神仏与太話と称する当ブログだが、2年以上にわたって語り続けるうちに、いくつか思い入れのある神仏キャラクターが立ち上がってきた。
お地蔵さまと第六天魔王だ。
そのうちのお地蔵さまに関連するCD2枚を、ここに紹介しておこう。神仏のお話に「音」や「声」は欠かせない。
●「賽の河原地蔵和讃 〜御和讃・御詠歌集〜」正木義完(市原栄光堂)
お地蔵さまをテーマにした賽の河原地蔵和讃をはじめ、様々な和讃が収録された一枚。
表題和讃は日本における地蔵信仰の、一つの到達点だが、あらためてデジタル音源を探すと、意外と見つからないので貴重。
他にも日本版「チベット死者の書」とも言える内容の「中陰和讃」や、お地蔵さまの基本設定をわかりやすくまとめた「地蔵菩薩御和讃」など、十の和讃を収録。約54分。
発売元の市原栄光堂の「お経、ご詠歌のお部屋」で購入可能。
●地蔵菩薩 勤行式(在家用) ポニーキャニオン
「地蔵菩薩本願功徳経」や真言、和讃を収録。約25分。
2008年02月24日
2008年02月25日
謡曲「雷電」
昨年末に大道芸のカセットテープを聴いて以来、日本語の声による「語り」にハマッた。図書館やワゴンセールで、落語や浪曲などの昭和演芸や、古典芸能のCDを漁ったりしている。
昔、風呂無しトイレ共同の安アパートに住んでいた時、2年間ぐらい部屋にTVが無かった期間があった。NHKの受信料徴収に来た人に、「あ〜うちTV無いっスよ」と言ったら、びっくりしてスゴスゴ帰っていったこともあった。
その当時はもっぱらラジオを聴いて過ごしていて、深夜放送の昭和演芸紹介が好きだった。その時以来のマイブームだ。
日本語による「語り」を聴き込んでいくと、必然的に辿り着くのは古典芸能の能・狂言の世界だ。恥ずかしながら今までほとんど興味を持っていなかったけど、調べだすとやっぱり面白い。
謡曲の中には「縁日草子」向きの、怪しの神仏物語もいくつか見つかった。その中から季節にちなんだ演目を紹介してみよう。

●謡曲「雷電」
本日2月25日は天神様・菅原道真の命日と伝えられる。
菅公については、当ブログでも断続的に語ってきた。
(天神様、北野天満宮、天満大自在天神)
私はこれまでの流れの中で、天神様と第六天魔王の関係に興味を持っているのだけれど、まだ整理はついていない。
謡曲「雷電」は菅公が死後、天神様になる過程を直接扱った演目だ。穏やかな姿で現れた菅公の霊が、昔なじみの僧と語るうちに恐ろしい怨霊の姿と化し、激しいバトルを演じる。
カッと口を開いた「顰(しかみ)」の面に、炎のような赤い髪を燃え立たせ、金色の雷を思わせる模様の装束を身につけて、だん、だん、と足を踏み鳴らす。
最後は「天満大自在天神」として天に昇って行く。私はTVでちらっと見た程度だが、能の中ではかなり激しい部類に入るだろう。
この演目は、各種古典文学大系の謡曲集には中々収録されていないが、和綴本が割りに入手しやすいので、原文を読むことはできる。
現代語訳はついていないが、演目の解説や簡単な図が添付されているので、読むのにさほど苦労はない。黙読よりも音読の方がお勧め。声に出して読むと、不思議とストーリーが頭に入ってくる。
昔、風呂無しトイレ共同の安アパートに住んでいた時、2年間ぐらい部屋にTVが無かった期間があった。NHKの受信料徴収に来た人に、「あ〜うちTV無いっスよ」と言ったら、びっくりしてスゴスゴ帰っていったこともあった。
その当時はもっぱらラジオを聴いて過ごしていて、深夜放送の昭和演芸紹介が好きだった。その時以来のマイブームだ。
日本語による「語り」を聴き込んでいくと、必然的に辿り着くのは古典芸能の能・狂言の世界だ。恥ずかしながら今までほとんど興味を持っていなかったけど、調べだすとやっぱり面白い。
謡曲の中には「縁日草子」向きの、怪しの神仏物語もいくつか見つかった。その中から季節にちなんだ演目を紹介してみよう。

●謡曲「雷電」
本日2月25日は天神様・菅原道真の命日と伝えられる。
菅公については、当ブログでも断続的に語ってきた。
(天神様、北野天満宮、天満大自在天神)
私はこれまでの流れの中で、天神様と第六天魔王の関係に興味を持っているのだけれど、まだ整理はついていない。
謡曲「雷電」は菅公が死後、天神様になる過程を直接扱った演目だ。穏やかな姿で現れた菅公の霊が、昔なじみの僧と語るうちに恐ろしい怨霊の姿と化し、激しいバトルを演じる。
カッと口を開いた「顰(しかみ)」の面に、炎のような赤い髪を燃え立たせ、金色の雷を思わせる模様の装束を身につけて、だん、だん、と足を踏み鳴らす。
最後は「天満大自在天神」として天に昇って行く。私はTVでちらっと見た程度だが、能の中ではかなり激しい部類に入るだろう。
この演目は、各種古典文学大系の謡曲集には中々収録されていないが、和綴本が割りに入手しやすいので、原文を読むことはできる。
現代語訳はついていないが、演目の解説や簡単な図が添付されているので、読むのにさほど苦労はない。黙読よりも音読の方がお勧め。声に出して読むと、不思議とストーリーが頭に入ってくる。
2008年02月27日
謡曲「第六天」
天神様を題材にした「雷電」に続いて、当ブログ好みの謡曲をもう一つ紹介しよう。
●謡曲「第六天」
名前の通り、第六天魔王が登場する演目。
高伊勢神宮を訪れた高僧・解脱上人は、忽然と現われた不思議な女性の託宣を受ける。すると俄かに風雨雷電鳴り響き、天空から第六天魔王の率いる軍勢が伊勢神宮に攻め寄せてきた。
解脱上人が合掌して念じると、そこに現われたのは素盞嗚(すさのお)。かくして仏教の魔王と、日本神話の英雄神のバトルが幕を開ける。
さすがの魔王もヤマタノオロチを退治した素盞嗚には恐れをなし、須弥山に飛び上がろうとする。素盞嗚はそれを引きとどめ、大地に打ち伏せる。二度とこの地を訪れないと誓わせると、魔王は虚空に消えていく。

この演目については、なかなか詳しい資料が見つからなかったのだが、さいわいなことに「雷電」とおなじく和綴本で本文を読むことはできる。
機会があれば、ぜひ観てみたい演目だ。
●謡曲「第六天」
名前の通り、第六天魔王が登場する演目。
高伊勢神宮を訪れた高僧・解脱上人は、忽然と現われた不思議な女性の託宣を受ける。すると俄かに風雨雷電鳴り響き、天空から第六天魔王の率いる軍勢が伊勢神宮に攻め寄せてきた。
解脱上人が合掌して念じると、そこに現われたのは素盞嗚(すさのお)。かくして仏教の魔王と、日本神話の英雄神のバトルが幕を開ける。
さすがの魔王もヤマタノオロチを退治した素盞嗚には恐れをなし、須弥山に飛び上がろうとする。素盞嗚はそれを引きとどめ、大地に打ち伏せる。二度とこの地を訪れないと誓わせると、魔王は虚空に消えていく。

この演目については、なかなか詳しい資料が見つからなかったのだが、さいわいなことに「雷電」とおなじく和綴本で本文を読むことはできる。
機会があれば、ぜひ観てみたい演目だ。
2009年05月03日
孤独な詩人
忌野清志郎さんがお亡くなりになってしまった。
ちょっと語るべき言葉が見つからない。
何度でも起き上がってきてくれるものと思っていた。
しかしどんなステージでも終わりは来る。
ちょっと語るべき言葉が見つからない。
何度でも起き上がってきてくれるものと思っていた。
しかしどんなステージでも終わりは来る。
2009年07月21日
夢告「平家物語」
もう十年以上前になるが、断続的に「夢日記」をつけていた時期があった。
枕元にメモ用紙と筆記用具を常備し、夜半や朝方、夢で目覚めた時に憶えていることを絵や文で書き留めておく。
半分寝惚けた状態の走り書きなので、意味をなしていない事も多々あるのだが、たまに面白いイメージが形に残る。
ただ、夢に関心を持っていると、奇怪な夢を呼び込むようになってしまう傾向もあるようなので、長期間夢日記を続けることはしなかった。心身ともに余裕のある時期に、何度か集中してかきとめていたのだ。
記録はまだ手元にあるので、いずれ一応「作品になっている」と思われる、公開して差し支えなさそうなものはブログに上げようかと思っている。
そうした内的記録をつけていた時期に、気になる夢を見たことを憶えている。
夢の中の人物に「平家物語にはこの世とあの世のまことの姿がある」と教えられたのだ。
目が覚めてその内容を書きとめながら、私は少し首をかしげていた。当時の私の平家物語に関する知識は、教科書通りの「軍記物語」という程度でしかなかったのだ。
なぜ平家の栄枯盛衰や合戦の様子を描いた物語に「この世とあの世のまこと」があるのか、今ひとつピンとこなかった。「あの世」のことまで含まれるのなら「今昔物語」の間違いではないかとも思ったのだが、夢の中の人物ははっきり「平家物語」と言ったはずだ。
なんとなく納得いかないまま、何年も過ごしてきた。
その間、読書の幅が広まってきたこともあり、少しずつ「平家物語」に関する認識も改まってきた。「この世」のことだけが書いてある書物ではなく、当時流布されていた様々な中世神話が反映され、奇怪な神話の領域まで含まれる物語であることがわかってきた。
そして最近手に取った一冊の本により、ようやくずっと昔の「夢のお告げ」を納得するに至った。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
平家物語はそもそも書物ではなく、琵琶法師によって語り継がれた物語であった。
琵琶法師は盲目の芸能者であり、宗教者でもある。
盲目であるということと、芸能者・宗教者であるということは、そのまま「あの世」と「この世」の境に身を置くことと繋がる。
有名な「耳なし芳一」のイメージに、異界の声を聞き、語りによってあの世とこの世を結びつける琵琶法師というものの本質がよく表現されている。
平家物語と琵琶法師の成立過程には、中世から近世にかけての「この世」の社会制度と、神仏入り乱れた中世の精神世界が色濃く反映されているようなのだ。
付録のDVDには「最後の琵琶法師」による貴重な記録映像も収録されている。
震え響く声と琵琶の音に、ふと昔見た「夢のお告げ」に思い当たり、一人なんどもうなずいたのだった。
枕元にメモ用紙と筆記用具を常備し、夜半や朝方、夢で目覚めた時に憶えていることを絵や文で書き留めておく。
半分寝惚けた状態の走り書きなので、意味をなしていない事も多々あるのだが、たまに面白いイメージが形に残る。
ただ、夢に関心を持っていると、奇怪な夢を呼び込むようになってしまう傾向もあるようなので、長期間夢日記を続けることはしなかった。心身ともに余裕のある時期に、何度か集中してかきとめていたのだ。
記録はまだ手元にあるので、いずれ一応「作品になっている」と思われる、公開して差し支えなさそうなものはブログに上げようかと思っている。
そうした内的記録をつけていた時期に、気になる夢を見たことを憶えている。
夢の中の人物に「平家物語にはこの世とあの世のまことの姿がある」と教えられたのだ。
目が覚めてその内容を書きとめながら、私は少し首をかしげていた。当時の私の平家物語に関する知識は、教科書通りの「軍記物語」という程度でしかなかったのだ。
なぜ平家の栄枯盛衰や合戦の様子を描いた物語に「この世とあの世のまこと」があるのか、今ひとつピンとこなかった。「あの世」のことまで含まれるのなら「今昔物語」の間違いではないかとも思ったのだが、夢の中の人物ははっきり「平家物語」と言ったはずだ。
なんとなく納得いかないまま、何年も過ごしてきた。
その間、読書の幅が広まってきたこともあり、少しずつ「平家物語」に関する認識も改まってきた。「この世」のことだけが書いてある書物ではなく、当時流布されていた様々な中世神話が反映され、奇怪な神話の領域まで含まれる物語であることがわかってきた。
そして最近手に取った一冊の本により、ようやくずっと昔の「夢のお告げ」を納得するに至った。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
平家物語はそもそも書物ではなく、琵琶法師によって語り継がれた物語であった。
琵琶法師は盲目の芸能者であり、宗教者でもある。
盲目であるということと、芸能者・宗教者であるということは、そのまま「あの世」と「この世」の境に身を置くことと繋がる。
有名な「耳なし芳一」のイメージに、異界の声を聞き、語りによってあの世とこの世を結びつける琵琶法師というものの本質がよく表現されている。
平家物語と琵琶法師の成立過程には、中世から近世にかけての「この世」の社会制度と、神仏入り乱れた中世の精神世界が色濃く反映されているようなのだ。
付録のDVDには「最後の琵琶法師」による貴重な記録映像も収録されている。
震え響く声と琵琶の音に、ふと昔見た「夢のお告げ」に思い当たり、一人なんどもうなずいたのだった。
