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2008年09月27日

竹内街道2

 二上山頂の雄岳・雌岳に至る途中に「岩屋」と呼ばれる古跡がある。寺伝不詳の石窟寺院跡で、一説によれば、中将姫がここで当麻曼荼羅を制作したと伝えられているらしい。
 一応仏教遺構とされているけれども、もしかしたらもっと古くから祭祀が行われていた場所なのかもしれない。

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2008年09月28日

竹内街道3

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(↑画像をクリックすると大きくなります)


 大和の西方、日没の方角の秀麗な山。
 寄り添うようにそびえる雄岳と雌岳。
 大和に背を向けるように二上山頂に葬られた大津皇子。
 麓に鎮座する当麻寺の、中将姫にまつわる物語。
 大和から西へ竹内街道を抜けると、多数の墳墓が築かれていること。

 二上山にまつわる様々なイメージの断片は、近代以降も怪しの物語を生み続けてきた。折口信夫「死者の書」がその代表であるし、現代作家の作品では五木寛之「風の王国」がある。これらの作品は、先行する物語を巧みに取り入れながら、二上山周辺の里山に異様なリアリティを持つ物語を覆い被せていく。
 物語を読んでから山野を巡ると、どうしてもそのようなことがあったとしか、思えなくなってくるのだ。

 とくに秋のお彼岸の季節、葛城の里にヒガンバナが咲き乱れる今頃は、普段は地下に埋もれている古い物語が、朱の花の形をとって噴き出してくるような雰囲気がある。
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2008年09月29日

五木寛之「風の王国」

 二上山へ向かう道行きの間、十数年ぶりで五木寛之「風の王国」を読んでいた。ここ数年、書店の新潮文庫の棚から五木寛之の黒い背表紙が姿を消していたように思うのだが、しばらく前にぽつんと「風の王国」だけ復活しているのを見かけて購入していた。
 この作品はアメーバブックスから、ケータイ小説風に横書きの本にもなったらしい。多少加筆されているそうなので興味はあるのだが、小説を横書きで読むのにはちょっと馴染めない。どうやら私も時代に取り残されつつあるようだ(苦笑)



 子供の頃から「歩く」ことが好きだった。特に山登りが楽しかった。山に登って景色を見たり、お弁当を食べたりするのはもちろんのこと、息を切らせながら自然の中を歩いている感覚そのものが好きだった。
 それからずっと、歩いてきた。登山や歩行について、とくに指導を受けたことはなかったが、自分なりに「歩く」経験を積んできた。
 車にもバイクにもあまり興味はなかった。自転車にはやや関心があり、高校生の頃にはまだ流行る前のマウンテンバイクを乗り回していたが、結局「歩き」に戻った。
 長い間、自分が好きな「歩き」が、果たして他と共有されうる趣味嗜好なのかどうか、分からなかった。本格的な登山とも違うし、いわゆるアウトドアとも少し違う。

 ただ、歩く。
 できれば自然の中がいい。
 自然の中を歩く過程で、必要があればアウトドアもやるが、それも必要最小限の装備がいい。野宿が可能ならそれでいい。

 歩きたい自然豊かな道を探しているうちに、熊野を歩くようになった。熊野をあるくようになって、自分のやりたいことは「遊行」「遍路」なんだなと、ようやく気がついた。そんな風に自分の嗜好に名がついた頃、五木寛之の「風の王国」を読んだ。
 ただ「歩く」というたった一つの行為を軸に、古代・中世・近代・現代がつなぎ合わされ、「歩く」ということが思想にまで高められる不思議な物語。貪るように読み耽った。

 十数年たって読み返してみると、私自身の身体にたっぷり「歩き」が蓄積されてきた分だけ、はるかに物語を楽しむことが出来た。まだ作中の登場人物のように翔ぶように山野をノルことは出来ないが、以前より多少は歩けるようになった。体力になるべく頼らない「歩き」の技術を少しは身につけてきた。
 今の私は、自分が「歩き」を好む理由をいくらか言葉にすることができる。
 歩きによる「遊行」や「遍路」は「離れる」ことだ。
 車や電車などの乗り物に乗ると、「繋がり」ができやすい。端的に言えばナンバープレートや運行ダイヤ、監視カメラ等によって、自分の行動が常に他者に捕捉されやすい状態になる。
 別にことさら隠密行動をとりたい理由がある訳ではないのだが、そうした「行動の捕捉」に端的に表れるような、様々な「繋がり」からふっつり離れて、ただ一人で足の向くままに流れてみたいという衝動があるのだ。
 この小説は、誰の心にもふと兆す瞬間があるはずのそうした衝動に、魅惑的な筋立てを与えてくれる、一幕の甘美な夢だ。

 ネットやケータイで常に誰かと繋がっていることが常態となった今日この頃、このような小説が再発されていることは興味深い。
posted by 九郎 at 22:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 葛城 | 更新情報をチェックする

2009年06月06日

葛城の中世神話

 中世に創作された神仏習合の書の中に「大和葛城宝山記」という一書がある。
 冒頭に「行基菩薩撰」と表記されているが、実際には鎌倉時代後期に創作されたものであるらしい。
 ごく短い文書だが、大和葛城山周辺を舞台に、壮大な宇宙の開闢神話が展開されており、当時の宗教者達には重視されたようだ。
 中世の神仏習合の書らしく、インド神話の神々や仏教尊、日本神話の神々が複雑に読み替えられて登場し、葛城山脈の峰々が神話の舞台として紹介されている。日本の古都のほど近くに、世界の神々や宇宙と繋がる神話が伝えられていることになり、非常に面白い。
 特殊な文書だが、岩波書店「日本思想体系」に収録されているので、原典にあたるのにさほど苦労は無い。

 葛城は役行者の出身地であり、修験道の中心地だ。
 仏教・神道・儒教など、宗派の判然とした状態を見慣れた現代人の眼で見れば、修験道は正体不明の「ごちゃまぜ」宗教の代表のように受け止められやすい。しかし日本の宗教史上では、そうした「ごちゃまぜ」の神仏習合時代の方が遥かに長かった。そうでなかった時代の方が珍しい。
 とくに神道については、明治期にかなり人為的に「記紀神話」の内容にまで復古させた経緯があり、現在の「神道」の在り方が古来からずっと継続しているわけではない。
 葛城の信仰の歴史的厚みを理解するには、こうした中世神話をおさえておくことも必要だろう。



●「中世神話」山本ひろ子(岩波新書)
 中世神話一般を扱った入門書だが、「大和葛城宝山記」についても各所で触れて詳細な解説を施してある。「宝山記」はごく短い文書なので、中心的な内容についてはほぼ全て語られていると言って良い。その他の文書と関連付けられているので、中世神話の持つ世界観特有の傾向を掴め、理解しやすくなる。

●「神仏習合の本」(学研Books Esoterica45)
 以前にも一度、紹介したことがある一冊だが、「大和葛城宝山記」についても何箇所かで言及がある。
 図版が非常に豊富なので、当時の人々が中世神話についてどのようなビジュアルイメージを持っていたのか、よくわかる。

●「日本思想大系19 中世神道論」(岩波書店)
 今回紹介した「大和葛城宝山記」本文を読みたい場合はこの一冊。
 このシリーズは日本宗教の原典資料を探す場合、非常に重宝する。図書館に所蔵されていることが多く、古書店で探せばたまに安く見つかるので要チェック。
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2009年06月26日

大和葛城宝山記

 中世に創作された神仏習合の書「大和葛城宝山記」には、日本神話とインド神話や仏教の宇宙観を折衷させた、独自の創世神話が描かれている。

【大和葛城宝山記の創世神話】
 まず冒頭で宇宙の原初の状態について、十方から「風」が吹き寄せ、相触れた状態で「大水」が保たれており、その水気が変じて天地となったと説かれている。
 これはインド由来の須弥山世界の考え方における宇宙の下層構造、「風輪」と「水輪」を思わせる。
 
 次にその水上に「神聖(かみ)」が化生し、その神は千の頭に二千の手足を持ち、「常住慈悲神王」と名付ける「違細」であると説く。
 「違細」とはインド神話のビシュヌ神のことである。

 そしてその神の臍から強い光を放つ千葉金色の妙法蓮花が生じ、花の中に結跏趺坐した姿で光輝く人神「梵天王」が存在したと説く。
 「梵天」はインド神話のブラフマー神で、ビシュヌの臍から創造神ブラフマーが生まれる構成は、そのままインド神話から引用しているようだ。
 

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 冒頭と別の箇所では、常住慈悲神王は大梵天宮に居り、百億の日月と百億の梵天を作った三千大千世界の本主であると説かれている。
 大きな世界の中に無数の小さな世界、百億の日月と梵天が存在するという宇宙観は、蓮華蔵の発想と近似している。
posted by 九郎 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛城 | 更新情報をチェックする