2008年07月28日

中陰和讃5 四七日

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(「中陰和讃」続き)

四七日まもる普賢菩薩
生津の川が現われて
死してめしたる帷子の
六字の名号で越えるなり

(五七日に続く)


 浄土系中陰和讃、四七日の部分である。真言系のものも内容に大きな異同はないが、「生津の川」は「苦げんの川」になっている。
 四七日は十王説では五官王の審判、十三仏信仰では普賢菩薩の守護となるので、和讃の内容と一致している。
 生津の川は「しょうづのかわ」と読み、漢字は様々に宛てられるが、通常は「三途の川」の異名であるとされている。ところが中陰和讃では次の五七日の段に三途の川が登場するので、ここでは別の川として設定されているようだ。生と死の狭間の世界に川が流れているという言い伝えは世界各国に広く分布しているが、二度川を渡る世界観は珍しいかもしれない。
 この関門を越えるためのアイテムは、死者の身につけた帷子(かたびら)に書かれた「六字の名号」であるとされている。「六字の名号」は通常「南無阿弥陀仏」を指し、このアイテムの設定は真言系のものも同じになっている。
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2008年07月29日

中陰和讃6 五七日

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(「中陰和讃」続き)

五七日まもる地蔵菩薩
なみだを流す三途川
追善菩提の功徳にて
舟に乗りつつ越えるなり

(六七日に続く)


 浄土系中陰和讃、五七日の部分である。真言系のものも細かな語句の相違以外は、内容に大きな異同はない。
 五七日は十王説では閻魔王の審判、十三仏信仰では地蔵菩薩の守護となるので、和讃の内容と一致している。
 ここでは閻魔王=地蔵菩薩と三途の川がセットになっている。一般的な「あの世」のイメージとしては、死者は三途の川を越えた後に閻魔大王の法廷に立ち、照魔鏡で過去の罪を暴かれながら閻魔帳に判決を書き込まれることになる。
 中陰和讃の世界観ではそのような厳しい審判の場面は出てこないが、死出の旅における七つの難所は設定されている。しかしいずれも遺された家族の追善供養や仏菩薩の守護によって乗り越えられることになっている。
 和讃中の「なみだを流す三途川」という表現も、様々に味わうことが出来る。死んで慕わしきもの全てと分かれなければならない涙ともとれるし、目の前に出現した大河に思わず涙する様子とも取れる。
 あるいは、自分の死にともなう諸々の「なみだ」を三途の川に流して、新たに旅立つ様子とも取れる。
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2008年07月30日

中陰和讃7 六七日

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(「中陰和讃」続き)

六七日まもる弥勒菩薩
六道の辻に踏み迷い
自力の心を振り捨てて
他力の一つで超えるなり

(七七日に続く)


 浄土系中陰和讃、六七日の部分である。
 六七日は十王説では変成王の審判、十三仏信仰では弥勒菩薩の守護となるので、和讃の内容と一致している。
 ここは真言系のものと比べて内容に大きな相違がある。真言系では後二行が「朝夕唱うる光明真言の 声を聞きつつ一人で越えるなり」となっている。「光明真言」は大日如来に救いを求める唱え言葉のことだ。
 比較して浄土系の方は極めて鎌倉浄土教的な味わいで、「自力」を否定し「他力」を強調する内容になっている。通常「他力」とは阿弥陀如来の力を指す。
 中陰和讃では「天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄」の六道の分かれ目が、六七日にあると設定されているようだ。弥勒菩薩の見守る中、他力によって六道の迷いの世界を超えていけると説いている。
 この部分、さらりと歌われているが、「六道の辻に迷わず、超える」ということは、地獄・餓鬼・畜生・修羅だけでなく天界や人間界に生まれ変わる道をも振り捨てることを意味する。
 前段の五七日、三途の川において、諸々の執着を「なみだ」とともに流し去り、ここでは六道輪廻の道も「迷い」として振り捨てなければならないらしい。
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2008年07月31日

中陰和讃8 七七日

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(続き)

七七日まもる弥陀如来
仏前供養のその徳で
屋の棟はなれて極楽へ
導きたもうありがたや
造りし煩悩消滅し
南無阿弥陀仏阿弥陀仏

(「中陰和讃」終)


 浄土系中陰和讃、七七日の部分で、この箇所はかなり独自性が強い。
 まず、七七日は十王説では太山王の審判、十三仏信仰では薬師如来の守護になるので、和讃の内容と食い違う。真言系の中陰和讃ではこの部分は「七七日守るは薬師仏〜」で始まり、通説をそのまま採用している。
 通常、十三仏信仰での阿弥陀如来(十王説では最終の五道転輪王)は死後三ヵ年目の守護にあたる。それをわざわざ前倒しして七番目まで持ってきたのは、満中陰の7×7=49日に極楽往生する構図を作るために、守護仏の配置に整合性を持たせたのだろう。私が「真言系の和讃が先にあって、それがどこかの時点で浄土系に読み替えられた」と考える根拠がここにある。
 
 三行目の「屋の棟はなれて極楽へ」という部分は意味が分かりにくいが、真言系中陰和讃の該当部分では「忍土のわが家をはなれて〜」となっているので、「死者が『家』との繋がりから離れて極楽浄土へ往生する」という意味にとって差し支えないだろう。
 この段でも遺された家族による追善供養の徳が強調されつつも、最終的には「家」との繋がりから離れることを説いている。
 この七七日にはこれまでの関門のような難所のイメージは描かれていないが、もしかしたらこの「家との繋がりから離れる」ということ自体が、極楽往生のための最後にして最大の難関なのかもしれない。

 真言系の和讃でも最終的に極楽浄土へ引導されるのは同じだが、死者の手を引いて導いてくれるのは「お大師様の姿をした仏」であると設定されている。

 こうして死者は49日の期間を経て、中陰(あるいは中有)という状態を通過していくのだ。
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2008年08月02日

あの世の風景

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 ここまで「中陰和讃」を元に、人が死んでから49日までの道行きを辿ってきた。
 神仏絵描きとしては「あの世」というのはとても惹かれるテーマだ。 「あの世の風景」を視覚化するにあたっては、私は前から「キュビズムのような抽象絵画風に描ければ良いな」と思っていた。
 子供の頃、図書館でピカソ等の抽象絵画の図版を見たときに「地獄絵みたいだ」と感じた。私は子供の頃から仏画や仏像に興味があって、色々と図版を眺めていたのだが、そんな中で見た絵巻物の中の地獄風景と、荒々しい抽象絵画の画面の雰囲気がよく似ていると思ったのだ。(後にピカソの「ゲルニカ」については、「地獄絵」と感じた直感はほぼ正解だったと知る)
 今回のカテゴリ「あの世」で描いてきた風景は、抽象画そのものではなく、あくまで抽象絵画「風」の絵柄なのだが、年来の望みをようやく一つの形に出来て楽しかった。



 今回の作風の参考にしたのは、もう何年も前のNHK教育TV「趣味悠々」シリーズの、「谷川晃一の自由デッサン塾」という講座の内容だ。鉛筆と消しゴム、クレパスや水彩絵具といった馴染み深い画材から、木炭やアクリル絵具まで拡張しつつ、誰にでも親しめる形で抽象表現の扉を開いてくれる素晴らしい講座だった。



 同番組では、むかし西村公朝先生の仏像彫刻講座もあった。私の重要な技法供給源である(笑)
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