夜摩天のさらに上空、金輪水面から32万由旬の高度に、第四の天界「兜率天(とそつてん)」がある。これも面積は三十三天と同じ。
六道輪廻を支配する夜摩天を超えたこの天界では、弥勒菩薩が修行を積んでいるとされている。お釈迦様もこの世に生まれる前にはこの兜率天で修行をしていたと伝えられる。
弥勒菩薩は釈迦如来によって「五十六億七千万年後に人間界に生まれ、悟りを得て仏となる」と予言された未来仏だ。
気の遠くなるような遥か未来の弥勒下生まで、この世に生きた仏が現われることはない。だからせめて弥勒菩薩の修行する兜率天に生まれたいと願う信仰が現われた。
阿弥陀如来の極楽世界と弥勒菩薩の兜率天は、かつて二大浄土として人々の憧れを集めていた。
お釈迦様に続いて解脱を果たす菩薩が、夜摩天を超えた天界で現在修行中であるという設定は、物語として確かに納得できる感じがする。
2007年10月28日
2007年10月31日
第六天
弥勒菩薩が56億7千万年後の下生に備えて修行している第四の天界「兜率天」の上空には、更に第五第六の天界が存在している。第二の天界「三十三天」以上は面積が全て同じだが、高度は倍々に高くなっていく。
第六の天界以下の世界を「欲界」と呼ぶ。欲界は、神々の世界であってもいまだ欲望からは自由ではない、迷いの世界であるとされている。
第五の天界は楽多い世界で、「楽変化天(らくへんげてん)」または「化楽天(けらくてん)」と呼ぶ。互いに微笑し合うだけで新しい神々が生まれる世界。
第六の天界は「他化自在天(たけじざいてん)」で、単に「第六天」と呼ばれることもある。
ここには欲界を支配する魔王が住んでいると言う。
魔王の名前は天界の名前と同じ「他化自在天」または「第六天魔王」と呼ばれる。
魔王は欲界の衆生が生み出す様々な欲望や快楽を、自分のものとして自在に楽しむことが出来るとされる。(私はドラえもん世代なので、こういう話を聞くと「おすそわけガム標準装備?」とか、ついついアホなことを考えてしまう)
衆生が快楽に囚われていれば、魔王はそれだけ自分が楽しむことが出来る。だから欲界からの脱却を説く仏道修行を敵視して、様々な妨害を行うという。お釈迦様の悟りを開く直前、誘惑を仕掛けて調伏されたとも伝えられる。
未来仏・弥勒菩薩の修行する兜率天より上空に魔王の住む天界があり、それが欲界の頂点であるという構図は、ちょっと想像力をかきたてられる。
他自在天については第六天魔王でも触れているので、参照してみてほしい。
他自在天は密教図像では両手に弓と矢を持った姿で表現される。
仏教での「弓と矢」は、「欲望」を視覚化したものとしてイメージされることが多い。このあたりは西洋のキューピットとも似ている。
第六天のさらに上空にも、まだまだ天界は続くが、ここからは仏道修行を積んだ禅定者の世界になる。設定が「物語」の世界から徐々に哲学的なものに変わっていくため、図像で表現するのが難しくなってくる。
目一杯背伸びして神々の世界にまで足を踏み入れてみたものの、そろそろ私の想像力のキャパシティを超える範囲になってきた。
しばらくお付き合いいただいた、このカテゴリの「須弥山宇宙ツアー」だが、ここで一旦日程を終了。
いずれまた、続きをカタルことが出来る日まで……
第六の天界以下の世界を「欲界」と呼ぶ。欲界は、神々の世界であってもいまだ欲望からは自由ではない、迷いの世界であるとされている。
第五の天界は楽多い世界で、「楽変化天(らくへんげてん)」または「化楽天(けらくてん)」と呼ぶ。互いに微笑し合うだけで新しい神々が生まれる世界。
第六の天界は「他化自在天(たけじざいてん)」で、単に「第六天」と呼ばれることもある。
ここには欲界を支配する魔王が住んでいると言う。
魔王の名前は天界の名前と同じ「他化自在天」または「第六天魔王」と呼ばれる。
魔王は欲界の衆生が生み出す様々な欲望や快楽を、自分のものとして自在に楽しむことが出来るとされる。(私はドラえもん世代なので、こういう話を聞くと「おすそわけガム標準装備?」とか、ついついアホなことを考えてしまう)
衆生が快楽に囚われていれば、魔王はそれだけ自分が楽しむことが出来る。だから欲界からの脱却を説く仏道修行を敵視して、様々な妨害を行うという。お釈迦様の悟りを開く直前、誘惑を仕掛けて調伏されたとも伝えられる。
未来仏・弥勒菩薩の修行する兜率天より上空に魔王の住む天界があり、それが欲界の頂点であるという構図は、ちょっと想像力をかきたてられる。
他自在天については第六天魔王でも触れているので、参照してみてほしい。
他自在天は密教図像では両手に弓と矢を持った姿で表現される。
仏教での「弓と矢」は、「欲望」を視覚化したものとしてイメージされることが多い。このあたりは西洋のキューピットとも似ている。
第六天のさらに上空にも、まだまだ天界は続くが、ここからは仏道修行を積んだ禅定者の世界になる。設定が「物語」の世界から徐々に哲学的なものに変わっていくため、図像で表現するのが難しくなってくる。
目一杯背伸びして神々の世界にまで足を踏み入れてみたものの、そろそろ私の想像力のキャパシティを超える範囲になってきた。
しばらくお付き合いいただいた、このカテゴリの「須弥山宇宙ツアー」だが、ここで一旦日程を終了。
いずれまた、続きをカタルことが出来る日まで……
2008年06月29日
三千世界
仏教の考え方に「三千大千世界」という言葉がある。略して「三千世界」と呼ばれることが多い。
これまでカテゴリ須弥山で紹介してきたのが、仏教の須弥山宇宙観で言うところの「一世界」の単位だ。
このような須弥山宇宙が千個集まったのが「小千世界」
小千世界が千個集まったのが「中千世界」
中千世界が千個集まったのが「大千世界」
つまり「三千世界」は「三千の世界」ではなく千の三乗を意味しているので、「十億の世界」ということになる。
華厳経などに表現された蓮華蔵の考え方も、こうした宇宙観もとにしている。
東大寺の大仏様は「盧舎那仏」と言う華厳経の仏様なのだが、そのひざもとの蓮弁には蓮華蔵世界の図像が刻まれている。
最下段にはいくつもの須弥山世界が並んでおり、その上空にはよく見ると三層に分かれた天界が見える。
更に上空には盧舎那仏が夢見るように座っている。
これが三千世界の有様。
これまでカテゴリ須弥山で紹介してきたのが、仏教の須弥山宇宙観で言うところの「一世界」の単位だ。
このような須弥山宇宙が千個集まったのが「小千世界」
小千世界が千個集まったのが「中千世界」
中千世界が千個集まったのが「大千世界」
つまり「三千世界」は「三千の世界」ではなく千の三乗を意味しているので、「十億の世界」ということになる。
華厳経などに表現された蓮華蔵の考え方も、こうした宇宙観もとにしている。
東大寺の大仏様は「盧舎那仏」と言う華厳経の仏様なのだが、そのひざもとの蓮弁には蓮華蔵世界の図像が刻まれている。
最下段にはいくつもの須弥山世界が並んでおり、その上空にはよく見ると三層に分かれた天界が見える。
更に上空には盧舎那仏が夢見るように座っている。
これが三千世界の有様。
2009年07月23日
天の乗物 太陽と月
仏教の宇宙観では、太陽と月は「天宮」という乗物として説明されている。その軌道や位置関係は九山八海で紹介したことがある。
大きさはそれぞれ太陽が51由旬、月が50由旬。1由旬を約7kmと想定すると、大体350kmぐらいの大きさを持つことになる。この数値を元にすると、人間の住む南贍部洲という大陸よりはるかに小さく、太陽と月がほぼ同じ大きさに設定されていることが分かる。空を見上げた時の主観的な「見かけ上の大きさ」を、そのまま表現した数値だからだろう。
大地は平らであり、太陽と月はほぼ同じ大きさであるという設定は、現代から見ると間違っているのは明らかなのだが、よく自然を観察した体感としてはごく自然で「正しい」説明だ。
太陽と月の天宮、その下半分の外周部分は、それぞれ火珠と水珠の輪になっているとされ、太陽は熱し、月は冷やす働きを持つと説明されている。
正直、分かったような分からないような説明なのだが、仮に図示すると以下のようになるかもしれない。(自信無し!)
日蝕や月蝕が起こる原因は、海に住む阿修羅の仕業として説明されている。
大きさはそれぞれ太陽が51由旬、月が50由旬。1由旬を約7kmと想定すると、大体350kmぐらいの大きさを持つことになる。この数値を元にすると、人間の住む南贍部洲という大陸よりはるかに小さく、太陽と月がほぼ同じ大きさに設定されていることが分かる。空を見上げた時の主観的な「見かけ上の大きさ」を、そのまま表現した数値だからだろう。
大地は平らであり、太陽と月はほぼ同じ大きさであるという設定は、現代から見ると間違っているのは明らかなのだが、よく自然を観察した体感としてはごく自然で「正しい」説明だ。
太陽と月の天宮、その下半分の外周部分は、それぞれ火珠と水珠の輪になっているとされ、太陽は熱し、月は冷やす働きを持つと説明されている。
正直、分かったような分からないような説明なのだが、仮に図示すると以下のようになるかもしれない。(自信無し!)
日蝕や月蝕が起こる原因は、海に住む阿修羅の仕業として説明されている。
2015年06月23日
蓮華蔵世界
アジサイの季節だ。
ブログを開設してもう十年近くになるが、極初期の頃からこの梅雨の花には注目し、毎年記事にしてきた。
小さな花が集まって一つの大きな花になり、湿度の高い空気の中で色を様々に変化させながら、濃い緑に繁る葉を背景に、木漏れ日の中無数に咲き乱れる。
そんな様がたまらなく好きで、時間があれば目星をつけたアジサイスポットを散策してしまう。
アジサイ、とくにガクアジサイが咲き乱れるのを見ていつも思い出すのが、「蓮華蔵世界」という言葉だ。
奈良東大寺の大仏様は、この蓮華蔵の世界観をベースに制作されている。
大仏様の座る蓮華座の花弁の一枚一枚には蓮華蔵世界の模式図が刻まれていて、この図は数ある日本の仏像仏画の中でも、私がとくに好きなものの一つだ。
以前に一度、このカテゴリ須弥山でも三千世界という記事でこの図を参考にしたスケッチを描いたことがある。
そして、もうお亡くなりになった仏師の西村公朝が、著書の中で蓮華蔵世界について解説し、素晴らしい図も描かれている。
●「やさしい仏像の見方」西村公朝 (とんぼの本)
私が好きなアジサイと、東大寺大仏様の蓮弁図、そして西村公朝さんの図解を参考にしながら、私なりの蓮華蔵世界スケッチを描いてみた。
このカテゴリでこれまで紹介してきた須弥山宇宙観を更に補完するものである。
宇宙に広がる虚空輪、その上には風輪が広がり、水輪が浮かぶ。
水輪の表面には金輪の膜があり、さらにその表層には海がある。
海からは大蓮華の花が伸び、大蓮華の上にはまた海がある。
大蓮華の海からは無数の小蓮華が伸びている。
それぞれの小蓮華の上にはまた海があり、その海の中心にはそれぞれの須弥山がそびえる。
無数の須弥山の上空にはそれぞれの天界が重なり、さらにそのはるか上空には盧舎那仏の世界がある。
最上層を強調すると奈良の大仏様になり、下層部分を拡大すると今回のスケッチになる。
ブログを開設してもう十年近くになるが、極初期の頃からこの梅雨の花には注目し、毎年記事にしてきた。
小さな花が集まって一つの大きな花になり、湿度の高い空気の中で色を様々に変化させながら、濃い緑に繁る葉を背景に、木漏れ日の中無数に咲き乱れる。
そんな様がたまらなく好きで、時間があれば目星をつけたアジサイスポットを散策してしまう。
アジサイ、とくにガクアジサイが咲き乱れるのを見ていつも思い出すのが、「蓮華蔵世界」という言葉だ。
奈良東大寺の大仏様は、この蓮華蔵の世界観をベースに制作されている。
大仏様の座る蓮華座の花弁の一枚一枚には蓮華蔵世界の模式図が刻まれていて、この図は数ある日本の仏像仏画の中でも、私がとくに好きなものの一つだ。
以前に一度、このカテゴリ須弥山でも三千世界という記事でこの図を参考にしたスケッチを描いたことがある。
そして、もうお亡くなりになった仏師の西村公朝が、著書の中で蓮華蔵世界について解説し、素晴らしい図も描かれている。
●「やさしい仏像の見方」西村公朝 (とんぼの本)
私が好きなアジサイと、東大寺大仏様の蓮弁図、そして西村公朝さんの図解を参考にしながら、私なりの蓮華蔵世界スケッチを描いてみた。
このカテゴリでこれまで紹介してきた須弥山宇宙観を更に補完するものである。
宇宙に広がる虚空輪、その上には風輪が広がり、水輪が浮かぶ。
水輪の表面には金輪の膜があり、さらにその表層には海がある。
海からは大蓮華の花が伸び、大蓮華の上にはまた海がある。
大蓮華の海からは無数の小蓮華が伸びている。
それぞれの小蓮華の上にはまた海があり、その海の中心にはそれぞれの須弥山がそびえる。
無数の須弥山の上空にはそれぞれの天界が重なり、さらにそのはるか上空には盧舎那仏の世界がある。
最上層を強調すると奈良の大仏様になり、下層部分を拡大すると今回のスケッチになる。