もうずっと以前にこのカテゴリ「琵琶法師」を作ったまま、肝心の記事は書き出せずにいた。
まだ本格スタートは出来ないが、過去記事の中から私が琵琶法師に興味をいだくに至った経緯を再録して、ともかくこのカテゴリの開幕だけはしておくことにする。
以下、再録。
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夢告「平家物語」
もう十年以上前になるが、断続的に「夢日記」をつけていた時期があった。
枕元にメモ用紙と筆記用具を常備し、夜半や朝方、夢で目覚めた時に憶えていることを絵や文で書き留めておく。
半分寝惚けた状態の走り書きなので、意味をなしていない事も多々あるのだが、たまに面白いイメージが記録として残る。
ただ、普段から夢に関心を持っていると、奇怪な夢を呼び込むようになってしまう傾向もあるようだ。
度々悪夢を見るので精神的負担がけっこう重く、長期間夢日記を続けることはできず、心身ともに余裕のある時期に、何度か集中してかきとめていた。
記録はまだ手元にあるので、いずれ「一応、作品になっている」と思われる、公開して差し支えなさそうなものはブログにも上げようかと思っている。
そうした内的記録をつけていた時期に、気になる夢を見たことを憶えている。
夢の中の人物に「平家物語にはこの世とあの世のまことの姿がある」と教えられたのだ。
目が覚めてその内容を書きとめながら、私は少し首をかしげていた。
当時の私の平家物語に関する知識は、教科書通りの「中世軍記物語」という程度でしかなかったのだ。
なぜ平家の栄枯盛衰や合戦の様子を描いた物語に「この世とあの世のまこと」があるのか、今ひとつピンとこなかった。
「あの世」のことまで含まれるのなら「今昔物語」などとの間違いではないかとも思ったのだが、夢の中の人物ははっきり「平家物語」と言った。
なんとなく納得いかないまま、何年も過ごしてきた。
その間、読書の幅が広まってきたこともあり、少しずつ「平家物語」に関する認識も改まってきた。「この世」のことだけが書いてある書物ではなく、当時流布されていた様々な中世神話が反映され、奇怪な神話の領域まで含まれる物語であることがわかってきた。
そして最近手に取った一冊の本により、ようやくずっと昔の「夢のお告げ」を納得するに至った。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
平家物語はそもそも文字で書かれた書物ではなく、琵琶法師によって語り継がれた口承物語であった。
琵琶法師は盲目の芸能者であり、宗教者でもある。
盲目であるということと、芸能者・宗教者であるということは、そのまま「あの世」と「この世」の境に身を置くことと繋がる。
有名な「耳なし芳一」のイメージに、異界の声を聞き、語りによってあの世とこの世を結びつける琵琶法師というものの本質がよく表現されている。
平家物語と琵琶法師の成立過程には、中世から近世にかけての「この世」の社会制度と、神仏入り乱れた中世の精神世界が色濃く反映されているようなのだ。
付録のDVDには「最後の琵琶法師」による貴重な記録映像も収録されている。
震え響く声と琵琶の音に、ふと昔見た「夢のお告げ」に思い当たり、一人なんどもうなずいたのだった。
2012年03月21日
2014年03月30日
耳なし芳一
長らく放置しながらもずっと気にかかっているカテゴリ「琵琶法師」である。
kindle無料本で、小泉八雲「耳無芳一の話」を再読して、久々に記事投稿できそうなテンションになった。
●「耳無芳一の話[Kindle版]」小泉八雲(著) 戸川秋骨(翻訳)
kindle他の読書端末がない場合でも、小泉八雲の著作は青空文庫に収録されているので誰でも読める。
青空文庫 耳無芳一の話
この作品は、重層的な構造を持っている。
・まず、日本の中世〜近世に実在したはずの、逸話の元になった琵琶法師の存在。
・それが語り伝えられる間に「耳のない琵琶法師」の物語として、いくつかのバージョンに収斂される。
・小泉八雲という個性が、異邦人の視線で再話する。
・その文章が再度、日本語に翻訳される。
こうした成立過程の、とくに再話の段階で、物語には自身も左目の視力を失っていた小泉八雲による「心優しい改変」が行われているようだ。
この「耳なし芳一」という物語には、盲目であるということにまつわる、日本での神話的なイメージが集約されている。
・聴覚に優れ、気配を鋭敏に察知し、この世のものならぬ音(声)を聞くことができる。
・音曲や治療行為に関して才を持つ。
・そうした異能で迷える霊を鎮魂することができる。
・その名に「〜イチ」という符丁を持つ。
こうしたテーマについては、以前にも紹介した以下の本に、詳しい解説がある。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
私が「琵琶法師」というテーマに心惹かれるのも、おそらく幼児のころ弱視であったという原風景が関係していると思う。
幸い私は周囲の助力で視力回復に成功し、中高生の頃には左右の視力のアンバランスこそ残ったままだったが、かなり「視える方」になった。
それから長らく視力には不自由しない人生を送ってきたのだが、そろそろ年のせいか文字の小さな文庫本などは避けたくなってきた。(まだ読めることは読めるのだが……)
元々遠視だったので、老眼は早いのではないかと言われていた。
これから私は、ゆっくり「視えない」という原風景に還っていくのだろう。
別に何かを失うわけではない。
元いた所へ戻るだけだ。
最後に、以前描いていた「耳なし芳一」のイラストをアップ。
kindle無料本で、小泉八雲「耳無芳一の話」を再読して、久々に記事投稿できそうなテンションになった。
●「耳無芳一の話[Kindle版]」小泉八雲(著) 戸川秋骨(翻訳)
kindle他の読書端末がない場合でも、小泉八雲の著作は青空文庫に収録されているので誰でも読める。
青空文庫 耳無芳一の話
この作品は、重層的な構造を持っている。
・まず、日本の中世〜近世に実在したはずの、逸話の元になった琵琶法師の存在。
・それが語り伝えられる間に「耳のない琵琶法師」の物語として、いくつかのバージョンに収斂される。
・小泉八雲という個性が、異邦人の視線で再話する。
・その文章が再度、日本語に翻訳される。
こうした成立過程の、とくに再話の段階で、物語には自身も左目の視力を失っていた小泉八雲による「心優しい改変」が行われているようだ。
この「耳なし芳一」という物語には、盲目であるということにまつわる、日本での神話的なイメージが集約されている。
・聴覚に優れ、気配を鋭敏に察知し、この世のものならぬ音(声)を聞くことができる。
・音曲や治療行為に関して才を持つ。
・そうした異能で迷える霊を鎮魂することができる。
・その名に「〜イチ」という符丁を持つ。
こうしたテーマについては、以前にも紹介した以下の本に、詳しい解説がある。
●「琵琶法師―“異界”を語る人びと」兵藤裕己(岩波新書)
私が「琵琶法師」というテーマに心惹かれるのも、おそらく幼児のころ弱視であったという原風景が関係していると思う。
幸い私は周囲の助力で視力回復に成功し、中高生の頃には左右の視力のアンバランスこそ残ったままだったが、かなり「視える方」になった。
それから長らく視力には不自由しない人生を送ってきたのだが、そろそろ年のせいか文字の小さな文庫本などは避けたくなってきた。(まだ読めることは読めるのだが……)
元々遠視だったので、老眼は早いのではないかと言われていた。
これから私は、ゆっくり「視えない」という原風景に還っていくのだろう。
別に何かを失うわけではない。
元いた所へ戻るだけだ。
最後に、以前描いていた「耳なし芳一」のイラストをアップ。