学生時代の1991年、所属していた文芸系サークルの夏合宿で、奈良県十津川村を訪れた。
当時のメモ書きを元に再現してみよう。
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【霊山へ行こう】
僕が最初に「熊野」と呼ばれる地域を訪れたのは、ある作家の著書でT山のことを知ったことがきっかけだった。
その本を読んでから、どうしてもそこに行きたくて、いても立ってもいられなくなった。
自分はそこに行かねばならない、どうしても行く。
そんな風に訳もなく気分が定まってしまった。
当時はまだ、T山がどこに存在するのか知らなかった。
なにしろ「熊野」という言葉すら知らなかった時期のことである。
どうやら奈良県吉野のもっとずっと奥にあるらしいということはわかっていたのだが、具体的にどんな交通機関でどんな経路をたどればよいのか、何一つわからなかった。
90年代初頭は、まだネットが存在しなかった。
知りたいことは何でも手間をかけて自力で調べなければならない時代だった。
ちょうど季節は夏、大学で所属していたサークルの夏合宿の時期でもあった。
僕はT山の存在する奈良県南部、十津川村にある温泉地に、三回生の発言力を行使して、なかば強引に合宿地を決めてしまった。
当時、とくに有名だった観光地がある訳でもない、地味な山村である。
他の合宿参加者は「まあ、おまえがそこまで行きたいなら」ということでなんとか同意してくれたが、もしかしたら単に呆れていたのかもしれない。
T山は知る人ぞ知る霊山である。
名前を伏せているのは、その山のことを著書に書いた作家に倣っているが、そんなに特殊な秘密の場所というわけでもない。
奥吉野であり、十津川村の鎮守であり、熊野の奥の院でもあるという情報があれば、けっこう簡単に調べはつく。
本当に行きたい人、縁のある人だけが行けば良い。
そういう山なのだ。
紀伊半島の真ん中あたりには、鉄道が通じていない。
奈良の五條から和歌山の新宮にかけて、国道168号線が細く通じており、そこを走るバスが唯一の公共交通機関になる。
T山に到達するためには、五條側からも新宮側からも数時間バスに揺られる必要があり、そこからさらに片道三時間の登山をしなければならない。
近年は一応山頂近くまで車道が通じ、タクシーで乗り付けることも可能になったが、それでも都市部からのアクセスがきわめて困難であることに変わりはない。
熊野は今でも、辿り着くだけで多大な時間とエネルギーを必要とする、日本有数の「奥地」なのだ。
【秘密の任務】
十津川合宿を強硬に主張してみたものの、僕の主要な目的地であるT山のことについては、表だって話していなかった。
ことさらに秘密にする意図はなかったのだが、「霊山に登ってみたいから」という動機はサークルの合宿地決定理由としてはやや不適当と思えた。
だから表向きは「温泉地であり、歴史的にも古いところだからけっこう見所はある」ということにしておいた。
それも、決して嘘偽りではなかった。
経路としては、JRで大阪〜天王寺〜王子〜五條、奈良交通のバスで五條〜十津川村と辿ることにした。
関西方面からはこの経路が一番安上がり、かつ早かったのだが、何しろ日本有数の奥地のことであるから、それでも6時間くらいはかかる。
この五條から熊野本宮へと十津川沿いに南下するルートは、古くは熊野古道十津川路という街道で、都から熊野に向かうための主要なルートの一つだった。
●合宿1日目(1991年7月23日)
大阪で集合し、奈良県の五條へ。
山に囲まれた広々とした盆地景観の中、勇躍バスに乗りこむ。
ほどなく吉野川周辺の市街地を抜け、山合いへとバスは分け入る。
すぐに山は深く高くなり、人家も消える。
尾根近い舗装道路をバスは進み、やがて曲がりくねった川沿いの道に入る。
ゆっくり徐行で走り続けるバスに、座席にもたれる体もゆっくり左右にシェイクされ続ける。
車に弱い人はほぼ確実に酔うだろう。
まるでTVアニメ「まんが日本昔ばなし」の背景のような山々の連なりは素晴らしく、一見の価値があるのだが、体質的に無理な人はさっさと寝てしまった方が無難だろう。
合宿メンバーの何人かも、早々にダウンしていた。
走り続けること1時間40分、目指すバス停までの3分の2ほどを過ぎたところで、「谷瀬の吊橋」に到着する。
休憩地点なのでしばらく停車し、「日本一長い吊橋」を体験することができる。
すでに十津川沿いの経路になってから長く、河川敷の川原は広大になってきている。
熊野の自然の雄大さがむっくり起き上がってきた感じがする。
休憩を終え、さらに1時間ほど走ってようやく十津川村役場前に到着する。
ひそかに目指すT山は、ここからさらにバスで15分ほど先のバス停から登るのだが、すでに午後だったのでとりあえず宿へ向かう。
村役場の周辺は「湯泉地温泉」という鄙びた温泉地でもある。
村役場、温泉、川原のキャンプ場、民俗資料館など、ごくささやかな施設がそろっている。
時間があったので史跡のある近所の山村にも登り、その意外な美しさに感動。
●合宿二日目(7月24日)
いよいよT山を目指す。
「山登りをするけど誰か一緒に行く?」
そう聞くと、一人が同行することになった。
早朝宿を起ち、朝一のバスに乗って「折立」というバス停に降り立つ。
心おどらせながら、ゆるく登り傾斜になった舗装道路を歩きはじめる。
しばらく歩くと、道路わきに小さな滝と祠が見えた。
手水場があり、青銅の竜の口から清水が垂れている。
どうやら滝から引いた水のようだ。
滝の飛沫が辺りの体感温度を下げ、それまで続いていたアスファルト道路の輻射熱を優しく緩めていた。
手で水を受けて口に運ぶと、冷たく清冽な味覚にのどが痺れる。
ここでの水汲みは、以後何度となく繰り返すことになる僕のT山詣での、重要な入峰儀式になった。
さらに進むと道端に「T山旧参道」というサインが出ているが、「旧」の名に相応しく、草が生い茂ってとてもまともに通れそうになく見える。
危険を感じてそのまま舗装道路を登ることにしたのだが、この判断は完全に間違っていた。
旧道はところどころ消えかかりながらも頂上にある神社まで続いていたし、舗装道路はあくまで車用の道で、傾斜は緩やかだが距離がやたらに長かった。
結果的には灼熱地獄のような道を、旧道の倍ほどの時間をかけて登るはめになった。
登りで懲りたため、下りは旧道を通ったのだが、あまりの涼しさに驚いたりした。
どこまで続くのかわからない車道を延々と歩く。
何度も「もう限界か」という疲労を乗り越えながら、それでも着かない山頂を目指して歩き続ける。
見晴らしだけは素晴らしいので、自分の体がどんどん高度を上げ、雲の世界に近づいていく様が刻々とわかる。
たとえば普段都会人が生活している市街では、空の世界は目の前の建物のすぐ上にあるように見える。
知識として空が限りなく高いことを知ってはいても、実感としてその高さを感じることは少ない。
ところが山に入ってみると、自分が汗を流して登った分だけの高さを、体感として知ることができる。
見晴らしの良いところで遠望すると、山や谷や、遠くまでのびる川に囲まれた空間の広さを、実感できる。
何もない空を見上げるだけでは感じられなかった空間の広さを、自然が視覚的に包み込んで表現してくれるのだ。
そして、そこまで登ってもまだ届かない、雲や太陽や月の世界の高さもまた、思い知らされることになる。
「この世は広い」
「それよりも空は高く広い」
「しかし、意外と自分の二本の足も、広く高く移動することができる」
こうした事柄を、映像でも写真でも文字情報でもなく、体で知ることができる。
体で知ったことは、確実に意識も変容させる。
チャンネルの切り替わった意識が、「ここは普通の場所ではない」と考える。
僕の中に中世人のような意識が目覚め、ごく自然に受け止め方がスライドする。
山頂付近の駐車場に着いた。
歓喜のうちに一休み。
大鳥居をくぐり、いよいよ境内へ。
とたんに空気がシンと冷え、澄みきる。
ぞくりと胸から腰にかけて震えが走る。
それまでの植林された杉とは一段も二段もスケールの違う杉の原生林が、参道をとりかこんでいる。
徐々に巨大化していく杉の群れに、自分の体の方がどんどん小さく縮んでいくような錯覚を覚える。
原生林の目に沁みるような濃い緑に、真っ赤な幟の列が強烈な対比を生んでいる。
「〇〇大権現」
真っ赤な登りに純白の文字。
ぞく
ぞく
ぞく……
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以上、メモ書きで再現できるのはここまで。
●合宿後、心象スケッチとして8ページのマンガ「ずれ」を描き、合宿報告冊子に掲載している。
●この夏合宿後、間をおかず8月に再びT山へ参拝。そして学生時代の再長編作品の執筆を開始している。