2019年07月21日

【加筆再投稿】70年代サブカル:メディアミックスとマンガ〜抜け忍モノ

【メディアミックスとマンガ】
 日本の子供向けTV番組は、長らく雑誌連載マンガと濃密な関連を持ってきた。
 1953年に日本でTV放送が始まったごく初期段階から、メディアミックス的な作品展開はあった。
 多人数を対象に無料で視聴できるTVでの露出は、ながらくメディアミックスの中心を占めてきたのだ。
 そもそも日本初の30分枠TVアニメ「鉄腕アトム」は、監督である手塚治虫自身が雑誌連載していた同名作品をアニメ化したものだった。
 その成功を受けて制作された初期TVアニメの多くは、原作マンガの人気が先行する「アニメ化作品」であった。
 60年代の「人気マンガを原作とする初期のモノクロTVアニメ」には、例えば以下のようなものがある。

●鉄腕アトム(手塚治虫)
 63年1月〜66年12月、全193話。
●鉄人28号(横山光輝)
 63年10月〜66年5月、全97話。
●エイトマン(平井和正/桑田次郎)
 63年11月〜 64年12月、全56話。
●オバケのQ太郎(藤子不二雄)
 65年8月〜67年6月、全96話。
●おそ松くん(赤塚不二夫)
 66年2月〜67年3月、全56話。
●ハリスの旋風(ちばてつや)
 66年5月〜67年8月、全70話。
●サイボーグ009(石森章太郎)(劇場版1966年)
 68年4月〜9月、 全26話。
●ゲゲゲの鬼太郎(水木しげる)
 68年1月〜69年3月、全65話。

 雑誌掲載マンガの人気作品がTVアニメ化され、メディアミックスで更に人気が沸騰するという形は、少年マンガのヒットパターンの王道として今に続いている。

 人気マンガのアニメ化が相次いだ60年代だが、もちろんマンガを原作としないTV独自の子供番組も多く制作されていた。
 ここで「コミカライズ」という言葉が登場する。
 メディアミックスの在り方の一形態で、他のジャンルの作品をマンガに変換(コミック化)することを指す。
 例えば現在でも人気の「月光仮面」は、川内康範の原作で1958年にTVドラマとしてスタートし、並行して貸本や雑誌連載のマンガ版も制作されており、雑誌連載版は開始当初、後に「8マン」で人気を博す桑田次郎が作画を担当していた。
 映像コンテンツの録画や配信が広く一般化した現代と違い、80年代初頭までTVコンテンツは基本的に「放映されたらそれでおしまい」だった。
 手に取ってストーリーをなぞれ、ビジュアルを紙で手にできるコミカライズ作品の果たす役割は大きかったのだ。
 コミカライズの場合、マンガはあくまで派生作品であり、制作する側も鑑賞する側も「TVの再現」が主目的であった。。

 そして70年代に入り、子供向けTVアニメや特撮番組が定着する中で、TVアニメの企画先行でマンガ家が作品を制作するという流れが出てきた。
 以下に現在でも人気やシリーズ作品が継続しているTV番組を挙げてみよう。

●仮面ライダー(石森章太郎)
 71年4月〜73年2月、全98話
●デビルマン(永井豪)
 72年7月〜73年3月、全39話
●マジンガーZ(永井豪)
 72年12月〜 74年9月 、全92話
●ゲッターロボ(永井豪/石川賢)
 74年4月〜75年5月、全51話
●秘密戦隊ゴレンジャー(石森章太郎)
 75年4月〜77年3月、全84話

 こうして並べてみると、たった数年間に仮面ライダー、悪魔的ヒーロー、スーパーロボット、複数機変形合体、スーパー戦隊のフォーマットが、全部出揃ってしまっているのが凄まじい。
 これらのTV企画先行作品は、マンガ版とTV版の間に「主従関係」は無い。
 マンガ家の名前は「原作者」とクレジットされ、ほぼ同時進行で「原作マンガ」も雑誌掲載されたが、必ずしも同一内容ではなく、TV版とマンガ版でそれぞれ別の展開になることも多々あった。
 アニメより制約が少ない分、「原作」が暴走し、ほとんど別作品のようになることすらあった。
 そして目立って「暴走現象」の起こりやすいマンガ家の系譜として、石森章太郎を起点とする流れが挙げられるが、このことは記事を改めて詳述する。
 70年代初頭に生まれた私は、これらの作品を全身に浴びながら育ったと言って良い。

【70年代サブカル「抜け忍モノ」】
 私が子供の頃の記憶として明確に覚えているのは、70年代中盤からのことになる。
 当時の子供向けサブカルチャーには、まだ「忍者モノ」の影響が強く残っていた。
 白土三平のマンガが主導した忍者ブームは60年代がリアルタイムだったはずだが、「サスケ」「カムイ外伝」等の作品はマンガもアニメも根強い人気で、私たち70年代の子供もまだまだ忍者ごっこに興じていた。
 昔はTVアニメの再放送が今よりずっと頻繁で、ヒット作はほとんど毎年のように放映されていたと記憶している。
 書店のマンガ単行本の点数も今よりずっと少なく、回転が緩やかだったので、60年代作品は70年代に入ってもまだまだ「現役」だったのだ。

 その頃の私の眼に、「大人っぽくてカッコいい」と思える再放送TVアニメがいくつかあった。
 ジャケットが緑の「ルパン三世」第一作や、ここで取り上げる「忍風カムイ外伝」が、その代表だった。

●TVアニメ「忍風カムイ外伝」(69放映)
●マンガ「カムイ外伝」白土三平(65〜67週刊少年サンデー連載)

 抜け忍カムイの背負う孤独の影は、子供心に強く印象に残った。
 BGMや劇中歌も本当に素晴らしくて、カムイの憂いのこもった眼差しは、荒涼とした背景画のイメージと共に、今でも記憶に刻まれている。

 70年代に入って、再放送人気は高かったものの、リアルタイム作品としての「忍者モノ」は下火になった。
 以前紹介した「サルでもかけるまんが教室」(竹熊健太郎/相原コージ)には、「忍者モノ」は「空手モノ(身体能力)」と「エスパーもの(超常能力)」に分岐したという主旨の解説がある。
 確かに70年以降の、とくに子供向けのサブカルチャー作品は、SFものとスポ根ものに数多くのヒット作が生まれている。
 白土三平が切り開いた「抜け忍モノ」のストーリーの構図は、SF作品へとより多く引き継がれていったようだ。

 そうした作品の代表は、石森章太郎原作のTV特撮「仮面ライダー」シリーズになるだろう。
 主人公の「仮面ライダー」は、元来は悪の秘密結社「ショッカー」に拉致された被害者である。
 改造手術で昆虫の能力を仕込まれた怪人「バッタ男」であり、洗脳される直前に脱走してショッカーの仇敵となる設定は、まさに「抜け忍」である。

●TV特撮「仮面ライダー」シリーズ(71〜75、79〜81放映)

 小さい頃の私は、このTVシリーズを、繰り返される再放送で楽しんでいて、母親が私の弱視に気付いたのも、確かそんな番組視聴風景の最中だった。
 しかし正直、作品の「世界観」までは理解できておらず、TV画面からの刺激に対する反応ではなく、物語としての「仮面ライダー」の面白さを理解したのは、低年齢向けに描かれた「コミカライズ版」を読んでからだったと思う。
 仮面ライダーはTV番組とほぼ同時に「原作者」石森章太郎によるマンガ版(厳密に言うと「原作」ではない)も執筆された。
 話がややこしいのだが、この石森版とは別にTV版の仮面ライダーを下敷きにしたコミカライズ版も、いくつか存在した。
 私が好きだった山田ゴロ版は、71年のライダー第一作から75年のストロンガーで一旦シリーズが終了した後の78年から執筆された作品である。
 そもそもは79年から再開される新しい仮面ライダー(スカイライダー)へとつなげるための「露払い」的な雑誌連載として企画されたようだ。


●TV版コミカライズ「仮面ライダー」山田ゴロ(78〜82テレビランド連載)
 仮面ライダー1号、2号、V3、ライダーマン、X、アマゾン、ストロンガーまでの流れを、独自のエピソードも交えながらダイジェストで要領よく描き、続くスカイライダー、スーパー1の世界観に巧みに接続させている。
 それぞれのライダーに充てられた尺は短いが、TV版の設定を踏襲しながら、石森版に描かれる「改造人間の悲しみ」というテーマもきちんと盛り込み、かつ低年齢層に無理なく読みこなせる描写になっている。
 これはまさに「離れ業」である。
 とくにライダーマンについては、あらゆるバージョンの中で、この山田ゴロ版の内容が最も充実しているのではないだろうか。
 ストロンガー編で7人ライダーが初めて集結し、最後の決戦に臨む際の盛り上がりは、私を含めた当時の子供たちの間で語り草になっている。

 同時期の「抜け忍モノ」の構図を持つサブカル作品で好きだったのが、「デビルマン」だった。

●TVアニメ「デビルマン(72〜73放映)」

 あまりに有名な主題歌の中の「悪魔の力身に付けた、正義のヒーローデビルマン」という一節は、「抜け忍モノ」の本質を端的に表現しているのではないだろうか。
 後に私はこのTVアニメ版に導かれるように、「人生最大の衝撃作」としてのマンガ版「デビルマン」と出会うことになるのだが、それは80年代、中学生になってからのことだった。

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 ごく小さい頃から、孤独の影のある「抜け忍モノ」の主人公が好きだったのは、率直に言って私が弱視児童であったことが影響していると思う。
 小さい頃から眼鏡をかけていた私は、いつもどこか周囲と一定の距離を感じていた。
 そんな気分が「抜け忍」にどこか通底するものを感じていたのだろう。
 そして今にして思うと私は、思春期や成人後も、無意識のうちに同じような構図を持つ作品を求めているようなところがあった。

 少数派が好奇の視線を受け流す術は、様々にあるだろう。
 私の場合、言葉にするなら自分を「通りすがりの絵描き」と想定することで、心の平衡を保っている所があったと思う。
 私は幼い頃、親が共働きだったので、昼間は母方の祖父母の家で過ごし、そこから保育園や幼稚園にも通っていた。
 自宅で過ごすのは平日夕方以降と、休日。
 常に自宅周辺と祖父母宅周辺の二つの世界を行き来する旅人の感覚があり、遊び仲間も二か所に分かれてそれぞれに存在した。
 そうした感覚は他の子たちとは共有されず、普通は「一つの世界」で完結しているらしいことも分かっていた。
 眼鏡をかけていることの他にもう一つ「普通とちがう」ことがあったのだ。
 小学校に上がり、住む世界が自宅周辺に一元化された後も、なんとなく「旅人気分」は残っていた。
 元々孤独癖、夢想癖があり、一人遊びを好む傾向もあったので、旅人気分は苦にならず、そっちの方が楽だった。
 お仕着せの「眼鏡キャラ」とは別の、自ら選んだ通りの良いキャラ設定で、自分を守っていたのだと思う。
 高学年の5〜6年になるころには、ガンプラを作るのが得意だったり、剣道が上達したり、中学受験の勉強で成績が上がったりと、小柄なメガネ君ながら、いくつも自信を持てる分野が広がって来ていた。
 そして、何よりも私は絵描きだった。
「通りすがりの絵描きですが、何かできることはありますか?」
 そんな気分が成育歴の中でずっと続いた。
 今でもそれが、一番しっくり馴染むのである。

 70年代の子供向けエンタメ、サブカル作品は、60年代に一旦進化しつくしたノウハウをリバイバル、パロディ化しながら爛熟していった。
 以下にその過程を概観してみよう。
posted by 九郎 at 23:52| Comment(0) | 青春ハルマゲドン | 更新情報をチェックする