blogtitle001.jpg

2007年06月16日

泥海古記

 書店の宗教書コーナーを巡回先に加えてから長くなる。
 ふと手にした一冊が意外に面白くて、それまで興味のなかった宗派のことを調べ始めることもよくあった。

 ずっと前、何気なく手に取った白く簡素な冊子が一冊。
 パラパラめくってみると、中ほどにどうやら創世神話を語っているらしい一章があった。大まかなストーリーは以下のようなものだった。
 この世の始まりは泥海
 それを味気なく思った月神と太陽神は
 泥海の中から魚と巳を引き寄せて、男と女の元とした
 シャチ、カメ、フグ、ウナギ等の生き物を引き寄せて、
 体の様々な働きを作り、ドジョウを魂とした
 小さな人類が生まれては滅び、
 最後にメザルが一匹残った
 それが今の人間の祖先である

doro-01.jpg


 読み進めると、昔どこかで聞いたことがあるような、懐かしい感じがした。
 その簡素な冊子「天理教教典」は、当時百二十円ぐらいだった。
 江戸末期、中山ミキによって創始された天理教は、とくに関西ではそれなりに信仰されており、親類縁者の中に一人くらいは関係している人がいてもおかしくはないのだが、私自身はとくに何の関わりもなかった。
 それにも関わらず、この「泥海神話」に懐かしさのようなものを感じたのは、田んぼと古生物図鑑に囲まれて育ってきた原風景のせいだろうか。

 興味をひかれて更に詳しく調べてみると、「天理教教典」の神話の記述の元になった、「泥海古記」という不思議な書物が在るらしいことを知った。
 この書物「泥海古記」は「どろうみこうき」と読み、「こふき」と表記されることもある。
 教祖・中山ミキが折に触れて語った創世神話を、古い信者が書きとめたものであり、筆者や年代によっていくつかの異本がある。
 もっとも流布されたものは、教祖の「お筆先」に似せた和歌体で書かれたものだが、結局教祖の納得した内容のものは完成しなかったらしい。
 明治憲法下では記紀神話以外の神話体系は認められず、天理教はこの泥海神話が原因で何度かの弾圧を受けた。そのため「泥海古記」は厳重に隠蔽されて、実態のつかみづらいものになってしまった。
 弾圧の恐れのなくなった戦後、ようやく復元された内容が、現教典の第三章「元の理」である。


 このカテゴリ「泥海」では、興味深く懐かしい感じのする天理教の泥海神話について、絵物語「どろのうみ」として紹介していきたいと思う。
 私は宗教団体としての天理教とは関わりは無く、布教するものではない。今までこの「神仏与太話ブログ」でカタッてきた内容と同じく、極私的に解釈したものであることを、あらかじめお断りしておく。


【著作権について】
 このカテゴリでアップする作品「どろのうみ」は、以下の資料を参考に構成している。
●「泥海古記」
 明治十四年和歌体本、その他諸本。(中山正善「こふきの研究」収録)
●「天理教教典」第三章「元の理」(昭和24年発行)
●その他、各種教義解説

 このうち、原典である「泥海古記」「天理教教典」ともに、団体名義の著作物であるとすると、既に発表後50年以上が経過しているので、保護期間は過ぎているものと判断される。

 当ブログの絵物語「どろのうみ」は、オリジナルのイラストと原典を参考にした文章で構成しており、原典そのものをアップしたものではないが、一応確認のために付記しておく。


【無断転載について】(2011年6月17日追記)
 このカテゴリ「泥海」にYoutubeの中島みゆき動画からリンクが貼ってあり、記事中で紹介した「泥海神話」のあらすじがそのままコピペされているようです。
 私はその動画投稿者とは一切関係なく、コピペされたあらすじは無断転載です。
 また、同一人物だと思われますが、yahooブログにもこの記事中に掲載したイラストを(縦横比を改竄した形で)無断転載し、こちらのカテゴリにリンクしている模様です。
 当方とは一切関係ありませんので、その点誤解の無いよう付記しておきます。
posted by 九郎 at 11:49| Comment(9) | TrackBack(0) | 泥海 | 更新情報をチェックする

2007年06月17日

どろのうみ1

doro-02.jpg


この世の元初まりは泥の海。
世界も無く人間も無く、ただただとっぷりとっぷり泥が渦巻く。
何も無く何も起こらない泥の海。

そこに月と太陽が現れました。
月は太陽に話しかけます。

月 「味気ない、味気ない」
太陽 「つまらない、つまらない」
月 「泥海をながめるのはもうたくさん、もっと面白いものを見たい」
太陽 「面白いとはどんなこと」
月 「人間というものをつくって、そのものたちが陽気に遊ぶこと」
太陽 「なるほど、それは面白そう」
月 「ではつくろうか」
太陽 「ではつくりましょう」


月が泥海の中の一番よいところを見定めて、そこで人間をつくることにしました。
posted by 九郎 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 泥海 | 更新情報をチェックする

2007年06月18日

どろのうみ2

doro-03.jpg


月と太陽は泥海の中で姿を変えました。

月は頭一つ尾一つの大龍の姿、尾には剣がついています。
月の居ついたところが北の方位になり、
その方位はうるおい水気が多くなりました。
月は泥海の中の良いところ「くにとこ(国床)」を見定めたので、
「くにとこたちのみこと」とも申します。

太陽は頭十二に尾三筋の大蛇の姿、尾には剣がついています。
太陽の居ついたところが南の方位になりました。
その方位にはぬくみが生じ、火気が多くなりました。
太陽はまたの名「をもたりのみこと」
もうすぐ身重になる妻神です。

月と太陽はどちらもものすごい大きさで、
二つだけで泥海いっぱいになるほどでした。

月と太陽は泥海の中をよくよく見澄ましました。
すると泥の中にたくさんのドジョウがうごめいていました。
さらによくよく見澄ますと、ドジョウの中に変わったものがまじっています。
これは何だろうと引きよせてみました。
posted by 九郎 at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 泥海 | 更新情報をチェックする

2007年06月19日

どろのうみ3

泥海の中のドジョウに混じった変わったもの、
それは「うを」と「み」でした。

doro-04.jpg


「うを」は人魚、または岐魚(ぎぎょ)。
頭は人間で、肌にはウロコがなく、ぬんべりとまるで人間のよう。

「み」は白蛇(しろぐつな)。
体は長く、肌にはウロコがなくて人間のようです。

二つとも、大きさは今で言うとクジラほどもありましたが、月と太陽にくらべればほんの小さなものでしかありません。
月と太陽がよく確かめたところ、二つとも心は真っ直ぐで、人間の元にするのにふさわしいことがわかりました。


月は語りかけました。
「おまえたちは大変見所があるので、これから人間というものを作る元になってくれないか」

人魚と白蛇はとまどいます。
「何だかよくわかりませんが、そんなこわいことはできません。どうかこのままでいさせてください」

太陽が優しく諭します。
「もし承知してくれたら、すっかり人間と世界が出来上がった時、またこの場所に生まれ変わらせて、人間の親神にしてやるから、一緒に陽気に遊んでくらそう」

人魚と白蛇はためらいながらも承知しました。
「それはありがたいことです。ではわたしたちを使ってください」

月と太陽は喜んで言いました。
「約束しよう。九億九万九千九百九十九年の後、ここでふたたび会うことを」


こうして人間の土台が決まりました。
posted by 九郎 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 泥海 | 更新情報をチェックする

2007年06月20日

どろのうみ4

doro-05.jpg


人間の土台は人魚と白蛇に決まりました。
水気を司り、様々なものを見定める月は、人間の目のうるおいの守護を与えることにしました。
火気を司る太陽は、人間の体の温みの守護を与えることにしました。

次に月と太陽は、土台に仕込んで守護する道具雛形を探します。

月がさらによくよく泥海の中を見澄ますと、乾(西北)の方位にシャチホコという変なものがいます。
そのシャチホコによくよく事情を説いて聞かせ、承知をさせてもらいうけ、「つきよみのみこと」と言う神名を与えました。
それからシャチホコを食べてしまって、よくよくその心味わいを確かめました。
するといきおい強く突っ張っているので、骨つっぱりの守護の道具に使おうと、人魚の体に仕込みました。
これが男のはじまりです。

太陽がよくよく泥海を見澄ますと、巽(東南)の方位にカメがいます。カメにもよくよく事情を説いて聞かせ、承知をさせてもらい受け、「くにさづちのみこと」という神名を与えました。
それからカメを食べてしまって、よくよくその心味わいを確かめました。
ねばりふんばり強い様子に、皮つなぎの守護の道具に使おうと、白蛇の体に仕込みました。
これが女のはじまりです。
posted by 九郎 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 泥海 | 更新情報をチェックする