一応、自室は無事だったが、電気、水道、ガス等のライフラインは、なかなか復旧しなかった。
それでもプライバシーの一切無い避難所にいる皆さんより精神的には楽だったが、その分、情報については自力で収集するほかなく、それなりの不便はあった。
朝起きるとまず、水の確保だ。
毎朝淡い期待を込めて部屋の水道を確認するが、なかなか復活してくれない。
仕方なく、登山リュックにありったけのペットボトルをつめて、近所の風呂屋へむかう。
風呂屋自体は休業中だったのだが、井戸水を使っているので、近隣住民のために無料の水場として解放してくれていたのだ。
私の住むアパートは自衛隊などの給水車が停まる場所から少し離れていたので、非常にありがたかった。
無人の風呂屋に一応「水いただきます!」と声をかけながら入り、2リットルのペットボトル十本に順番に水を満たす。
私の経験で言うと、バケツやポリタンクなどの容量が大きい容器で一気に汲むより、小分けにしておいた方が何かと使い勝手がよかった。
リュックに収納して背負うと、20キロの重みがずっしりと肩に食い込む。
台車などを使うことも考えたが、部屋から風呂屋に行くまでに、階段や坂道、線路などを通過しなければならないので、多少重くても背負ってしまった方が、かかる手間が少なかったのだ。
ただ、これは私がまだ若かったからできたこと。
腰痛を抱えた今現在なら、台車やキャリーの類は絶対に欠かせない。防災グッズの中に、小さくまとまるキャリーは加えておいた方がよいと思う。
水は飲料水だけなら、一日にペットボトル2本もあれば十分だっただろう。
しかし、水道が止まって初めてわかるのが水のありがたさである。普通に生活するには、水はいくらあっても足りない。
まず、洗濯。
被災地内だけで過ごすなら、多少薄汚れていても大丈夫だ。自分だけでなく、周囲も全て入浴と洗濯には不自由しているので、身なりにさほど気を遣わなくて済む。
ただ、私の場合は大阪方面にバイトに出ることがけっこうあった。
元来身なりにはきわめて無頓着な私でも、被災地とそれ以外の空気の差は歴然と感じるので、そういう時には最低限の身づくろいはしなければならない。
寒空の下、ベランダでバケツと洗面器を使い、水の残量を気にしながら衣類を手洗いしたり、洗髪や体拭きなども試みたが、かなりキツかった。
バイト先との往復のペースがつかめてからは、入浴や洗濯は、なるべく仕事帰りに大阪方面の風呂屋やコインランドリーで済ませるようになった。
もっとも大変だったのが、トイレ。
私が住んでいたのは風呂無しトイレ共同の安アパートで、和式の大便器が各階にいくつかあった。
当然ながら、水道が止まっているので、手持ちの水を洗面器に汲んで持参し、用を足した後はその洗面器で手を洗い、ざっと便器内を流さなければならない。
小用ならそれで終わりなのだが、一回の用足しで貴重な水が2リットルほど失われることになる。
大の場合はもっと大変だ。
勢いよく噴出する流水ではなく、洗面器の水を斜め上からかけるだけなので、固形物はなかなか流れてくれない。
下手すると、一回に10リットルくらい水を使わなければならなくなり、もう一度近所の風呂屋へ水汲みに出かける羽目になったりする。
トイレ問題は被災地で最も深刻だったことの一つで、みんな悪戦苦闘していたようだ。
公園等の公衆トイレは、震災後一週間もすると、全て大便とトイレットペーパーのうず高い山(比喩表現にあらず!)となり果てた。
私はと言えば、小用はともかく大の方は、バイトで大阪方面に行った時にタイミングが合うように、なるべく習慣づけることに成功した。
出勤日はそれでよかったのだが、休みの日は仕方がないので、水汲みを複数回行うことで対処しなければならなかった。
意外と負担が少なかったのが、食器などの洗いもの。
そもそもガスも水道も電気も通じていない状態では大した炊事が出来ないので、洗いものもほとんど生じないのだ。
このように、被災地ではまず何をおいても水の確保が重要になる。そしてそのためには、きっちりフタガ閉まって持ち運べる容器(私の場合は2リットルペットボトル×最低五本がお勧め)や、それを運搬するためのリュック、キャリー等を、防災グッズの中に含めておくことが大切になってくる。
震災当日からかなり経って、自室の水道の蛇口から「ゴゴゴゴ……」という音とともに、水が迸り出た時の感動を、今でも私は生々しく記憶している。
(続く)