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2010年07月03日

カテゴリ「海」

 海についての記憶の断片。

 私の生まれ育った土地は、さほど近くは無かったけれども、一応沿海部にあった。自転車で海辺に行ける範囲だったし、鉄道使用の際には路線沿いに広がる海がまぶしく眺められた。

 中高生の頃、学校の裏山に登れば、海を眺望できた。部活の合間に一人登り、岩場に腰掛けて海をぼんやり眺める時間が好きだった。
 当時の友人の一人が港町に住んでいて、遊びに行った時にはよく海岸沿いをブラブラした。
 その友人は都合により、高校の半ばで引っ越していったのだが、奇しくもその十年後、ある海辺のお祭りで再会することになる。このお祭もまた、当ブログ「縁日草子」の源流の一つになった。

 高2から高3にかけての受験生時代には、美術の実技対策のために通っていた絵画教室が、海辺の小さな街にあった。
 日曜午前、自転車を飛ばして教室に行き、授業が終わった後は近所の海浜公園で休憩していた。

 二十代の頃、ベランダから広く海の眺望できるアパートに住んでいた。家賃二万五千円、四畳半風呂無しトイレ共同。激安家賃と海の眺めが気に入って、よくベランダで過ごしていた。

 夏、毎年のように出かけていた熊野修行も、一週間近く山や里をほっつき歩いた後には、いつも新宮や那智の海岸で、補陀落の波を莞爾ながら一日休息してから街へ帰っていた。

 そして沖縄。まだ数回しか行っていないが、海の向こうにはあの島もある。

 近年はずっと海から離れた住居で過ごしていたのだが、去年また海辺の街に移ってきた。
 休日には自転車で港へ向かい、海を眺めながら、沖縄や和歌浦、熊野のこと、そして最近は石山合戦で活躍した「海の民」のあれこれを、空想している。

 そろそろ「海」についても語り始めてみよう。

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(「船出」MBM紙 木炭 パステル)
posted by 九郎 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2010年07月09日

調べようとするとなかなか難しい

 海を眺めるのは無条件に楽しい。
 ずっと眺めていても飽きない。
 海に浮かんだ船を眺めるのも楽しい。
 ゆっくり行きかう船ならいくらでも眺めていられる。

 しかし。

 いざ調べようとするとけっこう苦労する。
 私の現在の興味の対象は、日本の戦国時代の海の民・海賊・水軍のあれこれだ。
 出版界は「戦国ブーム」と呼ばれて久しく、各種特集本も出続けているのだが、「海」という切り口で当時の水軍や海戦、流通をまともに取り扱ったものは少ない。
 毛利、村上、九鬼等の主要な水軍の本はもちろん出ているが、一冊で「海の民・海賊・水軍」について広範に取り扱った入門書となると、注文が贅沢すぎるようだ(笑)
 一冊選ぶとしたら、以前カテゴリ和歌浦でも紹介したこの一冊。紹介文とともに再録しておこう。


●「瀬戸内の民俗誌―海民史の深層をたずねて」沖浦和光(岩波新書)
 陸路の交通機関が発達しきった現代人には理解しづらくなっているが、中世において「水路」は交通・物流の中心だった。とりわけ西は関門海峡から東は紀淡海峡にまで及ぶ「瀬戸内」は、交通の大動脈であった。海や河川の道を中心に据えてみれば、現在は僻地にしか見えない孤島や浦が、交通の要地として賑わっていた事実が浮かび上がってくる。
 この本にも「雑賀衆」はほとんど登場しないが、同じ瀬戸内の非常に緊密に交流し合っていた「海賊」「水軍」に関する記述を読んでいると、「海の民」としての雑賀衆が理解できてくる。
 何故こうした「海の民」に本願寺の信仰が広まり、一向一揆、そして石山合戦を戦い抜いた力の源泉になったのかが明らかになってくる。


 書店で望む本が見当たらない場合は図書館へが鉄則。
 専門書架を巡るのはもちろんだが、意外に良い入門書が見つかるのが児童書のコーナーだ。


●「まんが日本史キーワード 海賊の表と裏」高野澄 ムロタニツネ象(さ・え・ら書房)
 絵は「往年の学研まんがの歴史モノでよく見たあの絵柄」と言えば、三十代〜四十代には通じるだろうか。素朴な絵ながら内容は極めてわかりやすく、なじみの薄い「海の勢力」について解説されている。
 海の民・海賊・水軍は、陸上から見た分類であって、それぞれ分かちがたく結びついている。特に海賊と水軍は、本質的には同一の集団を指していると考えてよい。陸上の権力者に対し、独立して勢力をふるう場合は「海賊」と表現されやすく、協力的な場合に「水軍」と表現されやすい、といった程度の違いしか実は存在しないのだ。
 中世までの長い期間、海上は海の民の取り仕切る、一種の治外法権の世界だった。陸上の権力機構が戦国期を経て強力な中央集権に変化する過程で、各地の海上勢力は解体され、自由だった交易を管理下に置かれるようになり、「海の上のもう一つの日本」は終息していく。
 そうした流れを決定づけたのも、石山合戦だったのではないかと思える。


 それでは中世の海の民が操っていた「舟」は、どんなものだったのだろうか?
 これも図書館の児童書コーナーでぴったりの本を見つけた。


●「調べ学習日本の歴史15日本の船の研究―日本列島をむすんださまざまな船」安達裕之(監修)(ポプラ社)
 日本史上に登場した様々な和船について、豊富なカラー図版とともに解説。図版の選び方が絶妙で、決して「子供向け」のぬるい内容ではない。贅沢を承知で難を言えば、戦国時代の史料がさほど多く収録されていないことと、図面資料が少ないことか。

 
 私は現在、ある港町に住んでいる。さすがというか、海事に強い書店を一軒見つけることが出来たので、そこでも探してみる。
 すると日本各地の海洋博物館の類で発行された冊子や、開催された展示の図録を集めたコーナーがあった。
 小躍りしながら物色し、手に取ったのがこの一冊。

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●「日本の船 和船編」安達裕之(船の科学館)
 和船の歴史、構造の変遷等を、豊富な図版で詳しく解説。図面も多数収録され、戦国時代の資料も豊富。上掲「日本の船の研究」と同じ著者で、児童書ではないだけに文章部分はさらに踏み込んだ内容になっている。
 和船に関する概要は、この二冊でほぼ事足りるのではないだろうか。


 良い入門書が見つかったことに満足し、ページを繰りながら楽しんでいると、ふと何度も繰り返される引用元の書名が気になった。

 「図説 和船史話」

 どうやらこれが、和船資料界のボスキャラの名なのか?

 なにやら凄まじそうな本の匂いが漂ってきた。
 私の本マニアとしての感覚が騒ぎ出しきた。

 ゾク
 ゾク
 ゾク……
(続くw)
posted by 九郎 at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

和船資料のラスボス

 安宅船、関船、小早などなど……
 水軍、海賊関係の史料を漁っていると、よく目にする船の種類の名だ。
 ではそれぞれの詳細な構造や、分類はどのようになされているのかという解説には中々お目にかかれない。
 和船というものそのものをテーマにした良い解説書は無いものか?
 前回の記事でもいくつか紹介してきたが、最後に「ラスボス」ともいうべき物凄い本を見つけてしまったのでご紹介。 


●「図説和船史話(図説日本海事史話叢書)」石井謙治(至誠堂)
 約400頁。百科事典のようなボリュームを「和船」というワンテーマで書き尽くした、まさに和船資料のラスボス的一冊。カラー白黒含めて図版もきわめて豊富。和船関係を調べていくと、誰もが必ず辿りつくのではないだろうか。戦国時代の軍船についても、極めて詳細に解説されている。


 この本がどのくらい詳しく広範な内容を誇っているかというと、たとえば戦国時代の船なら実在が確実なものはもちろん、地方の水軍書に断片的な記述が残されているだけの、実在には疑問符がつく特異な船についても、真正面から解説され尽くしていることに現われている。
 安宅船など、主要な軍船については後々このカテゴリでも紹介していきたいが、今回は試みにそうした「特異な和船」について、この「図説和船史話」を元に紹介してみよう。

【竜宮船】
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 この異様な姿の船は「野島流」という瀬戸内水軍の一派の伝書に記述された「潜水艦」という触れ込みである。一応戦国時代の書であることになっており、当時の日本人の発明の才を顕彰する意味で、戦中・戦後に賞賛された経緯もあるらしい。
 船の前後には竜頭が張り出しており、潜望鏡や通気口の機能を果たしている。その竜頭部分両方に舵が設置されていて、前後自由に航行することができたとされている。船の両舷側部には外車がついていて推進力を得ることになっているのだが、実はこの部分が最も問題とされて実在には疑問符がつく箇所だ。
 この人力による「外車」は現在でもスワンボート等に使用されているが、推進力を得るためには上半分が水上に出ている必要があり、この「竜宮船」が本当に潜水艦であるならば、完全に水中に没している状態では外車が使用不可能になってしまう。完全に水中で回転式の推進力を得ようとするならば「スクリュー」でなければならないのだが、元図は非常に稚拙なのだが、それでも構造的に「外車」でしかないことは確実だ。
 実在したとしても「半潜水」の船であったか、または元図自体が「将来的にはこんな戦術も考えられる」というアイデア・メモだったのかもしれない。

【亀甲船】
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 こちらは「全流水軍書」に記述されているという「亀甲船」の図から、独自に描き起こしてみた図。元図は写実性が弱く、「亀甲」部分がペタンと平面的に描かれているのだが、機能面から考えて「ドーム状である」と解釈して再現してみた。
 この「亀甲船」は上記の「竜宮船」とは違って、元々半浮上式の軍船として記述されているようだ。推進力は外からは隠れているが、船内に設置された「外車」で、前後の動きを自在にするためにこちらも舵が前後両方に表現されている。
 戦国当時の軍船の推進力は手漕ぎの櫓が主流だった。帆船形式よりも小回りが利き、戦術が組み立てやすかったからだ。
 手漕ぎではない「外車式」の利点としては、前後の動きの切り替えがスピーディーであったことが挙げられる。反面、人力では機動力に限界があること、波の高い時には使用が難しいことなどの欠点も多かったため、この方式が主流になることはなかったようだ。
 この「亀甲船」は「竜宮船」に比べるとよほど実在性のある軍船なのだが、実在したと仮定しても、一撃離脱型の夜間の奇襲など、限定された局面で活用されたのだろう。
 元図の「亀甲」部分は黒ベタ塗りで表現されているが、それこそ織田軍の「鉄甲船」のように、鉄板などを貼って防弾・防火処理がなされていたのかもしれない。


 他にも、とにかく「読んで面白い」エピソード満載の、強烈な和船資料だった。
 戦国水軍の装備が知りたい場合、一度は手に取るべき一冊だと思う。
posted by 九郎 at 00:41| Comment(6) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

「信長の鉄甲船」資料探し

 私は戦国時代の石山合戦に強く関心を持っているので、信長方の最終兵器と目される「鉄甲船」についても、ぼちぼち資料を漁っている。
 歴史モノで大きく取り上げられることが多い鉄甲船だが、確かな実像はほとんど何もわかっていないと言ってよい。本当に鉄板を船体に貼っていたかどうかということにすら、けっこう異論が存在したりする。
 信長が建造させた軍船には大きく分けて二種ある。
 琵琶湖で造らせた「大船」と、九鬼嘉隆に造らせた「鉄ノ舟」で、両者ともにその詳細は不明である。
 確かなことは、それらの軍船が戦国時代の水軍の主力であった「安宅船(あたけぶね)」と呼ばれるタイプの形状を元にしており、当時としては巨大であったことと、大砲を装備していたらしいことだ。
 現在流布している復元図も、基本的には安宅船を「大きく、黒く」描くことが基本になっている。
 だから「信長の鉄甲船」について調べる場合は、まず安宅船についての資料を探さなければならない。
 
 先月、和船に関する記事にコメントが寄せられ、見事な模型写真を紹介していただいた。
 紹介していただいたのは江戸時代に徳川家光によって建造された「安宅丸」で、安宅型の軍船としてはおそらく史上最大(全長では信長の「鉄甲船」の二倍近く)で、こちらは江戸時代の絵図が現存しているので、各種復元図にもかなり確実性が高いと思われる。
 模型写真を見ているうちに、久々に和船についての興味が刺激され、いくつか本を調べてみたのでご紹介。



 まず和船と言えばこの人「和船史話」の石井謙治の二冊。

●「船 復元日本大観」石井謙治 編集(世界文化社)
 大型豪華本で、古代から近代までの日本の船舶を、迫力サイズの図面や再現イラストで紹介している。史料の確実な江戸期の弁財船が中心的な内容だが、戦国時代の軍船についてもそれなりのページが割かれている。
 和船の復元模型が作りたい場合は、本書を開くことがまず第一歩になるだろう。
 石井謙治監修の図面や再現図は、現在出回っているほとんどの戦国軍船再現図の元ネタになっているので、これを抑えておけば大筋で迷うことはなくなる。
 様々な文書や画像をPC画面で見ることに慣れてしまった昨今だが、こういう本を見ると、紙の豪華本の素晴らしさをつくづく再認識できる。
 目の前の視界いっぱいに絵図が広がっているということは、それだけで一つの「体験」になっている。
 本を開いて絵を眺めるだけでも楽しい本だが、なにせデカくて高価。
 図書館で調べてみるのが無難。

●「日本の船を復元する 古代から近世まで」石井謙治 監修(学研)
 コンパクトだが上掲本とほぼ同じ内容で、定価も安い。本来ならこちらの購入をお勧めしたいのだが、現在amazonでは古書扱いになっていて、けっこう値が張るのが残念。復刊熱烈希望!



●「ドキュメント信長の合戦」藤井尚夫(学研)
 著者は戦国史研究とともに、以前「復元ドキュメント 戦国の城」という本で、非常にパースのしっかりした戦国の城閣絵図を作成していた手練れの絵師でもある。
 手描きの風合いの強いパースイラストで、最近の3DCG全盛の風潮の中では異彩を放っている。
 私は昔、造園関係のイラスト作成を少し手伝っていたことがあるので、こういう絵柄は懐かしくて大好きだ。
 地形を分析し、わかりやすく編集し、主線で囲んで表現してあるので、物の立体感や位置関係が、見ていて非常に理解し易い。
 写真仕立ての3DCGは一見リアルに見え、雰囲気をつかむには優れているけれども、実はけっこうゴマカシがあって、資料として使うには意外と不便だったりする。
 こうした手描き風のパースはもっと価値が見直されるべきだ。

 本書は信長の合戦に関する様々な再現パースと、詳細な解説がぎっしり詰まっていてお買い得。
 石山合戦時の大阪平野の地勢も再現されており、戦国軍船と信長の鉄甲船の再現イラストも、もちろん収録されている。
 石井謙治とは少し異なった方向からのアプローチなので、上掲本と合わせて読むと、観方が深まると思う。
 この人の手による戦国期の大坂本願寺の再現イラストを、是非とも見てみたい!
 
posted by 九郎 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

夏休みの工作に「鉄甲船」を!(復刻版)

 (誤って削除してしまった記事をキャッシュで見つけたので再録)

 ホームセンターが好きなので時間があれば立ち寄る。
 そろそろ夏休みが近いので、工作キットの類もけっこう並んでいる。
 ふと視線が吸い寄せられたのが、↓これ。



●「海賊船自由工作組立キット」(海洋ものがたり)
 よくある子供向けの木工セット。
 夏の工作はやっぱり船だ。
 船型の板にゴム動力のスクリュー、各種端材、シール、ボンド、ペーパーをひとまとめ。
 ぶっちゃけ、この手のセットはあまりもの素材の詰め合わせみたいなのが多く、そのわりにはさほど安くない(このセットは1300円)のだが、かたいことは言わずに気楽に工作を楽しみましょう。

 店先でセットを手に取り、完成見本をじろじろ眺めることしばし。
 
「これ、材料買い足したら、信長の鉄甲船にならんかな?」

 そう思いついてしまった。
 もちろん、リアルな模型にはなりようがないが、ちょっと試しに遊んでみるには良いかもしれない。

 ということで、夏休み最終日の8月31日までに、この工作キットをベースに信長の鉄甲船(のようなもの)を作ってみることにします。
 鉄甲船については、いずれがっちりした模型も作ってみたい希望はあるのですが、それはまあいつの日になるやらわからないので、とりあえず気楽に工作を。
 なるべく手間をかけずに。
 なるべく簡単に。
 作って行く過程でたぶん「鉄甲船とは何か? どうしたら鉄甲船に見えるか?」というテーマに直面することになるので、資料集めや頭の整理の良い機会になってくれることを、自分自身で期待しています。
 実際に制作するのはたぶん8月後半になると思いますが、制作過程が順次記事にしていくつもりです。

 ついでに、縁日草子の読者の中に、小学生の子供を持つお父さん方がもしいるならば、参考になれば幸いです。
 工作を手伝わされる場合には、自分の趣味の方に引っ張ってみるのも一つの手ですよ(笑)

 普通に組み立てて海賊船にする場合は、この記事を参照してください。
posted by 九郎 at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする