師匠と言っても、私が勝手に「弟子」を自認していただけなので、別に形式張った付き合いではなかった。
世間的には「事務所の社長と古参のバイト」という関係になるが、それだけでくくり切れるものでもなかった。
Nさんと私の縁は、学生時代のサークル活動からつながった。
当時、私が主に文芸系サークルに出入りしていたことは既に書いた。
文芸系サークルなので文学部や教育学部所属はもちろん多かったが、意外と理系学部もいた。
中でも工学部の建築系のメンバーは切れ目なく入って来ていた。
元来美術と分かち難い歴史を持つ建築という分野は「理系の中の文系」みたいな所があるのかもしれない。
建築系の学生が、美術や文芸、演劇のサークルに加入するケースはけっこう多く、あちこちで頻繁に交流はあった。
入学当初は建築に関してはゼロだった私も、そんな交流の中からじわじわと「空間」と言うものに関心が出てきて、卒論ではついに畑違いの近代建築をテーマにすることになったりした。
Nさんの事務所は大阪にあり、ごく簡単に書くと、都市計画や景観、造園関連の仕事をしていた。
そのNさんの事務所には、私が出入りしていた文芸系サークルの建築系を中心とした先輩が、何人か入社したり、バイトで入ったりしていた。
在学中、そうした伝手で私もバイトに誘われた。
主な仕事内容は、報告書の版下作業やプレゼン用の図面作成。
当時はまだデータ入稿が一般化していなかったので、切り貼りやマーカーでの着色、コピーや製本など、実際に手を動かすアナログ作業が大半だった。
作業内容だけで見ると漫画原稿作成とも共通するデザイン系の仕事だったので、畑違いの私でもなんとか対応できたのだ。
Nさんは親の世代に近かったが、普段はそこまでの年齢差は感じなかった。
元々は絵描きで演劇経験があったそうで、私とは経歴に共通点があった。
山好き等の趣味嗜好、体格も似たところがあって、私の方ではなんとなく「都会でたまたま出会った同じ部族出身者」というような印象を持っていた。
たぶんNさんも同様に感じていたのではないかと思う。
卒業前後のタイミングで断続的にバイトに入るようになり、私の場合は絵が描けたので色々教えてもらった。
技能面では景観イラストの描き方を教わったのが一番大きいけれども、Nさんから学んだものはもっと幅広い。
地図・地形の読み方、都市計画、風水の考え方などを、私はバイトの仕事内容を通じて「門前の小僧」として聞きかじった。
元々興味のあった沖縄や熊野に関する仕事も多く、事務所の本棚に並ぶ書名をたよりに読書を進めたりした。
事務所にはデカい泡盛の甕が鎮座していて、夕方頃からは一杯やりながら仕事をすることもあった。
氷を浮かべ、好みで水割りにする沖縄式の飲み方を教わったのも、Nさんからだ。
飲みながら芸能や民俗に関するあれこれを聞かせてもらうのが好きだった。
事務所の仕事内容と重なりつつも、ちょっとずれたところで教わることが多かった。
変わり種を面白がって、Nさんには仕事上がりに色々連れ回してもらった。
私がお供だと気兼ねがないのか、けっこう怪しげな店にも飛び込みで入った。
今でも覚えているのは、ビルの谷間の駐車場みたいなスペースに、小学校の運動会で使うようなテントを張った仮設店舗のことだ。
祭の露店の飲食スペースに似た感じなのだが、もう少し耐久性はあった。
壁は一応ベニヤが張ってあり、少なくとも数ヵ月レベルで経営しているであろう雰囲気はあった。
店構えを一目見て「怪しいなあ」と笑いながら中に入ると、折り畳み長机の椅子席と、ビールケースを重ねた上に古畳を敷いた座敷(?)席があった。
使われている材料の一つ一つに、なんとなく「運動会」のイメージがあった。
座敷(?)席は常連さんらしき客が占められていたので、Nさんと私は椅子席についた。
壁にたくさん張り付けてあるメニューをたよりにマグロの刺身を頼むと、カレー皿みたいな四角い皿に山盛りで出てきた。
カレー皿「みたい」というか、多分カレー皿そのものだったのではないかと思うが、文字通りの「山盛り」で、確か500円くらいだったと思う。
ちょっと気になったのがメニューに混じって何ヵ所かある張り紙で、「刺身はなるべく早めにお召し上がりください」と、念を押してあるところがなんとも不気味だった。
他のメニューも全部そんな調子で、とにかく安く、カレー皿に山盛りで、鮮度には少々不安を感じさせながらも、まあ普通に食べられた。
泡盛好きのNさんにとっては、焼酎が不味かったのが難で、再度は行かなかったけれども記憶に残る店だった。
その後ふと思い出して、仕事帰りに店のあったあたりを一人でぶらついてみたが、どうしても見つけられなかった。
おそらく「なんらかの事情」で、付近の駐車場のどれかに戻ったのだろう。
翌日、「あの店もうなかったですよ」とNさんに話すと、「おまえも見に行ったんか」と笑っていた。
Nさんも何度か様子はうかがいに行っていたらしい。
(続く)