中秋の名月はすでに先月終わっているが、秋真っただ中の名月が夜空に浮かんでいる。
10月の満月を眺めていると、あの年のことを思い出す。
奇しくも今日と同じ日付。
あれからもう、十数年が過ぎてしまった。
その年の同じ十月の満月の夜、とある小さな海岸で行われたお祭り、岸壁に築かれた特設ステージで、ライブが行われた。
当時のスケッチが、今でも何枚か手元に残っている。
そのさらに数か月前、私はふと思い立って古い友達に手紙を書いた。
もう何年も会っておらず、消息も定かではない友達。
連絡がつくことはほとんど期待しないままに、瓶に詰めた手紙を海に流すような気分で、投函した。
そして手紙を出したことも忘れかけていた頃、彼から思いがけず返信をもらった。
お祭りのスタッフをしていた彼は、チラシを同封して私をその海岸に誘ってくれたのだ。
初めて訪れたとき、「果たしてここは本当に日本なのだろうか?」と思った。
廃墟のような、と表現するとイメージは悪いけれども、そこはまさに廃墟に見えた。
かつて栄えた観光地が一旦寂れ、施設の数々が廃れ、半ば海岸の自然風景に溶けつつあった。
そこに思い思いの荷を担いだ人々が参じて、風のような「市」が形成され、祭りを彩っていた。
当時の私にはまだ「中世のような」という語彙はなく、90年代という時代の空気もあって、「世界が滅んだ後のお祭り」というような印象を強く受けた。
漂着した流木や竹、簾、アウトドア用品やブルーシートで組み立てられた会場。
インディアンのテントもある。
色とりどりの衣装を身につけて集まってくる人々。
中心には喫茶軽食や簡単なライブのできる「海の家」があるのだが、そのお店の雰囲気を拡大するように、フリーマーケットの仮設店舗が周囲に増殖している。
まるでアジアの市場のような風景……
その場の雰囲気に圧倒されながらも、私はスケッチブックにカラーペンを走らせ続けた。
どこを切り取っても絵になる風景に、夢中になっていた。
誘ってくれた古い友人とも無事再会。
久々に会ってみれば、彼はモヒカン刈りになっていた。
やがて特設ステージの方でリハーサルがはじまった。
音合わせのために、出演するミュージシャンの面々が順にステージに立っていく。
海に向かった岸壁のステージとビーチの客席の距離は物凄く近く、仕切りも何もないので、スタッフも客もごちゃ混ぜのままリハーサルは進行していった。
そもそも、そのお祭り自体が「キャスト・スタッフ」と「観客」の境目の曖昧な構造になっていた。
プログラムに載っているような公式な出演者でなくても、何か楽器を持っている人が砂の上に座って演奏し始めれば、それを見物する人が周囲に集まり、私のように絵を描く人がいればその周囲に見物人が集まった。
フリーマーケットのお店はそれ自体が舞台装置のような「作品」になっていたし、客として行きかう人も、それぞれに個性的だった。
私が砂の上に座って眺めていると、すぐ隣に、同じようにステージを眺めているノッポさんがいた。
ジーンズの上下に雪駄を履き、しきりに立ったり座ったりしながら眺めている。
しばらくすると飽きてきたのか、そのあたりにいた子供を四人ほど集めて話し始める。
「みんな年いくつや? へ〜みんな四才か。ほんなら四才が四人やな〜」
とかすごくテキトーなことをしゃべっていた。
何か見覚えがある顔だと思ったら、出演予定の「どんと」(当時ボ・ガンボスvocal)だった。
(続く)