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2009年04月10日

手で読む縄文紋様

 自分の手で実際に土をこね、土器を作り、紋様を刻んでみると、単に資料として眺めているだけでは気付かなかった、たくさんの事柄が理解できてくる。
 現代の陶芸より低温で焼き上げるため、強度をつけるには「厚み」が必要であること。
 しかし、粘土が肉厚になればなるほど、焼成時に内外の温度差から割れが生じやすくなってくる。その対策に、粘土に大量の砂を混ぜ、温度が伝わり易くしなければならない。そして砂を混ぜて粘りが弱くなった分を、ノリなどを更に混入して補わなければならない。
 縄文土器の紋様は、一見ひも状の粘土を貼り付けたようなものが多く見える。しかし、砂やノリを混ぜた粘土をひも状にすることはけっこう難しいし、「貼り付ける」という手法は空気が混入しやすいので、よほど気をつけないと割れや剥離の原因になってしまう。
 実際には「ひもを貼り付ける」より、「押し付ける」または「溝を刻み込む」手法の方が合理的であると理解できてくる。
 肉厚の土器の表面全体に深く溝を刻んでみると、何も刻まない状態より表面積がかなり広くなる。そうすれば乾燥が速くなるし、焼いたときの温度も全体に上がりやすくなる。
 「表面に丹念に紋様を刻み込む」という呪術を施すことにより、土器がうまく焼きあがる可能性がアップしてくることになるのだ。
 縄文の生活は、それ以降の時代より場所の移動頻度が高かった。
 土器を作るための土も、生活場所が変わるたびに質の違うものを使用しなければならなかっただろう。
 土がころころ変わるということは、実際に手にとってこねてみるまでどんな造型が可能か判断がつきにくいということだ。
 縄文土器のあのリズム感溢れる造型や紋様は、土をこねて感触を確かめながら、その場その場で即興演奏のように生み出されてきたのではないか?
 ふとそんな空想も浮かんでくる。
 それは縄文人の生活スタイルである、「出たとこ勝負の狩猟採集生活」にも相応しい制作風景だと思えてくるのだ。

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posted by 九郎 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

今年もまた縄文の季節

 今年も花見がてらに縄文土器を焼いた。
 両手に乗る土鍋ほどの大きさの浅い鉢だ。
 形状や模様についての詳細は、また後ほど。

 土器は焼いてみるまでわからない。
 焼成前に一度撮影。

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 愛用の「釜」である煎餅の空き缶に、土器と木炭を程よく詰める。
 詰めすぎも、詰めなさすぎも良くない。
 燃焼には空気が必要だが、一気に温度が上がりすぎるのも、土器の割れの原因になる。

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 去年の残りの木炭を使ったら、湿気ていたのか着火に手間取ってしまった。私としたことが(苦笑)
 木炭の燃焼が一旦始まってしまえば、あとはのんびり待つだけ。
 親類から送ってもらった干物などをあぶってみたりする。

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 炭火で焼いた干物は絶品。
 見上げた頭の上には桜。

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 約三時間後、真っ白に完全燃焼の進んだ木炭の合間から、赤褐色に焼き上がった土器の肌がちらりと見える。

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 そろそろ頃合か。
(続く)
posted by 九郎 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2009年04月14日

縄文六地蔵

 焼成中に割れたり爆ぜたりすることなく、今年のお花見兼土器焼きも無事終らせることができた。
 今回のテーマは「六地蔵」。
 昨年、土器地蔵を焼いたのだが、造型的にはおとなしめのものだった。今回は縄文テイスト全開で造ろうとスケッチを重ね、外向きの輪になった六地蔵で器を作ってみることにした。
 そして出来上がったのが↓これ。

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 合掌した手と衣の重なりを、縄文風に刻み込む。
 器の内側にも紋様を刻んでしまったので、煮炊きや植木鉢などの実用には適さないかもしれない(笑)

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 果物やその他の食材乗せるのには似合いそうだ。

 六地蔵を横一列に並べると、それぞれ表情が違うことがわかる。

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(クリックすると画像が大きくなります)


 粘土段階で少し砂を混ぜすぎてしまい、表面処理が粗くなった。一部、崩れてしまった箇所もある。
 そういうマイナス点も含めて、地蔵の表情になってくれているといいのだが……

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 縄文時代は年代的にいうと仏教のはじまり以前のことになる。
 わざわざ遡って「地蔵」を作ったことには一応理屈もつけてあるのだが、それはまた後日。
posted by 九郎 at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

縄文時代の子安地蔵

 お釈迦様は「仏教の開祖」と言われるが、厳密には「仏教を創り出した人」ではない。「仏陀(悟りを開いた人)」の名で表現されるように、あくまで「悟った人」であって「創った人」ではない。
 この娑婆世界でただ一人、宇宙の法を悟り、言葉で説けた人と設定されているが、「法」そのものはお釈迦様以前から存在していたことになっている。たとえば「ニュートンが発見する以前から万有引力の法則は存在した」ということと似た構図になるだろう。
 また、お釈迦様以前にも仏は存在したことになっているし、別の世界には別の仏が数え切れないほど存在することになっている。
 だから「仏教はお釈迦様以前から存在する」と表現しても、(歴史的事実関係はさておき)教義上は間違いではないはずだ。

 そうした教義上の設定以外にも、一般に「仏教」として扱われている仏菩薩や神々、世界観の由来は、お釈迦様以前に遡る要素が数多くある。
 地蔵菩薩もそんな仏尊の一つで、カテゴリ地蔵で紹介したように、仏教以前から存在する「大地母神」が仏教的に読み替えられた仏様だ。

 私の好きな土器に、「人面装飾付深鉢」という、縄文中期の作品がある。イラストで再現すると、以下のような形状をしている。

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 この深鉢の形状・模様の解釈は様々に可能なのだろうが、素直に解釈すれば、やはり「出産」または「子を抱く母」の表現ということになるだろう。安産や、子供の安全を願う要素が含まれる表現であることは、間違いないのではないか。
 現在でも、都会のビルの一画や地方の道端に残る素朴な石造りのお地蔵さまには、この中期縄文深鉢の人面装飾に似た顔立ちのものがいくらでもありそうに思う。
 
 日本で素朴な石造りのお地蔵さまが広く定着したのは、仏教の菩薩としてのお地蔵さまが伝来する以前に、この中期縄文深鉢に見られるような、同じ構図を持つ信仰と造型の流れが存在したからなのかもしれない。
posted by 九郎 at 00:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

縄文と沖縄

 暖かくなったり、また寒くなったりする中、桜がおずおずと咲き始めている。
 桜といえばお花見、お花見といえば当ブログでは縄文なのだが(なぜそうなのかはリンク先を参照)、今年はどうもお花見にかこつけた縄文土器作りができそうにない。
 実は昨年中に引っ越しをして、ちょっと雰囲気的に野焼が難しい地域になってしまったからだ。近所迷惑にならない範囲で方策は追々練っていくとして、今年の「縄文花見」は一回お休み。

 最近の私は下書きから着色まで全部PCで制作することが多くなっているのだが、やはり手書きには愛着があり、たまに小学生の頃使っていたようなシンプルな画材でスケッチを描き、手書きの感覚を蘇らせている。
 先日は「火焔土器」の写真を見ながら割り箸を削ったペンを墨汁につけながらグリグリ描いてみた。水彩絵具で思いつくままに着色しているうちに、沖縄で見た風景が思い出されてならなかった。

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 気根の絡み合ったガジュマルの肌合いや、亜熱帯植物の繁茂したの空気が、縄文土器写真の茶褐色に刻まれた渦巻く文様を通してありありと見えてきたのだ。

 縄文と沖縄については、関連性を指摘する説もいくつか読んだことがあるけれども、今回は絵描きのハシクレが眼と手を通した直感として「縄文人はガジュマルを見たことがあるのではないか?」という閃きがあった。

 今の段階では単なる閃きに過ぎないので、ここに覚書きとして残しておこう。
posted by 九郎 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 縄文 | 更新情報をチェックする