原初の水気に生じた常住慈悲神王ビシュヌ、その臍から生じた梵天王ブラフマー。
大和葛城宝山記の創世神話では、続いて梵天王の心から八子の天神が生まれ、その神々が天地人民を作ったと説く。
梵天王が心から生んだ神々は、天御中主(アメノミナカヌシ)や高皇産霊(タカミムスビ)、イザナギ・イザナミやオオヒルメ(アマテラス)等の、日本神話でお馴染みの神々であると設定されている。
インド由来の神々と記紀神話の神々を、一応矛盾無く整合させた本地垂迹の設定だ。
中でもイザナギ・イザナミは「第六天宮の主、大自在天王に坐します」とされ、須弥山宇宙における欲界の支配者・第六天魔王と習合されており、非常に興味深い。
第六天宮のイザナギ・イザナミはあるとき、さらに上位の神のみことのりにより、アメノヌボコの呪力で日本の国土や日神・月神を作ったと説かれており、別の箇所ではそのアメノヌボコは「金剛ノ杵」であるとする。
「金剛ノ杵」とは密教法具の「金剛杵(こんごうしょ)」、中でも先端が単独の「独鈷杵(とっこしょ)」のことだろう。明王部の密教図像では先端が三本や五本のものが多く使用される。独鈷杵は帝釈天や役行者像によく見られる。
「宝山記」ではこの独鈷杵が極めて神聖視され、天地開闢のアシカビであり、国土創世のアメノヌボコであり、国の心柱であり、天地人民・東西南北・日月星辰・山川草木の本体であると説く。
また独鈷杵は形を変じて栗柄(くりから)と化すとされる。
「栗柄」は不動明王の持つ剣に絡み付く倶利迦羅竜王のことで、「宝山記」の記述によれば、明王・八大龍王に姿を変え、十二神将を心柱の守護とさせ、龍神・八咫烏等の荒ぶる神を使役すると説いている。
独鈷杵や龍神・八咫烏が重要な役割で登場するあたり、いかにも役行者の本拠地を舞台とする神話にふさわしい感じがする。
2009年06月27日
2009年07月25日
「風の王国」から続く道
人生の中で、これまでも、そしてこれからも何度となく読み返すであろう、大切な物語がいくつかある。私にとっての五木寛之「風の王国」は、そうした物語の中の一つだ。
表の歴史として豊富な文字記録が残っている世界、平地に定住し、農耕を営む「常民」の世界と並行し、かつて存在したもう一つの世界。
定まった住居を持たず、農耕に関わらず、山・川・海を経巡って暮らす「化外の民」の世界。
葛城二上山を本拠とし、作中で活躍する山民をルーツに持つ人々の姿は、著者の綿密な考証により、まるで実在する集団のように生き生きと描かれている。
素晴らしい物語を読み終えると、その甘美な余韻の中で、「この物語は本当にこれで終ってしまったのだろうか?」とか「続きはもう無いのだろうか?」と、無いものねだりをしたくなる。
無いものねだりは程々に、そうした「楽しくて、やがて寂しき」感覚こそ、大切に味わうのが良い。それはもうそこそこの年齢になった今なら理解できるのだが、はじめて「風の王国」を読んだ時にはまだそのような諦念に至っていなかった。
同じ作者の「戒厳令の夜」を読んだり、その他の著者の「サンカ」をテーマにした本を読んでみたりしたが、直接「風の王国」に続くものは見出せなかった。
小説ではなかったが、五木寛之の仏教をテーマにした一連の著書は気に入ったので「日本幻論」「蓮如―聖俗具有の人間像」「日本人のこころ1〜6」と、折に触れて読み進めるうちに、「風の王国」の後日譚と言える記述に出会った。
中国地方に実在する山の民に連なる人々が、フィクションとして描かれた「風の王国」を読み、熱烈な読者になり、五木寛之自身がそうした人たちに直接会って対話することになる物語。
虚構と現実が交錯して新しい歴史が生み出されていく過程を、ドキドキしながら私は読み耽った。
●「サンカの民と被差別の世界」五木寛之(講談社 五木寛之こころの新書)
そしてその仲介の役割を果たした沖浦和光との対談も刊行される。
●「辺界の輝き」五木寛之/沖浦和光(講談社 五木寛之こころの新書)
葛城二上山から当麻寺、金剛山。紀ノ川を通過して瀬戸内、中国地方へと、漂白に生きた人々の文字に残されなかった歴史が、対談と言う「語り」の中で描き出されていく。
小説「風の王国」から続く道は、本という文字の世界の枠を超える。それぞれの土地に足を運び、今回紹介した本を道しるべに歩き回ることで、それぞれの心の中に補完されるのかもしれない。
表の歴史として豊富な文字記録が残っている世界、平地に定住し、農耕を営む「常民」の世界と並行し、かつて存在したもう一つの世界。
定まった住居を持たず、農耕に関わらず、山・川・海を経巡って暮らす「化外の民」の世界。
葛城二上山を本拠とし、作中で活躍する山民をルーツに持つ人々の姿は、著者の綿密な考証により、まるで実在する集団のように生き生きと描かれている。
素晴らしい物語を読み終えると、その甘美な余韻の中で、「この物語は本当にこれで終ってしまったのだろうか?」とか「続きはもう無いのだろうか?」と、無いものねだりをしたくなる。
無いものねだりは程々に、そうした「楽しくて、やがて寂しき」感覚こそ、大切に味わうのが良い。それはもうそこそこの年齢になった今なら理解できるのだが、はじめて「風の王国」を読んだ時にはまだそのような諦念に至っていなかった。
同じ作者の「戒厳令の夜」を読んだり、その他の著者の「サンカ」をテーマにした本を読んでみたりしたが、直接「風の王国」に続くものは見出せなかった。
小説ではなかったが、五木寛之の仏教をテーマにした一連の著書は気に入ったので「日本幻論」「蓮如―聖俗具有の人間像」「日本人のこころ1〜6」と、折に触れて読み進めるうちに、「風の王国」の後日譚と言える記述に出会った。
中国地方に実在する山の民に連なる人々が、フィクションとして描かれた「風の王国」を読み、熱烈な読者になり、五木寛之自身がそうした人たちに直接会って対話することになる物語。
虚構と現実が交錯して新しい歴史が生み出されていく過程を、ドキドキしながら私は読み耽った。
●「サンカの民と被差別の世界」五木寛之(講談社 五木寛之こころの新書)
そしてその仲介の役割を果たした沖浦和光との対談も刊行される。
●「辺界の輝き」五木寛之/沖浦和光(講談社 五木寛之こころの新書)
葛城二上山から当麻寺、金剛山。紀ノ川を通過して瀬戸内、中国地方へと、漂白に生きた人々の文字に残されなかった歴史が、対談と言う「語り」の中で描き出されていく。
小説「風の王国」から続く道は、本という文字の世界の枠を超える。それぞれの土地に足を運び、今回紹介した本を道しるべに歩き回ることで、それぞれの心の中に補完されるのかもしれない。
2009年08月09日
光と闇の葛城
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葛城・金剛山周辺を舞台とした中世神話「大和葛城宝山記」には、それぞれの峰に鎮座する神名や、その由来が詳しく記述されている。
国の始まりのとき、イザナギ・イザナミが金剛杵をもって降り立ったのがヤマトの地であり、今は葛城山脈の主峰である金剛山に鎮まっている。
葛城山に静まるのは孔雀王、またの名を一言主ノ神、飛行夜叉。
他にも二上山に鎮座する神名や、役行者との関わりも記述されている。
大和葛城山脈は、総じて西側が緩やかで東側が急峻な地形になっている。だから東の山麓にある葛城の里では、そそり立つ山影のせいで、太陽が傾き始める午後の早い時間帯には、すぐに闇が深くなってくる。
とくに二上山麓にある当麻寺の地は、夕日の沈む様が劇的で、西方極楽浄土を描いた当麻曼荼羅や、阿弥陀来迎図のイメージと結びついて信仰を集めた。
二上山を西へ越える竹内街道を抜けると、そこには古市古墳群があって、まさにこの山は生と死の境と受け止められてきた。
ところがこの竹内街道を反対側から(西から東へ)辿ってみると、尾根付近までなだらかで明るい風景が続くことになる。(竹内街道、竹内街道2、竹内街道3参照)
実際の日照条件では、東の「生」の領域は暗く、西の「死」の領域は明るいことになってくるのだ。
二上山から金剛山にかけて続く葛城古道は、秋にはヒガンバナが咲き乱れる怪しの道と化し、吉野川の流れる五條市あたりまでその雰囲気は続く。
五條市から南へは、遥か熊野へとむかう十津川街道。
役行者の聖地である吉野からの川の流れは、徐々に幅を広げて紀ノ川となり、和泉葛城山脈の麓を並行して続く。
大和から紀淡海峡・友ヶ島まで、100kmを優に超える逆L字を描く葛城山脈。それぞれの峰には役行者ゆかりの「葛城二十八宿」を祀る経塚がある。
金剛山の西山麓には楠正成ゆかりの千早城址があり、和泉葛城山脈の西端あたりでは雑賀孫市(鈴木孫一)が活躍した。
役行者
楠正成
雑賀孫市
葛城山脈周辺で名を成した三人は、「神出鬼没の反逆者」という点で共通したイメージがありそうだ。
紀見峠を越え、紀ノ川を渡った対岸には高野山への参道。
さらに下流へ進んだ山麓には粉河寺、根来寺。
現在の和歌山市内で大阪から続く熊野古道と交差し、加太・友ヶ島まで街道は続く。
和歌浦、雑賀崎では古来、ハナガフルという現象が目撃されてきた。
夕日が真西に沈むお彼岸の頃、太陽の方から様々な色の光の玉が降って来るという不思議な現象は、地元の人々に「西方浄土」のイメージと重ねられてきた。
闇の深い大和二上山から光まぶしい和歌浦まで、山々の峰や川の流れは神仏と人を結びつけ、海で新しい旅に出る。
それぞれの土地で物語は生まれ続ける。