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2017年09月12日

世紀末サブカルチャー1

 このカテゴリ90年代では、当時の私自身の阪神淡路大震災の被災体験や、見聞きしてきた世相・文化について、行きつ戻りつしながら書き綴ってきた。
 90年代は文字通りの「世紀末」で、70年代頃から始まった「終末ブーム」が総決算の時期を迎えつつあった。
 実際、大震災があり、カルト教団のテロ事件があり、ショッキングな少年犯罪もあったので、「終末感」が強く漂っていたことは確かだ。
 しかし、今振り返ってみると、「それ一色」というわけでは全くなかったと思う。
 既にバブルは崩壊していたが、CDや本の売り上げはピークにあり、まだ物は売れていた。
 金はある所にはまだ残っており、地方が今ほどには疲弊していなかった。
 いくつか「世も末」を感じさせる事件があっても、それに塗りつぶされない程度の明るさ、能天気さは、90年代にもやっぱり存在したのだ。
 終末感はあったが、それは世相を構成する様々な要素の内の一つに過ぎなかった――
 そのあたりが、妥当な認識ではないかと思う。

 終末をテーマとしたサブカルチャー作品の最初のピークは70年代にあった。
 多くの作品が描かれ、80年代に入るころには次の段階、終末後の世界でのサバイバルが描かれるようになった。
 そうした在り様については、以前に別カテゴリの一連の記事で紹介してきた。

 70年代「終末サブカルチャー」
 80年代「終末後」のサブカル

 そして90年代、終末予言の刻限が迫る中、世の終末をテーマとした「世紀末サブカルチャー」は、数あるエンタメの中の(やや地味な)一ジャンルとして、一定の需要を保っていた。
 私はそうした固定客の中の一人だったのでよく鑑賞していたが、終末テーマは当時のサブカルの一番の売れ筋からは既に外れていたはずだ。
 ハイレベルな「終末」「終末後」は、70年〜80年代にほぼ描き尽されていたのだ。
 一般ニュースとして取り上げられるレベルで大ヒットし、多大な影響を残したのは、95年のアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」くらいだったのではないかと記憶している。
 私自身はちょうど被災生活中だったこともあり、結局「エヴァ」のブームとは無縁で過ごしていたこともあり、マンガも小説も音楽も、自分の周囲に話の合う者は中々見つけられなかった。

 とは言え、世紀末感覚のある作品が「全く売れていない」わけではなく、見るべき作品はいくつもあった。
 それは70年代の終末サブカル、80年代の終末後のサブカルの流れを引き継ぎ、絵作りや描写にリアルさを加えた、非常に良質な作品であったと思う。
 そしてそれらは、青年誌連載作品であるケースが多かった。
 表現の制約の少ない青年誌だからこそ描けた面があっただろうし、同時に青年誌ゆえの読者層の限界もあっただろう。
 いずれも日本マンガ史に残るべき作品で、息長く読み継がれてはいるけれども、少年誌発のアニメ化ヒット作のように「日本中誰もがタイトルくらいは知っている」というほどの知名度は、二十年経った今も無い。

 90年代当時の私がよく読んでいたマンガ作品を、紹介してみよう。
 まず挙げておかなければならないのは、70〜80年代に君臨した終末サブカルの魔神・永井豪の作品である。


●「マジンサーガ」永井豪
 90〜92年、週刊ヤングジャンプ連載。
●「デビルマンレディー」永井豪
 97〜00年、週刊モーニング連載。

 永井豪という不世出のマンガ家が、真にクリエイティブで在れたのは80年代あたりまでだったとは思う。
 しかし、ピークを過ぎた後の永井豪も、セルフリバイバルを繰り返しながら、まだまだ独自の存在感を放っており、ファンは作品を追わざるを得なかった。
 90年代の永井豪作品の内、特筆すべきは、70年代初頭の二大代表作である「マジンガーZ」「デビルマン」のリバイバルだった。
 搭乗型兵器としてのロボットアクション、「神と悪魔」や「終末」といったテーマを導入した両作品は、多くのフォロワーを生んだ不朽のパイオニアだった。
 しかし80年代以降、飛躍的に作画密度を増していった日本マンガの世界にあって、内容はともかくビジュアル面では粗さが否めなくなってきていた。
 自身の切り開いた不朽のテーマに、ビジュアル面の最新技術を導入して再生されたのが、「マジンサーガ」「デビルマンレディー」だったのだ。
 作画密度に限って言えば、永井豪のピークはこの時期、90年代にあったと見て良いだろう。
 全盛期の作品の鬼気迫る緊迫感には及ばないものの、現実の世紀末の初頭と終盤に、豪華絢爛のビジュアルと圧倒的なボリュームで終末を描き切った手腕は、やはり凄まじいのである。
(続く)
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2017年09月15日

世紀末サブカルチャー2

(90年代、世紀末感覚を描いたマンガ作品紹介の続き)


●「寄生獣」岩明均
 88〜95年、月刊アフタヌーン連載。
 近年アニメ化や実写映画化が相次ぎ、コンビニ版などで目にした人も多いと思う。
 増えすぎた人類の「捕食者」としての生命体・パラサイトが、当の人間自身に寄生し、表面上は判別が出来ないという基本設定、その異種生命体と人類との「あいの子」が抑止力として機能する点は、永井豪「デビルマン」の系譜を継いでいる。
 本作の新規性は、モンスターデザインとリアリズムの語り口にあったと言えるだろう。
 戦闘や捕食のシーンで必要に応じて姿を変える寄生獣のデザインは抽象芸術を思わせ、それまでのモンスターデザインとは一線を画したスマートさがあった。
 ヘンリー・ムアの彫刻を想起した読者も多かったことだろう。
 そして物語の範囲を個人レベル、日常レベルに限定し、細部を徹底したリアリズムで描いてある所がまた良かった。
 この種の作品は「強さのインフレ」によって「地球滅亡」まで暴走しがちなものだが、安易にその手法をとらないストイックさ、地味さが、世紀末サブカルチャーにあっては逆に新しかったのだ。
 パラサイトと合体した主人公は異種生命体の視点を取り入れることにより、人間の道徳や善悪の価値観は一旦相対化されている。
 人類が地球の生命圏の破壊者であることを認めながらも、主人公の少年・シンイチは心の痛みと共に、人類の一員として最強の群体パラサイト「後藤」に止めを刺す。
 人類の悪や毒を単純に比定したり肯定したりするのではなく、矛盾をそのまま飲み込みながら、一市民として自分の人生を守る選択をする。
 分かりやすくシンプルな極論が好まれがちなエンタメの世界で、作者自身も迷いに迷った結果であろうこの終幕は、深く静かに印象に残った。
 現実の世紀末の90年代にあって、誰かが描かなければならない大切な作品であったと、改めて感じる。


●「行け! 稲中卓球部」古谷実
 93〜96年、週刊ヤングマガジン連載。
 この作品は通常、「学園ギャグ」に分類されるはずなので、この記事中で取り上げることには奇異の念を抱かれるかもしれない。
 しかし90年代当時の私は、この作品の底に確かに流れる「世紀末感覚」を見ていた。
 ごく普通の中学のあまり活発ではない卓球部を舞台に、「ダメ人間」コンビである前野と井沢のコンビを軸に、物語は展開される。
 赤塚不二夫、山上たつひこ等によって確立された、「狂気を帯びたキャラクターが日常を破壊する」構図のギャグマンガの系譜に連なる作品である。
 この作品のオリジナルは、狂気の主人公・前野の傍らに常に立っている相方・井沢の存在にある。
 漫才コンビで言えば「ボケ」に対する「ツッコミ」に相当する立ち位置の井沢によって、前野の狂気は一旦受け止められ、翻訳され、一種の「愛嬌」に変換される。
 このタイプのギャグ作品では、主人公の狂気が次第に周囲に感染を広めることで破壊すべき日常が消失し、作品自体も壊れてしまうケースが多い。
 しかし「稲中」の場合は前野の無二の理解者であり、自身も狂気の世界に片足を突っ込んだ井沢が「防波堤」となって、周囲への感染が防がれていたのではないかと思うのである。
 前野をはじめとする卓球部員達には、90年代の中高生の誰もが漠然と感じていた不安や、年齢なりのナイーブさがあった。
 このまま「ダメ人間」で居続けることはできず、いずれこのつまらなくも楽しい学校生活は終わってしまうという不安。
 少年時代の終りと共に地球も滅びてくれないかという現実逃避。
 地球環境、エコへの強い関心と、現実社会への無関心。
 いずれも当時の中高生が抱いていた一種の世紀末感覚であり、作品内で描かれるギャグの多くは、そうした感覚を露悪的に晒すことで成立していたのではないだろうか。
 作者・古谷実は本作以降、次第にギャグから離れ、シリアスな少年犯罪や狂気の世界を描くようになるのだが、その萌芽は全て「稲中」の中にあったのだ。
 そして長く続いた作品の終幕は、同系統のギャグ作品でよく見られる「狂気の蔓延」とは別の形で、わりとあっさり訪れた。
 幕を下ろしたのは、実は作品中盤で登場し、成り行きから井沢に惹かれるようになった少女・神谷ちよこではなかったかと思う。
 前野と井沢の、この年齢にありがちな(そして少々同性愛的な)少年同士のつながりの深さに、くさびを打ち込めるのは異性の存在だけなのだ。
 最終回近く、たまたま二人だけになった前野と神谷が言葉を交わすシーンがあり、とても印象深かったことを覚えている。
 前野・井沢コンビの距離感は作品の根幹である。
 そこに変化があるということは……
 ぎこちなさから「なんとなくの和解」に至るやり取りを味わいながら、「ああ、この作品も終わってしまうのだな」と、寂しさと共に了解できたのだ。

 以上二作は、個人的にも非常に思い出深いマンガだ。
 当時私が住んでいた風呂無しトイレ共同四畳半のボロアパートの近くに、小さな本屋があった。
 一人で店をやっている若い店長さんがけっこうなマンガ好きらしく、品ぞろえや配置にこだわりを感じた。
 経営は苦しかったらしく、年々エロスペースが拡大していくことに痛々しさを感じながら、応援の意味でよくマンガを物色しに立ち寄っていた。
 その店長の推しで手に取ったのが、先に紹介した二作だったのだ。
他にも、今回は詳しく紹介しないけれども、94〜96年に週刊少年チャンピオンで連載された山口貴由「覚悟のススメ」や、89年から描き起こされ、現在に至る長期連載になっている三浦健太郎「ベルセルク」も、勧めてもらった覚えがある。
 どちらも90年代当時の世紀末感覚を反映したヒット作と言えるだろう。
 たまに立ち寄った時、レジで言葉少なに作品評や情報をやり取りする間合いが、とても好きだった。
 ああいう「街の本屋さん」での本との出会いは、90年代頃が最後ではなかったかと記憶している。
 今はもう、小規模書店そのものが、ほとんど絶滅してしまった。

 90年代のマンガを語る時、話題に挙げざるを得ないのが、「週刊ヤングサンデー」である。
 一応メジャー青年誌であるにも関わらず、テロリストや連続殺人者を描いた力作が多数掲載され、他にも人肉食シーンが問題になって回収騒ぎが起こった作品があったり、エロ描写で有害図書追放運動の標的になった作品があったりと、とにかく切れ目なく「事件」が起こるアナーキーな週刊マンガ誌だったのだ。
 試みに、当時の主な問題作をいくつか並べてみよう。

●「Angel」遊人
 88〜91年連載。性描写が問題になる。
●「ichigo 二都物語」六田登
 90〜94年連載。連続殺人者を描く。
●「バクネヤング」松永豊和
 95〜97年連載。連続殺人者を描く。
●「マイナス」沖さやか
 96〜97年連載。人肉食描写が問題になる。

 そして90年代終盤から2000年代初頭にこのヤンサンに連載された最凶問題作が、以下に紹介するマンガである。


●「ザ・ワールド・イズ・マイン」新井英樹
 97〜01年、週刊ヤングサンデー連載。
 終末テーマに限定しなくとも、90年代のマンガ作品全般の中でも突出した問題作ではないだろうか。
 少年犯罪、テロ、カルト、天変地異、ハルマゲドン等、世紀末をイメージさせるあらゆるアイテムがぶち込まれた、まさに破壊と殺戮の巨大マンダラである。
 70年代から連綿と描かれ続けた「終末物語」の、究極の進化形とも言えるのではないだろうか。
 全編衝撃に満ち、心の痛み無しには読み続けられない本作だが、中でも衝撃的だったのは終盤に明かされた主人公の生い立ちだった。
 主人公のカリスマ性を帯びた少年犯罪者の内面が、実は全く空虚な「オウム返し」でしかなかったというどんでん返しである。
 社会から徹底的に打ち捨てられた空っぽでイノセントな孤児が、周囲の過剰な忖度や願望の反映により巨大なカリスマとして祭り上げられ、世界を滅ぼす役割を果たしてしまう展開には、2010年代のまさに今、読み返すべき寓意が込められているのではないかと思う。
 大長編の全編差し障りだらけの内容から刊行機会にあまり恵まれないこの作品、もっともっと読まれ、語られるべき価値がある。
(続く)
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2017年09月16日

世紀末サブカルチャー3

 90年代の世相やサブカルチャーを特徴づける要素はいくつかあり、もちろん「世紀末感覚」はその中の(やや盛りを過ぎた)一つだったと思う。
 当時の私の関心の範囲内でもう一つ上げるとするなら、それは「虚構と現実の融合」というテーマだ。
 いくつかの分野で、フィクションとリアル、夢と現実の壁を突き崩すムーブメントが進行しており、それはサブカルチャーとしても極めて刺激的だった。

 まず、最もわかりやすく「虚構の現実化」が行われたのが、プロレス・格闘技の分野だった。
 当時の状況については、何度か記事にしてきたことがある。

 祭をさがして8

 この分野では既に70年代から、梶原一騎原作のマンガの「現実化」が試みられていた。
 フルコンタクト系の空手団体はマンガによる達人伝で入門者を増やしていたし、プロレス団体は漫画の主人公であるマスクマンを実際に登場させ、異種格闘技戦を行うことで競技の壁を崩しつつあった。
 80年代には格闘技色の強いプロレス団体が旗揚げし、競技としての「総合格闘技」も誕生し始めていた。
 そして90年代も半ばに入ると、「ノールールで闘ったら、どの格闘技の誰が一番強いのか」を決める大会が、世界規模で開催される時代が到来してしまったのである。
 こうした試合の場は、それまでマンガか、せいぜいプロレスの世界にしか存在しなかったのだが、「素手のタイマン最強」を実測する大会が継続的に開催されるに至り、完全に立場は逆転した。
 それまでは「マンガの世界の現実化」に、プロレスや格闘技の団体、ファンが夢を託していた構図が裏返り、むしろマンガの世界が現実の後追いを始めたのである。
 90年代当時人気だった格闘技マンガは以下の二作。


●「修羅の門」川原正敏
 87〜96年、月刊マガジン連載。
●「グラップラー刃牙」板垣恵介
 91〜99年、週刊少年チャンピオン連載。

 どちらも連載前半はマンガ先行で「最強」に関する思考実験が行われていたのだが、途中からは現実の試合で登場した選手のキャラクターや局面が作品に反映され、「現実先行」「マンガによる現実の絵解き」が頻発するようになっていった。
 実測の場が出現したことはプロレスや格闘技の団体にとってもショックが大きく、それまで「実戦」や「最強」を標榜してきた団体の中には、その舞台で結果を出せずに失速していくものも多数あった。
 90年代に始まったフリーファイトの分野は、その後は安全性の強化、ルールの整備が進み、2010年代の現在は完全にスポーツとして確立した。
 衆目環視の中で「ノールールのタイマン最強決定戦」が行われたのは、今となっては90年代半ばに限定された特異現象であったということになるのである。

 SFの分野では、筒井康隆の活動が目立っていた。
 筒井康隆はキャリアのかなり早い時期から虚構と現実、夢と現実の狭間を突き崩す作品を執筆していたが、90年代は作品、行跡ともにかなり先鋭化していたのではないかと思う。
 当時の主なトピックを挙げてみよう。


●「文学部唯野教授」90年
●「朝のガスパール」92年
●「パプリカ」93年
 同年「断筆宣言」がなされ、95年には阪神淡路大震災に被災。
 断筆が解除された97年まで作品発表はなかったが、小説以外での活動は活発で、虚構と現実の融合という視点に立てば重要な期間だったのではないかと思う。
 とくに「パプリカ」は、夢テーマでもあり、個人的に筒井作品の中で一番好きだ。

 90年代は作家やマンガ家、左右の思想家の、自身の顔を晒しながら言論活動が盛んな時期だった。
 TVの「朝生」の全盛期と重なっており、「朝生文化人」という言葉も生まれて言論のキャラクター化、虚構と現実の融合が進行していた。
 当時私がよく読んでいた「週刊SPA!」連載の二作品については、以前にも紹介したことがある。

●「ゴーマニズム宣言」小林よしのり
●「夕刻のコペルニクス」鈴木邦男

 以上のような世相やサブカルチャーの状況、現実と虚構の融合の在り方をふり返ってみると、95年のカルト教団によるテロ事件の読み解き方のヒントも、見えてくる気がするのである。
(続く)
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2017年09月18日

世紀末サブカルチャー4

 90年代の世相やサブカルチャーの構成要素の中に「70年代リバイバル」があったことは、よく指摘されている。
 70年代と90年代、そしてもしかしたら2010年代の、とくにサブカルチャーの分野が似て見える理由は、感覚的によく理解できる。
 70年代サブカルを空気として呼吸してきた少年少女は、90年代には青年として表現する側に成長し、リバイバルの原動力になっただろう。
 70年代の青年は90年代には「先達」となって、表現を志す青年たちに「場」を与える立場になったケースも多かったことだろう。
 そしてその「20年後」である2010年代にも、同様のスライド現象があって、何ら不思議はない。

 私自身の90年代をふり返ってみても、とくに音楽分野については「70年代リバイバル」にどっぷりつかっていたと思う。
 90年代の初頭は、とくにアナログレコードからCDへの移行期でもあり、過去のビッグネームの音源が次々にデジタル化され、CDショップの店頭に現役アーティストと同等かそれ以上の扱いで並んでいた。
 若者が過去の作品を手に取りやすい環境があったのだ。
 当時の私がそんな「過去のビッグネーム」の一つであるLed Zeppelinに傾倒していたことについては、以前にも紹介したことがある。
 70年代ハードロックが日本の90年代に活躍したアーティストに及ぼした影響は多大で、リスペクトをそのまま作品化したようなCDもかなりヒットしていた。


●「王様の恩返し〜王様の日本語直訳ロック集」王様
●「アニメタルのベスト」アニメタル

 80年代以降のサブカルは「オリジナル無き世代」などと言われながらも、歩みを止めなかった。
 開拓すべきオリジナルが尽きたなら、己の「原風景」に立ち戻り、「おふざけ」「パロディ」「お笑い」等の批判など軽々と乗り越え、ただ遊び狂えばよい。
 所詮サブカル、やったもの勝ち、ウケたもの勝ちなのだ。
 開き直りが打ち破る閉塞、切り開く地平もあることを、身をもって表現して見せた一連のアーティストの姿には、笑いを突き抜けた涙と感動があった。
 私が90年代に最も聴き込んでいた「聖飢魔U」も、そんなバンドの中の一つだった。

●聖飢魔U
 地獄から世界征服の使命を帯びて82年結成、85年地球デビュー。
 地獄から派遣された本物の悪魔であり、ヘビメタバンドの姿を借りた宗教団体であると自己規定し、アルバムを「教典」、ファンを「信者」と呼ぶ活動スタイルで人気を博した。
 86年の「蝋人形の館」のヒットと、リーダーでありボーカル担当のデーモン閣下の当意即妙のキャラクターがウケて一気にブレイク。
 デビュー当初は創始者であるダミアン浜田の楽曲の70年代的な志向が強かったが、その後何度かメンバーチェンジを繰り返すことで幅広くテクニカルな音楽性を獲得していく。
 89年にはベスト盤がオリコン首位をとり、その年末にはNHK紅白歌合戦にまで登場してしまった。
 世間的な人気やCDの売り上げではこの頃がピークだったので、今でも聖飢魔Uは「80年代のバンド」として紹介されることが多い。
 実際、90年代初頭の聖飢魔Uは方向性に迷いが見えたり、各構成員のソロ活動が始まったりと、普通のバンドならそこで一旦解散していても不思議ではない状況があった。
 しかし聖飢魔Uの本当の意味での「戦い」は、そこからだったと思う。
 私はデビュー当時からの「信者」だったけれども、本気で感情移入し、聴き込むようになったのは、人気が一段落した90年代になってからのことだった。
 その最も大きな要因は、リーダーであるデーモン閣下の、虚実の狭間を変幻自在に遊ぶ、透徹した知性にあった。
 聖飢魔Uが演じたのは、「終末思想を持つ危険なカルト教団」の相対化に他ならず、お笑いを前面に押し出した表現の形をとりながらも、実はかなりシリアスなテーマを含んでいたのである。
 CDの売り上げが「低迷」とまでいかないまでも、「そこそこ」のまま、聖飢魔Uが90年代を潜り抜けた原動力は、デーモン閣下の「公約」にあった。
「1999年まではいくら売れてなくとも続ける。1999年にはいくら売れていても必ず解散する!」
 これはある意味「予言」である。
 放った言葉に責任を持ち、実際その言葉通りに活動を続け、多くの佳曲を世に送り出したデーモン閣下/聖飢魔Uの姿勢は、もっともっと称賛されてよい。
 デーモン閣下はキャラクター設定とは裏腹に、信者の間では「オカルト嫌い」として周知されていた。
 TVやラジオのトークでは、オカルト的な事象に対しては常に懐疑的、常識的な発言に終始し、信者(ファン)がカルト的な方向に走り始めるとすぐに火消しに努めていた。
 地獄から来た本物の悪魔であるというキャラクター設定は、ストイックに守り続け、虚実の狭間に遊ぶ。
 一方で、合理的で冷めた視線を常に保ち、信者にも発信を続け、虚実の狭間を峻別する。
 私が閣下の持つそうした二面性をはっきり意識化したのは、震災やカルト教団によるテロ事件に激震した95年以降のことだった。
 現実と虚構の融合。
 終末予言。
 悪魔崇拝。
 カルト教団とその教祖。
 多くの終末カルト的なアイテムを扱いながら、数万の単位の信者(ファン)を、あくまで「遊び」「祭」の中で熱狂させる。
 そして公約通り99年末に解散し、祭の幕を下ろして信者を現実に送り返す。
 これを「離れ業」と呼ばずしてなんと呼ぼう。
 いい加減な終末予言を煽るだけ煽って責任をとらない偽予言者やカルト教祖はいくらでもいたし、今後も数えきれないほど湧いてくるだろう。
 90年代、聖飢魔Uとデーモン閣下の「水準」を目の当たりにしてきた信者は幸いである。
 その審美眼があれば、程度の低い紛い物に惑わされることは無かっただろう。
 他ならぬ私も、その中の一人だ。

 90年代当時の聖飢魔Uの最終到達点を楽しめる大教典(アルバム)を挙げるなら、以下の二枚。


●「1999 BLACK LIST 本家極悪集大成盤」
●「LIVING LEGEND」

 サブカルに徹し、サブカルを極めることで到達する境地が、多くの人を守ることもあり得るのだ。

 解散後、2010年代の聖飢魔Uについては以前に一度記事にしたことがある。
(続く)
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2017年09月21日

世紀末サブカルチャー5

 私が「世紀末サブカルチャー」について書くなら、最後に行き着くのはやはりSF作家・平井和正のことだ。
 終末というテーマをこれほど真正面から、生真面目に、愚直に掘り下げ続けた作家を、私は他に知らない。
 そしておそらく私の生涯で、もっとも影響を受けた表現者でもある。
 60〜80年代、平井和正が常にエンタメの最前線で新しい表現を開拓した道のりは、過去記事でも紹介してきた。

 70年代「終末サブカルチャー」
 80年代「終末後」のサブカル

 80年代の小説版「幻魔大戦」シリーズの執筆過程で、平井和正はカリスマ的なヒーロー像への懐疑、あるいは否定を描くようになっていった。
 当初は「真の救世主」を、リアルに、まともに描くことを企図していたようだが、ベストセラー小説の中で「それ」をやってしまうことの危険に、途中で気付いてしまったのかもしれない。
 大衆が強いカリスマ、強いヒーロー、救世主を求める心理自体が、独裁者や偽救世主を呼び寄せ、ハルマゲドンを誘発する。
 そうした「終末感」は、危機的な世相を根っこに持ちながら、サブカルチャーによって強く増幅される。
 平井和正は作家的な潜在意識を「言霊」と表現するが、少なくとも幻魔大戦の言霊は、物語を「救世主ストーリー」として描くことにブレーキをかけた。
――それを求める者は滅ぶ
 そんな暗示を残して80年代の幻魔大戦は終結し、まるで作中のカルト教団が現実化したような事件の勃発する90年代へと、日本は突入していったのだった。

 80年代小説版「幻魔大戦」シリーズ以降も、平井和正は「終末」と向き合うことを止めなかったが、そのアプローチには変化が表れていた。


●85〜86年「黄金の少女」(全五巻)
 70年代に絶大な人気を獲得したウルフガイシリーズの、十年の中断をはさんだ続編であるが、ストレートな物語の「続き」ではない。
 本来の主人公の少年犬神明は登場せず、新書版で五巻分のほとんどが、外伝的なエピソードで占められている。
 舞台は北米、人種差別が濃厚に残留する旧弊な田舎町で、実質の主人公はその地の治安を守る警察署長・キンケイドだ.
 朝鮮戦争の退役軍人であるキンケイド署長は、決して圧倒的な力を持つヒーローではない。
 謹厳な人柄は地元住民に信頼されているが、心臓病を患って普段から薬が手放せず、戦争体験から心に闇と傷を抱えている。
 壊れかけた心と体に鞭打ちながら、町に襲来する狂信的なテロ集団に立ち向かう。
 一応ウルフガイストーリーの中に組み込まれているものの、人種間対立がテーマの独立した作品として読むことも可能だ。
 貧困層の白人が、自身の閉塞感や不満のはけ口を差別主義に乗せ、集団リンチや殺戮行為に走る描写は、まるで現代の世界各国で繰り広げられるヘイト行為を予見しているかのようだ。
 壮大なハルマゲドンの進行をストーリーの背景としながら、アメリカ南部の田舎町に戦闘範囲を限定し、それに臨む個人の心情の描写に重点が置かれている。
 ハルマゲドンは主に青年の心の中と、その周辺の局地戦として起こるという構図は、今読み返すとかなり90年代的に見える。
 平井和正は永井豪と同じく、先見性の非常に強い作家なので、80年代後半にはもう「次の段階」に進んでいたのかもしれない。

●88年「女神變生」
 平井和正は数十巻を超えるシリーズをいくつも抱えた「大長編作家」である。
 初期作として短編集が何冊か出ているが、キャリアのほとんどを長大なシリーズを書き継ぐことに費やしてきた。
 シリーズ執筆の入れ替わりの時期に、作者自身が作中に登場するメタフィクション的な作品(分量としては一冊分ほど)がはさまることがあり、自作パロディの色合いの強いギャグ作品の形になることもある。
 本作もそんなタイプの作品の一つで、次作に当たる「地球樹の女神」の呼び水になったのではないかと感じられる。

●88〜92年「地球樹の女神」(全14巻)
 平井和正は中学二年の頃、「消えたX」というタイトルのSF長編を書き上げたという。
 その作品自体は未発表だが、執筆時の充実した感覚が、作家を志す原点になったのだそうだ。
 本作はその「処女作」のリメイクにあたり、平井作品の中でも特殊な位置にある。
 出版社による改竄事件をはさんで苦闘しながらも執筆が続けられ、ついにラストシーンまで漕ぎつけた。
 ながらく「未完の帝王」と呼ばれた平井和正の長編の中では、おそらく初の完結作である。
 次元の壁を越えて物語が紡がれるスタイルは、その後の平井作品の基調となり、もう終わることがないと読者が半ば諦めていたシリーズが、これ以降次々に完結していく契機になった作品である。
 読み耽った当時の年齢のせいか、個人的に最も思い入れの深い、大切な平井作品である。
 何度か紹介した「お山」に登るようになったのは、この作品の影響であるし、その経験からいくつかの絵と文章のインスピレーションを持ち帰り、当時としては「完全燃焼」の作品に仕上げることができたのだ。
 率直に言えば、少年期の私の中にはカルト志向が存在したし、心の片隅ではハルマゲドンを待望する病んだ部分があった。
 そうした部分を「作品化」することで一旦焼灼してから、震災とカルトの年である95年を迎えられたことは、非常に幸運だったと思う。

 青年の心の中で起こるハルマゲドン局地戦を、「異界」と組み合わせて語るスタイルは、以後の平井作品でも繰り返され、深化していく。


●93〜95年「犬神明」(全十巻)
 平井作品の中でも「幻魔大戦」と並んで人気のある、少年犬神明を主人公としたシリーズの完結編である。

 実はこのカテゴリ:90年代の最初の記事に掲げた以下のイラストは、本作冒頭の「呪縛された犬神明」をモチーフに、93年当時描いたものだ。

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 当初「犬神明」編は雑誌掲載のスタイルがとられており、掲載誌の企画として読者イラストの募集があった。
 勢いで描き上げて勢いで投稿したのだが、結局その掲載誌は2号で中断されてしまった。
 募集されたイラストは宙に浮いた形になり、しかも返却不可の規定があったので完全に諦めていたところ、ある日出版社から電話があった。
 私のイラストのサイズの大きさと塗り重ねを見て、担当の人がそのまま廃棄処分になるのを気の毒に思ったらしく、返送してくださるとのことだった。
 その電話で、作品は新書版の書き下ろしで刊行されることになり、先生もお元気で執筆中であることを知った。
 別世界にいるように感じていた平井和正と、間接的にではあるけれども接触できたような気がして、ドキドキしたのを覚えている。
 今となっては良い思い出である。

 このように、80年代半ばから90年代半ば頃までの私は、平井和正の描く巨大な作品世界に全身で耽溺していた。
 もちろん他の表現者の作品も鑑賞していたけれども、他の誰よりもぶっちぎりで平井和正だった。
 少年期から青年期にかけての多感な時期、それだけのぶつかりがいのある作家、作品であったという思いは、今も全く変わらない。
 作品が無類に面白かったことはもちろんだが、「表現」というものに対する考え方や姿勢を大いに学んだし、そもそも絵描きなのに何故か文章にも相当のエネルギーを割くようになったのは、間違いなく平井和正の影響だ。

 伝統的な芸事や武術の世界では、技術継承において「守破離」という捉え方をすることがある。
 私なりの理解でまとめてみる。
 「守」は師匠から教わった型を忠実にコピーすることに専念する段階。
 型には先人の叡知が凝縮されているので、素人判断で理解・納得しがたいことがあっても、まずはそのまま学ぶことが大切だ。
 型がある程度体に馴染んできてはじめて、「ああ、こういうことだったのか」と、理解は後からやって来る。
 ただ、型はあくまで一つのお手本に過ぎない。
 人は体格、体質、性格、素養、千差万別だ。
 単に表面上の形だけなぞっているだけでは、本当の意味での技術継承は成らない。
 型に込められた技術のエッセンスを体現するためには、それぞれの資質に合わせて微調整が必要になってくる。
 それが「破」の段階。
 微調整が蓄積され、技術が完全に自分のものになると、やがて師匠が必要なくなる時が来て、「離」の段階に至る。

 90年代前半までの私は、平井作品の読者として「守」の段階にあったと言えるかもしれない。
 95年、震災とカルトの波をまともに受けたが、平井作品の愛読者であったことは、しぶとく生き延びるための原動力になった。
 その点については、いくら感謝してもしきれないのである。
 90年代後半になり、思うところあって神仏について自分なりの学びを進めはじめたことで、そろそろ「破」の段階は訪れていたのだろう。
 それからの十年間、平井和正からはやや距離を置いていた。
 平井作品には宗教的なモチーフも大きな構成要素としてあるのだが、色々考え方に違いが出てきていたのだ。
 そしていくつかの点で「平井和正は間違っている」と判断し、その上で作品への愛情は変わらず保持するようになったのが2000年代後半から。
 今思えば、読者としての「離」の段階に入っていたのだと思う。
 90年代後半の以下の作品は、2000年代に入ってからようやく読んだ。


●94〜95年、マンガ「バチガミ」原作(作画:余湖ゆうき)
●95年「ボヘミアンガラス・ストリート」(全九巻)
●96〜02年「月光魔術團」シリーズ(全37巻)

 真っ当な師匠は、後生大事に弟子を抱え込んだりはせず、ある段階で突き放すものだ。
 いつまでも弟子に依存させ、支配下に置こうとするのはカルト教祖の手口だ。
 平井和正は読者をカリスマ的な筆力で強烈に魅了しながらも、最終的には突き放し、自立を促す作家だった。
 私の場合、もっとも影響を受けた作家と、もっとも影響を受けた面受の師の両方が、最後はさらりと突き放してくれるタイプであった。
 出会いに恵まれていたのだなと、今あらためて思う。
(「世紀末サブカルチャー」の章、了)
posted by 九郎 at 23:58| Comment(0) | 90年代 | 更新情報をチェックする