2007年04月12日
土器を焼く
花見の季節、近所の公園でバーベキューを楽しむ家族連れを見て、ふと気付いた。
「ん? これはチャンスかも……」
私はたまに土器を作るのだけれども、都市部のマンション住まいのため、実際に焼く機会が少ないのだ。この時期ならば、花見ついでに焼けるのではないか?
さっそくこの間の休日の昼前、いくつかの土器と木炭、それから食べ物飲み物等を担いで公園に出かけた。
続きを読む
2007年04月13日
土と火
小学生の頃、図工の時間か何かで土器を作った。粘土をこね、ひも状にしてグルグル巻き上げて行き、器の形にして模様を刻み込んでいく。残念ながら、焼くのは業者さん任せだったが、出来上がってきた土器は明るいオレンジ色がとてもきれいだった。
たしか、学研の「科学と学習」の付録にも、縄文土器作りのセットがあったはずだ。こちらは土色の紙粘土をプラスチックの容器にかぶせるだけのもので、縄目模様をつけて楽しむのが主目的の教材だったと記憶している。
土器だけではなく、歴史で習う縄文時代の生活全般が面白くて仕方がなかった。弥生や古墳も中々だったが、なんと言っても縄文が一番だった。
実家の近所には竪穴式住居を再現した遺跡があって、よく遊びに行った。再現された住居に入って、ぼーっと座ってみたりした。
庭の土を少し掘ると粘土層が出たので、掘り返してレンガや器の形を作って遊んだ。当時はまだ庭先で可燃ゴミを燃やしていたので、その時ついでに作ったものを焼いたりした。
土を掘り、手でこねて形を作り、それを焼くと質が変わって完成する過程が、不思議で面白かった。
2007年04月14日
手で読む縄文
ふと手に取った本に一気に引き込まれ、夢中になって読みふけってしまうことがある。
例えば私はこんな感じ。
縄文土器について調べていた。
まず当然の手順として、書店の歴史コーナーに行き、該当する年代の書籍が並ぶ一画を渉猟する。それぞれに価値のある資料が並んでいる。
でもどこかしっくり来ない。私が求める参考資料のイメージと、どこかずれる。
そんな時には発想を転換する。
縄文土器といえども焼き物の一種。
そうか、陶芸コーナーを探してみるか。
そして手に取ったのが、この一冊。
●「いつでも、どこでも、縄文・室内陶芸」吉田明(双葉社)
この本は、徹底的に「縄文土器を実作する」という一点にこだわった一冊だ。著者の吉田明さんは、陶芸用の土や窯などの現代陶芸の利器をなるべく使用せず、縄文人と同じ条件で土器を制作するノウハウを追及している。
発掘された土器を史料として観察する学問的なアプローチと違い、実際に自分の手で作ってみることで見えてくる縄文の世界を、情熱的に語る。観察ではなく、手で土と火から読み取った縄文の世界。土器にだけにとどまらない、縄文の生活スタイル全般の世界。
その世界は表紙に記されたコピーに端的に表現されている。
「どんな土でもつくることができる」
「道具もいらない」
「ダレにでもつくれて、簡単に焼ける」
「どこでも焼けて、失敗しない」
「省エネルギーで、水に溶けない最低の温度で焼く」
「どんな大きなものでも焼ける」
コピーを読んだ瞬間には「ホントかよ?」と浮かんでいた疑問符が、中身を読んでみると実制作の記録によって丁寧に解消されていく。
縄文人は文明の利器を何一つ持っていなかったけれども、その制約条件こそが縄文土器の素晴らしい形状、デザインに必要な前提条件であったことが、理解できてくる。
読むと誰もが土器が焼き、縄文の世界を体験したくなる一冊!
例えば私はこんな感じ。
縄文土器について調べていた。
まず当然の手順として、書店の歴史コーナーに行き、該当する年代の書籍が並ぶ一画を渉猟する。それぞれに価値のある資料が並んでいる。
でもどこかしっくり来ない。私が求める参考資料のイメージと、どこかずれる。
そんな時には発想を転換する。
縄文土器といえども焼き物の一種。
そうか、陶芸コーナーを探してみるか。
そして手に取ったのが、この一冊。
●「いつでも、どこでも、縄文・室内陶芸」吉田明(双葉社)
この本は、徹底的に「縄文土器を実作する」という一点にこだわった一冊だ。著者の吉田明さんは、陶芸用の土や窯などの現代陶芸の利器をなるべく使用せず、縄文人と同じ条件で土器を制作するノウハウを追及している。
発掘された土器を史料として観察する学問的なアプローチと違い、実際に自分の手で作ってみることで見えてくる縄文の世界を、情熱的に語る。観察ではなく、手で土と火から読み取った縄文の世界。土器にだけにとどまらない、縄文の生活スタイル全般の世界。
その世界は表紙に記されたコピーに端的に表現されている。
「どんな土でもつくることができる」
「道具もいらない」
「ダレにでもつくれて、簡単に焼ける」
「どこでも焼けて、失敗しない」
「省エネルギーで、水に溶けない最低の温度で焼く」
「どんな大きなものでも焼ける」
コピーを読んだ瞬間には「ホントかよ?」と浮かんでいた疑問符が、中身を読んでみると実制作の記録によって丁寧に解消されていく。
縄文人は文明の利器を何一つ持っていなかったけれども、その制約条件こそが縄文土器の素晴らしい形状、デザインに必要な前提条件であったことが、理解できてくる。
読むと誰もが土器が焼き、縄文の世界を体験したくなる一冊!
2008年04月05日
2009年04月03日
縄文の「発見」
縄文が再評価されるようになって久しい。
とくに近年、数々の考古学的発見が積み上げられ、日本の縄文時代は同時代の世界文化の中でも最先端をいく高度なものであったことが明らかになってきた。
私が小学生の頃は、「縄文再評価」の過渡期にあったと思う。「縄文=原始的、弥生=進歩した文化」という古い図式はまだ残されたままだったが、縄文土器の造形美や竪穴住居の生活は、社会の授業でもかなり詳しく教わった。縄文土器を実際造って焼いてみたこともあったと思うし、当時とっていた「科学と学習」の付録でも縄文土器制作セットが入っており、存分に楽しんだ記憶がある。縄文文化に対し、私を含めた周囲の小学生はみんな親しみを感じていた。
今現在の学校教育における縄文時代の扱いは、さらに進化していることだろう。しかし、そうした「縄文再評価」のさきがけが誰あろう、岡本太郎であったことは意外に知られていない。
時は1950年代、まだ戦後間もない時代の中、兵役から帰還した岡本太郎は、作品も全て灰燼に帰した境遇の中、猛然と日本の美術界をかきまわす活動を展開し始めて数年後のことだった。太郎は東京国立博物館の片隅で、ひっそりと展示されている縄文土器を「発見」した。
日本の文化史を眺めるとき、縄文文化は特異に見える。
弥生文化以降は一本の線としてつながりが感じられるが、縄文だけがかなり異質であることは、土器のあの造型を見れば誰もが感じることだろう。弥生土器のすっきり簡素なデザインは現代に続く日本的感性によく合致するが、縄文の装飾過多でどぎついデザインは、侘び寂びの世界とは正反対のように映る。
岡本太郎が「発見」した当時の縄文土器は、日本文化史からほとんど除外されていた。弥生から連綿と続いて見える、簡素な美を基調とする日本的感性からかけ離れた、土俗的で異様な未開の遺物として扱われており、およそ美術的価値は認められていなかったという。
瓦礫の中から日本美術界の澱みを破壊するために立ち上がった岡本太郎の眼と、いわゆる日本的感性とは対極にある縄文土器が出合ったのは単なる偶然ではなかっただろう。
岡本太郎は自分自身の姿を投影するに相応しい対象を捜し求めており、古い地層から掘り起こされてきた太古の土器群に、それを「発見」したのだ。
後に岡本太郎は知識に乏しいインタビュアーに「先生は縄文土器を発見なさったそうですが、どこで見つけたのですか?」と聞かれて「博物館の中だ!」と煙に巻いたと言う。
また「最近縄文はどうですか?」と聞かれた折には、「最近ますます俺に似てきた!」と答えたとも伝えられる。
冗談めかしたやり取りの中に、岡本太郎の透徹した知性と、そして孤独の影がにじんでいるような気がする。
●「日本の伝統」岡本太郎(知恵の森文庫)
独自の視点から日本文化を創造的に評価しなおした一冊。とりわけ第二章の縄文土器についての考察が白眉。岡本太郎の目を通し、岡本太郎の感じ取った縄文が、以後の縄文観の原点になっていることがよくわかる。しかし、太郎が「四次元」「呪術」と表現した、単なる造型上の要素を超えた縄文土器の価値については、いまだ十分に考察がなされていないと感じる。
まだまだ縄文は新しくあり続けることを予感させる論評だ。
●「神秘日本」岡本太郎(みすず書房)
縄文土器の価値を独自に「発見」し、創造した岡本太郎が、日本各地に残る太古の呪術の痕跡を求めて旅する一冊。初出は60年代であるが、東北、熊野、曼荼羅、沖縄など、近年関心の高まる地域について鋭い感覚で預言者のように語っており、カテゴリ沖縄で紹介した「沖縄文化論」も収録されている。
この本では、仏教美術についても言及している。何に対しても明快な岡本太郎だが、仏教美術に対してやや複雑な態度をとる。芸術家として純粋な造型美以外の部分で仏像を評価することには批判的だが、密教美術や曼荼羅の中に「何か」を見出そうとしている。
●「岡本太郎が撮った『日本』」岡本敏子編(毎日新聞社)
岡本太郎の眼に映った「日本」は、太郎自身の撮った写真に、より端的に顕れている。縄文、東北、沖縄など、数々のコントラストの強烈な白黒写真によって切り取られた「日本」の断片は、太郎の感じる「神秘」であり「呪術」のありようを感覚的に理解させてくれる。
岡本太郎の、きわめて明快な論理に貫かれた文章による論評を、感性の方面から補完する写真の数々が収録されており、記録写真の範疇を超えて岡本太郎の絵画作品に近い手触りがある。
とくに近年、数々の考古学的発見が積み上げられ、日本の縄文時代は同時代の世界文化の中でも最先端をいく高度なものであったことが明らかになってきた。
私が小学生の頃は、「縄文再評価」の過渡期にあったと思う。「縄文=原始的、弥生=進歩した文化」という古い図式はまだ残されたままだったが、縄文土器の造形美や竪穴住居の生活は、社会の授業でもかなり詳しく教わった。縄文土器を実際造って焼いてみたこともあったと思うし、当時とっていた「科学と学習」の付録でも縄文土器制作セットが入っており、存分に楽しんだ記憶がある。縄文文化に対し、私を含めた周囲の小学生はみんな親しみを感じていた。
今現在の学校教育における縄文時代の扱いは、さらに進化していることだろう。しかし、そうした「縄文再評価」のさきがけが誰あろう、岡本太郎であったことは意外に知られていない。
時は1950年代、まだ戦後間もない時代の中、兵役から帰還した岡本太郎は、作品も全て灰燼に帰した境遇の中、猛然と日本の美術界をかきまわす活動を展開し始めて数年後のことだった。太郎は東京国立博物館の片隅で、ひっそりと展示されている縄文土器を「発見」した。
日本の文化史を眺めるとき、縄文文化は特異に見える。
弥生文化以降は一本の線としてつながりが感じられるが、縄文だけがかなり異質であることは、土器のあの造型を見れば誰もが感じることだろう。弥生土器のすっきり簡素なデザインは現代に続く日本的感性によく合致するが、縄文の装飾過多でどぎついデザインは、侘び寂びの世界とは正反対のように映る。
岡本太郎が「発見」した当時の縄文土器は、日本文化史からほとんど除外されていた。弥生から連綿と続いて見える、簡素な美を基調とする日本的感性からかけ離れた、土俗的で異様な未開の遺物として扱われており、およそ美術的価値は認められていなかったという。
瓦礫の中から日本美術界の澱みを破壊するために立ち上がった岡本太郎の眼と、いわゆる日本的感性とは対極にある縄文土器が出合ったのは単なる偶然ではなかっただろう。
岡本太郎は自分自身の姿を投影するに相応しい対象を捜し求めており、古い地層から掘り起こされてきた太古の土器群に、それを「発見」したのだ。
後に岡本太郎は知識に乏しいインタビュアーに「先生は縄文土器を発見なさったそうですが、どこで見つけたのですか?」と聞かれて「博物館の中だ!」と煙に巻いたと言う。
また「最近縄文はどうですか?」と聞かれた折には、「最近ますます俺に似てきた!」と答えたとも伝えられる。
冗談めかしたやり取りの中に、岡本太郎の透徹した知性と、そして孤独の影がにじんでいるような気がする。
●「日本の伝統」岡本太郎(知恵の森文庫)
独自の視点から日本文化を創造的に評価しなおした一冊。とりわけ第二章の縄文土器についての考察が白眉。岡本太郎の目を通し、岡本太郎の感じ取った縄文が、以後の縄文観の原点になっていることがよくわかる。しかし、太郎が「四次元」「呪術」と表現した、単なる造型上の要素を超えた縄文土器の価値については、いまだ十分に考察がなされていないと感じる。
まだまだ縄文は新しくあり続けることを予感させる論評だ。
●「神秘日本」岡本太郎(みすず書房)
縄文土器の価値を独自に「発見」し、創造した岡本太郎が、日本各地に残る太古の呪術の痕跡を求めて旅する一冊。初出は60年代であるが、東北、熊野、曼荼羅、沖縄など、近年関心の高まる地域について鋭い感覚で預言者のように語っており、カテゴリ沖縄で紹介した「沖縄文化論」も収録されている。
この本では、仏教美術についても言及している。何に対しても明快な岡本太郎だが、仏教美術に対してやや複雑な態度をとる。芸術家として純粋な造型美以外の部分で仏像を評価することには批判的だが、密教美術や曼荼羅の中に「何か」を見出そうとしている。
●「岡本太郎が撮った『日本』」岡本敏子編(毎日新聞社)
岡本太郎の眼に映った「日本」は、太郎自身の撮った写真に、より端的に顕れている。縄文、東北、沖縄など、数々のコントラストの強烈な白黒写真によって切り取られた「日本」の断片は、太郎の感じる「神秘」であり「呪術」のありようを感覚的に理解させてくれる。
岡本太郎の、きわめて明快な論理に貫かれた文章による論評を、感性の方面から補完する写真の数々が収録されており、記録写真の範疇を超えて岡本太郎の絵画作品に近い手触りがある。