【メディアミックスとマンガ】
日本の子供向けTV番組は、長らく雑誌連載マンガと濃密な関連を持ってきた。
1953年に日本でTV放送が始まったごく初期段階から、メディアミックス的な作品展開はあった。
多人数を対象に無料で視聴できるTVでの露出は、ながらくメディアミックスの中心を占めてきたのだ。
そもそも日本初の30分枠TVアニメ「鉄腕アトム」は、監督である手塚治虫自身が雑誌連載していた同名作品をアニメ化したものだった。
その成功を受けて制作された初期TVアニメの多くは、原作マンガの人気が先行する「アニメ化作品」であった。
60年代の「人気マンガを原作とする初期のモノクロTVアニメ」には、例えば以下のようなものがある。
●鉄腕アトム(手塚治虫)
63年1月〜66年12月、全193話。
●鉄人28号(横山光輝)
63年10月〜66年5月、全97話。
●エイトマン(平井和正/桑田次郎)
63年11月〜 64年12月、全56話。
●オバケのQ太郎(藤子不二雄)
65年8月〜67年6月、全96話。
●おそ松くん(赤塚不二夫)
66年2月〜67年3月、全56話。
●ハリスの旋風(ちばてつや)
66年5月〜67年8月、全70話。
●サイボーグ009(石森章太郎)(劇場版1966年)
68年4月〜9月、 全26話。
●ゲゲゲの鬼太郎(水木しげる)
68年1月〜69年3月、全65話。
雑誌掲載マンガの人気作品がTVアニメ化され、メディアミックスで更に人気が沸騰するという形は、少年マンガのヒットパターンの王道として今に続いている。
人気マンガのアニメ化が相次いだ60年代だが、もちろんマンガを原作としないTV独自の子供番組も多く制作されていた。
ここで「コミカライズ」という言葉が登場する。
メディアミックスの在り方の一形態で、他のジャンルの作品をマンガに変換(コミック化)することを指す。
例えば現在でも人気の「月光仮面」は、川内康範の原作で1958年にTVドラマとしてスタートし、並行して貸本や雑誌連載のマンガ版も制作されており、雑誌連載版は開始当初、後に「8マン」で人気を博す桑田次郎が作画を担当していた。
映像コンテンツの録画や配信が広く一般化した現代と違い、80年代初頭までTVコンテンツは基本的に「放映されたらそれでおしまい」だった。
手に取ってストーリーをなぞれ、ビジュアルを紙で手にできるコミカライズ作品の果たす役割は大きかったのだ。
コミカライズの場合、マンガはあくまで派生作品であり、制作する側も鑑賞する側も「TVの再現」が主目的であった。。
そして70年代に入り、子供向けTVアニメや特撮番組が定着する中で、TVアニメの企画先行でマンガ家が作品を制作するという流れが出てきた。
以下に現在でも人気やシリーズ作品が継続しているTV番組を挙げてみよう。
●仮面ライダー(石森章太郎)
71年4月〜73年2月、全98話
●デビルマン(永井豪)
72年7月〜73年3月、全39話
●マジンガーZ(永井豪)
72年12月〜 74年9月 、全92話
●ゲッターロボ(永井豪/石川賢)
74年4月〜75年5月、全51話
●秘密戦隊ゴレンジャー(石森章太郎)
75年4月〜77年3月、全84話
こうして並べてみると、たった数年間に仮面ライダー、悪魔的ヒーロー、スーパーロボット、複数機変形合体、スーパー戦隊のフォーマットが、全部出揃ってしまっているのが凄まじい。
これらのTV企画先行作品は、マンガ版とTV版の間に「主従関係」は無い。
マンガ家の名前は「原作者」とクレジットされ、ほぼ同時進行で「原作マンガ」も雑誌掲載されたが、必ずしも同一内容ではなく、TV版とマンガ版でそれぞれ別の展開になることも多々あった。
アニメより制約が少ない分、「原作」が暴走し、ほとんど別作品のようになることすらあった。
そして目立って「暴走現象」の起こりやすいマンガ家の系譜として、石森章太郎を起点とする流れが挙げられるが、このことは記事を改めて詳述する。
70年代初頭に生まれた私は、これらの作品を全身に浴びながら育ったと言って良い。
70年代の子供向けエンタメ、サブカル作品は、60年代に一旦進化しつくしたノウハウをリバイバル、パロディ化しながら爛熟していった。
以下にその過程を概観してみよう。
2019年07月21日
2020年04月10日
暴走する石森DNA
60年代半ば以降、戦後の子供向けサブカルの「神」であった手塚治虫が一度失速し、SFジャンル自体の人気も縮小する中、その後継者となったのが石森章太郎だった。
石森章太郎(本名、小野寺)は1938年、宮城県生まれ。
映画監督志望だったが、手塚「新宝島」に衝撃を受け、早くからマンガを描き始める。
中学時代にマンガ投稿や同人活動を開始、高校時代には「漫画少年」投稿により、全国のマンガ少年の間でその名が知られるようになる。
その中の一人に後に原作提供でコンビを組む平井和正がおり、同学年の「天才」の活躍を誌上で知ってマンガ家志望を断念、小説へ的を絞ったという。
高校在学中に手塚治虫に見いだされ、54年雑誌デビュー。
翌年高校を卒業して上京後は、トキワ荘グループの中でも早くから実力を認められ、すぐに仕事は軌道に乗った。
●「サイボーグ009」(64〜69年)
作者初の「エンタメ」を意識した作品とされる。
サイボーグ化により特殊能力を与えられた各国代表(野球を思わせる九人チーム)が、一丸となって超国家的テロ組織と戦うという構図は、今見ても最先端を感じさせる。
SFに「チームバトル」の要素を取り入れた中では最初期にあたる作品ではないだろうか。
掲載誌を変えながら執筆は続けられ、69年の終末的な「天使編」で、佳境に入りかけた所で中断。
その後も断続的に新エピソードが発表されたが、「天使編」完結が石森自身の手で描かれることはついになかった。
70年代サブカルチャーの流行の一つに「終末ブーム」があった。
五島勉「ノストラダムスの大予言」(祥伝社)が刊行されたのが73年で、同時代には少年マンガの世界でも「人類滅亡」が数多く描かれた。
中でも週刊少年マンガ誌における同テーマの嚆矢となったのが「幻魔大戦」(原作:平井和正、マンガ:石森章太郎)である。
平井和正は元々SF作家としてデビューした後、60年代の「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
ヒット作「サイボーグ009」の石森章太郎とのコンビで執筆された「幻魔大戦」は、年代的に「エイトマン」終了後の次なる意欲作にあたっていたのではないだろうか。
●「幻魔大戦」(67年、週刊少年マガジン連載)
光と闇の戦いというテーマを超能力SFで描いた元祖のような作品である。
宇宙規模の破壊者である「幻魔」と、地球の超能力集団の戦いを描いたこの作品は、そもそもその設定から「勝てるわけがない」物語であった。
少年マンガの敵役は、通常は味方側の成長と共に、競うように強さを増していくものだ。
物語にドライブがかかると「強さのインフレ」」と呼ばれる現象が起こり、結果的に「宇宙大の悪」と戦う羽目になってしまったりもするが、それはあくまで順を追った結果のことだ。
たとえば「ドラゴンボール」で、連載開始当初の幼い悟空の前に、いきなりセルや魔人ブウが現れたらどうなるだろうか?
いくらサイヤ人の子供でも、勝てるわけがないのである。
本作「幻魔大戦」の設定は、今読み返すとそのくらいのレベルでメチャクチャなのだ。
そんな圧倒的な戦況の中、主人公・東丈をはじめとする地球の超能力者集団は、内部抗争を繰り返しながらも成長し、幻魔の地球方面司令官シグを引っ張り出すまでに健闘するが、シグによって月が落下してくる「終末イメージ」の中で、マンガ版はいったん打ち切りにより終了する。
はっきり地球が滅びた描写はないものの、他の解釈があり得ないほど彼我の戦力差は歴然としており、他に解釈のしようのない衝撃的なラストシーンだった。
残念ながら連載中はヒットとはならなかった本作だが、根強い人気と平井/石森の思い入れの強さにより、数年置いて執筆された続編では、一旦物語は仕切り直されている。
●「新幻魔大戦」(71〜74年、SFマガジン連載)
そもそも勝てるわけがない強大過ぎる敵の設定は、壮大な「幻魔宇宙」のビッグバンを起こす起爆剤になった。
一つの世界で勝てないなら、歴史改変によって無限のパラレルワールドを分岐させ、勝つまで戦ってしまえばいい。
そんな発想のもとに描かれた新作は、物語を一旦大幅に巻き戻した。
幻魔により一瞬で滅ぼされた世界の一人の少女が、時間跳躍能力により「勝てる地球」を作ろうとする壮大なスケールの作品に成長したのだ。
ここでは最初の「幻魔大戦」の物語は、幻魔に勝利するために試作されたパラレルワールドの一つに組み込まれることになる。
今でこそこうした「歴史改変」ストーリーは珍しくないが、70年代初頭にこのスケールで描いた平井の先見性は凄まじい。
この時期の石森は大人向け作品の制作を開始しており、前作より大幅に絵の密度が上がっていることも、特色として挙げられる。
原作は小説形式で執筆されており、マンガの中で文章の占めるパートが大きい「絵物語」的な表現形式である。(後に原作自体も平井和正の小説版として刊行)
原典になった70年代前後の二作以降、原作者の平井和正の小説版、石森章太郎のマンガ版はそれぞれ別に描かれることになる。
石森マンガ版は1979年〜1981年、雑誌「リュウ」連載。
平井小説版は1979年〜86年頃まで執筆され、中断。
1983年には序盤ストーリーが角川アニメ第一作として劇場作品にもなっており、「ハルマゲドン」という言葉が一般化するきっかけとなり、私が本作と出会ったのはそのタイミングだった。
70年代の私の最初の「石森ショック」は、マンガ版の「仮面ライダー」だった。
【文明批評SFマンガの復権】
子供の頃、アニメや特撮番組を低年齢向けマンガにした作品が好きで、よく読んでいた。
70年代、そうしたコミカライズ作品制作が、一つのピークに達していた時のことである。
当時はあまり厳密に「原作と派生作品」の関係は意識しておらず、マンガのTV化もTVのマンガ化もとくに区別はしていなかったはずだ。
色々区別なく読み進める中で、たまに少々雰囲気の違うマンガが紛れ込んでいることには気付いていた。
一応TV番組と同一タイトル、同一基本設定でありながら、内容が「TVとちがってちょっと怖い」感じがする一群のマンガ作品があったのだ。
最初に意識したのは「仮面ライダー」あたりだったと思う。
その頃の私は山田ゴロ版を愛読していたが、「原作者」石森章太郎が自らペンをとったバージョンも読んでいた。
山田ゴロ版も低年齢向けマンガとしてはかなりショッキングな描写が含まれていたが、それでもTV版ライダーシリーズの「枠」は守ってある感じはした。
ところがTV版の初代ライダーとほぼ同時期に執筆された石森マンガ版は、子供心にも「これは別物!」という印象を持ったのだ。
まず絵柄がちょっと怖かった。
既に「大人向けマンガ対応」を済ませていた石森の描線はかなり緻密で、画面も暗く、恐怖マンガのようなダークな雰囲気が漂っていた。
内容も「仮面ライダー」という素材を使いながらも、シリアスなSFとして真っ向から描かれており、文明批判的な描写も多く、なんとなく「これ子供が読んでもいいのか?」と思ったのを覚えている。
当時の石森章太郎は多くのTVヒーローの「原案」を担当しながら、自ら執筆したマンガ版では「独自展開でシリアスなSFを描く」というパターンで数々の作品を世に出している。
仮面ライダーと同様、「暴走」とも思えるほどのTV版からの逸脱ぶりで強烈な内容になった作品は数多く、「人造人間キカイダー」や「イナズマン」「ロボット刑事」あたりは今読んでもかなり面白い。
変身ヒーロー70年代的元祖である「仮面ライダー」以降の一連の作品は「TV企画先行」の嚆矢でもあった。
スタート地点ではバトル要素を前面に押し出し、「オモチャや関連グッズを売るための30分CM」でありながら、そこにSFマインドや文明批評を織り込んで復権させた功績は多大である。
その石森のアシスタントを務めていた永井豪、そして永井豪のアシスタントの石川賢と続く系譜は、連綿と「TVアニメで広く人気を獲得し、マンガ版でストーリーを暴走させるDNA」をつないでいったのだ。
石森章太郎(本名、小野寺)は1938年、宮城県生まれ。
映画監督志望だったが、手塚「新宝島」に衝撃を受け、早くからマンガを描き始める。
中学時代にマンガ投稿や同人活動を開始、高校時代には「漫画少年」投稿により、全国のマンガ少年の間でその名が知られるようになる。
その中の一人に後に原作提供でコンビを組む平井和正がおり、同学年の「天才」の活躍を誌上で知ってマンガ家志望を断念、小説へ的を絞ったという。
高校在学中に手塚治虫に見いだされ、54年雑誌デビュー。
翌年高校を卒業して上京後は、トキワ荘グループの中でも早くから実力を認められ、すぐに仕事は軌道に乗った。
●「サイボーグ009」(64〜69年)
作者初の「エンタメ」を意識した作品とされる。
サイボーグ化により特殊能力を与えられた各国代表(野球を思わせる九人チーム)が、一丸となって超国家的テロ組織と戦うという構図は、今見ても最先端を感じさせる。
SFに「チームバトル」の要素を取り入れた中では最初期にあたる作品ではないだろうか。
掲載誌を変えながら執筆は続けられ、69年の終末的な「天使編」で、佳境に入りかけた所で中断。
その後も断続的に新エピソードが発表されたが、「天使編」完結が石森自身の手で描かれることはついになかった。
70年代サブカルチャーの流行の一つに「終末ブーム」があった。
五島勉「ノストラダムスの大予言」(祥伝社)が刊行されたのが73年で、同時代には少年マンガの世界でも「人類滅亡」が数多く描かれた。
中でも週刊少年マンガ誌における同テーマの嚆矢となったのが「幻魔大戦」(原作:平井和正、マンガ:石森章太郎)である。
平井和正は元々SF作家としてデビューした後、60年代の「エイトマン」のヒット以来、まずマンガ原作者として地歩を築いた。
ヒット作「サイボーグ009」の石森章太郎とのコンビで執筆された「幻魔大戦」は、年代的に「エイトマン」終了後の次なる意欲作にあたっていたのではないだろうか。
●「幻魔大戦」(67年、週刊少年マガジン連載)
光と闇の戦いというテーマを超能力SFで描いた元祖のような作品である。
宇宙規模の破壊者である「幻魔」と、地球の超能力集団の戦いを描いたこの作品は、そもそもその設定から「勝てるわけがない」物語であった。
少年マンガの敵役は、通常は味方側の成長と共に、競うように強さを増していくものだ。
物語にドライブがかかると「強さのインフレ」」と呼ばれる現象が起こり、結果的に「宇宙大の悪」と戦う羽目になってしまったりもするが、それはあくまで順を追った結果のことだ。
たとえば「ドラゴンボール」で、連載開始当初の幼い悟空の前に、いきなりセルや魔人ブウが現れたらどうなるだろうか?
いくらサイヤ人の子供でも、勝てるわけがないのである。
本作「幻魔大戦」の設定は、今読み返すとそのくらいのレベルでメチャクチャなのだ。
そんな圧倒的な戦況の中、主人公・東丈をはじめとする地球の超能力者集団は、内部抗争を繰り返しながらも成長し、幻魔の地球方面司令官シグを引っ張り出すまでに健闘するが、シグによって月が落下してくる「終末イメージ」の中で、マンガ版はいったん打ち切りにより終了する。
はっきり地球が滅びた描写はないものの、他の解釈があり得ないほど彼我の戦力差は歴然としており、他に解釈のしようのない衝撃的なラストシーンだった。
残念ながら連載中はヒットとはならなかった本作だが、根強い人気と平井/石森の思い入れの強さにより、数年置いて執筆された続編では、一旦物語は仕切り直されている。
●「新幻魔大戦」(71〜74年、SFマガジン連載)
そもそも勝てるわけがない強大過ぎる敵の設定は、壮大な「幻魔宇宙」のビッグバンを起こす起爆剤になった。
一つの世界で勝てないなら、歴史改変によって無限のパラレルワールドを分岐させ、勝つまで戦ってしまえばいい。
そんな発想のもとに描かれた新作は、物語を一旦大幅に巻き戻した。
幻魔により一瞬で滅ぼされた世界の一人の少女が、時間跳躍能力により「勝てる地球」を作ろうとする壮大なスケールの作品に成長したのだ。
ここでは最初の「幻魔大戦」の物語は、幻魔に勝利するために試作されたパラレルワールドの一つに組み込まれることになる。
今でこそこうした「歴史改変」ストーリーは珍しくないが、70年代初頭にこのスケールで描いた平井の先見性は凄まじい。
この時期の石森は大人向け作品の制作を開始しており、前作より大幅に絵の密度が上がっていることも、特色として挙げられる。
原作は小説形式で執筆されており、マンガの中で文章の占めるパートが大きい「絵物語」的な表現形式である。(後に原作自体も平井和正の小説版として刊行)
原典になった70年代前後の二作以降、原作者の平井和正の小説版、石森章太郎のマンガ版はそれぞれ別に描かれることになる。
石森マンガ版は1979年〜1981年、雑誌「リュウ」連載。
平井小説版は1979年〜86年頃まで執筆され、中断。
1983年には序盤ストーリーが角川アニメ第一作として劇場作品にもなっており、「ハルマゲドン」という言葉が一般化するきっかけとなり、私が本作と出会ったのはそのタイミングだった。
70年代の私の最初の「石森ショック」は、マンガ版の「仮面ライダー」だった。
【文明批評SFマンガの復権】
子供の頃、アニメや特撮番組を低年齢向けマンガにした作品が好きで、よく読んでいた。
70年代、そうしたコミカライズ作品制作が、一つのピークに達していた時のことである。
当時はあまり厳密に「原作と派生作品」の関係は意識しておらず、マンガのTV化もTVのマンガ化もとくに区別はしていなかったはずだ。
色々区別なく読み進める中で、たまに少々雰囲気の違うマンガが紛れ込んでいることには気付いていた。
一応TV番組と同一タイトル、同一基本設定でありながら、内容が「TVとちがってちょっと怖い」感じがする一群のマンガ作品があったのだ。
最初に意識したのは「仮面ライダー」あたりだったと思う。
その頃の私は山田ゴロ版を愛読していたが、「原作者」石森章太郎が自らペンをとったバージョンも読んでいた。
山田ゴロ版も低年齢向けマンガとしてはかなりショッキングな描写が含まれていたが、それでもTV版ライダーシリーズの「枠」は守ってある感じはした。
ところがTV版の初代ライダーとほぼ同時期に執筆された石森マンガ版は、子供心にも「これは別物!」という印象を持ったのだ。
まず絵柄がちょっと怖かった。
既に「大人向けマンガ対応」を済ませていた石森の描線はかなり緻密で、画面も暗く、恐怖マンガのようなダークな雰囲気が漂っていた。
内容も「仮面ライダー」という素材を使いながらも、シリアスなSFとして真っ向から描かれており、文明批判的な描写も多く、なんとなく「これ子供が読んでもいいのか?」と思ったのを覚えている。
当時の石森章太郎は多くのTVヒーローの「原案」を担当しながら、自ら執筆したマンガ版では「独自展開でシリアスなSFを描く」というパターンで数々の作品を世に出している。
仮面ライダーと同様、「暴走」とも思えるほどのTV版からの逸脱ぶりで強烈な内容になった作品は数多く、「人造人間キカイダー」や「イナズマン」「ロボット刑事」あたりは今読んでもかなり面白い。
変身ヒーロー70年代的元祖である「仮面ライダー」以降の一連の作品は「TV企画先行」の嚆矢でもあった。
スタート地点ではバトル要素を前面に押し出し、「オモチャや関連グッズを売るための30分CM」でありながら、そこにSFマインドや文明批評を織り込んで復権させた功績は多大である。
その石森のアシスタントを務めていた永井豪、そして永井豪のアシスタントの石川賢と続く系譜は、連綿と「TVアニメで広く人気を獲得し、マンガ版でストーリーを暴走させるDNA」をつないでいったのだ。
2020年04月14日
70年代スーパーロボット・ビッグバン
アトム以降のロボットアニメを新次元に進化させた例としては、なんといっても永井豪の「マジンガーZ」(1972年〜)が挙げられる。
70年代初頭は、時代的にはアニメもマンガも「スポ根モノ」の全盛期で、手塚から始まるSF路線、ロボット路線の人気が低迷していた時期である。
そんな時期に再び子供の興味を巨大ロボットに引き戻したのが「マジンガーZ」だったのだ。
手塚から石ノ森章太郎、永井豪へと続くラインは、ある意味で日本のSFマンガの直系とも言えるだろう。
アーティストの作品評価において、「広く一般に届いた人気作」と、「ファンの間で愛される最高傑作」の間に、ズレが生じるケースが多々ある。
永井豪は多くの名作を生み出してきたマンガ家で、後続のサブカルチャーに多大な影響を及ぼしたが、「広く一般に届いた」という意味での代表作は、やはり「マジンガーZ」になるだろう。
(そして「ファンの間で愛される最高傑作」は、間違いなく「デビルマン」になるが、この作品については次回詳述)
先行するロボットモノの要素を継承しながら、「マジンガーZ」から独自に創出された要素も数多い。
何よりもまず、実際に人が乗り込む「搭乗型巨大ロボット」であることが特筆される。
これにより、鉄人28号のリモコン操作型より主人公との一体感が増し、バトル描写に臨場感が生まれたのだ。
人体を十倍に拡大した18m前後の設定、コクピットを兼ねた小型戦闘機との合体、飛行ユニットとの合体も、既に「マジンガーZ」から始まっている。
他にも、
・下手すると悪役に見えてしまいそうな悪魔的なデザイン。
・新素材や新エネルギーによる高性能化の理屈付け。
・続編である「グレートマジンガー」まで含めると、主役機の交代劇。
・同じく永井豪率いるダイナミックプロ原作の「ゲッターロボ」まで含めると、複数のチームマシンによる変形合体。
などなど、後のロボットアニメにも継承される「ウケる」要素が、これでもかというほど「マジンガーZ」をはじめとする一連のダイナミックプロ原案の作品で創出された。
他ならぬ「スーパーロボット」という呼称自体が「Z」の主題歌の歌詞の一節で、勇ましく戦闘的なアニメソングの系譜も同じ主題歌から始まったのだ。
そしてこれらのダイナミックプロによるスーパーロボット作品は、TVアニメ先行の企画であった。
マンガ版は必ずしも「原作」ではなく、アニメ版と並行した別作品という体裁になっている。
こうした構図はほぼ同時期に制作された石ノ森章太郎原作の特撮番組「仮面ライダー」等とも共通している。
(TVアニメと並行したマンガ版が、マンガ家のSF的「暴走」により、制約の多いアニメとはかけ離れた展開を見せる現象については前回記事参照)
マジンガーZはまた、玩具にも革命をもたらした。
ダイカスト素材を使用した頑丈で重量感のある「超合金」と、軽量で比較的大型のソフトビニール製玩具は、以後のスーパーロボットアニメの定番アイテムになり、おもちゃメーカーが作品を提供するビジネスモデルが確立した。
30分枠の一話完結方式で主役ロボットが活躍するフォーマットは、「ロボットプロレス」「玩具の30分CM」などと言われながらも多くの優れた作品を生み、私はまさにその全盛期に子供時代を過ごしたのだ。
マジンガ―シリーズに関して言えば、同時進行で執筆されたマンガ版よりも、ヨーロッパなど、海外の放映でも絶大な人気を博したTVアニメ版こそが「正伝」だったのではないかと思う。
永井豪自身によるマンガ版は、厳密には「原作」ではなく、アニメ版と並行したアナザーストーリーであった。
シンプルな勧善懲悪でスーパーロボットの活躍を描いた良作ではあるものの、必ずしも「全力投球」の作品ではなかった。
同時期に最大の問題作である「デビルマン」を執筆中で、そちらに主要なエネルギーを傾注しながらの連載だったのだ。
【永井豪マンガ版】
●「マジンガーZ」
マジンガーシリーズのコミカライズでは、むしろ同じダイナミックプロ内で制作された桜田吾作版が、絵柄の好みは分かれるけれども、骨太なストーリー展開が光る。
【桜田吾作版マジンガーシリーズ】
●「マジンガーZ」
●「グレートマジンガー」
●「UFOロボ グレンダイザー」
永井豪が原案を担当し、TVアニメにもなった「ゲッターロボ」「ゲッターロボG」も、同じダイナミックプロの石川賢がマンガ版を担当した。
こちらも手加減抜きのハードな描写で、70年代スーパーロボットマンガの最高峰と言ってよいだろう。
●「ゲッターロボ」
●「ゲッターロボG」
以後も70年代を通じて、永井豪とダイナミックプロは多くのスーパーロボット作品を生み出し、他の作り手も巻き込んで、サブカルチャーの一大市場を形成していった。
70年代末の「機動戦士ガンダム」によって、アニメの世界にはもう一段階進化したリアルロボット路線が創出され、やや年長の新たなファン層を開拓した。
それでも幼年層にも鑑賞しやすいシンプルなスーパーロボット路線への需要は、時代を超えて残った。
単独テーマのTV番組でなくとも、たとえば特撮ヒーロー番組内の一要素として、スーパーロボットは採用され続けたのだ。
70年代初頭は、時代的にはアニメもマンガも「スポ根モノ」の全盛期で、手塚から始まるSF路線、ロボット路線の人気が低迷していた時期である。
そんな時期に再び子供の興味を巨大ロボットに引き戻したのが「マジンガーZ」だったのだ。
手塚から石ノ森章太郎、永井豪へと続くラインは、ある意味で日本のSFマンガの直系とも言えるだろう。
アーティストの作品評価において、「広く一般に届いた人気作」と、「ファンの間で愛される最高傑作」の間に、ズレが生じるケースが多々ある。
永井豪は多くの名作を生み出してきたマンガ家で、後続のサブカルチャーに多大な影響を及ぼしたが、「広く一般に届いた」という意味での代表作は、やはり「マジンガーZ」になるだろう。
(そして「ファンの間で愛される最高傑作」は、間違いなく「デビルマン」になるが、この作品については次回詳述)
先行するロボットモノの要素を継承しながら、「マジンガーZ」から独自に創出された要素も数多い。
何よりもまず、実際に人が乗り込む「搭乗型巨大ロボット」であることが特筆される。
これにより、鉄人28号のリモコン操作型より主人公との一体感が増し、バトル描写に臨場感が生まれたのだ。
人体を十倍に拡大した18m前後の設定、コクピットを兼ねた小型戦闘機との合体、飛行ユニットとの合体も、既に「マジンガーZ」から始まっている。
他にも、
・下手すると悪役に見えてしまいそうな悪魔的なデザイン。
・新素材や新エネルギーによる高性能化の理屈付け。
・続編である「グレートマジンガー」まで含めると、主役機の交代劇。
・同じく永井豪率いるダイナミックプロ原作の「ゲッターロボ」まで含めると、複数のチームマシンによる変形合体。
などなど、後のロボットアニメにも継承される「ウケる」要素が、これでもかというほど「マジンガーZ」をはじめとする一連のダイナミックプロ原案の作品で創出された。
他ならぬ「スーパーロボット」という呼称自体が「Z」の主題歌の歌詞の一節で、勇ましく戦闘的なアニメソングの系譜も同じ主題歌から始まったのだ。
そしてこれらのダイナミックプロによるスーパーロボット作品は、TVアニメ先行の企画であった。
マンガ版は必ずしも「原作」ではなく、アニメ版と並行した別作品という体裁になっている。
こうした構図はほぼ同時期に制作された石ノ森章太郎原作の特撮番組「仮面ライダー」等とも共通している。
(TVアニメと並行したマンガ版が、マンガ家のSF的「暴走」により、制約の多いアニメとはかけ離れた展開を見せる現象については前回記事参照)
マジンガーZはまた、玩具にも革命をもたらした。
ダイカスト素材を使用した頑丈で重量感のある「超合金」と、軽量で比較的大型のソフトビニール製玩具は、以後のスーパーロボットアニメの定番アイテムになり、おもちゃメーカーが作品を提供するビジネスモデルが確立した。
30分枠の一話完結方式で主役ロボットが活躍するフォーマットは、「ロボットプロレス」「玩具の30分CM」などと言われながらも多くの優れた作品を生み、私はまさにその全盛期に子供時代を過ごしたのだ。
マジンガ―シリーズに関して言えば、同時進行で執筆されたマンガ版よりも、ヨーロッパなど、海外の放映でも絶大な人気を博したTVアニメ版こそが「正伝」だったのではないかと思う。
永井豪自身によるマンガ版は、厳密には「原作」ではなく、アニメ版と並行したアナザーストーリーであった。
シンプルな勧善懲悪でスーパーロボットの活躍を描いた良作ではあるものの、必ずしも「全力投球」の作品ではなかった。
同時期に最大の問題作である「デビルマン」を執筆中で、そちらに主要なエネルギーを傾注しながらの連載だったのだ。
【永井豪マンガ版】
●「マジンガーZ」
マジンガーシリーズのコミカライズでは、むしろ同じダイナミックプロ内で制作された桜田吾作版が、絵柄の好みは分かれるけれども、骨太なストーリー展開が光る。
【桜田吾作版マジンガーシリーズ】
●「マジンガーZ」
●「グレートマジンガー」
●「UFOロボ グレンダイザー」
永井豪が原案を担当し、TVアニメにもなった「ゲッターロボ」「ゲッターロボG」も、同じダイナミックプロの石川賢がマンガ版を担当した。
こちらも手加減抜きのハードな描写で、70年代スーパーロボットマンガの最高峰と言ってよいだろう。
●「ゲッターロボ」
●「ゲッターロボG」
以後も70年代を通じて、永井豪とダイナミックプロは多くのスーパーロボット作品を生み出し、他の作り手も巻き込んで、サブカルチャーの一大市場を形成していった。
70年代末の「機動戦士ガンダム」によって、アニメの世界にはもう一段階進化したリアルロボット路線が創出され、やや年長の新たなファン層を開拓した。
それでも幼年層にも鑑賞しやすいシンプルなスーパーロボット路線への需要は、時代を超えて残った。
単独テーマのTV番組でなくとも、たとえば特撮ヒーロー番組内の一要素として、スーパーロボットは採用され続けたのだ。
2020年04月29日
70年代サブカルカイザー・永井豪
70年代の永井豪は「スーパーロボット」というサブカルチャーの巨大市場を産み落とした。
これはTVアニメ、玩具販売と連動したチームプレイの産物であったが、より個人の力が発揮されるマンガ連載においても、同時期の永井豪は凄まじい作品を連発していた。
永井豪の出世作とされているのが68年〜72年まで連載された「ハレンチ学園」である。
掲載誌は当時創刊されたばかりの週刊少年ジャンプで、実写ドラマ化もされたこの作品のヒットにより、雑誌の人気も定着していった。
当時の少年誌としては「過激」なエロ描写を導入したギャグ作品で、永井豪は「先鋭的なギャグ漫画家」、「週刊少年ジャンプの立役者」として、まずは地歩を築いたのだ。
今の眼で見るとなんということもないエロ描写も、表現の開拓時代には激しい批判にさらされた。
各地の教育委員会やPTAから目の敵にされ、焚書に近い扱いも受けたという。
そうした「魔女狩り」にも似たヒステリックな排斥運動は作品にも反映され、作中の「ハレンチ大戦争編」では、排斥側とレギュラーキャラが激しい殺し合いを演じるまでにエスカレートした。
他愛のないギャグで始まった作品が、一種の「終末」を描く展開へと暴走したのだ。
●「ハレンチ学園」
同時期にはもうひとつ、飛び抜けたギャグの傑作が「少年マガジン」に連載されている。
●「オモライくん」
マンガ史上でも空前絶後の「不潔マンガ」である。
物乞いの少年を主人公に、徹底的に「不潔」を極めたギャグは、あの筒井康隆が熱烈に称賛したことでも知られる。
エロとは全く別の意味で、現在なら絶対連載不可能な作品である。
しかし、汚物で埋め尽くされたストーリーの果てには、「命」の強さ、美しさが輝く感動の最終回が待っている。
ギャグ作家としての実績を足掛かりに、70年前後からの永井豪は本来志向していたSF作品に傾斜していった。
●「鬼」
●「魔王ダンテ」
その一つの到達点が、73年から週刊少年マガジン連載された「デビルマン」だった。
当時の永井豪の才能と狂気が結晶したような、日本マンガ史上最大級の問題作である。
テーマがシリアスになり、作画密度が濃くなっていくにつれ、作品で描かれる「終末感」は、さらに強烈に研ぎ澄まされていった。
前作「ハレンチ学園」でのエロ描写に続き、「デビルマン」ではアメコミ調の筋肉描写、血がしぶき肉が引き裂かれる激しいバイオレンス描写が導入された。
永井豪は、少年誌における性と暴力の表現の開拓者であったのだ。
私自身は14歳の頃、80年代半ばになってから、はじめてこの漫画版を読んだ。
初出時からはかなり年数がたっていたが、昔は今よりずっと書店の本の回転が緩やかで、過去の名作が店頭に健在だったのだ。
それまでにも石川賢マンガ版「ウルトラマンタロウ」や、TVアニメの「デビルマン」「マジンガーZ」「ゲッターロボ」などは大好きだった。
私の世代は永井豪率いるダイナミックプロの作風で育ったような所があったのだが、漫画「デビルマン」の衝撃は、それまでとは全くレベルが違っていた。
子供の頃好きだったアニメ版とは、基本設定に共通点はあるものの、ビジュアルもストーリーも完全に別物だった。
凶悪なデーモンの合体を受け、狂った破壊衝動と正気の間でのた打ち回る主人公・不動明。
悪魔と合体しつつも、最後まで自分自身の精神を守った主人公の姿は、読んだ当時の14歳という年齢のもたらす不安定な心身と同期して、まるでわがことのように感じられた。
貪るように何度も繰り返し再読したため、コミック全五巻の内容を全て頭の中に再現できるようになった。
寝ても覚めても「デビルマン」のことを考え続け、街中で「ビル・マンション」と書いてある看板が視界に入ると思わず振り返ったこともあった(笑)
もちろん絵の模写もたくさん描いた。
今風に言うなら完全に「中二病」なのだが、読むこと、描くことで癒される何者かが、確実に当時の私の中にあったのだ。
私が「14歳の狂気」を乗り切れたのは、この漫画「デビルマン」のおかげと言っても過言ではない。
今現在「自分の中の凶暴な何者か」と対決中の少年少女には是非手に取ってほしい本作だが、入手の際には注意が必要だ。
多くの加筆バージョンや続編が刊行されているので、なるべく初出に近いものを手に取ってほしいのだ。
敬愛してやまない永井豪先生には大変申し訳ないのだが、この作品ばかりは加筆が入る度にバランスが悪くなっていくように感じる。
絵描き目線で言えば、技術的に未熟な(と本人には思える)過去の絵を直したくなる心情は痛いほどわかる。
しかし作品というものは時として、作家自身にすらうかつに手を出せない、危ういバランスの上に成立した脆く美しい結晶体になるものだ。
後年の加筆が少ないバージョンで、今現在入手し易いのが、以下の三種である。
●「デビルマン 愛蔵版」永井豪(KCデラックス)
●「デビルマン 全三巻」永井豪(KCスペシャル)
●「デビルマン 完全復刻盤 全五巻」永井豪(KCコミックス)
そして永井豪の「画業50周年」を記念して刊行されたのが、以下の三巻完結版。
●「デビルマン THE FIRST」
連載当時の誌面を、サイズはそのまま、紙質と印刷を高品質にした全三巻。
本当に長らく待望されていた、この歴史的名作に相応しい仕様の単行本がついに出た!
序盤の作画にはさすがに時代を感じるが、ストーリーの衝撃は全く色褪せない。
デーモンの無差別合体、第一次総攻撃を受け、人類が疑心暗鬼から相互に監視し合い、殺し合って自滅していく展開は、テロと分断の時代を迎えた今読むと、改めて慄然とさせられるのである。
連載時の「デビルマン」は、必ずしも大ヒットした作品とは言えなかったが、後のエンタメ作品に与えた影響は計り知れない。
現代から近未来を舞台にしながら、神や悪魔や妖怪、科学技術と呪術が混在する「伝奇SF」の世界観は、以後エンタメの一大ジャンルとして成長することになる。
完膚なきまでに世界を滅亡させた「デビルマン」完結直後、その破滅の風景を引き継ぐように執筆開始されたのが「バイオレンスジャック」だった。
73年から週刊少年マガジンで連載が開始されたこの作品は、巨大地震で破壊され、隔絶され、戦国時代さながらの無法地帯と化した関東を舞台とする。
弱肉強食の荒野に忽然と現れた謎の巨人・バイオレンスジャックと、怪異な鎧を身にまとう魔王・スラムキング、そして懸命のサバイバルを続ける孤児集団の少年リーダー・逞馬竜を軸に、野望と絶望、希望渦巻く物語は展開されていく。
今でこそ「近未来の破壊された無法地帯」という舞台設定は描き尽された感があるが、「バイオレンスジャック」は世界的に見てもかなり発表時期が早かった。
映画「マッドマックス」より先行しているのである。
74年に週刊連載終了後、月刊少年マガジンで77年〜78年まで連載された本作は、続く80年代、奔流のように描かれるようになった「終末後」という作品テーマの嚆矢となった。
●「バイオレンスジャック」(少年マガジン版)
70年代の永井豪は、まさに「全盛期」にあった。
ここまで紹介してきた「ハレンチ学園」「鬼」「魔王ダンテ」「マジンガーZ」「オモライくん」「デビルマン」「バイオレンスジャック」以外にも、「キューティーハニー」「手天童子」「凄ノ王」等々、ここにはとても書ききれないほど、マンガ史に残る傑作の数々を集中的に執筆している。
●「手天童子」
●「凄ノ王」
まさに神か悪魔が取り憑いているとしか思えないような「魔神懸かり」の状態で、中でも突出した異常な傑作が「デビルマン」だったのだ。
TVアニメとして広く世界に名をとどろかせた表看板の「マジンガーZ」、そしてカルト的な求心力を持つ「デビルマン」が両輪となって、その後の日本のサブカル作品に多大な影響を及ぼしていくことになる。
これはTVアニメ、玩具販売と連動したチームプレイの産物であったが、より個人の力が発揮されるマンガ連載においても、同時期の永井豪は凄まじい作品を連発していた。
永井豪の出世作とされているのが68年〜72年まで連載された「ハレンチ学園」である。
掲載誌は当時創刊されたばかりの週刊少年ジャンプで、実写ドラマ化もされたこの作品のヒットにより、雑誌の人気も定着していった。
当時の少年誌としては「過激」なエロ描写を導入したギャグ作品で、永井豪は「先鋭的なギャグ漫画家」、「週刊少年ジャンプの立役者」として、まずは地歩を築いたのだ。
今の眼で見るとなんということもないエロ描写も、表現の開拓時代には激しい批判にさらされた。
各地の教育委員会やPTAから目の敵にされ、焚書に近い扱いも受けたという。
そうした「魔女狩り」にも似たヒステリックな排斥運動は作品にも反映され、作中の「ハレンチ大戦争編」では、排斥側とレギュラーキャラが激しい殺し合いを演じるまでにエスカレートした。
他愛のないギャグで始まった作品が、一種の「終末」を描く展開へと暴走したのだ。
●「ハレンチ学園」
同時期にはもうひとつ、飛び抜けたギャグの傑作が「少年マガジン」に連載されている。
●「オモライくん」
マンガ史上でも空前絶後の「不潔マンガ」である。
物乞いの少年を主人公に、徹底的に「不潔」を極めたギャグは、あの筒井康隆が熱烈に称賛したことでも知られる。
エロとは全く別の意味で、現在なら絶対連載不可能な作品である。
しかし、汚物で埋め尽くされたストーリーの果てには、「命」の強さ、美しさが輝く感動の最終回が待っている。
ギャグ作家としての実績を足掛かりに、70年前後からの永井豪は本来志向していたSF作品に傾斜していった。
●「鬼」
●「魔王ダンテ」
その一つの到達点が、73年から週刊少年マガジン連載された「デビルマン」だった。
当時の永井豪の才能と狂気が結晶したような、日本マンガ史上最大級の問題作である。
テーマがシリアスになり、作画密度が濃くなっていくにつれ、作品で描かれる「終末感」は、さらに強烈に研ぎ澄まされていった。
前作「ハレンチ学園」でのエロ描写に続き、「デビルマン」ではアメコミ調の筋肉描写、血がしぶき肉が引き裂かれる激しいバイオレンス描写が導入された。
永井豪は、少年誌における性と暴力の表現の開拓者であったのだ。
私自身は14歳の頃、80年代半ばになってから、はじめてこの漫画版を読んだ。
初出時からはかなり年数がたっていたが、昔は今よりずっと書店の本の回転が緩やかで、過去の名作が店頭に健在だったのだ。
それまでにも石川賢マンガ版「ウルトラマンタロウ」や、TVアニメの「デビルマン」「マジンガーZ」「ゲッターロボ」などは大好きだった。
私の世代は永井豪率いるダイナミックプロの作風で育ったような所があったのだが、漫画「デビルマン」の衝撃は、それまでとは全くレベルが違っていた。
子供の頃好きだったアニメ版とは、基本設定に共通点はあるものの、ビジュアルもストーリーも完全に別物だった。
凶悪なデーモンの合体を受け、狂った破壊衝動と正気の間でのた打ち回る主人公・不動明。
悪魔と合体しつつも、最後まで自分自身の精神を守った主人公の姿は、読んだ当時の14歳という年齢のもたらす不安定な心身と同期して、まるでわがことのように感じられた。
貪るように何度も繰り返し再読したため、コミック全五巻の内容を全て頭の中に再現できるようになった。
寝ても覚めても「デビルマン」のことを考え続け、街中で「ビル・マンション」と書いてある看板が視界に入ると思わず振り返ったこともあった(笑)
もちろん絵の模写もたくさん描いた。
今風に言うなら完全に「中二病」なのだが、読むこと、描くことで癒される何者かが、確実に当時の私の中にあったのだ。
私が「14歳の狂気」を乗り切れたのは、この漫画「デビルマン」のおかげと言っても過言ではない。
今現在「自分の中の凶暴な何者か」と対決中の少年少女には是非手に取ってほしい本作だが、入手の際には注意が必要だ。
多くの加筆バージョンや続編が刊行されているので、なるべく初出に近いものを手に取ってほしいのだ。
敬愛してやまない永井豪先生には大変申し訳ないのだが、この作品ばかりは加筆が入る度にバランスが悪くなっていくように感じる。
絵描き目線で言えば、技術的に未熟な(と本人には思える)過去の絵を直したくなる心情は痛いほどわかる。
しかし作品というものは時として、作家自身にすらうかつに手を出せない、危ういバランスの上に成立した脆く美しい結晶体になるものだ。
後年の加筆が少ないバージョンで、今現在入手し易いのが、以下の三種である。
●「デビルマン 愛蔵版」永井豪(KCデラックス)
●「デビルマン 全三巻」永井豪(KCスペシャル)
●「デビルマン 完全復刻盤 全五巻」永井豪(KCコミックス)
そして永井豪の「画業50周年」を記念して刊行されたのが、以下の三巻完結版。
●「デビルマン THE FIRST」
連載当時の誌面を、サイズはそのまま、紙質と印刷を高品質にした全三巻。
本当に長らく待望されていた、この歴史的名作に相応しい仕様の単行本がついに出た!
序盤の作画にはさすがに時代を感じるが、ストーリーの衝撃は全く色褪せない。
デーモンの無差別合体、第一次総攻撃を受け、人類が疑心暗鬼から相互に監視し合い、殺し合って自滅していく展開は、テロと分断の時代を迎えた今読むと、改めて慄然とさせられるのである。
連載時の「デビルマン」は、必ずしも大ヒットした作品とは言えなかったが、後のエンタメ作品に与えた影響は計り知れない。
現代から近未来を舞台にしながら、神や悪魔や妖怪、科学技術と呪術が混在する「伝奇SF」の世界観は、以後エンタメの一大ジャンルとして成長することになる。
完膚なきまでに世界を滅亡させた「デビルマン」完結直後、その破滅の風景を引き継ぐように執筆開始されたのが「バイオレンスジャック」だった。
73年から週刊少年マガジンで連載が開始されたこの作品は、巨大地震で破壊され、隔絶され、戦国時代さながらの無法地帯と化した関東を舞台とする。
弱肉強食の荒野に忽然と現れた謎の巨人・バイオレンスジャックと、怪異な鎧を身にまとう魔王・スラムキング、そして懸命のサバイバルを続ける孤児集団の少年リーダー・逞馬竜を軸に、野望と絶望、希望渦巻く物語は展開されていく。
今でこそ「近未来の破壊された無法地帯」という舞台設定は描き尽された感があるが、「バイオレンスジャック」は世界的に見てもかなり発表時期が早かった。
映画「マッドマックス」より先行しているのである。
74年に週刊連載終了後、月刊少年マガジンで77年〜78年まで連載された本作は、続く80年代、奔流のように描かれるようになった「終末後」という作品テーマの嚆矢となった。
●「バイオレンスジャック」(少年マガジン版)
70年代の永井豪は、まさに「全盛期」にあった。
ここまで紹介してきた「ハレンチ学園」「鬼」「魔王ダンテ」「マジンガーZ」「オモライくん」「デビルマン」「バイオレンスジャック」以外にも、「キューティーハニー」「手天童子」「凄ノ王」等々、ここにはとても書ききれないほど、マンガ史に残る傑作の数々を集中的に執筆している。
●「手天童子」
●「凄ノ王」
まさに神か悪魔が取り憑いているとしか思えないような「魔神懸かり」の状態で、中でも突出した異常な傑作が「デビルマン」だったのだ。
TVアニメとして広く世界に名をとどろかせた表看板の「マジンガーZ」、そしてカルト的な求心力を持つ「デビルマン」が両輪となって、その後の日本のサブカル作品に多大な影響を及ぼしていくことになる。
2020年04月30日
70年代サブカル「抜け忍モノ」
私が子供の頃の記憶として明確に覚えているのは、70年代中盤からのことになる。
当時の子供向けサブカルチャーには、まだ「忍者モノ」の影響が強く残っていた。
白土三平のマンガが主導した忍者ブームは60年代がリアルタイムだったはずだが、「サスケ」「カムイ外伝」等の作品はマンガもアニメも根強い人気で、私たち70年代の子供もまだまだ忍者ごっこに興じていた。
昔はTVアニメの再放送が今よりずっと頻繁で、ヒット作はほとんど毎年のように放映されていたと記憶している。
書店のマンガ単行本の点数も今よりずっと少なく、回転が緩やかだったので、60年代作品は70年代に入ってもまだまだ「現役」だったのだ。
その頃の私の眼に、「大人っぽくてカッコいい」と思える再放送TVアニメがいくつかあった。
ジャケットが緑の「ルパン三世」第一作や、ここで取り上げる「忍風カムイ外伝」が、その代表だった。
●TVアニメ「忍風カムイ外伝」(69放映)
●マンガ「カムイ外伝」白土三平(65〜67週刊少年サンデー連載)
抜け忍カムイの背負う孤独の影は、子供心に強く印象に残った。
BGMや劇中歌も本当に素晴らしくて、カムイの憂いのこもった眼差しは、荒涼とした背景画のイメージと共に、今でも記憶に刻まれている。
70年代に入って、再放送人気は高かったものの、リアルタイム作品としての「忍者モノ」は下火になった。
以前紹介した「サルでもかけるまんが教室」(竹熊健太郎/相原コージ)には、「忍者モノ」は「空手モノ(身体能力)」と「エスパーもの(超常能力)」に分岐したという主旨の解説がある。
確かに70年以降の、とくに子供向けのサブカルチャー作品は、SFものとスポ根ものに数多くのヒット作が生まれている。
白土三平が切り開いた「抜け忍」のストーリーの構図は、SF作品へとより多く引き継がれていったようだ。
そうした作品の代表は、石森章太郎原作のTV特撮「仮面ライダー」シリーズになるだろう。
主人公の「仮面ライダー」は、元来は悪の秘密結社「ショッカー」に拉致された被害者である。
改造手術で昆虫の能力を仕込まれた怪人「バッタ男」であり、洗脳される直前に脱走してショッカーの仇敵となる設定は、まさに「抜け忍」である。
●TV特撮「仮面ライダー」シリーズ(71〜75、79〜81放映)
小さい頃の私は、このTVシリーズを、繰り返される再放送で楽しんでいて、母親が私の弱視に気付いたのも、確かそんな番組視聴風景の最中だった。
しかし正直、作品の「世界観」までは理解できておらず、TV画面からの刺激に対する反応ではなく、物語としての「仮面ライダー」の面白さを理解したのは、低年齢向けに描かれたコミカライズ版を読んでからだったと思う。
仮面ライダーはTV番組とほぼ同時に「原作者」石森章太郎によるマンガ版(厳密に言うと「原作」ではない)も執筆された。
話がややこしいのだが、この石森版とは別にTV版の仮面ライダーを下敷きにしたコミカライズ版も、いくつか存在した。
私が好きだった山田ゴロ版は、71年のライダー第一作から75年のストロンガーで一旦シリーズが終了した後の78年から執筆された作品である。
そもそもは79年から再開される新しい仮面ライダー(スカイライダー)へとつなげるための「露払い」的な雑誌連載として企画されたようだ。
●TV版コミカライズ「仮面ライダー」山田ゴロ(78〜82テレビランド連載)
仮面ライダー1号、2号、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガーまでの流れを、独自のエピソードも交えながらダイジェストで要領よく描き、続くスカイライダー、スーパー1の世界観に巧みに接続させている。
それぞれのライダーに充てられた尺は短いが、TV版の設定を踏襲しながら、石森版に描かれる「改造人間の悲しみ」というテーマもきちんと盛り込み、かつ低年齢層に無理なく読みこなせる描写になっている。
これはまさに「離れ業」である。
とくにライダーマンについては、あらゆるバージョンの中で、この山田ゴロ版の内容が最も充実しているのではないだろうか。
ストロンガー編で7人ライダーが初めて集結し、最後の決戦に臨む際の盛り上がりは、私を含めた当時の子供たちの間で語り草になっている。
同時期の「抜け忍モノ」の構図を持つサブカル作品で好きだったのが、「デビルマン」だった。
●TVアニメ「デビルマン(72〜73放映)」
あまりに有名な主題歌の中の「悪魔の力身に付けた、正義のヒーローデビルマン」という一節は、「抜け忍モノ」の本質を端的に表現しているのではないだろうか。
後に私はこのTVアニメ版に導かれるように、「人生最大の衝撃作」としてのマンガ版「デビルマン」と出会うことになるのだが、それは80年代、中学生になってからのことだった。
ごく小さい頃から、孤独の影のある「抜け忍モノ」の主人公が好きだったのは、率直に言って私が弱視児童であったことが影響していると思う。
小さい頃から眼鏡をかけていた私は、いつもどこか周囲と一定の距離を感じていた。
そんな気分が「抜け忍」にどこか通底するものを感じていたのだろう。
そして今にして思うと私は、思春期や成人後も、無意識のうちに同じような構図を持つ作品を求めているようなところがあった。
少数派が好奇の視線を受け流す術は、様々にあるだろう。
私の場合、言葉にするなら自分を「通りすがりの絵描き」と想定することで、心の平衡を保っている所があったと思う。
私は幼い頃、親が共働きだったので、昼間は母方の祖父母の家で過ごし、そこから保育園や幼稚園にも通っていた。
自宅で過ごすのは平日夕方以降と、休日。
常に自宅周辺と祖父母宅周辺の二つの世界を行き来する旅人の感覚があり、遊び仲間も二か所に分かれてそれぞれに存在した。
そうした感覚は他の子たちとは共有されず、普通は「一つの世界」で完結しているらしいことも分かっていた。
眼鏡をかけていることの他にもう一つ「普通とちがう」ことがあったのだ。
小学校に上がり、住む世界が自宅周辺に一元化された後も、なんとなく「旅人気分」は残っていた。
元々孤独癖、夢想癖があり、一人遊びを好む傾向もあったので、旅人気分は苦にならず、むしろそっちの方が楽だった。
お仕着せの「眼鏡キャラ」とは別の、自ら選んだ通りの良いキャラ設定で、自分を守っていたのだと思う。
高学年の5〜6年になるころには、ガンプラを作るのが得意だったり、剣道が上達したり、中学受験の勉強で成績が上がったりと、小柄なメガネ君ながら、いくつも自信を持てる分野が広がって来ていた。
そして、何よりも私は絵描きだった。
「通りすがりの絵描きですが、何かできることはありますか?」
そんな気分が成育歴の中でずっと続いた。
今でもそれが、一番しっくり馴染むのである。
当時の子供向けサブカルチャーには、まだ「忍者モノ」の影響が強く残っていた。
白土三平のマンガが主導した忍者ブームは60年代がリアルタイムだったはずだが、「サスケ」「カムイ外伝」等の作品はマンガもアニメも根強い人気で、私たち70年代の子供もまだまだ忍者ごっこに興じていた。
昔はTVアニメの再放送が今よりずっと頻繁で、ヒット作はほとんど毎年のように放映されていたと記憶している。
書店のマンガ単行本の点数も今よりずっと少なく、回転が緩やかだったので、60年代作品は70年代に入ってもまだまだ「現役」だったのだ。
その頃の私の眼に、「大人っぽくてカッコいい」と思える再放送TVアニメがいくつかあった。
ジャケットが緑の「ルパン三世」第一作や、ここで取り上げる「忍風カムイ外伝」が、その代表だった。
●TVアニメ「忍風カムイ外伝」(69放映)
●マンガ「カムイ外伝」白土三平(65〜67週刊少年サンデー連載)
抜け忍カムイの背負う孤独の影は、子供心に強く印象に残った。
BGMや劇中歌も本当に素晴らしくて、カムイの憂いのこもった眼差しは、荒涼とした背景画のイメージと共に、今でも記憶に刻まれている。
70年代に入って、再放送人気は高かったものの、リアルタイム作品としての「忍者モノ」は下火になった。
以前紹介した「サルでもかけるまんが教室」(竹熊健太郎/相原コージ)には、「忍者モノ」は「空手モノ(身体能力)」と「エスパーもの(超常能力)」に分岐したという主旨の解説がある。
確かに70年以降の、とくに子供向けのサブカルチャー作品は、SFものとスポ根ものに数多くのヒット作が生まれている。
白土三平が切り開いた「抜け忍」のストーリーの構図は、SF作品へとより多く引き継がれていったようだ。
そうした作品の代表は、石森章太郎原作のTV特撮「仮面ライダー」シリーズになるだろう。
主人公の「仮面ライダー」は、元来は悪の秘密結社「ショッカー」に拉致された被害者である。
改造手術で昆虫の能力を仕込まれた怪人「バッタ男」であり、洗脳される直前に脱走してショッカーの仇敵となる設定は、まさに「抜け忍」である。
●TV特撮「仮面ライダー」シリーズ(71〜75、79〜81放映)
小さい頃の私は、このTVシリーズを、繰り返される再放送で楽しんでいて、母親が私の弱視に気付いたのも、確かそんな番組視聴風景の最中だった。
しかし正直、作品の「世界観」までは理解できておらず、TV画面からの刺激に対する反応ではなく、物語としての「仮面ライダー」の面白さを理解したのは、低年齢向けに描かれたコミカライズ版を読んでからだったと思う。
仮面ライダーはTV番組とほぼ同時に「原作者」石森章太郎によるマンガ版(厳密に言うと「原作」ではない)も執筆された。
話がややこしいのだが、この石森版とは別にTV版の仮面ライダーを下敷きにしたコミカライズ版も、いくつか存在した。
私が好きだった山田ゴロ版は、71年のライダー第一作から75年のストロンガーで一旦シリーズが終了した後の78年から執筆された作品である。
そもそもは79年から再開される新しい仮面ライダー(スカイライダー)へとつなげるための「露払い」的な雑誌連載として企画されたようだ。
●TV版コミカライズ「仮面ライダー」山田ゴロ(78〜82テレビランド連載)
仮面ライダー1号、2号、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガーまでの流れを、独自のエピソードも交えながらダイジェストで要領よく描き、続くスカイライダー、スーパー1の世界観に巧みに接続させている。
それぞれのライダーに充てられた尺は短いが、TV版の設定を踏襲しながら、石森版に描かれる「改造人間の悲しみ」というテーマもきちんと盛り込み、かつ低年齢層に無理なく読みこなせる描写になっている。
これはまさに「離れ業」である。
とくにライダーマンについては、あらゆるバージョンの中で、この山田ゴロ版の内容が最も充実しているのではないだろうか。
ストロンガー編で7人ライダーが初めて集結し、最後の決戦に臨む際の盛り上がりは、私を含めた当時の子供たちの間で語り草になっている。
同時期の「抜け忍モノ」の構図を持つサブカル作品で好きだったのが、「デビルマン」だった。
●TVアニメ「デビルマン(72〜73放映)」
あまりに有名な主題歌の中の「悪魔の力身に付けた、正義のヒーローデビルマン」という一節は、「抜け忍モノ」の本質を端的に表現しているのではないだろうか。
後に私はこのTVアニメ版に導かれるように、「人生最大の衝撃作」としてのマンガ版「デビルマン」と出会うことになるのだが、それは80年代、中学生になってからのことだった。
ごく小さい頃から、孤独の影のある「抜け忍モノ」の主人公が好きだったのは、率直に言って私が弱視児童であったことが影響していると思う。
小さい頃から眼鏡をかけていた私は、いつもどこか周囲と一定の距離を感じていた。
そんな気分が「抜け忍」にどこか通底するものを感じていたのだろう。
そして今にして思うと私は、思春期や成人後も、無意識のうちに同じような構図を持つ作品を求めているようなところがあった。
少数派が好奇の視線を受け流す術は、様々にあるだろう。
私の場合、言葉にするなら自分を「通りすがりの絵描き」と想定することで、心の平衡を保っている所があったと思う。
私は幼い頃、親が共働きだったので、昼間は母方の祖父母の家で過ごし、そこから保育園や幼稚園にも通っていた。
自宅で過ごすのは平日夕方以降と、休日。
常に自宅周辺と祖父母宅周辺の二つの世界を行き来する旅人の感覚があり、遊び仲間も二か所に分かれてそれぞれに存在した。
そうした感覚は他の子たちとは共有されず、普通は「一つの世界」で完結しているらしいことも分かっていた。
眼鏡をかけていることの他にもう一つ「普通とちがう」ことがあったのだ。
小学校に上がり、住む世界が自宅周辺に一元化された後も、なんとなく「旅人気分」は残っていた。
元々孤独癖、夢想癖があり、一人遊びを好む傾向もあったので、旅人気分は苦にならず、むしろそっちの方が楽だった。
お仕着せの「眼鏡キャラ」とは別の、自ら選んだ通りの良いキャラ設定で、自分を守っていたのだと思う。
高学年の5〜6年になるころには、ガンプラを作るのが得意だったり、剣道が上達したり、中学受験の勉強で成績が上がったりと、小柄なメガネ君ながら、いくつも自信を持てる分野が広がって来ていた。
そして、何よりも私は絵描きだった。
「通りすがりの絵描きですが、何かできることはありますか?」
そんな気分が成育歴の中でずっと続いた。
今でもそれが、一番しっくり馴染むのである。