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2008年05月31日

和歌浦の神話2

 和歌浦にまつわる伝説を、出口王仁三郎は他にも語り残している。「玉鏡」というエッセイ集(のようなもの)の中に、その物語はある。

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2009年04月26日

雑賀鉢

 現在の和歌山市周辺は古くは「雑賀(さいか)」と呼ばれ、室町時代より実戦兜「雑賀鉢(さいかばち)」の生産で知られた。

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 一口に雑賀鉢と言ってもさまざまな形状があるのだが、特徴的な様式に「置手拭(おきてぬぐい)」と呼ばれるものがある。

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 頭頂部に二枚あわせの鉄板を「手拭をのせるように」装着し、後頭部には通気用(?)の隙間を空けてある。
 鉄板同士の結合には鋲が使用されており、兜の表面には防錆用に薄く黒漆が塗られたいた。兜前面の「眉庇(まびさし)」と呼ばれる箇所には人間の眉毛を模した飾りが付くことが多かったようだが、この飾り自体は雑賀鉢独自の様式ではなく、様々な様式の兜に広く見られる。
 
 実戦本位の質実剛健な造りは、量産型ザクみたいでカッコいい。(すぐガンダムで喩えたがるのは私の世代の悪い癖なのだが……)
 和歌浦の英雄・雑賀孫市も、おそらくこの雑賀鉢を被ったはずだ。和歌山市内で毎年恒例の孫市まつりでは、自作甲冑に身を包んだ皆さんの武者行列が出るのだが、この雑賀鉢もご当地モノとして人気が高い。
 こうしてスケッチしていると、ガンダム世代=プラモ世代の血がざわざわと蠢いてくる。いつか自分で被れるものを造ってみたくなって来るのだ……
 機が熟すまで、資料集めやスケッチ、紙による試作などをボチボチ進めて行きたい。

 気長に、無理せず。
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2009年05月02日

雑賀鉢2

 和歌浦の英雄・雑賀孫市の兜について、以前一度イメージスケッチしてみたことがある。
 雰囲気でざっくり描いてみただけなので、今回はもう少し詰めてデザインしてみよう。
 土台になるのはやはり「雑賀鉢」だろう。私の思う雑賀鉢の典型を三面図にしてみる。前立に使う八咫烏も、伝統的なデザインを元に加えてみた。

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 動き回りながら火縄銃を撃つという機能優先で考えるなら、前立は無しで防錆の黒漆で仕上げたシンプルなデザインになるだろう。

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 司馬遼太郎「尻啖え孫市」の作中では、ヒーロー雑賀孫市はそれぞれの戦で様々な甲冑を身につけて登場する。
 講談社文庫版P409では、本願寺の求めに応じて大阪に入る場面で「雑賀鉢に真黒な翼を広げた烏の前立を打ち」と描写されている。
 黒漆仕上げの兜に真黒の前立では識別しにくいので、この場合は鉄地の方が映えるだろう。

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 同文庫版P441の、信長軍との開戦シーンでは「具足は朱、それに金の金具を打った派手ないでたちで、カブトは雑賀鉢、それに金の八咫烏の前立を打ち」と描写されている。
 カブトの色を朱の具足と揃いと解釈すると、下図のような感じになるかもしれない。

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 作中の孫市は、通常の火縄銃の二倍の射程距離を持つ「愛山護法」を引っさげて活躍する。朱のカブトとあわせて考えると、どうしても「シャア専用?」とか妄想してしまうのは、おバカなガンダム世代の悪癖だ(笑)
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2009年05月07日

雑賀鉢3

 戦国時代の和歌山市周辺「雑賀庄」は、一向宗(浄土真宗)への篤い信仰が広まっていたという。和歌浦の英雄・雑賀孫市ひきいる鉄砲部隊・雑賀衆が、強大な織田信長に対抗して本願寺側に助力したのも、その信仰に起因する。
 司馬遼太郎「尻啖え孫市」作中のヒーロー・雑賀孫市は、基本的には阿弥陀信仰を持たない人物として描写されている。「現代における物語作り」に限定して言えば、おそらく「信仰を持たない」孫市像が正解だろう。
 浄土真宗の家に育った私の目から見ても、最初から篤い信仰に支えられて信長と戦う孫市より、信仰から距離を置きつつも徐々に「南無阿弥陀仏」の六字名号と向き合わざるをえなくなって行く孫市の方が、はるかに魅力的に映る。

 雑賀孫市は史料に乏しい人物なので、その信仰や性格などの実像は不明なのだが、状況的に考えれば「阿弥陀信仰を持っていた」という可能性の方が高いかもしれない。大多数が同じ信仰を持つ地域の頭目として力を発揮するには、自身も同じ信仰を持っていたと仮定する方が自然に思える。
 その場合、孫市がどのような兜をかぶって戦場に立ったか、少し想像してみよう。

 浄土真宗が信仰するのは阿弥陀如来ただ一仏で、その他の神仏を拝むことは、基本的にはない。だから兜の前立も、八咫烏より阿弥陀信仰に関連したテーマを選ぶのが自然な発想になる。
 面白いことに「仏敵」である魔王・信長の家臣、森蘭丸所用と伝えられる甲冑に、「南無阿弥陀仏」の六字をデザインした前立を付けたものが残っている。

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 この前立を借用して雑賀鉢に装着してみれば、信仰を持っていた場合の孫市がかぶっていた兜の、一つの試案にできるだろう。

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 孫市自身がかぶっていなかったとしても、雑賀衆の中には上図に近いものを装着していた人物は、必ず居たはずだ。
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2009年05月16日

雑賀孫市と鈴木孫一

 ここまで「雑賀孫市」について書いてきたが、主に司馬遼太郎「尻啖え孫市」作中のヒーローのイメージを元に、あれこれ遊んでみたものだ。
 司馬遼太郎作中の「孫市」は、先行する様々な物語の中の「孫市」を下敷きにし、「阿弥陀信仰を持たない」と言う要素を加えて成立したきわめて魅力的なキャラクターだが、戦国時代に実在した雑賀衆のリーダーの一人である「鈴木孫一」とは、重なっている部分もあり、違っている部分もある。
 「孫市」の記事を書くために資料を読み進めるうちに、実在の人物としての「孫一」や「雑賀衆」について興味がどんどん広がってきた。
 一向一揆や海の民など、今まで関心を持ちながらも手を出せないでいた領域ともつながって、何かカタれそうな気がしてきた。

 雑賀衆をテーマにした本の中から、入手しやすい一冊についてメモしておこう。



●「戦国鉄砲・傭兵隊―天下人に逆らった紀州雑賀衆」鈴木真哉(平凡社新書)
 雑賀衆を扱った専門に扱った書籍が少ない中、史実として確認できる雑賀衆の姿と、物語の中の姿を丁寧に区別しながら、実像を浮かび上がらせた一冊。
 司馬遼太郎「尻啖え孫市」に描かれる姿とは違うが、中央から離れた紀州の地で、独自の方法論でしたたかに生き抜いてきた雑賀衆の姿が描き出されている。
 鉄砲を用いた戦術についても詳しく述べてあり、色々と眼からうろこが落ちるような読後感があった。


 しばらく充電してから、このカテゴリ「和歌浦」再開します。
(こういう予告をしながら果たせなかったことも多々ありますが……)
posted by 九郎 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 和歌浦 | 更新情報をチェックする