その作品にはとある神山をモデルにした描写があり、あとがき等でも熱を込めてそのお山のことが紹介されていた。
もともと山が好きだったこともあり、どうしてもそこに行きたくなったのだが、詳しい所在地は全くわからなかった。
どうやら奈良県の吉野のもっとずっと奥にあるらしいということはわかっていたのだが、具体的にどんな交通機関でどんな経路をたどればよいのか、何一つわからなかった。
当時はまだ、「熊野」という地域がどのあたりなのかすら、よく知らなかったのである。
まだネットが存在せず、知りたいことは何でも手間をかけて自力で調べなければならない時代だった。
図書館に行ったり、旅行地図や時刻表をあれこれ開いてみて、ようやくそのお山が奈良県南部、十津川村にある温泉地の近くにあるらしいことが分かってきた。
ちょうど季節は夏、大学で所属していた文芸系サークルの夏合宿の時期で、私は三回生の発言力を行使して、なかば強引に合宿地をそこに決めてしまった。
とくに有名な観光地がある訳でもない、地味な山村である。
他の合宿参加者は「まあ、おまえがそこまで行きたいなら」ということでなんとか同意してくれたが、もしかしたら呆れていただけなのかもしれない(笑)
お山の名はとくに記さないけれども、奥吉野であり、十津川村の鎮守であり、熊野の奥の院でもあるという情報があれば、今ならけっこう簡単に調べはつくだろう。
本当に行きたい人、縁のある人だけが行けば良い。
そういう山なのだ。
90年代当時と違い、2000年代に入ってからは、熊野が世界遺産に指定されたこともあって、かなり情報が得やすくなった。
それでも「熊野はどこにある?」と聞かれると、今でも少々答えに迷う。
和歌山県とかなりの部分重なっているが、必ずしも現在の県境でくくられる範囲ではない。
和歌山県南部、三重県南部、奈良県南部を囲む大きな円を描き、紀伊半島南部をぐるりと囲んだものをイメージするとわかりやすいかもしれない。
熊野はある意味、地名ではなく文化圏だ。
それは近代に入ってからの人為的な県境よりもはるかに長い歴史の蓄積を持っている。
和歌山と聞いてイメージされる和歌山市周辺、奈良と聞いてイメージされる大和、三重と聞いてイメージされる伊勢、そのどれもが「熊野」とは異質だ。
中世熊野信仰の中心となった熊野三山、本宮・那智・新宮が一応和歌山県に属しているため、観光情報を探すなら和歌山から探すのが話がはやい。
観光パンフレットで使われる言葉では「南紀」という分類が、地理的には一番熊野に近い。
しかし、「南紀」という言葉から「太陽のふりそそぐリゾート」をイメージするならば、それは熊野とは全く違う。
明るい陽光はもちろん熊野の属性の一つではあるけれども、それだけではない。
強い光には濃い影が差す。
熊野は暗く恐ろしい所でもある。
そのコントラストの強さが、熊野なのだ。
紀伊半島の真ん中あたりには、鉄道が通じていない。
奈良の五條から和歌山の新宮にかけて、国道168号線が細く通じており、そこを走るバスが唯一の公共交通機関になる。
関西からは北の五條から、関東からは南の新宮から入るのが、まずは順当なルートになるだろう。
お山に到達するためには、五條側からも新宮側からも数時間バスに揺られる必要があり、そこからさらに片道三時間の登山をしなければならない。
近年は一応山頂近くまで車道が通じ、タクシーで乗り付けることも可能になったが、それでも都市部からのアクセスがきわめて困難であることに変わりはない。
熊野は今でも、辿り着くだけで多大な時間とエネルギーを必要とする、日本有数の「奥地」なのだ。
(クリックすると画像が拡大します)
夏合宿1日目、大阪で集合し、奈良県の五條へ。
山に囲まれた広々とした盆地景観の中、勇躍バスに乗りこむ。
新宮へと通じるこのバス道は、かつての熊野古道「十津川路」にあたるのだが、現在はほぼ国道168号線に吸収され、車専用道路のようになってしまっている。
歩けるような古道の雰囲気はほとんど残っていないのだが、途中何箇所かキャンプ場があるので、夏季にはそれなりに便利なルートではある。
五條から出発してほどなく吉野川周辺の市街地を抜け、山合いへとバスは分け入る。
すぐに山は深く高くなり、人家も消える。
尾根近い舗装道路をバスは進み、やがて曲がりくねった川沿いの道に入る。
ゆっくり徐行で走り続けるバスに、座席にもたれる体もゆっくり左右にシェイクされ続ける。
車に弱い人はほぼ確実に酔うだろう。
まるで子供の頃観ていたTVアニメ「まんが日本昔ばなし」の背景のような山々の連なりは素晴らしく、一見の価値があるのだが、体質的に無理な人はさっさと寝てしまった方が無難だろう。
合宿メンバーの何人かも、早々にダウンしていた。
走り続けること1時間40分、目指すバス停までの3分の2ほどを過ぎたところで、「谷瀬の吊橋」に到着する。
休憩地点なのでしばらく停車し、「日本一長い吊橋」を体験することができる。
すでに十津川沿いの経路になってから長く、河川敷の川原は広大になってきている。
熊野の自然の雄大さがむっくり起き上がってきた感じがする。
休憩を終え、さらに1時間ほど走ってようやく合宿地である十津川村に到着する。
温泉地で川遊びもでき、昔ながらの山村の風景も豊かに残っているので、地味だけれども普通に観光で訪れるだけでも十分楽しめる。
しかし、私の密かな目的地は、あくまで憧れの「お山」である。
(続く)