例によって宗教関連書を漁りに古本屋に行った時、100円均一のワゴンコーナーがあった。
保育社カラーブックスの中の一冊「おりがみ」を何気なく手に取り、表紙を見た瞬間、身体に電流が走った。
●「おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)
そこには赤いおりがみで作られた、見事な般若の面が大写しになっていた。尖った角も出っ張った頬も目も鼻もきちんと作られ、カッと開いた口がもの凄い迫力だった。
なんだ? これが本当におりがみ?
ページを繰って折り方を確かめてみると、鶴の折り方を基本に、ハサミは一切入れていないようだ。
他にも様々な伝承おりがみとともに、著者自身の考案した数々の「創作おりがみ」が紹介されていた。
当時の私は宗教とともに世界の民族芸術、とりわけ仮面文化に関心があって資料を集めていたのだが、この本の中に、多数のおりがみによる仮面が含まれていたことにも興味をひかれた。
もちろん即買い。
ついでに久々に「おりがみセット」も購入し、帰宅後、さっそく「般若」に挑戦してみた。
途中で多少手こずりながらもおりあげてみると、表紙写真とは微妙に違った表情のお面が出来上がった。
著者自身も解説で述べているが、おりがみ面は、おる人によって様々な表情に出来上がるのが面白いのだ。
私はすっかり感激して、他のお面にも次々に挑戦してみた。
そのうち、同じ保育社カラーブックスで、多数の河合豊彰のおりがみ本が出ていることを知った。
お面だけでなく、私好みの仏像的なおりがみもたくさん紹介されていて、よけいにハマっていった。
●「おりがみ入門」
●「創作おりがみ」
●「おりがみU」
私は取り憑かれたように関連本を探し、お面や仏像をおりつづけた。
河合豊彰のおりがみ本は他にも多数あるが、中でも集大成とも言える主著は、以下のものになるのではないかと思う。
●「おりがみ歳時記 春 夏 秋 冬」河合豊彰(保育社)
お面をおるには丈夫な和紙が良く、大きな紙でおった方が表情が作りやすいこともわかってきた。
和紙はアクリル樹脂で固めると頑丈に仕上がることも覚えた。
本に載っているおり方を参考に、少しの工夫で新しいお面が出来上がるのも本当に楽しかった。
以下にその当時私がおった作品の一部を紹介してみよう。
画像一枚目の中央が「般若」の面だ。
私のおりがみの「心の師」は、残念ながら2007年にお亡くなりになったけれども、流派として残っているようだ。
永遠のバイブル、カラーブックスの「おりがみ」も、現在は版型の大きな復刻版が刊行されている。
機会があれば一度手にとって見てほしい。
●「復刻版おりがみ 基本から創作まで」河合豊彰 (カラーブックス)
あらためて読み返すと、巻末に簡潔にまとめられている「折り紙の歴史」が興味深い。
そもそも日本のおりがみは、儀礼に使用されるための「秘伝」から始まったのだ。
おりがみに再びハマったのとほぼ並行して、90年代の私は「切り絵」の手法にも関心を持ち始めていた。
切り絵師・宮田雅之の、流麗な「線」に魅せられたことが大きい。
どんなジャンルにも言えることだが、その世界の「申し子」としか表現できないような第一人者と言うものは存在する。
河合豊彰氏はまさに「おりがみの申し子」だし、切り絵のジャンルで言えば、なんといっても宮田雅之がそうだ。
●「宮田雅之の切り絵八犬伝」(平凡社別冊太陽)
没後、追悼として発行された一冊。
氏の刀さばきが刻み込む妖艶な描線が「八犬伝」の世界と奇跡的にマッチして、ページを開けば凄まじいばかりの「怪しの世界」が繰り広げられる。
大胆な構図は動画を見るごとく、規則的に刻まれた直線は建築物を見るごとく、極限まで究めた省略は抽象絵画を思わせ、流麗な曲線は無音の音楽を響かせる。
絵描きの端くれとして氏の作品を鑑賞すると、無駄な線を極力省く精神力に、つくづく頭が下がってしまう。
自分の腕を誇りたいのは絵描きの本能のようなもの。紙を切りつつ己の技をも断つような静かな気迫、なかなか真似できるものではない。
私は今でも雛人形や兜を折り続けている。
また、表現上の手札の一つとして「切り絵」も使い続けている。
極楽往生源大夫
四聖獣
そして和紙という素材には、ずっと変わらず思い入れを持っている。
和紙を「折る」「切る」という要素を含めれば、御幣や切り紙なども同様の文化として視野に入ってくる。
●「土佐・物部村 神々のかたち」 (INAX BOOKLET)
それは先の記事で紹介した、陰陽道的な神仏習合の民間信仰の世界とも重なってくるのだ。
和紙にまつわる自分の持ち方の底流には、神仏への関心と同一のものがあったのだなと、今は納得している。
(続く)