十日戎が終わってそろそろ一週間、縁日は過ぎ去ってみると余韻もすぐに消えてしまう。
あれだけ露店が密集し、寒い中あれだけ人が集まっていたのに、十一日の残り福の翌朝には、もう影も形も無くなって、夢のよう消え去った。
縁日を彩る露店、テキ屋稼業の風景がどのようなルーツを持つのかを知るのに、絶好の一冊がある。
●「旅芸人のいた風景―遍歴・流浪・渡世」沖浦和光(文春新書)
今日、神社仏閣の縁日を彩る露店風景には、今はもうほとんど消滅してしまった中世以来の旅芸人「道々の者」の姿の痕跡が残っている。
よりふかく遡れば、諸国を遍歴する遊芸者は、芸人であり、職人であり、宗教者であり、薬売りでもあり、様々な要素が混在した実態があった。
著者はそうした存在・ヤブ医者に「野巫医者」という字をあてて捉え、広範に論じている。
近代医療が一般に行き渡る以前には、病に苦しむ庶民はただ本人の自然治癒力に任せるか、そうでなければ諸国を遍歴する拝み屋や祈祷師に頼るほか無かった。
そうした「野巫医者」たちは、何よりもまず患者の心を力付けるために、加持祈祷等の「芸」を執り行うのだが、それだけでは中々病気治しの成果が上がらないことは実体験としてよく知っていたので、同時に整体や漢方薬等の東洋医療の技術もある程度持ち合わせており、医療に縁の無い一般庶民にとっては最後のセーフティーネットでもあったのだ。
西洋医術が本格的に国内に導入された明治以降も、高額な医療費を個人で払いきれない庶民にとっては、長い間「野巫医者頼み」が続いてきた。
一応「国民皆保険」が制度化される戦後になって初めて、一般庶民も近代医療の恩恵を受けるようになったのだが、同時に法的な「野巫医者排除」が進行していった。
薬事法等の各種法令により、身分の定かでない遍歴者が医療行為に類することはできなくなり、必然的に、物売りや芸人に限定された稼業に変容して行ったのだ。
戦後になってTVが普及すると「芸人」も遍歴する層はほぼ消滅。
かくて神社仏閣の縁日には、ただ物販部門だけが痕跡として残ることになった。
縁日の風景を形成する仮設店舗は、混雑する祭礼の安全を確保するセーフティーネットでもある。
隙間の多い、緩やかな構造の店舗が参道を区切ることによって、人の流れを誘導し、時には増えすぎた人を吸収し、脇に逃がす役割を果たしている。
クリーンに整理しきらない猥雑さや緩さ、怪しいものをある程度まで許容する包容力は、突発する危機を緩和する作用がある。
日本経済の低迷が続く昨今、健康保険料を支払えず無保険状態になる層も増加しているという。
とくに児童の無保険状態は深刻なテーマとして報道でも取り上げられるようになった。
ところが昔の庶民が頼った「野巫医者」という最後のセーフティーネットは、もう存在しない。
医者にかからず健康状態を維持するために役立ってきた季節ごとの風習や食べ物の知識も、多くは廃れ、形骸化し、急病の際に対処法を教え、支えてくれる地域共同体も崩れ去った。
戦後多くの命を救い、健康を守ってきた医療保険制度と法規制が、反転して低所得層を追い詰める時代が到来しつつあるのかもしれない。
そうした事態を国がなんとかしてくれるのかと言えば、たぶんなんともしてくれない。
国だけでなく世間の風潮として「保険料払わないのが悪い! 自己責任!」という風に切って捨ててしまいそうな怖さがある。
社会の様々な局面で、曖昧な領域を「合理化」の名の下に削りすぎた弊害が、今あちこちに出てきている気がする。
個人的な体感では、そうした「世の中を短絡的に清潔にし過ぎる」傾向が急速に進行し始めたのが、90年代後半あたりからではないかという気がしている。
2011年01月15日
2011年05月29日
夕闇せまる窓際で
(昨夜以降、けっこう加筆)
最近、夕暮れ時になると、なんとなく学生時代に憶えた「寮歌」を口ずさんでいる。
私の母校は当時創立二十年ぐらいの、まだまだ新興ではあるが一応私立の受験校だった。
創立者の園長先生が、自分が青春時代を過ごした旧制高校に非常に思い入れのある人で、その校風を再現しようと努めた学校だった。
当時はまだ私立の受験校としては中堅と言ったところで、エリート校と言うほどではなく、その分きつい生徒指導と留年基準で締め上げて学習効果を上げる方針をとっていた。
その結果、当時ですら非常に時代錯誤な、今から考えると驚きを通り越して失笑してしまうような指導が行われていた。
漫画「魁!男塾」の連載開始当初には、あのファンタジックな内容が「あるあるネタ」として仲間内では盛り上がっていたし、ずっと後になって北朝鮮のTV番組が日本で紹介されるようになった時には、昔の仲間で飲んでいる時に「あれ見ると、なんか懐かしい気分がするな」と語り合ったりするほどだった。
教師による生徒への体罰は日常茶飯事だった。
私は今でも感覚が狂っていて、新聞雑誌で「教師の不祥事」として報道される体罰事件の99パーセントは「こんな些細なことがニュースになるのか」と感じてしまう。
しかもほぼ男子校(女子も少しだけいた)だったので、巷にあふれる青春物語等とはほぼ無縁な学生生活で、もっと昔の、それこそ旧制高校時代に青春時代を過ごした作家の青春記の方が、かえって共感できたりした。
たとえばこんな本。
●「どくとるマンボウ青春記」北杜夫(新潮文庫)
そんな学生時代であったので、毎年留年の危機を繰り返しながらなんとか辿りついた卒業式で、一番に感じたことは、わが師の恩でも友との別れでもなく、抑えようもなくこみ上げてくる「解放感」だった。
私は成績別クラス編成で最下位のクラスにずっと所属していたので、学年が終わるごとに2〜3人の友人が学校を去って行った。
死屍累々の中、なんとか卒業にこぎつけたので、実感としては「卒業」というより「出所」に近かった。
「お勤めごくろうさまです!」と一声かけてほしいところだった。
あれから年月が流れて、恨みつらみが大方洗い流された今となっては、世話になった先生方、面倒をかけた先生方に感謝の念はある。
英語のY先生、やる気がなくてすみませんでした。
あなたのせいで英語は苦手になりましたが、授業以外の部分でいつも気にかけてくださったことは、今でもよく思い出します。
私はそうそうに勉学の方には見切りをつけ、留年しないようにギリギリの線は保ちながら、もっぱら絵を描いていた。
受験校だったのだが、学年に一人ずつぐらいは音楽や美術を志望する変わり種が紛れ込んでいて、私もそうした生徒だった。
所属がほぼ一人だけの美術部で、毎日校舎最上階のすみっこにある小さな部室にこもって、デッサンしたり本を読んだりしていた。
窓の外を眺めると、夕暮れの山の端に、応援団の歌う「寮歌」がこだましているのが聞こえたりしていた。
勇壮な校歌や応援歌も歌っていたが、私は断然、哀調を帯びた寮歌が好きだった。
私自身は寮生ではなく自宅通学だったのだが、かつて旧制高校の学生を表現した「バンカラ」という言葉の空気を伝える寮歌に心ひかれていた。
校歌が「先生に無理矢理覚えさせられ、歌わされた」ものであるのに対し、寮歌は「耳にするうちにふと口ずさみ、いつのまにか好きになった」ものであることも、大きかったと思う。
聞いたところによると、十代から二十代にかけて「ビートルズが嫌いな若者」が一定数存在するという。理由は「英語の時間に無理矢理覚えさせられ、歌わされたから」だということだ。
自分から歌を口ずさむには、まずその歌が音の風景として流れており、それが好ましい空気として自然に認識されるのが一番良い。
何かの歌を嫌わせるのに最も効果的な方法は、有無を言わさずに無理矢理歌わせることだと思う。
ダン、ダン、ダンダンダン……
叩きつける大太鼓とともに流れてくる寮歌の蛮声。
私もそれにあわせて、よく口ずさんでいた。
創立者である園長先生が、自分の母校の寮歌をそのまま引き継いだというその歌は、昔の旧制高校生の大先輩が作ったものと伝えられていた。
昔から、せっかく勉学のために入った学校で、少しわき道にそれてしまう先輩方がいたのだなと、思わず嬉しくなってしまう伝説だった。
上掲「どくとるマンボウ青春記」にも、寮歌に触れた部分があったと記憶している。
もう十年以上読んでいないので記憶は不正確かもしれないが、たしか「どんな音痴でも寮歌だけは歌える」というような内容があったと思う。
寮歌が音痴でも歌えるのには、二つ秘密がある。
音痴には「リズム音痴」と「音程音痴」があるが、寮歌の場合は力任せに叩きつける大太鼓で、リズムは強制的に補正される。また、声を限りの蛮声による絶唱合唱なので、こまかいメロディの間違いなどは気にならない。
結果として、「寮歌なら歌える」という現象がおきる(笑)
寮歌を聴くのに良い音源がないかと、amazonで物色してみたら、こんなのがあった。
プロの歌手がちゃんとした伴奏つきで歌ったCDが多い中、これは民族音楽で言うところの「現地録音」に近い状態のようだ。
寮歌は、歌い手があまり達者だと雰囲気が出ない。
下手糞な蛮声がやっぱり望ましい。
ちょっと値が張るのが思案どころ……
風の便りによれば、懐かしの我が母校は、今はもうすっかり普通の校風になってしまったと聞く。
時代には全く合わなくなったであろうあの「寮歌」は、今でも歌い継がれているのだろうか?
最近、夕暮れ時になると、なんとなく学生時代に憶えた「寮歌」を口ずさんでいる。
私の母校は当時創立二十年ぐらいの、まだまだ新興ではあるが一応私立の受験校だった。
創立者の園長先生が、自分が青春時代を過ごした旧制高校に非常に思い入れのある人で、その校風を再現しようと努めた学校だった。
当時はまだ私立の受験校としては中堅と言ったところで、エリート校と言うほどではなく、その分きつい生徒指導と留年基準で締め上げて学習効果を上げる方針をとっていた。
その結果、当時ですら非常に時代錯誤な、今から考えると驚きを通り越して失笑してしまうような指導が行われていた。
漫画「魁!男塾」の連載開始当初には、あのファンタジックな内容が「あるあるネタ」として仲間内では盛り上がっていたし、ずっと後になって北朝鮮のTV番組が日本で紹介されるようになった時には、昔の仲間で飲んでいる時に「あれ見ると、なんか懐かしい気分がするな」と語り合ったりするほどだった。
教師による生徒への体罰は日常茶飯事だった。
私は今でも感覚が狂っていて、新聞雑誌で「教師の不祥事」として報道される体罰事件の99パーセントは「こんな些細なことがニュースになるのか」と感じてしまう。
しかもほぼ男子校(女子も少しだけいた)だったので、巷にあふれる青春物語等とはほぼ無縁な学生生活で、もっと昔の、それこそ旧制高校時代に青春時代を過ごした作家の青春記の方が、かえって共感できたりした。
たとえばこんな本。
●「どくとるマンボウ青春記」北杜夫(新潮文庫)
そんな学生時代であったので、毎年留年の危機を繰り返しながらなんとか辿りついた卒業式で、一番に感じたことは、わが師の恩でも友との別れでもなく、抑えようもなくこみ上げてくる「解放感」だった。
私は成績別クラス編成で最下位のクラスにずっと所属していたので、学年が終わるごとに2〜3人の友人が学校を去って行った。
死屍累々の中、なんとか卒業にこぎつけたので、実感としては「卒業」というより「出所」に近かった。
「お勤めごくろうさまです!」と一声かけてほしいところだった。
あれから年月が流れて、恨みつらみが大方洗い流された今となっては、世話になった先生方、面倒をかけた先生方に感謝の念はある。
英語のY先生、やる気がなくてすみませんでした。
あなたのせいで英語は苦手になりましたが、授業以外の部分でいつも気にかけてくださったことは、今でもよく思い出します。
私はそうそうに勉学の方には見切りをつけ、留年しないようにギリギリの線は保ちながら、もっぱら絵を描いていた。
受験校だったのだが、学年に一人ずつぐらいは音楽や美術を志望する変わり種が紛れ込んでいて、私もそうした生徒だった。
所属がほぼ一人だけの美術部で、毎日校舎最上階のすみっこにある小さな部室にこもって、デッサンしたり本を読んだりしていた。
窓の外を眺めると、夕暮れの山の端に、応援団の歌う「寮歌」がこだましているのが聞こえたりしていた。
勇壮な校歌や応援歌も歌っていたが、私は断然、哀調を帯びた寮歌が好きだった。
私自身は寮生ではなく自宅通学だったのだが、かつて旧制高校の学生を表現した「バンカラ」という言葉の空気を伝える寮歌に心ひかれていた。
校歌が「先生に無理矢理覚えさせられ、歌わされた」ものであるのに対し、寮歌は「耳にするうちにふと口ずさみ、いつのまにか好きになった」ものであることも、大きかったと思う。
聞いたところによると、十代から二十代にかけて「ビートルズが嫌いな若者」が一定数存在するという。理由は「英語の時間に無理矢理覚えさせられ、歌わされたから」だということだ。
自分から歌を口ずさむには、まずその歌が音の風景として流れており、それが好ましい空気として自然に認識されるのが一番良い。
何かの歌を嫌わせるのに最も効果的な方法は、有無を言わさずに無理矢理歌わせることだと思う。
ダン、ダン、ダンダンダン……
叩きつける大太鼓とともに流れてくる寮歌の蛮声。
私もそれにあわせて、よく口ずさんでいた。
創立者である園長先生が、自分の母校の寮歌をそのまま引き継いだというその歌は、昔の旧制高校生の大先輩が作ったものと伝えられていた。
昔から、せっかく勉学のために入った学校で、少しわき道にそれてしまう先輩方がいたのだなと、思わず嬉しくなってしまう伝説だった。
上掲「どくとるマンボウ青春記」にも、寮歌に触れた部分があったと記憶している。
もう十年以上読んでいないので記憶は不正確かもしれないが、たしか「どんな音痴でも寮歌だけは歌える」というような内容があったと思う。
寮歌が音痴でも歌えるのには、二つ秘密がある。
音痴には「リズム音痴」と「音程音痴」があるが、寮歌の場合は力任せに叩きつける大太鼓で、リズムは強制的に補正される。また、声を限りの蛮声による絶唱合唱なので、こまかいメロディの間違いなどは気にならない。
結果として、「寮歌なら歌える」という現象がおきる(笑)
寮歌を聴くのに良い音源がないかと、amazonで物色してみたら、こんなのがあった。
プロの歌手がちゃんとした伴奏つきで歌ったCDが多い中、これは民族音楽で言うところの「現地録音」に近い状態のようだ。
寮歌は、歌い手があまり達者だと雰囲気が出ない。
下手糞な蛮声がやっぱり望ましい。
ちょっと値が張るのが思案どころ……
風の便りによれば、懐かしの我が母校は、今はもうすっかり普通の校風になってしまったと聞く。
時代には全く合わなくなったであろうあの「寮歌」は、今でも歌い継がれているのだろうか?
2011年07月23日
黒い背中のブルース
先日、俳優の原田芳雄さんがお亡くなりになったという。
私は原田ファンと言うには程遠いのだが、それでもいくつか心に残る作品がある。
個人的には、なんといっても映画「どついたるねん」のサジマさん役が記憶に残っている。
阪本順治監督と俳優・赤井英和のデビュー作として名高い名作なのだが、本物の関西弁で、とにかく喋ってボケたおす「動」の赤井と、「静」を担当する寡黙なボクシングコーチ役の原田が、対照的な演技で作品に深みをつけていた。
当時の私はアマチュア演劇をかじり始めていた頃で、演技と言えば何よりもまず「セリフをいれること」だと思っていた。
初歩の初歩としてはそれは全く正しいのだけれど、その段階にいる者にとっては、ほとんど何にも喋らないのに、主役クラスの存在感を示せる原田芳雄に驚愕したものだった。
この映画の時点で、原田芳雄は50歳前後だったはずなのだが、自分のトレーニングも欠かさずサンドバッグを一人黙々と打ち続けるコーチ役を、肉体まで見事に再現していた。
鍛え上げた背中だけが映し出されるシーンがあって、それがこの映画の核心部分にもなっていたと記憶している。

鍛え上げた肉体としての「背中」だけではなく、原田芳雄には「背中」を見せた演技のイメージが強くある。
少しうつむき加減であるとか、眼鏡越しの視線であるとか、何か強い感情をそのまま表情やセリフに表すのではなく、どこか「背中ごし」に表現し続けていた印象だ。
色で言えば「黒」のイメージ。
そもそも日焼けした容貌なのだが、「どついたるねん」ではその上にちょっとホームレスっぽくもある黒づくめの衣装を身に着けていて、それがまたカッコよかった。
味のあるブルースの歌い手でもあった。
私は子供の頃、アニメ「あしたのジョー2」の後半主題歌「MIDNIGHT BLUES」という曲を聴いたのがきっかけでブルース好きになったのだが、それを歌っていた荒木一郎と原田芳雄がコラボで収録したバージョンがあるのを大人になってから知った。
夜中に一人でしみじみCDを聴き込む私の頭の中では、ジョーとサジマさんがグラス片手に楽しげに歌っている映像が流れていた(笑)
原田芳雄の遺作になった映画が、現在公開中であるという。
タイトルは「大鹿村騒動記」で、主演・原田芳雄。
監督は「どついたるねん」の阪本順治。
おまけにエンディングテーマは清志郎!
ああ、絶対面白いんだろうなあ……。
あらすじをみると、300年続く農村歌舞伎がテーマになっているようだ。
私は当ブログ縁日草子をつらつら語り続けるうちに、民間宗教者や民間芸能に、いわく言い難い日本文化の最深部が存在すると認識しつつあるので、そうした面からもこの映画、注目だ。
キャストには三國連太郎の名前もある。
作品の舞台を考えると、この人が出演しているのはそれだけで非常に納得できる。
観たい。
観たい。
この「遺作」の撮影中、原田芳雄は癌との闘病中だったという。
その脳裏に、松田優作の姿が浮かんだであろうことは想像に難くない。
自分を「兄」と慕い、癌を抱えながら最後まで映画俳優として生きた年若い友人の姿を、どんな思いで回想していただろうか。
もちろん、病をおして稼業を強行することだけが、正しく美しい道というわけではない。
病状によって、人生観によっては、力を抜いてゆっくり癌とつき合ってゆく方法もあるだろう。
それぞれの人生にとって、納得できる死に方、生き方であれたかどうか、または少しでもそれに近づけたかどうかが、大切な点だろう。
衰えゆく肉体を抱えて、過酷な撮影ともただ黙々と戦い抜いた原田芳雄は、そうした生き方を選択し、全うできたのだと思う。
訃報を聴き、私が好きだった「どついたるねん」での名演を回想しながら、「ああ、あれからの二十年以上を、サジマさんは最後まで一人、背中から湯気を立てながらサンドバッグを叩き続けていたのだな」と思った。
私は原田ファンと言うには程遠いのだが、それでもいくつか心に残る作品がある。
個人的には、なんといっても映画「どついたるねん」のサジマさん役が記憶に残っている。
阪本順治監督と俳優・赤井英和のデビュー作として名高い名作なのだが、本物の関西弁で、とにかく喋ってボケたおす「動」の赤井と、「静」を担当する寡黙なボクシングコーチ役の原田が、対照的な演技で作品に深みをつけていた。
当時の私はアマチュア演劇をかじり始めていた頃で、演技と言えば何よりもまず「セリフをいれること」だと思っていた。
初歩の初歩としてはそれは全く正しいのだけれど、その段階にいる者にとっては、ほとんど何にも喋らないのに、主役クラスの存在感を示せる原田芳雄に驚愕したものだった。
この映画の時点で、原田芳雄は50歳前後だったはずなのだが、自分のトレーニングも欠かさずサンドバッグを一人黙々と打ち続けるコーチ役を、肉体まで見事に再現していた。
鍛え上げた背中だけが映し出されるシーンがあって、それがこの映画の核心部分にもなっていたと記憶している。

鍛え上げた肉体としての「背中」だけではなく、原田芳雄には「背中」を見せた演技のイメージが強くある。
少しうつむき加減であるとか、眼鏡越しの視線であるとか、何か強い感情をそのまま表情やセリフに表すのではなく、どこか「背中ごし」に表現し続けていた印象だ。
色で言えば「黒」のイメージ。
そもそも日焼けした容貌なのだが、「どついたるねん」ではその上にちょっとホームレスっぽくもある黒づくめの衣装を身に着けていて、それがまたカッコよかった。
味のあるブルースの歌い手でもあった。
私は子供の頃、アニメ「あしたのジョー2」の後半主題歌「MIDNIGHT BLUES」という曲を聴いたのがきっかけでブルース好きになったのだが、それを歌っていた荒木一郎と原田芳雄がコラボで収録したバージョンがあるのを大人になってから知った。
夜中に一人でしみじみCDを聴き込む私の頭の中では、ジョーとサジマさんがグラス片手に楽しげに歌っている映像が流れていた(笑)
原田芳雄の遺作になった映画が、現在公開中であるという。
タイトルは「大鹿村騒動記」で、主演・原田芳雄。
監督は「どついたるねん」の阪本順治。
おまけにエンディングテーマは清志郎!
ああ、絶対面白いんだろうなあ……。
あらすじをみると、300年続く農村歌舞伎がテーマになっているようだ。
私は当ブログ縁日草子をつらつら語り続けるうちに、民間宗教者や民間芸能に、いわく言い難い日本文化の最深部が存在すると認識しつつあるので、そうした面からもこの映画、注目だ。
キャストには三國連太郎の名前もある。
作品の舞台を考えると、この人が出演しているのはそれだけで非常に納得できる。
観たい。
観たい。
この「遺作」の撮影中、原田芳雄は癌との闘病中だったという。
その脳裏に、松田優作の姿が浮かんだであろうことは想像に難くない。
自分を「兄」と慕い、癌を抱えながら最後まで映画俳優として生きた年若い友人の姿を、どんな思いで回想していただろうか。
もちろん、病をおして稼業を強行することだけが、正しく美しい道というわけではない。
病状によって、人生観によっては、力を抜いてゆっくり癌とつき合ってゆく方法もあるだろう。
それぞれの人生にとって、納得できる死に方、生き方であれたかどうか、または少しでもそれに近づけたかどうかが、大切な点だろう。
衰えゆく肉体を抱えて、過酷な撮影ともただ黙々と戦い抜いた原田芳雄は、そうした生き方を選択し、全うできたのだと思う。
訃報を聴き、私が好きだった「どついたるねん」での名演を回想しながら、「ああ、あれからの二十年以上を、サジマさんは最後まで一人、背中から湯気を立てながらサンドバッグを叩き続けていたのだな」と思った。
2011年12月25日
裏通りのクリスマス
例年、仕事で子供相手のクリスマス会のお手伝いをしている。
その会で毎年流されるビデオに、子供たちと一緒になってけっこう見入ってしまう。
●「ジミニー・クリケットのクリスマス」
1995年発売のVHSビデオ。歴代ディズニー作品の中から「クリスマス」に関する短編を集めてあり、『白雪姫』『ピノキオ』『シンデレラ』『ファンタジア』等の有名作からもちなんだシーンが抜粋されている。
かなり厳選され、よく吟味された編集になっていて非常に楽しめる。
自分でも入手したいと思い、また他人にも勧めたいと思って今回調べてみたのだが、残念ながらVHSの中古品のみでDVDにはなっていないようだ。
私は子供の頃ディズニーはさほど見ていなかったので、仕事の合間にほとんど初見の印象で上記の有名作の映像を眺め、その素晴らしさにびっくりしていた。
かえって古い作品の方が「動き」の面白さに満ちているように思えた。
とくに『ファンタジア』の映像美に驚愕して、アニメの技術の発展の意味って何なのだろうと、あらためてあれこれ考えさせられた。
何よりも『白雪姫』の指先の表情まで行きとどいた「演技の上手さ」に唸ってしまった。
恥ずかしながら大人になってからディズニーアニメの凄みに気付いて、それ以後機会があれば逃さず見るようにしている。
このビデオを毎年眺めている内に、それまでは「メジャー過ぎて自分とは縁遠い」と独り決めしていたディズニー作品の中に、気になるモチーフが頻繁に登場することに気付いた。
たとえば収録されているモノクロ短編では、主演のミッキーマウスは愛犬プルートとともに路上演奏で日銭を稼ぐ、しがない大道芸人になっている。
クリスマスの夜、芸人ミッキーは、とあるボロ家の窓から哀しい情景を覗いてしまう。
暗い部屋の中、机に突っ伏して泣き暮れる女性。
飾られた写真には、おそらく夫であろう男性が牢屋に入っているところが写っている。
部屋の奥のベッドには、それでもサンタの夢を見ながらスヤスヤと寝入る、びっくりするほどたくさんの子供たち。
深く同情したミッキーは、金持ちの家に愛犬を売り渡すことで、この哀れな家庭にたくさんのプレゼントを用意することに決めるのだが……
こうしてあらすじを文章に起こすと、陰鬱でどうしようもない印象になってしまうかもしれないが、さすがにミッキーマウス主演作なので、良い子にも安心して見せられる趣向に仕上げられている。
この作品には大道芸人や、ヤクザ者とその家族が登場するが、考えてみるとディズニーアニメにはこうしたマージナルな存在がけっこう頻繁に登場する。
森の小人や魔法使い、ジプシーやせむし男等はすぐに思いつくところだ。
そうしたかなりきわどいモチーフを、単なる小道具ではなく中心に据えながら、それでも世界中の子供たちに親しまれる作品に仕上げていくところに、ちょっと怖いような凄みを感じてしまう。
今回紹介したミッキーマウス主演「ミッキー街の哀話」は、宝島社から出ているDVD BOXに収録されているのを発見した。興味のある人は手に取ってみてください。
ミッキーマウス DVD BOX vol.4
その会で毎年流されるビデオに、子供たちと一緒になってけっこう見入ってしまう。
●「ジミニー・クリケットのクリスマス」
1995年発売のVHSビデオ。歴代ディズニー作品の中から「クリスマス」に関する短編を集めてあり、『白雪姫』『ピノキオ』『シンデレラ』『ファンタジア』等の有名作からもちなんだシーンが抜粋されている。
かなり厳選され、よく吟味された編集になっていて非常に楽しめる。
自分でも入手したいと思い、また他人にも勧めたいと思って今回調べてみたのだが、残念ながらVHSの中古品のみでDVDにはなっていないようだ。
私は子供の頃ディズニーはさほど見ていなかったので、仕事の合間にほとんど初見の印象で上記の有名作の映像を眺め、その素晴らしさにびっくりしていた。
かえって古い作品の方が「動き」の面白さに満ちているように思えた。
とくに『ファンタジア』の映像美に驚愕して、アニメの技術の発展の意味って何なのだろうと、あらためてあれこれ考えさせられた。
何よりも『白雪姫』の指先の表情まで行きとどいた「演技の上手さ」に唸ってしまった。
恥ずかしながら大人になってからディズニーアニメの凄みに気付いて、それ以後機会があれば逃さず見るようにしている。
このビデオを毎年眺めている内に、それまでは「メジャー過ぎて自分とは縁遠い」と独り決めしていたディズニー作品の中に、気になるモチーフが頻繁に登場することに気付いた。
たとえば収録されているモノクロ短編では、主演のミッキーマウスは愛犬プルートとともに路上演奏で日銭を稼ぐ、しがない大道芸人になっている。
クリスマスの夜、芸人ミッキーは、とあるボロ家の窓から哀しい情景を覗いてしまう。
暗い部屋の中、机に突っ伏して泣き暮れる女性。
飾られた写真には、おそらく夫であろう男性が牢屋に入っているところが写っている。
部屋の奥のベッドには、それでもサンタの夢を見ながらスヤスヤと寝入る、びっくりするほどたくさんの子供たち。
深く同情したミッキーは、金持ちの家に愛犬を売り渡すことで、この哀れな家庭にたくさんのプレゼントを用意することに決めるのだが……
こうしてあらすじを文章に起こすと、陰鬱でどうしようもない印象になってしまうかもしれないが、さすがにミッキーマウス主演作なので、良い子にも安心して見せられる趣向に仕上げられている。
この作品には大道芸人や、ヤクザ者とその家族が登場するが、考えてみるとディズニーアニメにはこうしたマージナルな存在がけっこう頻繁に登場する。
森の小人や魔法使い、ジプシーやせむし男等はすぐに思いつくところだ。
そうしたかなりきわどいモチーフを、単なる小道具ではなく中心に据えながら、それでも世界中の子供たちに親しまれる作品に仕上げていくところに、ちょっと怖いような凄みを感じてしまう。
今回紹介したミッキーマウス主演「ミッキー街の哀話」は、宝島社から出ているDVD BOXに収録されているのを発見した。興味のある人は手に取ってみてください。
ミッキーマウス DVD BOX vol.4
2012年01月08日
久々に観たNHK大河ドラマ
もうずっと観ていなかったのだが、久々に。
素材である「平清盛」とその時代背景が、NHK大河ドラマの予算を使ってどのように再現されるのか確かめたかった。
平家の時代であれば当然ながら海上交易や海戦、とくに瀬戸内海を舞台にしたあれこれが描かれるはずで、カテゴリ海や石山合戦において、時代は違えど「海」に注目している私としては、チェックしておきたいドラマだ。
また、「白拍子」や「今様」がどのように扱われるかも楽しみだった。
初回を見たかぎりでは、「さほど史実にこだわった作品では無さそうだ」と思った。
NHK大河はあくまでエンターテインメントなので、史実と違うからと言ってどうこう言う筋合いではないが、私のように「何かの参考にしよう」と思って観ている者としては、どういう方向性の作品なのか一応判断しておかなければならない。
最近よくある「歴史モノの体裁を借りたホームドラマ」というタイプではなさそうなので、引き続き観ていくことにする。
海上シーンに出てくる平安時代の和船には、それなりに予算が割かれているようで、大型船はなかなかカッコ良かったが、小型舟はちょっと現代のボートっぽすぎる気もした。
船体下部に木材の継ぎ目が見えなかったので「刳船(くりぶね)」(いわゆる丸木舟)という設定なのかもしれない。丸木舟は単純ながら極めて堅牢な構造なので、古代から近現代まで小型舟には長く使われ続けてきた。
まあ、今回のドラマの場合は単に「ボートをそれっぽく塗った」というだけのことかもしれない。
平忠盛(中井貴一)が狩衣のまま海に飛び込み、単身海賊船に乗り込んだのは「?」が浮かんだ。どんだけ泳ぎが上手いのだろうか。。。
そもそも、これはどこの海なのだろうか?
初回だけではこれから登場するであろう「源平海戦」の再現度を予想するのは難しそうなので、今後に注目。
清盛の時代の文化でけっこう重要だったと思われる「白拍子」や「今様」については、作中でもかなり頻繁に扱われていくようだ。
私の大好きな一節も、初回作中で繰り返し詠まれていた。
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ
(梁塵秘抄より)
この頃の今様は「梁塵秘抄」に歌詞が一部残っている程度で、当時のメロディはもちろん不明。
民間の流行り歌なので、それほど固定されたメロディがあったわけでもなく、歌い手によって様々だったらしい。
もしリアルに再現するとしても邦楽の音階や、民間に伝わった和讃の類から類推するしかないだろうし、仮に再現できたところでそのメロディを当時の人が受け止めた時の感動までは分かるはずもない。
今回のドラマではメロディがかなり現代風になっていた。
個人的には「残念」という感想を持ってしまったが、今様は当時のPOPSなので、現代に制作されるドラマの中で、現代の視聴者の耳に入り易くする手法としては、これも有りなのだろうとは思う。
松田聖子演じる祇園女御は、ドラマ終盤では「乙前」になるそうだ。
乙前と言えば「梁塵秘抄」の編者である後白河院の師匠なので、これからの展開の中でも今様は使われていくことになるのだろう。
私は純粋にドラマを楽しむというよりは、色々な素材がどう扱われているかに興味があるだけなので、ある意味「不純」な観方をしている。
そういう前提で初回の感想をまとめると、「今後に期待」というところだろうか。
冒頭に出てきた北条政子の衣装やメイクがすごく気になったが(笑)、白河院はバラエティの伊東四朗とはちゃんと別人に見えたし、松田聖子も思ったより画面から浮き上がって見えなかった。
少なくとも「初回だけでお手上げ」ということは無かったと思う。
今様や白拍子についてかなりページが割かれ、興味深い本は以下の一冊。
●「「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー」沖浦和光(文春新書)
素材である「平清盛」とその時代背景が、NHK大河ドラマの予算を使ってどのように再現されるのか確かめたかった。
平家の時代であれば当然ながら海上交易や海戦、とくに瀬戸内海を舞台にしたあれこれが描かれるはずで、カテゴリ海や石山合戦において、時代は違えど「海」に注目している私としては、チェックしておきたいドラマだ。
また、「白拍子」や「今様」がどのように扱われるかも楽しみだった。
初回を見たかぎりでは、「さほど史実にこだわった作品では無さそうだ」と思った。
NHK大河はあくまでエンターテインメントなので、史実と違うからと言ってどうこう言う筋合いではないが、私のように「何かの参考にしよう」と思って観ている者としては、どういう方向性の作品なのか一応判断しておかなければならない。
最近よくある「歴史モノの体裁を借りたホームドラマ」というタイプではなさそうなので、引き続き観ていくことにする。
海上シーンに出てくる平安時代の和船には、それなりに予算が割かれているようで、大型船はなかなかカッコ良かったが、小型舟はちょっと現代のボートっぽすぎる気もした。
船体下部に木材の継ぎ目が見えなかったので「刳船(くりぶね)」(いわゆる丸木舟)という設定なのかもしれない。丸木舟は単純ながら極めて堅牢な構造なので、古代から近現代まで小型舟には長く使われ続けてきた。
まあ、今回のドラマの場合は単に「ボートをそれっぽく塗った」というだけのことかもしれない。
平忠盛(中井貴一)が狩衣のまま海に飛び込み、単身海賊船に乗り込んだのは「?」が浮かんだ。どんだけ泳ぎが上手いのだろうか。。。
そもそも、これはどこの海なのだろうか?
初回だけではこれから登場するであろう「源平海戦」の再現度を予想するのは難しそうなので、今後に注目。
清盛の時代の文化でけっこう重要だったと思われる「白拍子」や「今様」については、作中でもかなり頻繁に扱われていくようだ。
私の大好きな一節も、初回作中で繰り返し詠まれていた。
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動がるれ
(梁塵秘抄より)
この頃の今様は「梁塵秘抄」に歌詞が一部残っている程度で、当時のメロディはもちろん不明。
民間の流行り歌なので、それほど固定されたメロディがあったわけでもなく、歌い手によって様々だったらしい。
もしリアルに再現するとしても邦楽の音階や、民間に伝わった和讃の類から類推するしかないだろうし、仮に再現できたところでそのメロディを当時の人が受け止めた時の感動までは分かるはずもない。
今回のドラマではメロディがかなり現代風になっていた。
個人的には「残念」という感想を持ってしまったが、今様は当時のPOPSなので、現代に制作されるドラマの中で、現代の視聴者の耳に入り易くする手法としては、これも有りなのだろうとは思う。
松田聖子演じる祇園女御は、ドラマ終盤では「乙前」になるそうだ。
乙前と言えば「梁塵秘抄」の編者である後白河院の師匠なので、これからの展開の中でも今様は使われていくことになるのだろう。
私は純粋にドラマを楽しむというよりは、色々な素材がどう扱われているかに興味があるだけなので、ある意味「不純」な観方をしている。
そういう前提で初回の感想をまとめると、「今後に期待」というところだろうか。
冒頭に出てきた北条政子の衣装やメイクがすごく気になったが(笑)、白河院はバラエティの伊東四朗とはちゃんと別人に見えたし、松田聖子も思ったより画面から浮き上がって見えなかった。
少なくとも「初回だけでお手上げ」ということは無かったと思う。
今様や白拍子についてかなりページが割かれ、興味深い本は以下の一冊。
●「「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー」沖浦和光(文春新書)