2019年08月23日

川奈まり子「少女奇譚」

 昨年末より、折にふれ実話奇譚の書き手、川奈まり子さんの著書を読み継いでいる。
 先月末、新刊が二冊刊行された。
 それぞれ少年少女がテーマの「怖い話」である。


●「少女奇譚」「少年奇譚」川奈まり子(晶文社)

 人生半ばを過ぎると、夏は追憶。
 何かと移動の多い季節の読書にぴったりだと感じ、さっそく購入。
 さてどちらから読もうかと、著者・川奈まり子さんのTwitterアカウントをのぞいて見ると、以下のようなtweetが目にとまった。

「ナメクジの王様を描いてみたけど下手なので上手な絵師様に描いてほしい。『少女奇譚』のナメクジの王様って可愛いすぎる話だと思うんですよ。シャーリーテンプルのスカートはいた双子ちゃんと巨大ナメクジの邂逅。」

 呟きには可愛らしいイラストが添えられており、エピソードへの興味がかき立てられた。
 一応絵描きのハシクレなのでこの「ナメクジの王様」が非常に気になり、「少女奇譚」の方から開いてみることにした。
 ゆっくり味読し先ごろ読了したので、いくつかのエピソードを紹介してみよう。

■「ナメクジの王様」
 怖いというより、何か絵本の世界のお話のようだった。
 双子の幼女たちがひらひらした可愛い服を着て、二人ではしゃいで近所の木立を駆け回っているだけでも十分絵本っぽいのだが、そこに妖怪じみた謎の生物まで登場するとなると……

 そう言えば以前、梅雨時のコンクリート壁にナメクジが大量発生しているのを目撃したことがある。
 雨模様の薄暗い歩道脇のコンクリート擁壁に、びっしり張り付いたナメクジの大群には、生理的なショックがあった。
 もしそこに、ナメクジに似た質感の「何か大きな這う生き物」が居合わせたら、それは「ナメクジの王様」に見えたかもしれない。
 ふとそんなことを思い出しながら、スケッチを一枚描いてみた。

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■「階段の花子さん」
 いわゆる「学校の怪談」の無い学校にはいじめがあって風紀が悪く、ある学校にはいじめがなかったと言う記述に、ふと視線が止まる。
 一般化は出来ないだろうけれども、そうした傾向はやっぱりあるのではないかと感じる。
 この日常世界とは違う「異界」の効用、「怖い話」があることでそこにまとめて回収される暗い感情、情念。

 学校にありがちな「不可解で不気味なスペース」についても、少し思うところはある。
 設計がうまくいってなくて、予期せぬ「意味ありげなスペース」ができてしまうことは、実はよくある。
 はっきり「設計ミス」というほどでなくとも、うまく空気が流れなくて湿気がこもり、異様な雰囲気のする特定の場所ができたりすることは、ままあるのだ。
 古い建物に後からエアコンを後から導入したり、耐震補強することで、かえって「へんなこと」になるケースも、これまたよくある。
 そうした「隙間」に、行き場のない児童生徒たちの情念は滞留し、それをエネルギーとした怪異が呼び込まれる――
 そんな可能性は、十分考えられるのではないか。

■「十字路より」「憑依体質」
 思春期の少女に目覚める「霊能」に関するエピソード。
 身近な友人や地域の「霊能者」のサポートで、予期せぬ能力に目覚めた少女は家族関係や学校生活を大きく破綻させることなく、日常に不時着する。
 弓道部で少女たちが繰り返し弓を引くうち、憑霊現象が起きる描写に、「これは」と思い当たる読者も多いはずだ。

 共同体の中で果たされる「魔女」の役割。
 ある種の少年少女には、魔女やスナフキンの存在が必要なのだ。

 思い返してみれば「アナと雪の女王」は、強力な魔女の資質を持った少女の身近に「先達」となる魔女が存在せず、国ごと滅びかけた世界観であろうか。

【当ブログ「アナと雪の女王」レビュー】
 ダブルミーニングの魔力1
 ダブルミーニングの魔力2
 劇中歌としての「Let it go」は「人間やめます」ソング?


 及ばずながら私も、町外れに住むちょっと頭のおかしい絵描きとして、主流からこぼれ落ちてくる少年少女に幾ばくかの安心を与えられる存在でありたいと思うのだ。


■「教える生首」
 冒頭「皆さんは何歳からの記憶をお持ちだろうか」という問いかけと例示、解説。
 個人差はあるものの「いつ、どこで、何をした」とつなげられるのは三歳以降が多く、それ以前の記憶も消えたわけではなく、「思い出せない」だけ、とのこと。

 私の最初の記憶は、たぶん「ベビーベッドに座り、柵に付属しているプラ製のオモチャを熱心に回している風景」である。
 まさか私自身が赤ちゃんの時ではないだろうから、二つ下の弟がベビーベッドを使用していた時の記憶ではないかと思われる。
 それならば二歳半〜三歳くらいで辻褄は合う。

 作中の「生首」ほど特異なイメージでなくとも、乳幼児たちが「何者か」と独自にコミュニケーションしているケースは多いのではないか。
 私も母親に「赤ちゃんの頃、一人でよく何か言っていた」と聞かされたし、何もない空間を見つめたり、ムニャムニャ一人でしゃべったりする乳幼児はよくいる。
 もしかしたら私もあなたも、今は忘れているだけの、「幼い頃の密かな友だち」がいるのではないか?
 そんな不思議な感覚を抱くエピソードだった。

■「前夜に視たこと」「夢枕に立つ」
 読みながら、90年代にお世話になり、数年前に亡くなった師匠のことを思い出す。
 今でもごくたまに夢枕に立ち、折々的確な示唆を与えてくれている師匠……

 本当のおわかれ

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 夢が介在すると、現実と怪異はスムーズに地続きになり、境界線は朧になってくるのである。

■「呪殺ダイアリー」
 以前ネットで読んで恐ろしさのあまり身震いしたエピソード。
 かなり陰惨で、ちょっと誰にでもお勧めというわけにはいかない感じがするが、強く印象に残ることは間違いない。
 作中でも紹介されている通り、「生と死」「聖と魔」は表裏一体なところがある。
 以前調べた明治期の女性教祖の家系でも、「呪力」の双貌を思わせる怪異譚がたくさんあった。
 大本(教)開祖・出口なおの全生涯を描いた実録小説「大地の母」(出口和明)については、以前ブログで記事にしたことがある。

 ある夏の記憶:出口和明「大地の母」のこと

 魔女と神女は別のものではなく、同じ力の「右手と左手」なのだ。

■「二人のハルキ」
 もう一人のハルキのフェードアウトに涙する。
 幼い日の美しい夢、半ば物質化する「霊」の優しさ。
 ゆっくり時間をかけた、家族ぐるみの悲嘆の受容。

■「蛇を殺すな。触るな。目も合わせるな。」
 民俗信仰、神隠しなど古の世界が「現代」と混交する最終エピソード。
 宇迦之御魂神と蛇神、女神の親和性を思いつつ、余韻に浸りながら、充実した読書体験を閉じる。

 蛇と狐と女神

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補足として、関連すると思われる図像をご紹介。
蛇神の姿の宇迦之御魂を頭上に頂いた「荼吉尼天曼荼羅」の中尊、そして「夜叉神」あるいは「三天神」「玉女」と呼ばれるもの。

 笑う三面神

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 今回の川奈作品も、他者の怪異譚を読みながらも、自身の記憶が様々によみがえってくる一冊だった。
 夏休みはそろそろ終わろうとしているが、この切なさの中でもう一冊の「少年奇譚」を開いてみようと思う。
posted by 九郎 at 21:35| Comment(0) | 怪異 | 更新情報をチェックする

2020年01月20日

川奈まり子「少年奇譚」

 昨夏、同時刊行された川奈まり子「少女奇譚」「少年奇譚」の二冊。


●「少女奇譚」「少年奇譚」川奈まり子(晶文社)

 そのうち前者については以前レビューを書いた。
 もう一冊の「少年奇譚」の方もぼちぼち読み進め、年明けにようやく読了。
 自分が「かつての少年」であったせいか、「少女奇譚」とは読んだ感触が全く違う。
 怪異譚というより「ご近所冒険」というか、部室で友人の打ち明け話を聞いている感じというか。
 かつての少年の語る奇譚は即ち、「おバカな男子のおバカな失敗談」である傾向が強くなる。
 やっぱり少女よりかなりアホっぽいかなと思った。

 もしかしたらこの作品における作者は、「男子のおバカな話を聞いてくれる女の先輩」的な位置になるのかもしれない。

 前書きで触れられているけれども、男性の怪異体験が成人前に多いというのは、私自身の見聞からも首肯できる。
 もう少し踏み込むなら、「彼女」ができて「友だち」の比重が軽くなるまで、という傾向はあるかもしれない。

 以下に、いくつか語れるエピソードを挙げてみたい。

●「宝ヶ池のハク」
 冒頭エピソードから、完全に心を持っていかれてしまった。
 ふとしたきっかけで、大人になってから急に蘇ってくる古い記憶。
 そこには今はもう会えなくなった友だちがいて、楽しい思い出と共に、切ない別れがあって。
 そして今にして思うと、この世のものならぬ不思議があって。
 私は元来、子供の頃の友だち、心の中の友だちに思い入れの強い人間なので、よけいに心惹かれるのかもしれないが、読後少し涙ぐんでしまった。

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 今回の「少年奇譚」を音楽のアルバムに見立てるならば、シングルカットされるのは「宝ヶ池のハク」、そしてB面は、このあと紹介する「僕の左に」になるだろうか。
 記憶の中の古い友だちに対する郷愁が、そんな昭和のアナログ音楽の有り様を思い出させる。
 最初のエピソードはそれだけ印象深く、この一冊のイメージを代表しており、読み進めるごとにここに立ち戻るような感覚がある。
 
●「僕の左に」
 この本の基調のような「心の中の友だち」にまつわる切ないエピソード。
 幼い子供の友情は、強固であると同時に意外にうつろいやすく、壊れやすい。
 悪気なくやってしまった仕打ちが友だちを「置き去り」にし、取り返しのつかない結果に。
 私はこの手のお話はいつも「置き去りにされた方」に感情移入してしまうのだが、この年になってみるとどちらが「置き去り」なのかは一概には言い切れない、とも思う。

 治療のため、片目の視界が覆われたことで「異界」が見えてくる様も、元弱視児童の私にとって非常に興味深い。
 そう言えば私も、幼児の頃は右目の視力がかなり低く、裸眼では見えていなかった。
 その後のリハビリ中は、悪い方の右目の訓練のために見えている方の左眼をアイパッチで塞いでいた時期もあった。
 色々思い当ってくるのである。

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 最初の修行1
 最初の修行2
 最初の修行3
 最初の修行4

●「上海トンネルのジョシュア」
 児童虐待にまつわる怪異。
 この年になってようやく、昔の経験に理解が追いつくことがある。
 子供の頃の友だちに幾人か、程度の差はあれ「あれは虐待をうけていたのではないか」と思い至ることもある。
 確かめようもないけれども、それぞれの人生を生きていてくれればいいなと、本当にそう思う。

●「玄の島」
 少年の体験する怪異が「おバカな男子のおバカな失敗談」めいてくる典型のようなエピソード。
 男子の失敗談には「オチンチンと糞尿」が付き物なのである(苦笑)

●「悲鳴の灯台」
 和歌浦雑賀崎を舞台にした小編。
 作中で描かれている通り、かつて賑わい、今は忘れられかけた観光地での怪異の断片。

 私はこの場所に程近いある小さなビーチに、特別な思い入れがある。
 私の中の少年と大人、心の中の友だちをつなぐ地である。

 久々に連絡をとった中高生の頃の友だちに誘われ、不思議な祭に参加した90年代の手記。

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 月物語

●「刀奇譚」
 幼少の頃から自宅で不穏な気配や金縛りに遭遇してきた少年が、中高生になって武道を習い、鍛練のための模擬刀を手に入れてから、平穏を得るまでのお話し。

 私にとって、かなり「わかる気がする」エピソードである。
 私も幼少時から金縛りや悪夢、怪夢があり、また中学生の頃に心身の不安定を経験した。

 金縛りと幽体離脱

 これまでにも何度か書いてきたが、私は私立中高出身で、当時ですら時代錯誤の「虐待指導」を受けてきた。
 入学したての中一の頃は、膨大な宿題を全部真面目にやろうとして、できないと殴られるのを避けるために、家の二階の窓から飛び降りて骨折くらいしてやろうかと思ったこともあった。
 正直、かなりストレスで追い込まれていたと思う。

 その時に心の安定に役立ったと思われるのが「剣道」だった。
 それまでごく真面目で大人しい方だったのだけれども、中二くらいで凶暴さというか闘争心が急に強くなって、小学校時代からやっていた剣道が、その格好の捌け口になった。
 ある時期から「ああ、俺はいざとなったら人の頭をカチ割れるのか」とわかってくると、暴力体育教師への恐怖がやや後退した。
 武道で段位をとるというのは、「下手にキレたらヤバいな」という「自分に対する恐怖」が刻まれる一面があると思う。
 相手への恐怖と自分への恐怖で相殺される分、多少は追い詰められなくなると言おうか。
 それがなかったら、中学の時に潰れていたかもしれないし、最悪他者に矛先が向いていたかもしれない。
 あくまで私自身のことではあるけれども、あの頃なんとなく感じていた「不穏な気配」は、自分の中の破壊衝動のようなものが部屋の壁や暗闇等に投影されていたのではないかと、今は思う。
 自分の暴発を恐れる心が、「戈を止める」スキルである武道の鍛練で、ある程度鎮められたのではないかと思うのだ。

●「まあちゃん、行こっか」
●「祖母をすくう」
 少年と祖父母の死にまつわるエピソード。
 孫は祖父母に「死」を教わることが多い。
 そして大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんとの別れは、時に「この世のものならぬ」領域に踏み込む。

 私は幼少時、両親が共働きだったので、昼間の時間帯を母方の祖母に見てもらっており、初孫でもあったので、つながりが深かった。
 その祖母が亡くなったのは私に長男が生まれて一年ほど経った頃のこと。
 体調を崩して入院中の祖母が「夢に〇〇と〇〇(私と長男の名)が出てきて、不思議そうな顔でこちらを見ていた」と、語ったという。
 気になった私はその後見舞いに行ったが、もう意識ははっきりせず、話せずじまいになった。
 今思うと、あれはたぶん「お別れの夢」だったのではないかと思う。
 おばあちゃん子の私だったが、自分のことに手いっぱいでとくになんの恩返しもできないままになった。
 亡くなる前年、ひ孫である上の子を抱かせてあげられて本当に良かったと思う。

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【おやまのこもりうた】

(mp3ファイル/約5分30秒/10MB)ヘッドフォン推奨



 川奈まり子 の実話奇譚を読むと、自分の過去の体験が「怪異」という切り口で次々に怪しく掘り返されて来るのを感じる。
 明らかな怪異体験まで行かない紙一重であれば、誰でも日常的に遭遇しているのではないだろうか。

 じわじわと読み進めながら思うところあり、自分の幼児の頃の原風景のスケッチを開始した。

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 原風景スケッチ1
 原風景スケッチ2

 そういう「振り返り」が促される一冊だった。
posted by 九郎 at 18:36| Comment(0) | 怪異 | 更新情報をチェックする