和歌浦の神話的な風景に心惹かれ、当地の戦国ヒーロー・雑賀孫一について考え、孫一率いる雑賀衆と織田信長との死闘・石山合戦について語り続けるうちに、どうしても避けて通れない人物として蓮如に行き当たった。
現在に至る日本史の流れを、ある意味決定付けたようにさえ思える石山合戦の顛末も、元を辿ればそれよりずっと前の蓮如の活動が生み出したものだ。
個人的なことを書けば、私は祖父と父が浄土真宗の僧侶をやっている家に生まれた。浄土真宗の、とくに本願寺の流れでは、勤行の中に「阿弥陀経」や、親鸞による「正信偈」「念仏和讃」、蓮如の「御文章」が組み込まれている。私も子供の頃からそれらをよく唱えてきて、体の中に基本的なリズムやメロディーが刻み込まれている。
中でも蓮如の「御文章」には、他のお経とはちょっと変わったものを、子供心にも感じていた。
自分のような子供にも結構意味の分かる、なんだかあまりお経らしくない「普通」の言葉。
不思議な抑揚の、語るような、歌うような言葉。
これの作者(?)の蓮如さんというのはいったいどんな人なのだろう?
浄土真宗を開いた親鸞聖人や、そのお師匠に当たる法然上人については、子供向けの解説や漫画などがいくらでもあったのだが、蓮如と言う人物についてはほとんど何の説明も見つからなかった。
盆暮れに泊まりに行った祖父宅に仏具のカタログが置いてあって、それをパラパラめくっていると、よく知っている阿弥陀像や親鸞聖人の図像とともに、恰幅の良い、たくましい感じのお坊さんの図像が載っていた。
私が蓮如と言う人の具体的なイメージに触れたのは、それが最初だった。しかしそれ以後は、とくに関心を引くような情報には行き当たらなかった。
どうやら蓮如には、活字で取り上げられるのがはばかられる、何らかの理由があるのかなという感触を持っていた。そしてそれは日本最大の宗教勢力である本願寺教団を中興したこととも、どこかでつながっていそうな、そんな印象をもっていた。
それからずっと時は流れて、二十代の頃、五木寛之の「日本幻論」という本を読んで、ずっと疑問に思ってきた蓮如のことが、かなりのページを割いて解説されているのを見つけた。
親鸞の血を引き、親鸞の教えだけを頼りに民衆の中に分け入り、乱世にうずまく民衆のパワーを汲み上げながらも、翻弄された波乱の生涯。
一読して、もっと続きが読みたくなり、五木寛之の著書の中から蓮如をテーマにしたものをかき集め、読み耽った。
今回カテゴリ「蓮如」を開始するにあたり、私が蓮如を学ぶスタート地点になった五木寛之の一連の著書について、紹介しておきたいと思う。
●「蓮如―聖俗具有の人間像」五木寛之(岩波新書)
●「蓮如―われ深き淵より」五木寛之(中公文庫)
●「蓮如物語」五木寛之(角川文庫)
そこに描かれるのは、一般的なイメージである、巨大教団を一代で築き上げた乱世の宗教権力者、とは全く違った蓮如像だった。
情に厚く、優柔不断で、女性を頼りにせずには生きていけない蓮如。
幼い頃に離別した生母の面影を、いつまでも乞い慕い、探し求める蓮如。
四十過ぎまで食うや食わず、鳴かず飛ばずの不遇な生活の中、幼子のオムツを洗いながら寸暇を惜しんで親鸞の教えを学び続ける蓮如。
恵まれず、差別を受けた者に対して、どうしようもなく共感せずにはおれない蓮如。
そうした蓮如が、戦乱の世に遅咲きながら旋風を巻き起こし、自ら翻弄されていく姿。
「五木蓮如」と表現されるそうしたアプローチは、実在の蓮如そのものではないかもしれないが、私にとって多くの疑問が解消される、一つの優れた「解釈」だった。
その後も同じアプローチの蓮如像は、五木寛之の手のよって繰り返し描かれている。
●「宗教都市と前衛都市」 (五木寛之 こころの新書)
●「信仰の共和国・金沢 生と死の結界・大和」(五木寛之 こころの新書)
まだ蓮如についての私の勉強は始まったばかりだ。
なかなかまとまった記事にはならず、このカテゴリも断片的なメモの集積になると思うが、よろしくお付き合いを。
2010年03月04日
2010年06月11日
ブッダと蓮如
以前から読もう読もうと思いながら果たせずにいた五木寛之「21世紀 仏教の旅」シリーズにようやく手を伸ばした。まずは最初の二冊「インド編上下巻」を読了。
●「21世紀 仏教への旅 インド編・上下」五木寛之(講談社)
親鸞・蓮如を中心として、日本の仏教について多くを語ってきた著者が、インド現地へ赴いて「ブッダ最後の旅」の足跡を辿る。
道しるべは岩波文庫「ブッダ最後の旅」だ。
●「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経」中村元・訳(岩波文庫)
当時のインドでは異例の長命の80歳を越えたブッダが、自身の死期を悟って最後の伝道の旅に出る物語。
構成の脚色が多々あると思われる経典の記述から、それでも滲みだしてくる生身で等身大の人間・ブッダの姿を、五木寛之が現地の見聞をもとに語り綴っていく。
とりわけ作家の語りに力が入っていると感じられるのは、当時差別的に扱われていた階級の人々に対する、ブッダの分け隔てのない公平な態度だ。
周知の通り、インドには今なおカーストと呼ばれる強固な身分制度が存在する。それは明文化された制度というよりは、生活規範そのものを支配するヒンドゥーという文化による。
約2500年前登場したブッダの教説は、ヒンドゥー文化の前身であるバラモン教が、人間を氏素性で差別することに対する、鋭い批判を含むものだった。
ブッダ在世時のインドは武士階級や商工階級、芸能民が力をつけ、流通経済の発達した「都市」が生まれ始めた時代だった。賤視を受けながらも都市生活の中で力をつけつつあった階級の人々は、生まれながらの平等を説くブッダを喜びを持って迎え、援助を惜しまなかったという。
ブッダの死後数百年の間は国等の経済的な援助を受けて大いに発展した仏教だったが、やがてイスラムの破壊を受け、揺り戻されるように厳しいカースト制度を説くヒンドゥー教に飲み込まれて行くことになる。
こうした内容は他の書物でもよく解説されていて、私も通り一遍の教科書的理解はしていたつもりだったのだが、著者が「あの」五木寛之であることも影響して、私の中で一気に様々なことが繋がって理解できた気がする。
まず感じたことは、「蓮如の活躍した日本の戦国時代と、ほとんど同じことがブッダ在世当時のインドでも起こっていたのだな」ということだった。
日本の戦国時代に生きた浄土真宗中興・蓮如も、ブッダと同じく当時の世の中でもっとも差別を受けながらも、時代の変化に乗じて力を付けつつあった人々、商工業者・芸能民の中にこだわりなく分け入った人だった。
中年以降の後半生をほとんど全て「歩き」による伝道に費やし、当時としては異例の長寿を生き抜いたことでも共通しているし、本人の死後も「平等」を説く教えが長期にわたって国レベルの勢力を保持したが、やがては厳しい身分制の社会・文化に飲み込まれていったことも共通している。
ブッダの説いた初期仏教と、日本で独自に発達した仏教の間の相違点ばかりが強調されやすい昨今だが、こうしてみると生きた時代も地域も遠く離れ、表現も大きく異なったブッダと蓮如の教説が、根っこの部分ではやはりしっかりと繋がっているように感じられた。
もちろん、ブッダと蓮如の間にははっきりと違う点も存在する。
出家以降は修行者の生活を生涯崩すことのなかったブッダと、多くの子孫を残し、教えに対するピュアな部分は持ちながらも「巨大な俗物」として生きることを避けなかった蓮如。
教団の寝起きする場所を「都市」から「近すぎず、遠すぎず」の間合いに設定したブッダと、寺と都市を一体化させた「寺内町」を各地に作り続けた蓮如。
蓮如とその後援者が築いた「本願寺王国」「寺内町」の存在は、やがて織田信長という特異な個性とぶつかり合って「石山合戦」という事象を生み出すことになるのだが、これは日本の中世だけに起こったレアケースではないのかもしれない。
もしかしたら仏教と身分制を元にした現世勢力が互いに力を持ったとき、必然的に持ちあがってくる確執なのかもしれない。
この「インド編」で紹介された、現代インドで少しずつ仏教が勢いを増しつつある様相はそうした予感を感じさせるし、経済格差がじわじわと固定化されつつあるように見える未来の日本でも、起こりえることなのかもしれない。
今後も時間を作って読み続けてみたいシリーズだ。
●「21世紀 仏教への旅 インド編・上下」五木寛之(講談社)
親鸞・蓮如を中心として、日本の仏教について多くを語ってきた著者が、インド現地へ赴いて「ブッダ最後の旅」の足跡を辿る。
道しるべは岩波文庫「ブッダ最後の旅」だ。
●「ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経」中村元・訳(岩波文庫)
当時のインドでは異例の長命の80歳を越えたブッダが、自身の死期を悟って最後の伝道の旅に出る物語。
構成の脚色が多々あると思われる経典の記述から、それでも滲みだしてくる生身で等身大の人間・ブッダの姿を、五木寛之が現地の見聞をもとに語り綴っていく。
とりわけ作家の語りに力が入っていると感じられるのは、当時差別的に扱われていた階級の人々に対する、ブッダの分け隔てのない公平な態度だ。
周知の通り、インドには今なおカーストと呼ばれる強固な身分制度が存在する。それは明文化された制度というよりは、生活規範そのものを支配するヒンドゥーという文化による。
約2500年前登場したブッダの教説は、ヒンドゥー文化の前身であるバラモン教が、人間を氏素性で差別することに対する、鋭い批判を含むものだった。
ブッダ在世時のインドは武士階級や商工階級、芸能民が力をつけ、流通経済の発達した「都市」が生まれ始めた時代だった。賤視を受けながらも都市生活の中で力をつけつつあった階級の人々は、生まれながらの平等を説くブッダを喜びを持って迎え、援助を惜しまなかったという。
ブッダの死後数百年の間は国等の経済的な援助を受けて大いに発展した仏教だったが、やがてイスラムの破壊を受け、揺り戻されるように厳しいカースト制度を説くヒンドゥー教に飲み込まれて行くことになる。
こうした内容は他の書物でもよく解説されていて、私も通り一遍の教科書的理解はしていたつもりだったのだが、著者が「あの」五木寛之であることも影響して、私の中で一気に様々なことが繋がって理解できた気がする。
まず感じたことは、「蓮如の活躍した日本の戦国時代と、ほとんど同じことがブッダ在世当時のインドでも起こっていたのだな」ということだった。
日本の戦国時代に生きた浄土真宗中興・蓮如も、ブッダと同じく当時の世の中でもっとも差別を受けながらも、時代の変化に乗じて力を付けつつあった人々、商工業者・芸能民の中にこだわりなく分け入った人だった。
中年以降の後半生をほとんど全て「歩き」による伝道に費やし、当時としては異例の長寿を生き抜いたことでも共通しているし、本人の死後も「平等」を説く教えが長期にわたって国レベルの勢力を保持したが、やがては厳しい身分制の社会・文化に飲み込まれていったことも共通している。
ブッダの説いた初期仏教と、日本で独自に発達した仏教の間の相違点ばかりが強調されやすい昨今だが、こうしてみると生きた時代も地域も遠く離れ、表現も大きく異なったブッダと蓮如の教説が、根っこの部分ではやはりしっかりと繋がっているように感じられた。
もちろん、ブッダと蓮如の間にははっきりと違う点も存在する。
出家以降は修行者の生活を生涯崩すことのなかったブッダと、多くの子孫を残し、教えに対するピュアな部分は持ちながらも「巨大な俗物」として生きることを避けなかった蓮如。
教団の寝起きする場所を「都市」から「近すぎず、遠すぎず」の間合いに設定したブッダと、寺と都市を一体化させた「寺内町」を各地に作り続けた蓮如。
蓮如とその後援者が築いた「本願寺王国」「寺内町」の存在は、やがて織田信長という特異な個性とぶつかり合って「石山合戦」という事象を生み出すことになるのだが、これは日本の中世だけに起こったレアケースではないのかもしれない。
もしかしたら仏教と身分制を元にした現世勢力が互いに力を持ったとき、必然的に持ちあがってくる確執なのかもしれない。
この「インド編」で紹介された、現代インドで少しずつ仏教が勢いを増しつつある様相はそうした予感を感じさせるし、経済格差がじわじわと固定化されつつあるように見える未来の日本でも、起こりえることなのかもしれない。
今後も時間を作って読み続けてみたいシリーズだ。
2010年09月28日
白骨
蓮如の残した御文章/御文の中に、「白骨の御文章」または「白骨の御文」と呼ばれるものがある。葬儀の際などによく読まれるので、真宗門徒以外にもよく知られている。本願寺式の法事で、現代語に近い言葉が独特の抑揚で読まれれば、それは蓮如の御文章である場合が多いのだが、そうした蓮如の作の中では、おそらくこの「白骨章」が最も有名なものだろう。
以下に原文と大意を紹介してみよう。(「大意」は原文の厳密な現代語訳ではなく、参考のための試作である)
【大意】
確かなものが何もない人の世の有様をつらつら観ずるに、おおよそ儚い幻のようなものといえば、この世の人間の一生涯だろう。
万年の命を永らえたという話など聞いたことはなく、一生はまたたく間に過ぎゆく。百年の命ですら、いったい誰が保つことができるだろうか。自分が先か、他人が先か、今日とも知らず明日とも知らず、草の葉の露が根元に落ちてしまうよりも、それはありふれたことだ。
朝、生命に満ちていた者も、夕には白骨となる。無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息はながく絶えて、花のような姿がむなしく失われるときには、親類縁者が集まって嘆き悲しんでも、もはやどうしようもない。そのままにはできないので野辺の送りをし、夜半の煙となってしまえば、あとにはただ白骨のみが残る。そうなってしまえばもはやいうべき言葉もない。
人の世のはかないことは、老いも若きもかわりがない。誰もみな、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くおたのみし、念仏申すのがよいのではないか。あなかしこ、あなかしこ。
蓮如が生きて活動したのは戦国時代の真っ只中、人間の遺体は巷にいくらでもあふれ、白骨化したものも日常風景の中で度々目にしただろう。
人に命はひどく軽く、文中にあらわれるように、朝元気だったものが夕には無残な遺体と変わることも、決して珍しくなかったに違いない。
当時の門徒にとって、蓮如の言葉は実体験を反映しながら、深く受け止められたことだろう。
現代日本では、「人の死体」という剥き出しの現実は、注意深く日常生活から遠ざけられている。
しかし、親類縁者の葬儀に参ずれば、どうしようもなくそうした現実に直面することになる。
普段接する機会がないだけに、人の遺体、そして火葬後の白骨は、見る者に強い印象を与える。特に最近の火葬は有害物質を出さないために高温で一気に焼き上げるので、二時間もすれば遺体も副葬品も真っ白になり果てる。一応骨は残るが、弱っていた個所などは崩れて残らない。
それは衛生上、正しい。
火葬にかかる時間が短縮されれば、スケジュールも組みやすい。
理屈で考えれば、現代の火葬は非の打ちどころがない。
しかし実際に親しい者の肉体が、きわめて衛生的かつ能率的に白骨化される様を目の当たりにした時、なんとも言葉にできない感情が湧きおこってくることがある。
白骨化のプロセスが「正しい」と頭でわかってはいても、その感情は収まらない。
実体験を伴わない知的作業、単なる読書として文面を目で追うだけなら、「御文章」の内容は古臭く通俗的な説教にしか感じられないかもしれない。しかし蓮如の言葉は、葬儀の際の剥き出しの現実に直面した時、独特の抑揚で実際の「音」として耳に入ってくると、思わぬ響きを帯びてくる。
数百年の時を経てなお、それは変わらない。
以下に原文と大意を紹介してみよう。(「大意」は原文の厳密な現代語訳ではなく、参考のための試作である)
【白骨章】
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、 まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず、一生過すぎやすし。 いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。 われや先、人や先、今日ともしらず明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。 さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
【大意】
確かなものが何もない人の世の有様をつらつら観ずるに、おおよそ儚い幻のようなものといえば、この世の人間の一生涯だろう。
万年の命を永らえたという話など聞いたことはなく、一生はまたたく間に過ぎゆく。百年の命ですら、いったい誰が保つことができるだろうか。自分が先か、他人が先か、今日とも知らず明日とも知らず、草の葉の露が根元に落ちてしまうよりも、それはありふれたことだ。
朝、生命に満ちていた者も、夕には白骨となる。無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息はながく絶えて、花のような姿がむなしく失われるときには、親類縁者が集まって嘆き悲しんでも、もはやどうしようもない。そのままにはできないので野辺の送りをし、夜半の煙となってしまえば、あとにはただ白骨のみが残る。そうなってしまえばもはやいうべき言葉もない。
人の世のはかないことは、老いも若きもかわりがない。誰もみな、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くおたのみし、念仏申すのがよいのではないか。あなかしこ、あなかしこ。
蓮如が生きて活動したのは戦国時代の真っ只中、人間の遺体は巷にいくらでもあふれ、白骨化したものも日常風景の中で度々目にしただろう。
人に命はひどく軽く、文中にあらわれるように、朝元気だったものが夕には無残な遺体と変わることも、決して珍しくなかったに違いない。
当時の門徒にとって、蓮如の言葉は実体験を反映しながら、深く受け止められたことだろう。
現代日本では、「人の死体」という剥き出しの現実は、注意深く日常生活から遠ざけられている。
しかし、親類縁者の葬儀に参ずれば、どうしようもなくそうした現実に直面することになる。
普段接する機会がないだけに、人の遺体、そして火葬後の白骨は、見る者に強い印象を与える。特に最近の火葬は有害物質を出さないために高温で一気に焼き上げるので、二時間もすれば遺体も副葬品も真っ白になり果てる。一応骨は残るが、弱っていた個所などは崩れて残らない。
それは衛生上、正しい。
火葬にかかる時間が短縮されれば、スケジュールも組みやすい。
理屈で考えれば、現代の火葬は非の打ちどころがない。
しかし実際に親しい者の肉体が、きわめて衛生的かつ能率的に白骨化される様を目の当たりにした時、なんとも言葉にできない感情が湧きおこってくることがある。
白骨化のプロセスが「正しい」と頭でわかってはいても、その感情は収まらない。
さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり……
実体験を伴わない知的作業、単なる読書として文面を目で追うだけなら、「御文章」の内容は古臭く通俗的な説教にしか感じられないかもしれない。しかし蓮如の言葉は、葬儀の際の剥き出しの現実に直面した時、独特の抑揚で実際の「音」として耳に入ってくると、思わぬ響きを帯びてくる。
数百年の時を経てなお、それは変わらない。