2010年05月29日

音遊び「胎内潜り」

 以前、カテゴリ沖縄で、斎場御嶽という記事を書いたことがある。
 その記事中で紹介した映像のBGMを再構成し、音遊び「胎内潜り」としてアップしておこう。

【胎内潜り】(2分28秒/mp3ファイル/4MB)ヘッドフォン推奨!


 気温と湿度がムッと体を包み、そのまま溶け込んでしまいそうになる沖縄の森に、またいつか行ってみたい……

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2010年12月04日

音遊び「とおりゃんせ」2010

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 さる天神社の背後の森
 暗い石段つづく山道
 古びた祠に秘められし
 文書に記しおかれるは
 童歌なる とおりゃんせ
 夢かうつつか まことか嘘か
 行きはよいよい 帰りは恐い
 怖いながらも
 聴かしゃんせ


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2011年05月30日

音遊び「故郷」

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 唱歌「故郷」である。
 この歌を、今歌うことに意味があるという記事を、先日書いた。
 ともかく、口ずさみましょう。


【唱歌 故郷(ふるさと)】(3分20秒/mp3ファイル/6MB)

 歌詞はこちらのサイトで。
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2011年07月28日

音遊び「千両箱ブルース」

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「千両箱ブルース」

ある日空から 千両箱が降ってきた
お城の殿様から 一般庶民へのプレゼント
ええじゃないか ええじゃないか 千両箱が降ってくる

 お爺ちゃんにも千両 お婆ちゃんにも千両
 お父さんにも千両 お母さんにも千両
 お兄ちゃんにも千両 お姉ちゃんにも千両
 お坊ちゃんにも千両 お嬢ちゃんにも千両
 赤ちゃんにも千両
 おなかの中の赤ちゃんにも千両が降ってくる

降ってきた千両箱 背中に担いでみたら
ずっしり重くて なんだかしんどいなあ
あんたの背中の千両箱はどんくらい?

 お爺ちゃんはどんくらい? お婆ちゃんはどんくらい?
 お父さんにはどんくらい? お母さんはどんくらい?
 お兄ちゃんはどんくらい? お姉ちゃんはどんくらい?
 お坊ちゃんはどんくらい? お嬢ちゃんはどんくらい?
 赤ちゃんはどんくらい?
 おなかの中の赤ちゃんはどんくらい? の千両
聴いてみる
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2011年08月15日

音遊び「白骨の唄」

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 過ぎゆくお盆に、蓮如の言葉。
 蓮如「御文章」より、白骨章を詠んでみる。


【白骨の唄】(4分13秒/mp3ファイル/7MB)ヘッドフォン推奨!


 蓮如の御文章または御文は、実際に本願寺派で読まれる場合には、特殊な発音が含まれている。
 「白骨章」であれば「ツ」の発音がそうなのだが、今回は一般に聴き取りやすいように普通に発音している。
 他にも伴奏の雰囲気にあわせて多少変えた発声もあるので、正確な読み方が知りたい方は、youtube等で「白骨の章」を検索してみると見つかると思う。

 伴奏に琵琶の音を素材として使ってある。
 戦国期の本願寺には、多数の琵琶法師が出入りしていたことが分かっている。
 琵琶法師は平家物語を語る芸能者であるだけでなく、民間宗教者として様々な経や祭文を唱えていた。
 中には蓮如の言葉を語っていた者もいたかもしれないと想像し、雰囲気で使ってみた。
 
 思いつき優先、とにかく勢いで作ってみた感じ(このブログの「音遊び」はどれもそうだが)なので、今後時間をかけて詰めて行きたいと思っている。


【白骨章】
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、 まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことをきかず、一生過すぎやすし。 いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。 われや先、人や先、今日ともしらず明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりもしげしといへり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。 さてしもあるべきことならねばとて、野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。 あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。


【大意】
 確かなものが何もない人の世の有様をつらつら観ずるに、おおよそ儚い幻のようなものといえば、この世の人間の一生涯だろう。
 万年の命を永らえたという話など聞いたことはなく、一生はまたたく間に過ぎゆく。百年の命ですら、いったい誰が保つことができるだろうか。自分が先か、他人が先か、今日とも知らず明日とも知らず、草の葉の露が根元に落ちてしまうよりも、それはありふれたことだ。
 朝、生命に満ちていた者も、夕には白骨となる。無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息はながく絶えて、花のような姿がむなしく失われるときには、親類縁者が集まって嘆き悲しんでも、もはやどうしようもない。そのままにはできないので野辺の送りをし、夜半の煙となってしまえば、あとにはただ白骨のみが残る。そうなってしまえばもはやいうべき言葉もない。
 人の世のはかないことは、老いも若きもかわりがない。誰もみな、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くおたのみし、念仏申すのがよいのではないか。あなかしこ、あなかしこ。
posted by 九郎 at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 音遊び | 更新情報をチェックする