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2017年04月15日

本をさがして16

 我が敬愛するおりがみ師、河合豊彰さんの本に出会ったのも、90年代のことだった。
 例によって宗教関連書を漁りに古本屋に行った時、100円均一のワゴンコーナーがあった。
 保育社カラーブックスの中の一冊「おりがみ」を何気なく手に取り、表紙を見た瞬間、身体に電流が走った。


●「おりがみ」河合豊彰(保育社カラーブックス)

 そこには赤いおりがみで作られた、見事な般若の面が大写しになっていた。尖った角も出っ張った頬も目も鼻もきちんと作られ、カッと開いた口がもの凄い迫力だった。
 なんだ? これが本当におりがみ?
 ページを繰って折り方を確かめてみると、鶴の折り方を基本に、ハサミは一切入れていないようだ。
 他にも様々な伝承おりがみとともに、著者自身の考案した数々の「創作おりがみ」が紹介されていた。
 当時の私は宗教とともに世界の民族芸術、とりわけ仮面文化に関心があって資料を集めていたのだが、この本の中に、多数のおりがみによる仮面が含まれていたことにも興味をひかれた。
 もちろん即買い。
 ついでに久々に「おりがみセット」も購入し、帰宅後、さっそく「般若」に挑戦してみた。
 途中で多少手こずりながらもおりあげてみると、表紙写真とは微妙に違った表情のお面が出来上がった。

 著者自身も解説で述べているが、おりがみ面は、おる人によって様々な表情に出来上がるのが面白いのだ。
 私はすっかり感激して、他のお面にも次々に挑戦してみた。
 そのうち、同じ保育社カラーブックスで、多数の河合豊彰のおりがみ本が出ていることを知った。
 お面だけでなく、私好みの仏像的なおりがみもたくさん紹介されていて、よけいにハマっていった。


●「おりがみ入門」
●「創作おりがみ」
●「おりがみU」
 
 私は取り憑かれたように関連本を探し、お面や仏像をおりつづけた。
 河合豊彰のおりがみ本は他にも多数あるが、中でも集大成とも言える主著は、以下のものになるのではないかと思う。



●「おりがみ歳時記 春 夏 秋 冬」河合豊彰(保育社)

 お面をおるには丈夫な和紙が良く、大きな紙でおった方が表情が作りやすいこともわかってきた。
 和紙はアクリル樹脂で固めると頑丈に仕上がることも覚えた。
 本に載っているおり方を参考に、少しの工夫で新しいお面が出来上がるのも本当に楽しかった。
 以下にその当時私がおった作品の一部を紹介してみよう。
 画像一枚目の中央が「般若」の面だ。

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 私のおりがみの「心の師」は、残念ながら2007年にお亡くなりになったけれども、流派として残っているようだ。

 永遠のバイブル、カラーブックスの「おりがみ」も、現在は版型の大きな復刻版が刊行されている。
 機会があれば一度手にとって見てほしい。


●「復刻版おりがみ 基本から創作まで」河合豊彰 (カラーブックス)
 あらためて読み返すと、巻末に簡潔にまとめられている「折り紙の歴史」が興味深い。
 そもそも日本のおりがみは、儀礼に使用されるための「秘伝」から始まったのだ。


 おりがみに再びハマったのとほぼ並行して、90年代の私は「切り絵」の手法にも関心を持ち始めていた。
 切り絵師・宮田雅之の、流麗な「線」に魅せられたことが大きい。
 どんなジャンルにも言えることだが、その世界の「申し子」としか表現できないような第一人者と言うものは存在する。
 河合豊彰氏はまさに「おりがみの申し子」だし、切り絵のジャンルで言えば、なんといっても宮田雅之がそうだ。


●「宮田雅之の切り絵八犬伝」(平凡社別冊太陽)
 没後、追悼として発行された一冊。
 氏の刀さばきが刻み込む妖艶な描線が「八犬伝」の世界と奇跡的にマッチして、ページを開けば凄まじいばかりの「怪しの世界」が繰り広げられる。
 大胆な構図は動画を見るごとく、規則的に刻まれた直線は建築物を見るごとく、極限まで究めた省略は抽象絵画を思わせ、流麗な曲線は無音の音楽を響かせる。
 絵描きの端くれとして氏の作品を鑑賞すると、無駄な線を極力省く精神力に、つくづく頭が下がってしまう。
 自分の腕を誇りたいのは絵描きの本能のようなもの。紙を切りつつ己の技をも断つような静かな気迫、なかなか真似できるものではない。
 
 私は今でも雛人形を折り続けている。
 また、表現上の手札の一つとして「切り絵」も使い続けている。
 極楽往生源大夫
 四聖獣
 そして和紙という素材には、ずっと変わらず思い入れを持っている。


 和紙を「折る」「切る」という要素を含めれば、御幣や切り紙なども同様の文化として視野に入ってくる。


●「土佐・物部村 神々のかたち」 (INAX BOOKLET)

 それは先の記事で紹介した、陰陽道的な神仏習合の民間信仰の世界とも重なってくるのだ。

 和紙にまつわる自分の持ち方の底流には、神仏への関心と同一のものがあったのだなと、今は納得している。
(続く)
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2017年04月17日

本をさがして17

 民族芸術的なものには、昔から興味があった。
 私が子供時代を過ごした70年代から80年代にかけては、大阪万博の余韻もあって、民族学の分野が一般に広く紹介される機運があったのだと思う。
 万博向けに収集された民族芸術品を母体に、跡地には国立民族学博物館が立ち上げられ、各地の小中学校の校庭にはトーテムポールが立てられたりしていた時代だった。
 諸星大二郎の代表作「マッドメン」は、今からでは信じがたいことに、70年代の少年マンガ誌で連載されていたのだ。



 白土三平の「カムイ伝」も、当初の予定では第三部でアイヌの世界に流れ込むはずだったという。

 そうした時代状況と共に、私の場合は幼い頃からお経を読んでいたり、木彫りの妖怪に囲まれて育ったりという原風景も、もちろん影響していたことだろう。

 90年代の学生時代、同じ美術科のメンバーの何人かが民族音楽や民族楽器好きだった。
 私も前から好きだったので、その種のカセットテープを聴かせてもらったり、それぞれ楽器の手作りを試してみたりしていた。
 意識的に民族音楽を聴き始めたのは、その頃からだったと記憶している。
 卒業後もその趣味は続いていて、時期的にもちょうど「アンプラグド」が再評価され始めていた頃だった。

 私にとっての決定的だったのは、家電量販店のワゴンセールで特売CDを眺めていた時の「出会い」だった。
 その時ふと手に取ったCDのタイトルは「高砂族の音楽」。
 全100枚に及ぶ「世界民族音楽大集成」という膨大なシリーズの中の一枚だった。
 台湾原住民の素晴らしい音楽で、中には首狩りの風習を持っていた一族の現地録音も含まれていた。
 少数部族が深い森の中で生み出す音は、素朴でありながら壮大で、混声の響きは宇宙大に広がっていくかのように感じられた。
 言葉はわからないものの、発声は日本語に近く、メロディーは「我が民族音楽」である浄土真宗のお経と、どこか似通っていた。
 すっかり気に入ってシリーズの他のCDも探したが、その後さっぱり見つからなかった。
 近所の図書館の書庫に全部揃っているのを発見し、狂喜乱舞したのは2000年代に入ってからのことである。


●「世界民族音楽大集成」
 質、量ともに、この種の民族音楽集成の中では群を抜いた決定盤ではないかと思う。

 私の場合、たまたま自分の持っている波長と近い音源に出くわす幸運に恵まれたが、民族音楽の世界は興味があってもなかなか入りこみにくい分野ではある。
 同じ地域の民族音楽でも音源によって歴然とした差があり、当たり外れはかなり大きい。
 プレーンな現地録音と、スタジオできれいに再現された音源のどちらが良いかは、一概には言えない。
 制作に豊富な予算を割いたシリーズでもつまらない音源はいくらもあるし、元々ワゴンセールで売ることを前提としたような作りのCDでも、びっくりするくらい良い音源が入っていたりする。
 要するに、「聴いてみないとわからない」という博打の要素が強いのだ。
 もちろん聴き手の理解力の問題もあるだろう。
 入り口としては「素の現地録音」よりも、それを現代風にアレンジしてあったり、現代日本人が演じていたりすると耳に入り易くなるという傾向はある。
 本土で沖縄民謡がこれほど理解されたのも、THE BOOMの「島歌」の功績が大きいと思うし、元ちとせの歌声で奄美民謡に対する理解は深まっただろう。

 そうした民族音楽の「現代語訳」として私がお勧めしたいのは「芸能山城組」だ。
 現在でも入手しやすいのは以下のCD。


●「Symphonic Suite AKIRA」
 映画「AKIRA」の音楽として知られているCDだが、映画から独立したオリジナル作品として聴いても素晴らしい。
 日本の民謡や声明、純邦楽が、ケチャやガムランなどの様々な民族音楽の世界とミックスされて、懐かしくもあり新しくもある祝祭空間が音で創出されている。
 民族音楽のコアな世界への入り口として、これ以上無いほどの一枚である。
●「芸能山城組入門」
 上記以外の様々なアルバムから、濃縮エキスのようにいいとこ取りをした一枚。
 
 波長が合うようなら、以下の代表作二枚をお勧めしたい。


●「恐山」
●「輪廻交響曲」

 ふり返ってみると、民族音楽を聴くこと、お気に入りの音源を探すことは、同時に「自分の魂の故郷」を探しているようなところがあったと思う。
 私の場合、どうやらそれは、日本を含めた東アジアの「森の音楽」ということになりそうだ。

 民族音楽を追っていると、必然的に民族楽器に興味が向く。
 旅行先では土産屋の各種オモチャ楽器に目が行くし、エスニック雑貨の店では最初に楽器のコーナーに足を向けたくなる。
 普通の楽器屋でも民族楽器や手作り楽器のコーナーがないか、まず見回してしまう。
 実際に購入に至ることは少ないのだが、小型で手頃な値段の気に入ったものがあれば、ついつい衝動買いしてしまうこともある。
 周りに「民俗楽器好き」を公言していると、お土産にオモチャ楽器をいただく機会もできる。

 とくに、弦楽器が好きだ。
 決してちゃんと演奏できるわけではないのだが、弦楽器をテキトーに爪弾きながら、好きな歌や語りものを口ずさむのが趣味である。
 その時のお供としてミニギターの類をずっといじってきたのだが、90年代初め頃、初めてウクレレを手にとった。
 今でこそウクレレはかなりの人気楽器だが、当時はさほどでもなく、60〜70年代のハワイアン流行り以降、まだ次の波が来ていなかった。
 だから当時私が購入したウクレレにも、サンプルの譜面に加山雄三あたりの曲が掲載されていて、苦笑した記憶がある(笑)
 今につながるウクレレ人気は、確か90年代後半くらいからではなかったかと思う。
 ウクレレはギターより弦が少なく、ナイロン製なのではるかに抑えやすい。
 私程度の弦楽器の楽しみ方をするには本当にぴったりの楽器で、今でもギターと並んでよくいじっている。

 民族音楽を聴いていると民族楽器で遊んでみたくなるし、素朴なものなら自分で作ってみたくなるのは自然な流れだ。
 私の場合、楽器趣味は自分で工作したりペイントすることまで含んでいる。
 今はけっこう色々と手作り楽器キットが出回っているけれども、90年代当時は美術や音楽教育向けの手作り楽器参考書が何冊か出ている程度だった。
 私が今でも手元に置いて参照しているのは以下の本。


●「音遊び図鑑―身近な材料で楽器を作ろう」藤原義勝(東洋館出版社)

 今現在amazonではちょっと古書価格が高騰しているようだが、小学生でもできる工作から本格的な民族楽器作りまで、実に幅広く紹介してあるバイブルのような一冊だ。

 民族楽器でよく使用される素材が、竹と瓢箪だ。
 身近で加工しやすく、中空構造で音が良く響くことから、様々な地域で使用されている。
 当時の私は都市部に住んでいたので必ずしも身近な素材ではなかったが、ホームセンターや東急ハンズ等で比較的安く手に入った。
 ハンズで入手した瓢箪の中から大量の種子が出てきたので、試しにアパートのベランダでプランター栽培してみたら、ちゃんと果実がついた。
 土が足りなくてさほど大きくはならなかったが、オモチャ楽器の素材としては十分使えた。
 手ごろな竹が手に入らないときは、塩ビパイプがけっこう代用品になった。
 ねずみ色のいかにも安っぽいパイプで尺八を作ってみると、意外にそれらしい音が出てびっくりしたこともある。
 竹と瓢箪という素材は、実は民族・民俗文化を考える上で重要なキーワードになるのだが、当時はまだそこまで気付いていなかった。


●「竹の民俗誌」沖浦和光(岩波新書)

 確かその頃、「週刊プレイボーイ」で気になる記事を見かけた。
 同誌は昔から「グラビアで売って好き勝手な記事を書く」というスタンスが見える「意外と社会派」雑誌で、ハードなルポやくだらない企画、もちろんグラビアも含め、好きでよく読んでいた。
 私が興味をひかれたのは、アイヌの血をひく若者が、ふとしたきっかけで「トンコリ」という民族楽器を手にして、自分で奏法を探りながらルーツに目覚めていった顛末を紹介した記事だった。
 なんとなく記憶に残ったそのアーティスト、OKIのCDを実際に手に取ったのは、2000年代に入ってからだったけれども、今もよく聴いている。


●「KAMUY KOR NUPURPE 」OKI

 90年代後半の私は、様々な宗教書を渉猟するのと並行して、ギターやウクレレで遊んだり、手作り楽器を楽しんだり、民族音楽を漁ったりしていた。
 元々演劇をかじっていたので、音や芸能の世界には興味があったのだけれども、それは別々のことではなく、私の中では一続きのことだった。
 今思うと、私は「自分の魂の故郷に行き着いた先達」としてのOKIに、心惹かれていたのだろう。
 私の場合、どうやらそれは「東アジアの森の音楽」だったし、自分で唱えたり歌ったりするなら和讃や祭文の世界になる。
 手作り楽器趣味も、じわじわとそうした世界観に合う音の出るものに傾いて行った。
 今は、ボックスギターというジャンルにハマっている。
(続く)
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2017年04月19日

本をさがして18

 95年にカルト教団によるテロ事件が起こった当時、よく話題にのぼっていたのが、戦前のいわゆる「大本教弾圧事件」だった。
 国家神道体制が確立した近代日本では、その範疇に収まらない宗教、宗派は、何らかの形で弾圧を受けた。
 当時は「国家の方がカルト」という逆転現象が起きていたので、戦前戦中の弾圧の事実は、戦後裏返ってむしろ勲章になった。
(在連立与党で戦前回帰の片棒を担いでいる公明党の支持母体・創価学会も、戦前には激しい弾圧を受けており、初代会長は獄死している)
 そして、戦前、戦中の宗教弾圧の中でも史上空前の規模で行われたのが、大本教のケースだったのだ。
 95年の事件では、カルト教団側が自らを正当化するモデルケースとして大本教事件を取り上げ、それに対して文化人や宗教学者から「戦前とは国家と宗教の在り方が全く違う」と反論されるという流れがあったと記憶している。
 大本教と教主・出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)については、その名前や簡単な事跡くらいは知っていた。
 私は80年代からオカルト趣味があったので、雑誌などで得た断片的な知識から、王仁三郎のことは「近代日本の卓越した予言者」といった文脈で記憶していた。
 80年代オカルト的な解釈で描かれた出口王仁三郎像としては、八幡書店の武田崇元の著書が一つのスタンダードになっているだろう。


●「新約 出口王仁三郎の霊界からの大警告」武田崇元(学研)
 本書は80年代初出。90年代、2010年代に、それぞれリニューアル版が刊行されている。
 現在入手しやすいのは2013年版。
 予言や超能力等のサブカルチャー的な間口を用いながらも、知的探求に堪えるコアな領域までカバーした、読み応えのある一冊である。

 95年当時、大本教事件を取り上げる際には、それをモデルにしたと思しき高橋和巳の60年代半ばの小説「邪宗門」が、よく引き合いに出されていた。
 左派知識人が書いた小説なので「あまり面白くない」とか「読みにくい」とかいう但し書きとともに紹介されることが多かったのだが、興味を惹かれてともかく読んでみた。


●「邪宗門 上下」高橋和巳(河出文庫)
 事前に目にしていた「悪評」にも関わらず、読んでみるとかなり面白かった。
 インテリの書いた教養小説とは言いながら、筋立てはかなり波乱万丈で、歴史モノに仮託して抑圧された民衆の武装蜂起を描くという点は、白土三平の「カムイ伝」とも共通するアプローチだと感じた。
 こういう物語は、やはり文句なく血沸き肉躍るのであって、一読の価値は十分ある。
 ただ、その後大本や王仁三郎に関する読書を進めてみてあらためて確認できたのは、史実としての大本教事件を論じるにあたって、この作品を例示するのは無理があるということだった。
 作者自身があとがき等で述べている通り、史実としての大本教事件を素材の一つとしてはいるものの、事実関係も教義内容も、作中で描かれたものは完全に別物なのだ。
 中でも、出口王仁三郎に相当する「行徳仁二郎」という登場人物の描写が、ちょっと大人し過ぎる点が大きく異なると感じた。
 80年代オカルト界隈で紹介されていた、王仁三郎の「三千世界の大化物」という破天荒なイメージからは遠く、「ちょっと描き切れていないのではないか?」という印象を持った。
 作中における「大化物の不在」、主要な登場人物があまりに生真面目で純粋であったことが、小説の悲劇的な結末を招いたのではないかとも感じた。

 フィクションではない、出口王仁三郎の実像はいかなるものであったのか?
 次に手に取ったのは、以下の本だった。


●「巨人出口王仁三郎」出口京太郎(天声社文庫)
 初出は1967年、講談社から刊行。
 王仁三郎の実孫の一人、京太郎の著作である。
 私が手に取ったのは95年刊行の現代教養文庫版だったが、現在は教団出版部の文庫版が入手しやすい。
 500ページ超のボリュームで、王仁三郎の破天荒な全生涯が、テンポの良い活劇として描き出されている。
 二度にわたる過酷な宗教弾圧にも屈せず、しぶとく陽気に時代を駆け抜けた、まさに「三千世界の大化物」の一代記である。
 大本教や出口王仁三郎について知ろうとする時の「最初の一冊」としては、今も変わらずスタンダード中のスタンダードではないかと思う。

 王仁三郎と並ぶ大本の女性開祖、出口なおについては、以下の本が定番。


●「出口なお――女性教祖と救済思想」安丸良夫(岩波現代文庫)


 この二冊を読むと、大本教についての大枠は理解できる。
 ただ、日本史上空前の大弾圧を招いた理由については、今一つはっきり理解しがたい面があった。
 私はさらに読書を進めた。

 90年代は、出口王仁三郎の主著にして、全81巻83冊の巨大根本経典、「霊界物語」が、初めて教団外から出版され、広く一般に公開された時期でもあった。
 大型書店の宗教コーナーでは、出口王仁三郎関連のスペースが広く確保されていて、ちょうど関心を持ち始めていた私は休日ごとに通い詰めた。
 何から読もうかとあれこれ手に取っていた時、同じ棚の一画に、気になる小説作品があった。
 その小説のタイトルを、「大地の母」という。
(続く)
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2017年04月21日

本をさがして19

 90年代後半の私は、様々な神仏、宗教のことを知りたくて本を渉猟するうちに、ある大河小説に行き着いた。
 世間的にはさほど知られていないが、知る人ぞ知る伝説的なその作品、タイトルは「大地の母」という。
 近代日本の新宗教の中で最大級の影響を及ぼした教団「大本」の歴史、そしてそれを率いた「三千世界の大化物」出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の前半生を描いた実録小説である。
 著者は、王仁三郎の実孫、出口和明(やすあき)。
 前回記事で紹介した「巨人出口王仁三郎」の著者、出口京太郎の、年上の従兄弟にあたる。
 大正十年の第一次弾圧、昭和十年の第二次弾圧に挟まれた昭和五年、王仁三郎の三女の長男として生まれた。
 王仁三郎にとっては「初めての男の子の孫」だった。
 大本開祖・出口なお以降の出口家は、基本的に女系で継承されている。
 実際、生まれる子も女の子が多く、とくに王仁三郎と妻である二代教主・澄の子の中では、男の子は幼くして亡くなった。
 そんな事情もあって、和明は王仁三郎にとくに可愛がられたという。
 単に可愛がられたというだけでなく、和明を「十和田湖の龍神の再生」であるとし、自分の神業の後を継ぐ身霊であると書き残している。
 幼い頃の「大好きなおじいちゃん」の思い出を大切に抱きながらも、物心つくと同時に弾圧の嵐に巻き込まれ、和明の心は屈折していく。
 青年期を迎えれば、祖父の残した「預言」も、背負いきれない重荷となってのしかかる。
 学生時代以降は、意識的に教団外に身を置き、祖父の思い出から逃げるように暮らしていたという。
 昭和三十八年、第二回オール読物推理小説新人賞受賞。
 ペンネームは「野上竜」、「兇徒」というタイトルの、新興宗教団体を舞台にした作品だったという。
 同時受賞は後にベストセラー作家になる西村京太郎。
 その頃になっても、まだ王仁三郎に対する葛藤は残っていたという。
 大好きだった亡き祖父の大きな期待と、あまりにかけ離れた今の自分。
 自分に何かできるとすれば、それは文章を書くことしかない。
 しかし、王仁三郎のような桁外れの人物を、果たして描けるのだろうか。
 以下に、当時の心情を綴った和明自身の表現を引用してみよう。

「書かねばならぬという思いと描けるはずがないという思いが常に交錯し、私をさいなんだ。心の中の鬼が『書け、書け』と私をむち打つ。そうだ、王仁三郎は書けなくても、出口澄なら書けるかもしれない。素朴でいつくしみ深く、幼い時からの苦難の歩みにも寸分そこなわれぬ天性の明るさ、おおらかさ、女傑というよりも豪傑といった方が似つかわしく、思想も単純明快、行動範囲も広くない。祖母ならなんとかなりそうだ。」
(「第三次大本事件の真相」より)


 昭和四十三年、そんな動機から小説「大地の母」は執筆開始された。
 先の引用の通り、当初は大本二代教主・出口澄の伝記として書き起こされた。
 タイトルの「大地の母」も、教団内外の澄の人柄を慕う人々から呼びならわされた尊称に由来している。
 最初は教団内の機関紙に連載されていたが、毎日新聞社から全十二巻の大河小説として刊行されることになった。
 ボリュームの増大と共に王仁三郎の生涯ともまともに切り結ぶことになり、三年かけて開祖・出口なおの昇天までが描かれ、第一次完結となった。
 90年代には加筆・再構成された「完全版」が文庫サイズで刊行され、私が手に取ったのはそれだった。

 小説「大地の母」は、凄まじく面白い小説だった。
 私がこれまで楽しんだエンターテインメント作品の中でオールタイムベストを作るなら、必ず上位に食い込む作品である。
 世間的に知られてはいないが、「玄人向け」と言おうか、宗教という要素をテーマに持つ作家で熟読している人は多いのではないかと思う。
 我が敬愛するSF作家・平井和正も、知る限り一度も名は挙げていないが、この作品は必ず読んでいるはずだという「確信」が私にはある。
 大本の事、出口王仁三郎のことについては、当ブログでもカテゴリ「節分」で、断片的に触れたことがあるが、主として「大地の母」の記述を参照している。

 神話のヨミカエ2「艮の金神」
 神話のヨミカエ3「スサノオ」

 また、王仁三郎テーマの別ブログも開設している。

 小説があまりに面白かったので、私は97年、作家に長いファンレターを書いた。
 そのことがきっかけで、大本の地元である亀岡や綾部の皆さんとの交流が始まった顛末は、以前記事にしたことがある。

 ある夏の記憶:出口和明「大地の母」のこと

 70年代の第一次完結以降も、「大地の母」続編執筆の準備はずっと続けられていたのだが、2002年、出口和明は昇天。
 王仁三郎の全生涯を描く小説としては、ついに未完に終わった。
 小説ではないが、その後の王仁三郎の生涯、二度の弾圧から晩年に至るまでを概観した著作は、何冊か刊行されている。
 名義が「十和田龍」のものもあるが、どれも出口和明著である。


●「出口なお 王仁三郎の予言・確言」出口和明(みいづ舎)
●「出口王仁三郎 入蒙秘話」出口和明(みいづ舎)
●「第三次大本事件の真相」十和田龍(自由国民社)

 出口王仁三郎という特異で桁外れのキャラクターの実像は、実は戦後の大本教団内ですら埋没しつつあったのだが、出口和明という不世出の作家の登場により、広く一般に紹介されるようになった。
 王仁三郎の「十和田湖の龍神の再生」の預言は、祖父を思慕する孫の切なる想いから、奇しくも成就することになったのだ。

 出口和明の著作、現在かなりネット公開が進んでいる。
 興味のある人は、ご子息の出口恒さんのサイトを参照すると良いだろう。
 私が愛してやまない「大地の母」も、pdfファイルで無料配布されている。
 スマホ等のサイズの小さな液晶画面むけの編集で、ルビが入っていない点が難といえば難だが、日常的に本を読む習慣のある人は問題なく読めるだろう。
 個人で作成されているようなので一部編集の乱れも見受けられるが、ともかく読みはじめてみるには使い勝手が良いと思う。
 ただ、全十二巻の大長編なので、本来ならばあまり電子書籍むけの作品ではない。
 まずは無料のpdfでお試しの後、気に入ったら紙の本でじっくり読むのが良いと思う。



 とにかく、小説として無類に面白い名作中の名作。
 私の90年代後半の「本をさがす旅」の、最大の収穫と言っても過言ではない。
 神仏与太話ブログ「縁日草子」が、最大級にお勧めする大河小説である。
(続く)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

本をさがして20

 近代日本の国家神道体制下で起きた、史上まれにみる規模の宗教弾圧、大本事件。
 昭和十年の第二次弾圧では、主だった幹部信徒は軒並み拘留され、新聞報道は「邪教大本」の壊滅を無批判に書きたて、世論をヒステリックに誘導した。
 昭和十一年には裁判結果を待たないまま、法的根拠の無いままに、当局による教団施設の破壊が開始される。
 建造物は徹底的に破壊、廃棄、焼却。
 石材は再利用されないよう海洋投棄。
 土地は二束三文で強制売却。
 とりわけ、堅牢な亀岡天恩郷の神殿、月宮殿は、連日ダイナマイトで徹底的に爆破。
 全国の別院、歌碑も根こそぎ破壊。
 おまけに破壊の費用は全額大本に請求される。
 拘留された幹部には過酷な拷問が科され、死者、廃疾者が相次いだ。
 一般信者にも徹底的な弾圧が加えられ、王仁三郎の著作、短冊、書画等は没収の上全て焼却。
 この地上から大本が存在した事実ごと抹殺するかのような、異様な執念を感じさせる破壊行為である。

 この狂気の弾圧は一体何に起因していたのか?
 実は現在でも「定説」と呼べるものは無い。
 一応、「記紀神話と相いれない独自の神話体系を持ち、政治運動の領域まで進出していたから」という説明はされている。
 しかし、大本には武装蜂起や国家転覆を実行するための、いかなる行為もなかったことは、はっきりしている。
 戦前の「暗黒」と呼ばれた裁判ですら、犯罪に該当するような行為を示すことは出来なかったのだ。
 敗戦と共に、大本事件に関する裁判は、ほとんど全てが大本側の勝訴に終わった。
 弁護団は当然、莫大な国家賠償を求めるものと準備を進めていたが、王仁三郎の指示で中止されたという。

 曰く、
「そんなけちなことをするな。敗戦後の政府に賠償を請求しても、それはみんな、苦しんでいる国民の税金からとることになる。そんなことができるもんやない。今度の事件を、わしは神さまの摂理だと思うとる」

 私が出口王仁三郎という人物に強く惹かれた理由はいくつもあるけれども、この「気高い」という他ない言葉は、とりわけ心に残っている。
 大本事件の真相とともに、これほどの人物はいかなる道を歩んできたのか、少しでも知りたくて、ずっと調べ続けているのである。


 95年の阪神淡路大震災やカルト教団によるテロ事件をきっかけに、私は意識的に宗教関連の本を読み始めた。
 仏教から始まり、日本の神道や神仏習合、中国の道教、インド神話、そして世界の民族芸術を含むアニミズムに関心をもって、本や音源などを渉猟し続けた。
 できることなら(本の中だけでのことだが)宗教で世界一周するつもりだったけれども、結局旧約聖書から発した宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)までは届かなかった。
 絵入りの「聖書物語」の類は楽しんで読んだが、聖書そのものを開くには至らなかったのだ。
 ただ、日本の隠れキリシタンの創世神話「天地始之事」にはかなり興味をひかれ、今でも自分で絵解きをやってみたい意欲はある。


●「かくれキリシタンの聖画」谷川 健一 中城 忠(小学館)
●生月壱部 かくれキリシタンのゴショウ(おらしょ)

 当ブログでも、「天地始之事」については、ほんのさわりだけ記事にしたことがある。
 びるぜんさんた丸や
 諸星大二郎「生命の木」


 読書の幅を広げることに一段落した2000年以降は、それまでに関心を持った主要なテーマについて、掘り下げていくことになった。

・家の宗派である浄土真宗。
・遍路と放浪芸
・マンダラを描くための密教(チベット密教を含む)
・出口王仁三郎と「霊界物語」

 これらのテーマは、現在進行形で探求中である。
(「本をさがして」の章、了)
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