り、著者の人物像にちょっと取り扱い注意な部分を感じつつの読書だった。
その疑問が一応解決したのは、月刊「KAMINOGE」のインタビュー記事を読んでからのことだった。
この雑誌は、90年代のカルトプロレス雑誌「紙のプロレス」の元スタッフが手掛けたもので、往年の「世の中とプロレスする雑誌」の精神を受け継いでいるのが楽しくて、毎月読んでいる。
ごく初期には苫米地英人がわりと頻繁に登場していて、今でも入手可能なのは、たとえば以下の号だ。
●「KAMINOGE vol.8」
これはインタビュアーの「受け」の上手さだと思うが、かの人の「愛すべき胡散臭さ」の部分が存分に引き出されていて、人物像についての疑問が、むしろ好感に変わったのだった。
以来、「洗脳技術のトリックスター」の活躍を、楽しみながら遠くから眺める感じで今に至っているのである。
90年代、テロ事件を起こしたカルト教団信者の、脱会や脱洗脳の活動でその名が広く知られたと記憶している。
近年は書店のビジネスや自己啓発の棚に多数の著書が並んでいるので、そちらで名を知った人も多いかもしれない。
私自身はその手の本を読む習慣はないので、大半はスルーしてきた。
ビジネス書や自己啓発本の多くは、要するに「いかに現状を追認、あるいは盲従して最大利益を上げるか」に終始しているような気がして、私の好みからするとちょっとぬる過ぎるのだ。
ただ、少なくともこの著者のベクトルは、「体制批判」「持たざる者への利益誘導」に向いていると認識していて、本業(?)である「認知学者」としての著書の内容はとても興味深く、何冊か読んだ。
今回、未読も含めて手元にある本を一通り開いてみて、残しておくことにしたのは以下の二冊。
●「洗脳原論」(春秋社)
おそらく著者の最初の一般向け書籍。
古今の「催眠」「洗脳」の歴史、そしてカルト教団信者の「脱洗脳」について、初歩からかなり突っ込んだ内容まで概説している。
同じ著者の中から一冊選ぶとするなら、迷わずこの最初の著作をお勧めしたい。
●「スピリチュアリズム」(にんげん出版)
世の「スピリチュアル」的風潮に対する、徹底批判の一冊である。
超常現象や宗教的な世界観と、科学的知見の折り合いのつけ方として、納得できる記述になっている。
ただ、専門外の領域について「筆が滑っている」と思える箇所がいくつか目に付いた。
私が気付いたのは内容の本筋に関わる部分ではないけれども、「ノリで書き飛ばしてしまうこともある著者」ということには留意しながら読むのが良いと思う。
2000年以降、苫米地英人の本はたまに手に取っていた。
とくに日常意識から切り替わった「変性意識」についての解説は、宗教や呪術、創作の現場などで、私自身が見聞きしたり実体験したことと整合性を感じていた。
ただ、先の本の紹介でも書いた通り、著者の人物像にちょっと取り扱い注意な部分を感じつつの読書だった。
その疑問が一応解決したのは、月刊「KAMINOGE」のインタビュー記事を読んでからのことだった。
この雑誌は、90年代のカルトプロレス雑誌「紙のプロレス」の元スタッフが手掛けたもので、往年の「世の中とプロレスする雑誌」の精神を受け継いでいるのが楽しくて、毎月読んでいる。
ごく初期には苫米地英人がわりと頻繁に登場していて、今でも入手可能なのは、たとえば以下の号だ。
●「KAMINOGE vol.8」
これはインタビュアーの「受け」の上手さだと思うが、かの人の「愛すべき胡散臭さ」の部分が存分に引き出されていて、人物像についての疑問が、むしろ好感に変わったのだった。
以来、「洗脳技術のトリックスター」の活躍を、楽しみながら遠くから眺める感じで今に至っているのである。