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2017年03月22日

本をさがして6

 90年代、宗教関連の読書を開始した頃、同時進行で妖怪漫画家・水木しげるの作品にも手を伸ばすようになった。

 子供の頃から、水木しげるの本は好きでよく読んでいた。
 当時「鬼太郎」等の水木マンガはあまり読んでいなくて、「妖怪図鑑」の類の読み物の方が主だった。
 幼児期を過ごしていた母方の祖父母の家が、怪しい木彫りだらけだったことも、そうした本に興味を持ったルーツの一つになっていただろう。
 水木しげるの読み物は妖怪だけにとどまらず、日本や世界の「異界」や「死後の世界」の伝承まで詳細に絵解きしてあって、今思うと妖怪図鑑というよりは「博物学図鑑」とか「民族学図鑑」と呼ぶべき内容だった。
 わがニッポンの戦後マンガ界は、輝ける太陽である手塚治虫とともに、仄暗い異界を描く水木しげるの存在があったからこそ、かくも豊かで多様な発展を遂げたのだ。
 今に続く私の民族芸術好きの傾向は子供の頃からあって、大阪の万博公園に行く機会には、もちろんエキスポランドや太陽の塔も好きだったが、国立民族学博物館に行くのが楽しみだった。
 薄暗い展示スペースに、所狭しと並ぶ仮面や神像の数々が醸し出す雰囲気は、幼児期を過ごしていた祖父母の家の様とも、どこか似ていたと思う。

 思春期はしばらく水木作品から離れていたのだけれども、90年代に入って再び読むようになった。
 水木しげるとの「再会」のきっかけになったのが、以下の一冊である。


●「ねぼけ人生」水木しげる(ちくま文庫)
 水木しげるは多くの自伝的な作品を描いているが、中でも定番ともいうべき一冊がこの本だ。
 故郷である境港、その習俗のエキスパートである「のんのんばあ」に子守をしてもらった幼児期から、水木しげるの「妖怪人生」は始まっている。
 太平洋戦争に向けて徐々に窮迫する世相、南方戦線への出征、片腕を失った顛末など、昭和史の貴重な証言になっており、まさに今、読むべき内容と言える。
 特筆すべきは、ラバウルの戦場での現地の人々との交流の記録だ。
 ろくな補給もなく、玉砕前提の戦場で兵士の大半が餓死、病死していく中、水木しげる本人は現地人の間で「大地母神」のように慕われるおばあさんに気に入られ、辛うじて命をつなぐ。
 地獄の戦場のすぐ隣には、天国のような自然と共に生きる「土の人」の世界があったのだ。
 戦争が終り、すっかり気に入られた水木は村人たちに引き留められるのだが、上官に説得され、再び返ってくることを約束して日本に帰国し、やがてマンガの世界に飛び込むことになる……
 本書「ねぼけ人生」は人気の高いマンガ作品ではないけれども、水木しげるの作品世界に含まれる要素が全て詰まった、代表作と言える一冊である。
 ちなみに、数あるマンガ作品の中では、以下の本が最高傑作ではないかと考えている。


●「河童の三平」水木しげる(ちくま文庫)


 90年代当時、私は夢の記録や修行に最もハマっていた時期で、夢に関する本もそれなりに読んでいた。
 中でもしっくりきたのは、以下の本だった。


●「夢を操る マレー・セノイ族に会いに行く」大泉実成(講談社文庫)

 著者の大泉実成は、後に御大・水木しげると世界各地の民族担探訪の冒険に出ている。
 90年代後半の水木しげるは妖怪フィールドワークの最盛期を迎えていて、季刊誌「怪」も創刊され、興味深い本が続々と刊行されていたのだ。


●「水木しげるの妖怪探険―マレーシア大冒険」(講談社文庫)
●「水木しげるの大冒険 幸福になるメキシコ―妖怪楽園案内」(祥伝社)
●「水木しげるの大冒険2 精霊の楽園オーストラリア(アボリジニ)―妖怪の古里紀行」(祥伝社)
 妖怪蒐集のためなら凄まじい目利きとバイタリティを発揮する水木しげるに、他のメンバーや現地の人々がむしろ振り回される様は何とも痛快だ。

 90年代の水木しげるがいかにノリにノッていたかを示すマンガは、以下の作品。
 水木しげる自身が作中に登場し、妖怪について、人生について、縦横無尽、暴走交じりに語りつくす。
 何しろ最後近くには、ねずみ男が教祖と化した「オナラ真理教」まで登場するのである。


●「妖怪博士の朝食1,2」水木しげる

 妖怪という「売れる」フィルターを通すことで、博物学、民族学、民俗学の成果を出版につなげる機運が、90年代には盛り上がっていたと記憶している。
 日本でそうした分野を学びはじめたいなら、あれこれ迷わず素直に水木しげるの作品から入ってしまうのが良い。
 茫洋としたイメージとは裏腹に、ご本人は実はかなりの勉強家で、研究成果を惜しみなく作品に詰め込んでいることは、読めばすぐに分かるはずだ。
 楽しんで読んでいるうちに、必要な素養や読むべき本、聴くべき音源等が、次々に見つかってくるのである。

 一昨年、水木しげる御大は、とうとうお亡くなりになってしまった。
 90年代の目覚ましい活躍の頃から、水木しげるは自身の妖怪探訪を精霊信仰の再評価と位置付けていた。
 人類が数万年のスケールで伝承してきた素朴なアニミズムの世界に、ドグマで縛られがちな「近代」や「宗教」を超克する可能性を見出していたのだ。
 仮面や神像、映像、音源など、おそらく膨大な量、極上の質を誇る一大民族学コレクションが所蔵されているはずなので、いつか公開される日が来ることを心待ちにしている。

 水木しげるが開拓した「妖怪」と言うテーマともに、民族学や博物学への入り口として極めて魅力的なのが「仮面」である。
 私は祖父が彫った妖怪面や能面を眺めながら育ったので、子供の頃から当り前のように好きだったが、そんな個人史を抜きにしても、仮面は誰にとっても理屈抜きで面白さが伝わりやすく、博物館等でも目玉展示になりやすい。
 70年代以降にTVの子供番組に登場した変身ヒーローは、人類古来の仮面文化を正しく継承しているのだ。
 仮面というテーマにこだわりを持ち、探求した人に狂言師の故・野村万之丞がいる。


●「心を映す仮面たちの世界」野村万之丞(桧書店)
●「マスクロード―幻の伎楽再現の旅」野村万之丞(日本放送出版協会)

 マンガでも変身ヒーローは不動の人気を誇るが、ヒーローものの一要素としてではなく「仮面」そのものをテーマにした凄みのある作品も存在する。


●「マッドメン」諸星大二郎
●「花」松本大洋

 民族芸術の世界を訪ねることは、そのまま呪術の世界、精霊信仰の世界を味わうことでもある。
 どっぷり宗教関連の読書にハマり切っていた90年代の私は、そうした素朴な世界を並行して追うことや、遍路で古道を巡ることで、「解毒」されていた面があったと思う。
 ある意味で宗教には「毒」があり、毒があるからこそ「薬」にもなるのだ。
(続く)
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2017年03月23日

本をさがして7

 90年代、一つのピークを迎えていた水木しげるとのコラボという点では、今や「もう一人の妖怪御大」と呼ぶべき荒俣宏の活躍も見逃せない。
 荒俣宏の独自性は、図版の収録された稀覯本への偏愛と、膨大なコレクションにある。
 博物学というジャンルの面白さを広く一般に紹介した本が、以下のもの。


●「増補版 図鑑の博物誌」荒俣宏(集英社文庫)

 他にも「図鑑」や「図像」についての著作は多数あるが、そうした分野の仕事の集大成が以下のもの。




●「世界大博物図鑑」荒俣宏編(平凡社)
 古今東西の図鑑から極上の図版を集成したシリーズ。
 ほんの一昔前は、こんな贅沢な本作りが可能だったのかと、隔世の感を覚える。
 2010年代も半ばを過ぎた今、出版の斜陽、とくに紙の本の凋落はもはやとどめようもないが、当時はまだまだ余裕と夢があったのだ。
 この大部の大図鑑、さすがに自分で購は入できなかったが、図書館で繰り返し開き、美麗かつ珍奇な図版の数々に酔いしれたものだ。

 思えば私は、子供の頃から図鑑が大好きだった。
 学研の子供向け学習図鑑を何冊か買ってもらって、何度も飽きずに眺めていたのだが、特に気に入っていたのは以下の二冊。


●「人とからだ」
●「大むかしの動物」
 前者は今から思うと生ョ範義との出会いの一冊だった。
 後者は恐竜に限らない古生物全般を時代順に扱った一冊で、地球の生命史をパノラマ図で順に紹介する構成が素晴らしかった。
 現在は新版に切りかわってしまい、図版の魅力がちょっと減じたように感じられる。
 もちろん昔馴染みの本への愛着や「思い出補正」もあると思うが、とくに「大むかしの動物」の方にパノラマ図が減ってしまっている点はマイナスだと思う。
 単に古生物をバラバラに並べるだけでも「知識」の紹介は出来るけれども、それではカタログでしかない。
 その時代ごとに生態系を展開して見せるパノラマ図には、「全体像」を伝える効果がある。
 売れ筋の恐竜図鑑は、実質「恐竜カタログ」になりがちなのだが、だからこそややマイナーな古生物全般を扱った図鑑は、もっと「進化という概念」を伝える本であってほしいのだ。
 学習図鑑なので情報は更新しなければならないのはわかるが、子供の知的好奇心を喚起するには、バラバラの知識を統合する世界観の要素も大切だと思うのである。

 子供の頃の私は、こうした図鑑や、「進化」そのものを扱った児童書を熱心に読み耽っていた。
 もちろん恐竜も好きだったが、恐竜以前の甲冑魚や哺乳類型爬虫類、恐竜と同時代の翼竜や魚竜、首長竜、原始的な哺乳類、恐竜が滅びた後の哺乳類など、絶滅生物全部が好きだった。
 当時私が好きだった本の中から、現在でも入手可能なものを紹介してみよう。


●「先祖をたずねて億万年」井尻正二、伊東章夫(新日本出版社)
●「いばるな恐竜ぼくの孫」井尻正二、伊東章夫(新日本出版社)
●「ひれから手へ‐進化の冒険」アンソニー・ラビエリ(福音館)

 今はもうバリバリの文系人間だが、子供の頃の私はけっこう科学少年だったのだ(笑)

 70年代は怪獣映画や特撮番組の最盛期だった。
 怪獣の多くは着ぐるみで撮影されていて、尻尾を引きずった二足歩行のスタイルは、当時の恐竜の生態再現図をベースにしていた。
 恐竜の持つ「尻尾を引きずった鈍重な巨大生物」のイメージが更新され始めたのが、80年代半ば以降だったと記憶している。
 その頃から、尻尾を跳ね上げ、体幹部を地面と水平に保持しながら俊敏に動作する新しい恐竜像が、再現イラストでも多く採用されるようになっていった。
 90年代に入ってから更に恐竜研究は進み、鳥類との密接な関係など、現在につながる要素が出揃っていき、世の中の「恐竜のイメージ」を激変させた映画「ジュラシックパーク」が公開されたのが1993年である。
 タミヤの1/35恐竜プラモがリニューアルされたのも、この頃だったはずで、それぞれの時代の「恐竜のリアル」の変遷が見て取れる。


●タミヤ 1/35 恐竜シリーズ No.03 ティラノサウルス
●タミヤ 1/35 恐竜世界シリーズ No.02 ティラノサウルス 情景セット

 そうした世相を受け、私は子供時代以来久々に古生物に対する熱がよみがえって、関係する書籍を読み漁った。
 中でも最も知的興奮を覚えた書き手が、サイエンスライターの金子隆一だった。


●「新恐竜伝説―最古恐竜エオラプトルから恐竜人類まで」金子隆一(ハヤカワ文庫NF)

 90年代には同氏が主導した古生物雑誌も刊行され、毎号スリリングな研究やイラストが掲載されていた。
 確か、学研の科学雑誌の別冊としてスタートし、後に独立したシリーズになって13号くらいまで出ていたはずだ。


●「恐竜学最前線」
 
 これらの本は既に二十年前のものなので、さすがに内容自体は古くなりつつあるが、「知的興奮を呼び覚ます」という点では、今もその価値は変わらない。
 私が子供の頃に読んだ70年代の古生物児童書が今読んでも面白いのと同じである。

 今から考えると、私は古生物学や生物進化という概念を、「精緻で魅力的な創世神話」として楽しんでいたのだと思う。
 だからこそ、当時ハマっていた宗教や民族の読書と並行して、貪欲に読み漁ることができたのだ。
 このブログでも、ずっと以前から「カテゴリ:進化」みたいな形でカタッてみたいと考えていたのだが、まだ果たせていない。
 私の古生物趣味の一端は、ティラノサウルスのペーパークラフトとしてチラ見せしたことがある。
 この展開図はけっこうあちこちで、ワールドワイドに紹介していただいている。
 季節のおりがみと共に、ブログの本筋ではないけれどもアクセスの多い人気コンテンツになっているのだ(苦笑)
(続く)
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2017年03月25日

本をさがして8

 私が岡本太郎に「再会」したのは、瓦礫の中からようやく日常を拾い集めつつあった神戸の街中でのことだった。
 何気なく立ち寄った書店で、すっと目にとびこんできた雑誌の表紙があった。
 美術系の雑誌、真っ白な背景の中を、モノクロの岡本太郎が少し振り返って微笑しながら走り去る写真。
 私はその雑誌の追悼特集で、96年1月に岡本太郎が亡くなったことを知った。
 思わず雑誌を手にとって、貪るように読んだ。
 今まで「空気」だった岡本太郎が、血と肉と、透徹した知性を備えた生身の人間として、改めて私の心をつかんで離さなくなった。

 私たちの世代は、子どもの頃から空気のように「岡本太郎」と言う存在を呼吸して育ってきた。
 大阪・千里の万博公園で見上げる「太陽の塔」のことは、みんな好きだった。
 テレビCMではギョロッと目をむきながら「芸術は、爆発だ!」とか、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」と叫ぶ変わった芸術家のおじさんとして、鮮烈な印象を放っていた。
 また、岡本太郎デザインの鯉のぼりというのもあって、これまたTVコマーシャルで鮮やかな原色のデザインが強烈だったし、今はなき近鉄バッファローズのマークも岡本太郎デザインでカッコよかった。
 私の世代の多くは、自然に「芸術家=岡本太郎」とイメージするようになり、今から考えるとその理解は物凄く的確だったことが分かる。

 はじめて岡本太郎の絵画作品の実物を目にしたのは、確か中学生の頃だったと思う。
 中学生になり、多少の絵画技術をかじるようになると、タレントじみた岡本太郎の活動が軽く見えたり、太陽の塔のようなシンプルなデザインがつまらなく思えたりしてくるようになる。
 思春期に入ったばかり、技術を学び始めたばかりの初心者が陥りがちな馬鹿さ加減なのだが、当の本人は自信満々だから自分の未熟さに気付けるはずもない(苦笑)
 そんな馬鹿真っ盛りの頃、近場の美術館で展覧会があった。
 正確なタイトルは覚えていないが、日本の近現代の絵画を広く集めた展示だったと思う。
 何点か岡本太郎の絵画作品があり、今でもはっきりと記憶に残っている。
 馬鹿全開の中学生の私にすら、その特異性は一瞬で理解できた。
 作品の持つ空気が、その場の並み居る画家の作品とまったく違っており、とくに「森の掟」にはただただ圧倒された。
 その展覧会には他にも優れた作品がたくさんあったはずなのだが、現在の記憶の中には岡本太郎の作品しか残っていない。
 私の中で岡本太郎と言う名前が「TVにでている爆発おじさん」から「凄まじい筆力を持った画家」に変わった瞬間だった。
 しかし当時の私には、岡本作品の圧倒的な力にまともにぶつかるだけの余力がなく、以後は「敬して遠ざける」という付き合い方になってしまった。

 それから時は流れて1996年。
 阪神大震災やオウム真理教事件の動乱の翌年、訃報が流れたのである。
 訃報とともに岡本太郎の再評価が始まり、作品集が刊行され、多くの著書が復刊された。
 私が本格的にそれらの著作に取り組み始めたのは2000年以降なのだが、90年代当時からぼちぼち読み始めていた。


●「今日の芸術」岡本太郎(光文社文庫)
 1954年に初版が刊行され、芸術を志す者に広く読み継がれてきた一冊。表題「今日の芸術」は、1950年代における「今日」を意味しておらず、芸術がその時代それぞれの「今日的課題」であるための条件を、きわめて平易な文章で語りつくしている。出版社の意向で「中学生でも理解できるように」徹底的に言葉を噛み砕いているため、読んでいてテンションの高い講演会を聴いている様な、流暢な香具師の口上に聞き惚れているようなライブ感がある。

「今日の芸術は、
 うまくあってはならない、
 きれいであってはならない、
 ここちよくあってはならない」

 こうした刺激的なコピーで読む者は首根っこを捕まえられ、理路整然と説得され、勢いに巻き込まれて一気に通読させられ、いつの間にか意識は転換させられてしまう。
 個人的には「芸術」と「芸事」の相違の解説の部分が、この本の白眉だと感じた。たゆまぬ修練によって身につけた技能が、実は芸術の本質からはずれた価値であるかもしれない。そのことは恐ろしくもあり、勇気づけられもする指摘だ。

●「青春ピカソ」岡本太郎(新潮文庫)
 岡本太郎が「今日心から尊敬する唯一の芸術家」と評し、だからこそ超えるべき対象として想定したピカソについての一冊。ピカソの作品や経歴についての詳細な解説であると同時に、真正面から取り組むことで積極的に創り上げた岡本太郎独自の芸術論の書でもある。
 最後の章でピカソと実際に会うくだりは、湿度が低くさらっと明朗な交流の様子がうかがえる。ピカソのぶっきらぼうな言葉の断片と、太郎の受け答えは、特筆するようなことは何もないのだが、何度も読み返したくなる。

●「岡本太郎に乾杯」岡本敏子(新潮文庫)
 太郎の活動を支え続けた岡本敏子が、太郎の死後、秘書としての視線から遺した記録。昨今の太郎再評価の機運は、敏子の尽力の賜物といって良いが、その敏子も今はもういない。
 表紙に使われている写真が良い。白い背景の中、ふと振り返って、少し微笑んでからどこかへ駆け出していく姿は、戦後の日本を駆け抜けた岡本太郎そのものに見える。
 私が1996年の神戸で、ふと手に取った雑誌の表紙になっていたのも、この写真だったはずだ。


●「日本の伝統」岡本太郎(知恵の森文庫)
 独自の視点から日本文化を創造的に評価しなおした一冊。とりわけ第二章の縄文土器についての考察が白眉。岡本太郎の目を通し、岡本太郎の感じ取った縄文が、以後の縄文観の原点になっていることがよくわかる。しかし、太郎が「四次元」「呪術」と表現した、単なる造型上の要素を超えた縄文土器の価値については、いまだ十分に考察がなされていないと感じる。
 まだまだ縄文は新しくあり続けることを予感させる論評だ。

●「沖縄文化論―忘れられた日本」
 沖縄論の古典とも言うべき必読書。中公文庫に収録されており、価格も安く入手も容易。初版の刊行は1961年であり、内容の大半は復帰前の沖縄の生々しい現地レポートだ。
 岡本太郎のモノを観る視点は、限りなく知的で醒めており、表現は的確だ。生粋の日本人でありながら、日本を突き放しつつ、誰もが忘れ去ってしまった日本の古層に横たわる美を抉り出す。
 縄文土器の美を世界中で最初に見出したのは岡本太郎であったし、沖縄についても戦後最初の紹介者にあたるのではないだろうか。沖縄に対する視点、分析は、とても60年代初頭に書かれたとは思えぬほどに新しい。 
 試みにいくつか章題を書き出してみよう。

・「何もないこと」の眩暈
・踊る島
・神と木と石
・ちゅらかさの伝統
・神々の島 久高島

 これらのキーワードは、現在でも多くの人々によって研究され論じられているものばかりだ。沖縄にまつわる主要な論点は、60年代の時点で既に、岡本太郎の透徹した感覚によって捉えられていたことになる。
 沖縄に興味を持つ人には、まずこの一冊をお勧めしたい。

●「岡本太郎の沖縄」
 こちらは「沖縄文化論」執筆と同時期に撮影された、岡本太郎自身によるモノクロ写真の数々を、岡本敏子が編集したもの。「沖縄文化論」にもいくつかの写真は紹介されているが、本格的な写真集で見ると圧巻だ。
 岡本太郎特有の、光と闇のコントラストの強烈な写真の数々が「岡本太郎の見た沖縄」を生々しく記録している。
 とくに昔の沖縄のおばあさん達を撮った素晴らしい写真が多い。
 私は大本教に興味があって色々資料を漁っているのだが、大本開祖・出口なおの写真を観た時の衝撃と似た感動を、この写真集の沖縄のおばあさん達の写真に覚えた。長い年月に洗い晒された銀髪と、誇り高い毅然とした表情が、両者に共通している。
 私は以前カテゴリ沖縄で「本土では神木クラスの樹木が、沖縄ではごく普通に生い茂っている」と書いたことがある。人間についても似たことが言えるのかもしれない…

 
 岡本太郎に再会した私は、絵を描くとかものを創るということは、そもそも「何を見てどう感じるか」から始まっていることに、あらためて気づかされた。
 そして、この日本という国の中にも、まだまだ隠れた「呪力」が残っていることを知ったのである。

 岡本太郎については、一つのカテゴリとして、このブログで紹介してきている。
(続く)
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2017年03月26日

本をさがして9

 90年代半ば以降、神仏や宗教についての読書を開始した頃、わりとリアルに心配していたことがあった。
「こんな本ばかり読んでたら、頭イカれてしまうんじゃないか?」
 ぶっちゃけて言えば、そんな懸念だった。
 そもそも絵描きなので、軽微ながら「幻視」の傾向はあった。
 日常生活に支障が出るほど「見えっぱなし」ということはなかったが、疲労や睡眠不足でぼんやりしている時、変な感じになることはたまにあった。
 睡眠時にいわゆる金縛りや幽体離脱みたいな体験はけっこうあったし、悪夢や怪夢の類はよく見た。
 そして、我ながら呆れるほど融通の利かない、思い込みの強い性格である。
 下手に宗教書を読み込んだりすると、本当におかしくなってしまうんじゃないかと思ったのだ。

 そんな懸念を抱えていたので、まずは河合隼雄の本をよく読んだ。
 どれを読んでも面白いのだが、入り口として読み易いのは以下の本あたりではないかと思う。


●「無意識の構造」(中公新書)
 ユング派の心の構造の考え方を総合的に分かりやすく解説した入門書。
●「子供の宇宙」(岩波新書)
 カウンセリングの場面で起こる様々な出来事や、児童文学の中に描かれる子供の内的世界について、実例を挙げながら紹介。
●「明恵 夢を生きる」(講談社+α文庫)
 中世の僧・明恵の「夢記」を題材に、夢に関する様々な事柄を幅広く解説。

 どの本もかなり知的刺激を受けるにも関わらず、ふわりと包み込むような読後感が素晴らしかった。
色々あっても、「ああ、多少イカれてても大丈夫かな」と思えるところが救われるのである。

 精神については他の著者の本もそれなりに読んだが、何か問題を抱えた時に、誰の本を読んでもいいというわけではないことはよくわかった。
 読んだことでかえって追い詰められ、失調する場合もあり得るなと感じた。
 この記事で紹介している著者、著作は、あくまで「私の経験に照らして大丈夫」と感じたものである。

 同じ頃、私が「心の在り方」に関連してよく読んでいた、あるサブカル系のライターがいた。
 名を村崎百郎という。
 自ら「鬼畜」「電波系」を名乗り、日々受信する妄想やゴミ漁りを、狂的、露悪的な文体でサブカル系の雑誌に記事を連発していた。
 巨躯に片目だけを露出した頭巾姿、シベリア出身で中卒の工員、暴力事件を度々起こしたキチガイというプロフィールだった。
 もちろん本名は別にあり、そうしたプロフィールも「事実そのもの」ではなかったのだが、文体の異様な迫力が「真実味」を持たせていた。
 実際、「ひっきりなしに何かが聞こえる」タイプの人であったことは間違いないだろう。

 村崎百郎のことはずっと気になっていて、90年代以降も何か本が出れば手に取っていたが、2010年、ある事件でお亡くなりになってしまった。
 その当時、当ブログでもごく簡単に書いた通り、この人に対して「冥福を祈る」とか紋切り型の言葉をおくることは、少々ためらわれたのである。
「本、何度も繰り返して読みました。『電波系』と『赤泥』は、いまでも読み返してます」
 もしお会いすることがあったなら、たぶんこの一言だけ伝えて早々に退散しただろう。

 事件の報道を知ってから数日、ネットで偶然のぞいたページに、少し感じるところがあった。
 yahoo知恵袋に寄せられた質問の一つである。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1027682090
息子が「ドグラ・マグラ」という本を持ってます
表紙のイラストが怪しげです
裏表紙に[これを読む者は一度は精神に異常をきたすと伝えられる、一大奇書。]とあり、あらすじ的なことは書いてありません
どんな内容なのでしょう?
息子は大丈夫でしょうか?


 ベストアンサーに思わず笑ってしまった。
 その回答だけで十分なはずなのだが、親切な人たちが一々補足しなければならない風潮に、仕方のないこととはいえ、野暮なものを感じた。
 こんなつまらん世の中、どんどんつまらなくなるニッポンで、彼は「村崎百郎」をやってくれていたのだな……
 そんな風に思ったのだ。

 そう言えばこの「ドグラ・マグラ」も、当時何回か読んだ覚えがある。

 
 私が90年代に繰り返し読み、今でもたまに読み返す村崎百郎の著作は以下のもの。
 単著ではないが、かの人の「鬼畜」の部分と、何と表現すべきか言葉が難しいのであえてこの言葉を使ってしまうが、「愛すべき」部分が、それぞれいかんなく発揮された二冊だと思う。


●「電波系」根本敬 村崎百郎(太田出版)
●「電波兄弟の赤ちゃん泥棒」村崎百郎 木村重樹(河出書房新社)

 村崎百郎の死後、関係者の証言と単行本未収録の文章を集めた一冊が刊行された。


●「村崎百郎の本」(アスペクト編)
 私が大好きだった雑誌「imago」掲載の一文も収録されている。
 タイトルは「キチガイの将来」。
 いつも通りの露悪的な文体の底に、キチガイとキチガイ予備軍に対する(これも他に適当な言葉が見つからないのでやむなく書いてしまうが)「やさしさ」が感じられ、しんどくても生きていける気がする名文なのである。
 鬼畜を装っていても実はイイ人みたいな紹介のされ方は、村崎百郎本人が最も嫌うだろうということは分かり切っているので、表現が難しい。

 村崎百郎の死の直後、私は自分の記事のタイトルに「偽悪と露悪の向こうがわ」と書いた。
 ちゃんと表現できている気がしなくてその後もあれこれ考えているのだが、彼を表すのに適当な言葉はまだ見つかっていないのである。


 私が90年代に読み耽った「こころ」に関する両極端とも言えるお二方は、今はもうどちらもお亡くなりになってしまった。
 一通り読み終わった後、当時の私は、軽い失望と共に、一安心した。
「おれには本当に狂ってしまえるほどの才はないな」
 そんな風に、了解できたのだ。
(続く)
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2017年03月31日

本をさがして10

 1995年、カルト教団によるテロ事件が起こった後、その「解釈」を巡っては、いくつかの方向性があったのではないかと思う。
 一つには、まず何よりも「宗教」の起こした事件として論じる方向があり、「いやあれは宗教ではない」という反論も含め、「宗教とテロ」や「宗教と国家」というテーマが、あらためて持ち上がっていた。
 もう一つは、「国家転覆を企図する閉鎖的な集団が起こした事件」という点から、連合赤軍事件等の「政治案件」と比較しての論点があり、確かに教団信者の年齢層の上限あたりは、そうした事件の世代とも重なっていた。
 おそらく治安当局や報道の主力世代は、そうしたケースを念頭に置きながら、ことにあたっていたのではないかと思う。
 そしてもう一つ忘れてはならないのが、「サブカルチャー」という文脈からの言説だった。
 かの教団の、とくに三十代あたりの幹部信者の多くは、マンガやアニメで育った世代で、教団刊行物や宣伝手法、使用されている用語等に、明らかにその影響が見て取れた。
 当時のサブカルチャー界隈で活躍していた作家やライターの多くが教団幹部と同世代であり、直接の知り合いであったケースも多数あったようで、一時騒然とした雰囲気だったと記憶している。
 同世代的な視点から事件を論じたものには、たとえば以下のような本があった。


●「ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教」(太田出版)
●「オウムという悪夢―同世代が語るオウム真理教論」(別冊宝島)

 事件当時私は二十代で、かの教団信者の年齢層の下限あたりに引っかかっていた。
 周囲で色々取り沙汰される噂話も含めると、どうやら「知り合いの知り合い」くらいの距離感で何人か信者がいるらしいことがわかった。
 人脈的に意外に近い。
 興味の分野もかなり近い。
 しかし、強い違和感はある。
 当時は「何がどう同じで、何がどう違うのか」を中々言葉にできず、もどかしさを感じていたので、こうした自分より一世代上のサブカルチャーの担い手たちの言葉を、貪るように読んでいた。
 
 教団幹部と同世代が事件を論ずると、どうしても話者の「自分語り」の部分が出てくる。
 教団に身を投じた者たちと、生まれ育ってきた時代背景の共通する、身を投じなかった自分自身の生い立ちからふり返る。
 自分の心の奥底にもある「ハルマゲドン」と切り結ぶ。
 そんな試みの中で、私が繰り返し読んだのは、上掲の二冊や以下の本だった。


●「私とハルマゲドン」竹熊健太郎(ちくま文庫)
●「篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝」竹熊健太郎(河出文庫)
 事件直後に書かれた自伝的作品と、それ以降のインタビュー集である。
 事件そのものを扱った一冊目に対し、二冊目は一部触れるにとどまっているけれども、どこかでつながった仕事であると感じるのである。

 サブカルチャーの中から、教団を論ずるだけでなく、直接対決にまで至ったケースもあった。
 90年代当時、週刊SPA!誌上で最も勢いのあった連載作品「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりである。
 連載開始当初は「ギャグマンガ家が独自の視点から世間に物申す」というスタイルだったのが、次第にエンジンがかかって部落差別や菊タブー、薬害事件等のシリアスなテーマを扱い、時には最前線に立つ「社会派マンガ」として成長していく。
 そんな流れの中でかのカルト教団の話題も出るようになり、ついには教団から刺客を送られ、VXガスで暗殺されかける事態に至るのである。
 事件当時の掲載誌はこの作品と共に、鈴木邦男や宅八郎の記事も同時に連載されていて、「事件を報じる」というよりは「誌上でも局地戦が起こっている」というような雰囲気になっていたと記憶している。
 マンガと現実が交錯し、サブカルチャーが現実の「リアクション」であることを逸脱する、非常に刺激的な作品で、現在でも掲載誌をかえながら語り続けられている。
 現在の私は「ゴーマニズム宣言」の全ての主張には必ずしも同意出来なくなっているけれども、小林よしのりという語り手の「作家的良心」には、変わらず信頼を置いている。
 何かあった時、「小林よしのりはどう考えているのだろう?」と気になる存在であり続けているのだ。
 90年代の作品で好きなのは、薬害事件を扱った以下の本。


●「新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論」小林よしのり(幻冬舎)
 この作品以降、「ゴー宣」と小林よしのりは別次元に突入したと感じられる一冊である。
 その変化には賛否が分かれると思うが、少なくともこの作品は、今も一読の価値があると信ずる。
 カルト教団を直接扱ってはいないが、内容的には通底していると感じる。
 
 テロ事件当時、週刊SPA!とともに切り込んだ記事を掲載していたのが「週刊プレイボーイ」だった。
 中でも藤原新也の「世紀末航海録」が凄かった。
 連載の中で、かの教祖の生い立ちに関わる、ある「想念」が語られたことがあった。
 この「想念」が今後どのように展開していくのかと息を潜めて読んでいたのだが、ついに連載内では続きが語られることはなかった。
 やや唐突な話題の切り上げ、転換が行われ、何らかの圧力が働いたのかとも思わせるものがあった。
 そうした経緯も含め、全てが語られる「完結編」ともいえるのが、2000年代に入ってから刊行された以下の本である。


●「黄泉の犬」藤原新也(文春文庫)
 私が知る限り、「教祖の闇」に最も切り込んだのはこの一冊ではないかと感じているのである。

 90年代の私は、事件はやはり「宗教」にカテゴライズされるべきだろうと考えていた。
 サブカルチャーの文脈ももちろん含まれるだろうけれども、サブカルではハルマゲドンは起こせまいと思っていた。
 今は少し違っていて、「宗教のサブカル化」こそが事件の引き金になったのではないかと考え始めている。
 このことはまた、記事を改めて。
(続く)
posted by 九郎 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする