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2017年04月04日

本をさがして11

 3.11以降、90年代によく読んでいた著者、著作を再び手にとる機会が増えている。
 一つには、2010年代の世相が、90年代にかなり似ているのではないかという、個人的な感覚がある。
 もう一つは、90年代の若者であった私が、かなり背伸びし、つま先立ちで読んでいた本の内容が、ようやく地に足のついた理解レベルに達してきたような気がすることもある。

 90年代当時、私が最も傾倒していた書き手の一人が、「突破者」宮崎学である。
 宮崎学は敗戦直後の昭和20年、京都伏見の解体屋稼業ヤクザの親分の家に生まれた。
 ちょうど私の親の世代に当たる。
 長じて早稲田大学に進学してからは学生運動に身を投じ、共産党のゲバルト部隊を率いる。
 その後、トップ屋などを遍歴し、京都に帰って解体業を継ぐようになる。
 ヤクザでありながら住民運動や組合活動にも手を貸す変わり種であったが、京都はもともと戦前からアウトローと左翼活動家の距離が近い土地柄でもあった。
 著者が世間的に最も注目を集めたのは、グリコ森永事件の最重要参考人「キツネ目の男」として容疑をかけられたことだろう。実際、あの有名な似顔絵は、宮崎学本人をモデルに描かれたという説もある。
  警察との徹底抗戦の結果、アリバイは崩されず逮捕には至らなかったのだが、稼業は大きなダメージを受け、後に倒産。
 バブル当時は地上げなども手掛け、96年、その特異な半生を綴った「突破者」で作家デビューする。


●「突破者〈上下〉―戦後史の陰を駆け抜けた50年」宮崎学(新潮文庫)
 作家は処女作に全てがある、とはよく言われる。
 どれを読んでも面白い宮崎学の場合も、このデビュー作が飛び抜けている面。
 「アウトロー作家」というよりは、本物のアウトローがシノギの一つとして作家活動をしているスタンスがなんとも痛快で、後に多くの著作で展開される問題意識の全てがこの一冊に濃縮されており、宮崎学の著作未読であれば、やはりこの作品からがお勧めだ。

 報道などで無批判に流布される「定説」に対し、アウトローの立場から一時停止をかけ、その根本から実例を挙げて反証していく痛快さが、宮崎学の真骨頂である。
 私は最初の一冊から熱狂的なファンになり、現在までに著作の9割以上は購読しているはずで、当ブログでも、何度か紹介してきた。

 処女作「突破者」は、自伝でありながら血沸き肉躍る活劇だったが、最近作はまた違ったアプローチになってきている。
 出自である伏見の最下層社会に対する視線は限りなく優しく、民俗学の領域とも重なる。
 かなり落ち着いたトーンで、著者の同世代に対しては「まだやれることがあるだろう」と語り、下の世代に対しては「もっと自由に好き勝手をやれ」と呟くような、なんとなく「死に仕度」を思わせる雰囲気があるが、気のせいであってほしい。

 ナニワのマルクス、故・青木雄二との一連の対談本も面白かった。


●「土壇場の経済学」(幻冬舎アウトロー文庫)
●「土壇場の人間学」(幻冬舎アウトロー文庫)
●「カネに勝て! 続・土壇場の経済学」(南風社)

 青木雄二「ナニワ金融道」も、90年代当時よく読んでいた。
 確かバイト先の近所のカレー屋に全巻揃っていて、昼休みになると通って「二倍カレー」を食いながら、読み耽っていた覚えがある。


●「ナニワ金融道」青木雄二(講談社)
 今読むとさすがに描かれる時事風俗には「時代」を感じるが、かえって「90年代のリアルな時代劇」として新しい価値が出てきている感もある。
 保証人と連帯保証人の違い、金の貸し借りが「合法的な奴隷」を作り出すディティール、自己破産という正当な権利、「マルチ商法は、どんな貧乏人でも持っている人間関係を、まるごと換金するシステムである」という洞察など、今の世にこそますます必要とされる「ゼニの真実」が、これでもかというほど詰め込まれている。
 そしてその乾ききったリアリズムの果てに、なお立ち上ってくる「情」や「人間の尊厳」を、しみじみと味わうことのできる、名作中の名作なのである。

●「さすらい」青木雄二
 代表作「ナニ金」完結とともに漫画家を卒業した青木雄二の、数少ない短編作品を集めた一冊。

 90年代を「ナニ金」とともに駆け抜けた青木雄二は、2003年癌で早逝した。
「サクセスしたわしは資本主義の方が都合がええんや。そやけど、搾取されとる庶民のおまえらが気の毒やから、唯物論を教えたっとるんや」
 マンガの筆を折って以降も、そうした主張の著作を数多く世に出していた。
 誇張された「〜でんがな、〜まんがな」という荒っぽい関西弁の中にも優しさが感じられ、目を開かされた人、苦境を救われた人は多くいたのではないだろうか。
 もちろん私も、そんな中の一人だ。

 90年代は、他にも「個性派左翼」とでも呼ぶべき語り手がいっぱいいた。
 仏教者にしてマルクス主義者の「シャカマル主義者」、右手に仏法左手に六法の怪物弁護士、故・遠藤誠の本もよく読んでいた。
 冤罪の疑いが極めて濃厚な帝銀事件の弁護活動や、暴対法違憲訴訟で山口組の代理人を無償で務めたことでも知られていた。
 90年代当時はカルト教団によるテロ事件の折にも「当事者」として発言が注目された時期があった。


●「新右翼との対話―「レコンキスタ」を斬る」遠藤誠(彩流社)
●「オウム事件と日本の宗教―対談 捜査・報道・宗教を問う」遠藤誠 佐藤友之 (三一新書)
●「真の宗教 ニセの宗教―私がマスコミに言わなかったこと」遠藤誠(たま出版)
 今の私は著者の「伝統仏教批判」や「天皇制打倒」などの主張はそのまま首肯することは出来ないけれども、左右を問わず幅広く議論、交流し、あくまで反権力、弱者の側に立って活動する姿勢は、かわらず痛快に感じる。
 
 他にも「はだしのゲン」の中沢啓治や「カムイ伝」の白土三平も、90年代はまだまだ意気軒昂で、それぞれ力作を執筆していた。


●「はだしのゲン自伝」中沢啓治(教育史料出版会)
 70年代の名作「はだしのゲン」は、舞台を広島から東京に移した続編が構想されていた。
 結局それは執筆されないままに、2013年、著者は亡くなった。
 元々「ゲン」は著者の自伝的な要素の強い作品なので、その後の展開をあれこれ想像する材料は、この一冊に込められていると思う。

 
●「カムイ伝 第二部」白土三平(小学館)
 壮絶な一揆の物語と共に終結した「第一部」の後を受け、88年から90年代を通じて断続的に執筆されたのが「第二部」である。
 もちろん私も連載当時必ず読んでいたのだが、正直言うと、内容にはあまりピンと来ていなかった。
 青年ではなくなった「第一部」の主要登場人物たちの心情が、少しずつ身に染みてきたのは、ようやくここ数年のことである。
 今読むと、自信をもってこの「第二部」も傑作であると言えるのだけれども、それはまたいずれ記事をあらためて語りたい。
 
 こうして並べてみると、今の世間的には短絡的な「サヨク」レッテルを貼られ、敬遠されがちな作者たちだが、私にとっては今も感覚的にフィットする大切な語り手であり続けている。
 主張は左翼的でありながら、作者自身は左翼組織とはまったく馴染めない一匹狼気質であり、あくまで地べたを這いずる個人として語り、闘い抜いてきたことも共通していて、そんなところがまた良い。
 弱肉強食、経済格差の広がる今の日本には、「弱きを助け、強きを挫く」という素朴な浪花節、反骨の志が、パワーバランスとしてもっともっと必要だと思うのだ。
(続く)
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2017年04月06日

本をさがして12

 たまにサヨク的な言辞を記事にする当ブログであり、パワーバランスとしての「心情左翼」を自認する私であるけれども、さほど確固とした政治的立場を持つわけではない。
 子供の頃から小柄で、おまけに弱視児童が出発点なので、「反骨」が性分になっている。
 今でも「多数派」とか、「権力」とか、「図体がデカい」とかいう相手には、とにかく無条件に反発を感じる。
 そうは言っても柔弱な絵描きに過ぎないので、普段から喧嘩上等で相手かまわず食ってかかっているわけではないが、表面上大人しく、基本的には争わず、しかし深く静かに不服従は通す。
 あくまで「反骨」という性分が基本であり、個別の言辞が、世間一般の通念から見て「サヨクっぽく」なるのは結果に過ぎない。
 だから、そうした性分から共感できる語り手には、昔から左右の枠を超えて心惹かれるところがあった。
 90年代の私は「右翼」と呼ばれる中にも、お気に入りの論者が何人かいたのだ。

 読み始めは鈴木邦男だったと記憶している。
 当時は他称「新右翼」、自らは「民族派」と名乗っていた一水会の代表を務めていて、政治や思想にこだわらない幅広い活動を繰り広げていた。
 私が最初に読んだのも、90年代当時ハマり切っていたプロレス関連の書籍だったはずだ。
 率直で小気味の良い語り口が痛快だったので、たとえば以下のような「本業」の方の本も読むようになった。


●「脱右翼宣言」鈴木邦男(アイピーシー)

 何と言っても面白かったのは、94年から「週刊SPA!」で連載されていた「夕刻のコペルニクス」だった。
 それまでに体験してきた「実力行使」を含む民族派運動、思想の枠を超えた幅広い交流、かつて自身に向けられた赤報隊嫌疑などなど。
 素材だけでも十分に刺激的だったのだが、そうしたヤバいネタを語ることによって、各方面からの抗議、脅迫、警察のガサ入れなどが次々と誘発され、それがまた同時進行で連載に取り上げられるという暴走ぶりが、毎週楽しみで仕方がなかった。
 連載はかなり長く続いたけれども、94年の開始から96年分までを収録した一冊目が、飛び抜けて濃厚で面白かった。


●「夕刻のコペルニクス」鈴木邦男(扶桑社文庫)

 前回記事で紹介した突破者・宮崎学との対談本もある。


●「突破者の本音―天皇・転向・歴史・組織」宮崎学 鈴木邦男(徳間文庫)
 この両名、実は早大の学生運動時代は敵味方の関係にあり、乱闘を繰り広げていたとのこと。
刊行当時、「キツネ目の男VS赤報隊!?」というような煽りがつけられていたと記憶しているが、その宣伝に違わぬ濃密な一冊になっていた。

 昨年は日本の右傾化という論点から「日本会議」に関する書籍が一斉に刊行され始めたが、その中でも嚆矢というべき一冊に、鈴木邦男に関する記述があった。


●「日本会議の研究」菅野完(扶桑社新書)
 鈴木邦男が高校時代から「生長の家」の信仰を持っており、早大在籍時に右派の学生運動のリーダーであったこと、そして内部抗争により、運動からも教団からも放逐された経験があることは、自身で繰り返し語られてきたところだ。
 当時「放逐した側」であったメンバーが、現在の「日本会議」を築き上げた経緯は、この本の末尾で初めて知り、90年代になんとなく「空白部分」として残っていた箇所に、思いがけずピースがハマったような感慨を持った。
 そして、私が「右翼民族派」である鈴木邦男の著作を長年にわたって愛読しながら、「日本会議的なもの」に対しては一貫して反発を感じていたことの原因も、ようやく腑に落ちたのである。

 鈴木邦男のリアルタイムの動向は、以下のサイトで週一で紹介されている。
 鈴木邦男をぶっとばせ!


 90年代当時の私が愛読していた、鈴木邦男をはじめとする複数の語り手が、敬意と共に度々取り上げていた名があった。
 野村秋介である。
 右翼民族派でありながら反権力、そして左右を超えた幅広く濃密な交流という、私好みの思想傾向の原点になったような人物であることが伺われ、興味を惹かれて著作を読み耽った。


●「さらば群青―回想は逆光の中にあり」野村秋介(二十一世紀書院) 
 93年、朝日新聞本社での「自決」と同時に刊行された、野村秋介の主著である。
 600ページ近い厚みの三部構成。
 第一部は折々の随想や生い立ちに関する記述、第二部は「ナショナリストの本分」、第三部は朝日新聞との論争の集成になっている。
 天皇を奉じるナショナリストであり、改憲派、朝日新聞批判と並ぶと、昨今のネット右翼と変わらぬ印象になるかもしれないが、中身は全く異なる。
 改憲派ではあったが、現憲法の基本理念は肯定しており、決して明治憲法への復帰は主張していなかった。
 むしろ戦前回帰、軍国主義的な、思想無き「反共右翼」は明確に批判しており、国家神道体制も否定している。
 一貫して反権力であり、政権と癒着するジャーナリズムや、見せかけの言論の自由を舌鋒鋭く暴き立てる語り手であった。
 朝日新聞との論争、そして「自決」にしても、戦うべき価値を認めてこそのものだったのだ。
 既に二十年以上前の著作であるけれども、天皇や愛国、改憲を語る時、時代を超え、左右の立場を超えて傾聴すべき論点が詰め込まれた一冊である。
 保守を名乗る者の振舞いの幼稚さ、薄汚さが目に付きすぎる昨今、再読されるべき語り手であると強く感じる。
(続く)
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2017年04月07日

本をさがして13

 いわゆる「日本神話」は、子供の頃からけっこう好きだった。
 もちろん子供なので「記紀」そのものではなく、絵本やマンガ、アニメ化されたものを楽しんだのだが、「国生み」「黄泉の国」「岩戸隠れ」「大蛇退治」などなど、どのエピソードも奇想天外で面白く感じた。

 同じ頃、昭和天皇についてはとくに思うところはなかった。
 歴史の授業で習ったり、歴史モノに出てきたりする、幾人もの天皇の子孫であることは、頭では理解していたが、普段の意識では「たまにTVで見るおじいちゃん」という以上には、何の感想も持っていなかった。
 マンガ「はだしのゲン」ではかなり批判的に描かれていて、作中のゲンや著者の中沢啓治がなぜそのように感じるようになったかは理解できたが、その怒りを「わがこと」と感じるまでには至らなかった。
 なにしろ、子供だったのだ。
 色々自分で考えて判断できる年齢になったのは、ちょうど今の天皇が即位してからになる。
 90年代の幕開けとほぼ同時に「平成」は始まり、それからずっと見続けてきたが、私が今の天皇に感じるのは「頭の下がる思い」と言うほかない。
 知も徳も兼ね備え、柔和な物腰の中に「鋼の意志」も垣間見える。
 日本で最も不自由な、がんじがらめの立場に置かれながら、抑制された「お言葉」と移動のタイミングを武器に、たえず静かなメッセージを発し続けるお姿は、見事としか言いようがない。
 
 子供の頃から神社も好きだった。
 自宅近くに比較的大きな住吉神社があった。
 当時はまだ季節のお祭も盛んで、隣接する溜池で釣りをしたり、境内にあった地区のプールで泳いだり、ときに社殿の屋根によじ登って怒られたりしながら、毎日のように遊んでいた。
 
 日本神話も、天皇も、神社の佇まいも、どれも自分にとっては好もしい。
 しかし、それでもなお「引っかかる」ものがある。
 それが何なのかを知りたくて、90年代の私は本を読み漁っていた。
 まずは「古事記」そして「風土記」だ。

 古事記、記紀神話、日本の古伝承についての本も数えきれないほど刊行されていて、何から読んだらよいのか迷うところだ。
 以前の仏教全般の記事でも述べたけれども、そういう時はごくオーソドックスなものから読んだ方が良い。
 古事記のオーソドックスと言えば、以下に紹介するものになると思う。


●「新版 古事記 現代語訳付き」(角川ソフィア文庫)
 私が90年代によく読んだのは角川文庫のもう一つ古い方の版だが、こちらの新版も良い。
●「古事記(上)全訳注」(講談社学術文庫)
●「古事記」(岩波文庫)


●「風土記」(岩波文庫)
 風土記は日本の古典の中でも最古層に属するが、内容的にはさほど難解なものは無い。より原典に近い雰囲気を感じ取るには岩波文庫版がお勧め。
●「風土記」(平凡社ライブラリー)
 手軽に親しむには現代語訳されているこちらの版がお勧め。

 大人になって読み返してみた原典は、やはり途方もなく面白かった。
 ただ、「記紀神話」をもって「日本古来」とするには、少々但し書きが必要であることも分かってきた。
 事実だけ視るならば、古事記や日本書紀は、その成立当時有力だった各氏族の伝承を(かなり政治的に)集大成した「新たな神話大系」だ。
 記述通り開闢以来伝えられてきたものではもちろんないし、史実としては「皇紀」と同じだけ遡れるものでもありえず、たかだか千数百年、主に宮中で本が伝承されてきたにすぎない。
 その間も、「古事記」そのものや、天皇という存在が一般庶民にもずっと親しまれてきたという事実はない。
 実際の庶民の信仰では雑多な神仏習合の時代の方がはるかに長いし、長さだけで言うなら記紀よりはるか以前から続いたアニミズムこそが「本来の姿」ということになるだろう。
 記紀神話に価値がないと言っているわけではない。
 それは非常に魅力的な神話体系であるし、政治的に集大成されたものとはいえ、古代の神々や天皇の行跡が、善悪を超えてかなり赤裸々に記述されているところは興味深い。
 不思議な懐の深さ、大らかさは感じられる。
 だが、これだけが日本ではないのだ。
 何万年もかけてこの列島に様々な人々や神仏が渡来し、混じり合い、変容してきたこと全部が日本なのであって、歴史上どこかの時点に「正解」があるわけではない。
 本来の国柄であるとか、純粋な神道などというものが歴史のどこかにあったとすること自体が、近世以降の国学〜復古神道〜国家神道という一連の流れから出た「新説」に過ぎないのだ。


●「国家神道」村上重良(岩波新書)

 国家神道は、一言でいうなら「きわめて短期間で破綻した近代日本の新興宗教」だ。
 史実ではありえない神話を現実の天皇制に仮託して強引に「復古」し、その結果国を滅ぼしたカルトであり、国家権力を背景にした官製カルトであることを考えると、悪質さは日本史上でも突出していると言える。
 国家神道体制が確立する過程で起こった、神社合祀、神仏分離、廃仏毀釈により、庶民の信仰や鎮守の森が破壊され、人心も自然も荒廃していった過程は、まなり早い段階から南方熊楠によって鋭く指摘されていた。


●「神社合祀に関する意見」南方熊楠

 また、90年代の私の「最初の一冊」である五木寛之「日本幻論」の中の、「隠岐共和国の幻」の章にも、それらの問題は集約されて語られている。



 この本には、柳田国男と南方熊楠も取り上げられている。
 記紀だけでなく「民俗学」もまた、在りし日の日本の姿を知るには欠かせない。


●「遠野物語・山の人生」柳田国男(岩波文庫)


 私が神社や現天皇、日本神話自体には心惹かれながら、どうしても違和感がぬぐえなかったのは、「国家神道」という官製カルトが原因であった。
 そしてそれは決して過去の遺物ではないのである。
 戦前回帰を志向している神職はわりにたくさん存在して、エコやスピリチュアル趣味で無邪気に神社巡りをするうちに、国家神道的な刷り込みがなされてしまう場合も無しとは言えない。
 某総理大臣夫人などはその口かもしれない。

 ただ、繰り返すけれども、カルトが生じたからと言って、母体となった記紀神話を否定するわけではない。
 カルトはあらゆる宗教、信仰から等しく生じうるのだ。
(続く)
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2017年04月10日

本をさがして14

 神道は、近代において「国家神道」という官製カルトの母体となった。
 その史実から目を背けないという前提に立つならば、日本古来の「神ながらの道」を学ぶことは、豊饒な世界でありえる。
 外来の様々な文化、宗教とゆるやかに折り合いをつけながら伝承され、展開してきた在り様は、非常に面白いのだ。
 古代から近現代までの神道の展開を幅広く紹介できるのが、鎌田東二という語り手である。
 現在オーソドックスな神社神道の流れから、やや「横道にそれた」人物や言説が多く扱われており、90年代に神道についての読書を始めた当初の私は、好んで著作を読み漁っていた。


●「神界のフィールドワーク」鎌田東二(ちくま学芸文庫)
●「霊性のネットワーク」鎌田東二 喜納昌吉(青弓社)

 神社神道から少し横道に入り、あるいは一歩踏み込もうとしたとき、よく目にするのが「古神道」というキーワードだ。
 文字通り解釈するならば「古い神道」ということになるけれども、実際には古神道は「新しい」ことが多い。
 様々な宗教、宗派で何らかの「革新」が行われる場合、よく採用されるロジックが「原点に還れ」という復古運動で、「古神道」は神道における復古であるケースが多い。
 知的に復古すれば国学的な流れになり、神懸りで復古すれば教派神道的な流れになる。
 国家神道の場合も「復古」の過程でカルト化したケースだが、近代以降の日本の神道には他にも様々な復古の形があった。
そこには、神道本来のおおらかさを失った強権的な国家神道へのカウンターとしての現れもあったのだ。
 そんな「古神道」というカテゴリを幅広く紹介できる語り手が、菅田正昭である。


●「古神道は甦る」菅田正昭(たちばな教養文庫)
●「言霊の宇宙へ」菅田正昭(たちばな教養文庫)
●「複眼の神道家」菅田正昭(八幡書店)

 国家神道へのカウンターとしての古神道というモチーフは、70年代から80年代のオカルト界隈でも多く紹介された。
 孫引きを重ね、「ゆるふわスピリチュアル」と化した今のオカルト本とは違い、当時刊行されたものは古文献等の原資料からがっちり読み解いてゆく内容であったので、今開いてみても読み応えがあるものが多い。
 私が今でも手元に置いているのは、たとえば以下の本。


●「神々の黙示録」金井南龍ほか(徳間書店)
 異端の神道家・金井南龍をはじめとするメンバーの座談を編集したもの。
 武田洋一名義の編者は、後に多くの古文献を復刻した八幡書店を立ち上げた、武田崇元である。
 昔は古書店で割と安く入手しやすかったのだが、何年か前からスピリチュアル界隈で「白山」がプチブームになり、その源流になった本書も再評価されたようで、今は少々高値になっているようだ。

 カウンター神道の文脈に登場するキーワードの一つに「古史古伝」というものがある。
 一般には「古事記以前の書」と紹介されることが多いのだが、これも現行テキスト自体は「新しい」。
 古神道モチーフの中の一つとして、90年代の私は関連書をよく読んだけれども、今は離れている。
 内容はそれなりに面白いのだが、どこまでが古伝承でどこからが書き加えなのか判然とせず、そこを掘り下げるほどの興味が持てなかったためだ。
 来歴の真贋を棚上げするならば、内容的には「ホツマツタエ」や「カタカムナ」が興味深かったと記憶している。
 今、一応手元に残しているのは概説的なものだけで、まあそれで十分だと思っている。


●「古史古伝の謎」(別冊歴史読本)
●「謎のカタカムナ文明」阿基米得(徳間書店)

 80年代からオカルト趣味を持っていた私からみると、今刊行されているスピリチュアル関連本はちょっとぬるすぎる。
 ぬるいだけでなく、戦前回帰カルトやスピリチュアルマルチの入り口になってしまっているケースが多々あるので、あまりお勧めできない。
 古書価格でさほど高くないタイミングで入手できるなら、一昔二昔前の本の方がよほど読み応えがあるのである。

 明治時代に国家神道体制が確立して以降は、むしろ弾圧された側の新宗教の方に見るべきものがある。
 国家の方が新宗教より狂っていた時代もあったのだ。
 先に紹介した菅田正昭「古神道はよみがえる」あたりに幅広く紹介されているけれども、いくつか非常に心惹かれる「教え」があった。

 当時、何気なく手に取った白く簡素な冊子があった。
 パラパラめくってみると、中ほどにどうやら創世神話を語っているらしい一章があった。
 大まかなストーリーは以下のようなものだった。

 この世の始まりは泥海
 それを味気なく思った月神と太陽神は
 泥海の中から魚と巳を引き寄せて、男と女の元とした
 シャチ、カメ、フグ、ウナギ等の生き物を引き寄せて、
 体の様々な働きを作り、ドジョウを魂とした
 小さな人類が生まれては滅び、
 最後にメザルが一匹残った
 それが今の人間の祖先である

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 読み進めると、昔どこかで聞いたことがあるような、懐かしい感じがした。
 その簡素な冊子「天理教教典」は、当時百二十円ぐらいだった。



 江戸末期、中山ミキによって創始された天理教は、とくに関西ではそれなりに信仰されており、親類縁者の中に一人くらいは関係している人がいてもおかしくはないのだが、私自身はとくに何の関わりもなかった。
 それにも関わらず、この「泥海神話」に懐かしさのようなものを感じたのは、田んぼと古生物図鑑に囲まれて育ってきた原風景のせいだろうか。

 更に詳しく調べてみると、「天理教教典」の神話の記述の元になった、「泥海古記」という不思議な書物が在るらしいことを知った。
 この書物「泥海古記」は「どろうみこうき」と読み、「こふき」と表記されることもある。
 教祖・中山ミキが折に触れて語った創世神話を、古い信者が書きとめたものであり、筆者や年代によっていくつかの異本がある。
 もっとも流布されたものは、教祖の「お筆先」に似せた和歌体で書かれたものだが、結局教祖の納得した内容のものは完成しなかったらしい。
 国家神道体制下では記紀神話以外の神話体系は認められず、天理教はこの泥海神話が原因で何度かの弾圧を受けたと言う。
 そのため「泥海古記」は厳重に隠蔽されて、実態のつかみづらいものになってしまった。
 弾圧の恐れのなくなった戦後、ようやく復元された内容が、現教典の第三章「元の理」である。

 90年代から天理教関連の資料を読み始めた一つの成果、そして天理教についてのまとめは、当ブログのカテゴリ:泥海で紹介している。
(続く)
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2017年04月13日

本をさがして15

 度々述べてきた通り、「日本の伝統」というものを考える時、記紀神話や神道は一つの重要な素材ではあるけれども、イコールではない。
 あくまで、「文献として確認し得る中では最古層」であるにすぎない。
 それ以前にも様々な古伝承があったことは、他ならぬ記紀自体に記述されている。
 さらに言うなら、天皇家に繋がる天津神以前に、日本の国土には「先住民」がいたこと、天津神が謀略を使う侵略者であったことなども、意外に赤裸々に記述されている。
 天津神はどこからやってきたのかと問われて「高天原」と答えるのは「信仰」であって、史実ではあり得ない。
 ごく常識的に考えるならば、「大陸から」ということになるだろう。
 そもそも神道と道教にかなり共通性のあることは、昔から様々に論じられてきた。


●「混沌からの出発」五木寛之 福永光司(中公文庫)
●「隠された神々―古代信仰と陰陽五行」吉野裕子(講談社現代新書)

 記紀神話に道教の影響がみられるというよりは、東アジアに広範に遍在する道教文化の中の、ローカルな一派が神道であると考えるのが自然なのだ。
 ある時期、道教的な文化を持つ氏族がこの列島にやって来て、先住民と衝突したり交流したりしながら徐々に定着した。
 そしてその後も度々外来の文化や人を受け入れ、混じり合ってきた構図こそが「日本文化の伝統」ということになるだろう。
 規範にすべき「日本固有の純粋な道」のようなものが、歴史上のどこかの時点に存在すると考えるのは国学的な一つの価値観に過ぎない。
 数知れない暴虐に彩られた世界史の中で見るならば、この狭い日本列島の中では比較的穏便な統治が行われてきたということは言えるかもしれない。
 天皇という存在が、そのことに一定の役割を果たしてきた可能性は、十分考えられる。
 歴代天皇は、もちろん保守的ではあったけれども、時代に応じて様々な外来文化を、率先して受け入れてきた史実も幾多あるのだ。
 ただし、一般庶民が天皇の存在を認知していた期間は、きわめて限られる。
 近代に入って天皇が歴史の表舞台に復帰する以前、庶民にとって「テンノウ」と言えば、祇園の牛頭天王を指す言葉だったはずだ。

 牛頭天王はまさに神仏習合を代表するような強力な祭神で、当ブログでも最初期から陰陽道関連のカテゴリで紹介してきた。
 カテゴリ:節分
 カテゴリ:金烏玉兎
 陰陽道、陰陽師、そしてその代名詞である安倍晴明は、平安時代の実在の人物がフィクション化されることで、何度かのリメイクがなされてきた。
 江戸時代には物語の主要なキャラクターであったし、90年代頃からは、夢枕獏の小説作品で人気を博した。
 夢枕獏の描く晴明像、陰陽師像があまりに魅力的であったため、以後の創作物に登場する晴明や陰陽師のイメージはその影響を受け、ほとんど一色に塗りつぶされてしまった感すらある。
 フィクションの世界ではそうした「塗りつぶし」が度々起こるものだし、エンタメとして楽しむ分にはとくに問題はない。
 ただ、ちょっと注意したいのは、中世から近世にかけての神仏習合の宗教者の全てが、陰陽道や陰陽師でくくり切れるものではないということだ。
 それに類する占いや祈祷などの呪的行為を行う者は、平安時代当時から数限りなく存在したが、朝廷に正式に仕える「陰陽師」は限られており、その他はまた様々な別の名で呼ばれていた。
 その実態は単に「宗教者」という範囲も超えていて、ときに芸能者でもあり、医者でもあった。
 とくに日本の庶民文化や芸能史を考える時、陰陽道(とそれに近接する神仏習合の信仰)を抜きにはできないのだ。
 90年代の私は、陰陽道や神仏習合という捉えどころのない難物についての本も数多く読んでいた。
 当時読んでいた本ではないけれども、今お勧めするなら、たとえば以下の二冊。


●「陰陽師とはなにか:被差別の源像を探る」沖浦和光(河出文庫)
●「陰陽師―安倍晴明の末裔たち」荒俣宏(集英社新書)

 他にもカテゴリ「節分」「金烏玉兎」で本の紹介は多く行ってきた。

 日本における「近代化」は、神仏が猥雑に共存した庶民の豊かな生活文化を、国家神道一色に塗りつぶしてしまった側面がある。
 現在「日本神話」として流布されているイメージは、かなり人工的に復古されたものであることには留意しなければならない。
 庶民が長らく親しんできたテンノウという名が、近代化によって牛頭天王から天皇にすり替わったことは、ある意味象徴的であったのかもしれないのだ。
(続く)
posted by 九郎 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする