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2008年07月21日

カテゴリ「あの世」

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 世界各国・各民族に、死後の世界「あの世」に関する伝承がある。
 私の中にもなんとなくではあるが「あの世」のイメージはある。
 昔、日曜夕方に「サザエさん」を見ていると、お盆の季節にはよく波平さんそっくりの「ご先祖様」が登場した。
 白い三角形の布を額に巻いて、磯野家の墓石の背後にぽわんと浮かび上がるあの感じを、不自然と感じず受け入れる感性が、日本人が大体共有している「あの世観」なのだろう。

 このカテゴリでは伝承されてきた「あの世」のあれこれを、絵と文章で語ってみたいと思う。

 とは言え、そこは「神仏与太話」を標榜する当ブログのこと、「死後の世界」の実在・否実在などについて、緻密な考察を加えたりはしない(笑)
 真偽・善悪は棚に上げ、スピリチュアル様ご一行には通り過ぎていただき、ただただ「こういうモノガタリがありますよ」と、紹介するにとどめるのが当ブログの嗜みである。
posted by 九郎 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする

2008年07月24日

中陰和讃

 仏教では六道輪廻の狭間に「中陰(ちゅういん)」または「中有(ちゅうう)」と呼ばれる状態があるとされる。人が亡くなってから49日の法要が済むまでの期間がそれで、その間に六道いずれに生まれ変わるかが決まるという。
 仏教の考え方に、一般に言われるような「生まれ変わり」が含まれるかどうかは、実はけっこう難しい。「ミリンダ王の問い」なんかを少し読んでみると、スピリチュアルの文脈でよく語られ、一般にも受け入れられ易い「肉体が死んでも魂は永遠に生まれ変わる」と言う意味での生まれ変わりは、否定されているようでもある。
 このあたりはまた機会を改めて考えてみたいが、ともかく仏教では一般に7日ずつ7週間、7×7=49日間の「中陰or中有」という、生まれ変わりのための準備期間が想定されている。

 その期間の情景を歌の形で解説しているのが「中陰和讃」で、宗派や地方によってバリエーションはある。私が知るところでは、真言系のものと浄土系のもの、大きく分けて二つの「中陰和讃」があるようだ。
 真言系のものは祈りの対象がお大師様(空海)になっており、浄土系のものは阿弥陀如来になっているが、一応大筋では共通した内容が伝えられている。おそらく真言系のものが先にあって、どこかの時点で浄土系に読み替えられたのだと思うが、理由はおいおい述べていく。 

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「中陰和讃」
帰命頂礼ありがたや
中陰和讃の心得は
三尊弥陀の教えなり
死して冥土へ赴かば
十万億土のその中に
七つの関所ありときく
(続く)


 以上は浄土系「中陰和讃」の冒頭部分だ。真言系のものは「帰命頂礼遍照尊 七七日の和讃とて 弘法大師の御教なり……」と始まる。
posted by 九郎 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

中陰和讃2 初七日

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(「中陰和讃」続き)

初七日まもるは不動なり
くらやみ峠のあてなしと
中陰途切れず称えやり
光明たよりて越えるなり

(二七日に続く)


 以上が浄土系中陰和讃、初七日の部分である。真言系のものも、多少語句に違いはあるが、ほぼ同内容だ。
 初七日は十王説では秦広王の審判、十三仏信仰では不動明王の守護となるので、和讃の内容と一致している。死者は初七日までに「死出の山路」を越えるとされることが多いが、和讃では「くらやみ峠」と表現されている。
 光の差さない真っ暗闇の山路をあてどなく彷徨う死者が、遺された家族が途切れず供えるお灯明によって無事通過する様が描かれている。
 不動明王と言えば、背後に燃え盛る炎を連想するが、ここでは暗闇を打ち払う光明のイメージと重ねられているようで興味深い。
posted by 九郎 at 20:12| Comment(0) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする

2008年07月26日

中陰和讃3 二七日

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(「中陰和讃」続き)

二七日まもるは釈迦如来
火ふり峠をさか落とし
おのおの供えし手向けある
水をたよりに越えるなり

(三七日に続く)


 浄土系中陰和讃、二七日の部分である。真言系のものも内容に大きな異同はない。
 二七日は十王説では初江王の審判、十三仏信仰では釈迦如来の守護となるので、和讃の内容と一致している。
 この部分の「火ふり峠をさか落とし」という言葉は、どういう状況を述べているのか必ずしも明確ではないけれども、雰囲気はよく伝わってくる。
 火の降り注ぐ急峻な道行の助けとなるのは、やはり遺された家族が手向けに供えた水であると説かれている。
 初七日の「火」と二七日の「水」というモチーフは、仏教伝来以前から続く日本人の「聖」のイメージが下敷きになっているのかもしれない。
posted by 九郎 at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

中陰和讃4 三七日

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(「中陰和讃」続き)

三七日まもるは文殊菩薩
うづまき峠はてしなと
中陰途切れず供えある
日の立ちほどで越えるなり

(四七日に続く)


 浄土系中陰和讃、三七日の部分である。真言系のものも内容に大きな異同はないが、「うづまき峠」は「百八坂峠」になっている。
 三七日は十王説では宋帝王の審判、十三仏信仰では文殊菩薩の守護となるので、和讃の内容と一致している。
 この部分の「うづまき峠はてしなと」という言葉も、どういう状況を述べているのか明確ではないが、雰囲気はよく伝わってくる。
 ぐるぐると渦を巻くように彷徨ってしまう峠道で途方に暮れても、中陰の追善供養を途切れさせなければ「日の立ちほどで」抜けられると説いているのだろう。
posted by 九郎 at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | あの世 | 更新情報をチェックする